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【ショッカーのアジトはロンバルディア 聖書は王族のルーツ証明書】

こんにちは、前回の予告からずいぶん遅い更新になってしまいました。

サラリーマンですので、くだらない付き合いや仕事多く、ブログがはかどらないという言い訳で許して下さい。

(仮面ライダー、次回予告)

【ショッカーのアジトはロンバルディア】

ロンバルディアは、ヨーロッパの歴史を語る上で欠かせない場所です。

ここでフランク王国時代のイタリア貴族エステ家、ヴェルフ家から、ヘッセンまでの血縁を見てみましょう。

すべての家系図を書くと、とてもではありませんが、記事になりませんので、直系のみ掲載します。

エステ (Este) は、人口16,859人のイタリア共和国ヴェネト州パドヴァ県のコムーネの一つである。ゲルマニアのランゴバルド人の血統のイタリア貴族エステ家の家名の由来の地である。(ランゴバルド=ロンバルディア)

このエステ家の始祖、アルベルト・アッツォ2世・デステからヴェルフを含むヘッセンまでの直系の系図です。

アルベルト・アッツォ2世・デステ  フルク4世・ダンジュー
     |                |
   ヴェルフ1世         フルク5世・ダンジュー
     |                |
   ハインリヒ9世          ジョフロワ4世
     |                |
   ハインリヒ10世         ヘンリー2世
     |                |
   ハインリヒ獅子公ーーーーマティルダ・オブ・イングランド
             |
      _______|___
     |           |
   オットー4世      ヴィルヘルム
                 |
               オットー1世
                 |     
  アーデルハイト(1244–1274) - ヘッセン方伯ハインリヒ1世と結婚

それよりもっと古い、フランク王国カロリング朝の時代に、ルートヴィヒ1世(ドイツ語:Ludwig I, 778年 - 840年6月20日)は、ヴェルフ家の819年、シャッセンガウ伯ヴェルフ(ヴェルフ家出身)の娘ユーディト(795年 - 843年)と再婚。シャルル1世(823年 - 877年) - 西フランク王、西ローマ皇帝を生んでいます。

ピピン1世(大ピピン)
  |
 ベッガーーアンゼギゼル(メス大司教アルヌルフの息子)
     |
 ピピン2世(中ピピン)
     |
 カール・マルテル
     |
 ピピン3世(小ピピン)
     |
カール大帝ーーランゴバルド王国の王女デジデリア
     |
ルートヴィヒ1世 (フランク王)ーーエルマンガルド・ド・エスバイ
 _____________|________
|          |           |
ロタール1世    ピピン1世     ルートヴィヒ2世
西ローマ皇帝   アクイタニア王    東フランク王
中部フランク王  

その後、ヴェルフ家の女性と再婚

ルートヴィヒ1世 (フランク王)ーーヴェルフ家出身の娘ユーディト
     |
シャルル1世(823年 - 877年) - 西フランク王(現在のフランス)、西ローマ皇帝

(Wikipediaより)

ヴェルフ家が歴史に最初に顔を出すのは9世紀初めのことである。ヴェルフ家のシャッセンガウ伯ヴェルフはバイエルンの有力貴族であり、その娘ユーディトはカロリング朝の皇帝ルートヴィヒ1世に嫁いでいた。ルートヴィヒ1世は817年に帝国整序令を発し、長男ロタール1世にイタリアと帝位を、次男ピピンにアクィタニアを、三男ルートヴィヒ2世にバイエルンを与えると決めていた(以上3人の息子はユーディトの子ではない)。

ところが823年にユーディトが四男カール(シャルル)を生み、ヴェルフ家は彼にも領土を要求する。ルートヴィヒ1世もこれに応えてカールにアレマニア、アルザス、ブルグントなど広大な領域を与えることに決めたため、カロリング朝は親子兄弟の相続を巡る内戦に陥ることとなった。この内戦は843年のヴェルダン条約で決着し、この時既に亡くなっていたピピンを除く3兄弟がフランク帝国を分割することとなった。
       
ヴェルフ家とは、バイエルンを拠点とした女街の出自と言われています。

教皇派と皇帝派に分かれて争っていた頃、当初教皇派であり、後に皇帝派にもなる家系です。

このヴェルフ家の娘ユーディトがフランク王国皇帝ルートヴィッヒ1世と結婚。

823年に後妻のユーディトがカールを生みます。

そこでヴェルフ家も領土を主張し始めます。

これが領土争いの原因になりイタリア、フランス、ドイツ等になっていったのです。

また、後の時代のヘッセン方伯ハインリヒ1世1247~1308の妻はヴェルフ家の人間です。

ヘッセン家と、ヴェルフ家の女性で、婚姻を繰り返してます。

バイエルンのヴェルフ家も1055年のケルンテン公ヴェルフ3世の死と共に断絶した。ヴェルフ3世の姉のクニグンデは9世紀から続くロンバルディアのエステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世と結婚していたため、バイエルンのヴェルフ家はエステ家に相続されることになった(このためヴェルフ=エステ家(Haus Welf-Este)、またはヴェルフェン=エステ家(Haus Welfen-Este)ともいう)。

シュヴァーベンのヴェルフ2世の娘クニッツァ・ディ・ズヴェーヴィア(クニグンデ)、ロンバルディアのエステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世との間に生まれた子供。

グエルフォ4世・デステ(ヴェルフ4世)(1035年/1040年 - 1101年) - ドイツ南東部に移りバイエルン公となり、子孫は後にハノーファーを拠点にしたヨーロッパ史上最も重要な家系の1つであるハノーヴァー朝(1714年にジョージ1世がイギリスの王位につく)を開いた(ヴェルフェン=エステ家、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)。

ここ、非常に重要です。

ハノーヴァー家(House of Hanover)は、ドイツのヴェルフ家(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)の流れを汲む神聖ローマ帝国の諸侯の家系で、1692年に成立したハノーファー公国(選帝侯国、後に王国)の君主の家系であったが、1714年にステュアート朝に代わってイギリスの王家となり、ハノーファーとイギリスの君主を兼ねる同君連合体制をとった。ハノーファーではサリカ法を採り、女子の継承を認めていなかったため、1837年のヴィクトリア女王のイギリス王即位をもって同君連合を解消し、ハノーファー王家はイギリス王家から分枝した。

1901年のヴィクトリアの死後は、夫(王配)であったアルバート公の家名を取って、サクス=コバーグ=ゴータ朝と称される。第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家と家名を改称した。これらは別項で扱うが、ヴィクトリアの血統が断絶したわけでないため、ハノーヴァー朝の継続と見なされることもある。

ウィンザー家は、ヴェルフ家を始祖とする家系という事です。

スクリーンショット 2013-09-25 8.17.19


ウィンザー家(House of Windsor)の元の家名(王朝名)はサクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)といった。これはヴィクトリア女王の夫(王配)アルバートの家名(その英語形)であった。アルバートはドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子であったが、この家系からはベルギー、ブルガリア、ポルトガルの王家も出ている。

第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。そのため、1917年以降は現在の女王エリザベス2世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。ただし、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけではないので、いずれもハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。ハノーヴァー朝以来代々の王位継承者の配偶者はドイツ人やドイツ系の王族が迎えられることが多かったが、エドワード8世がアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚問題から退位し、代わって王位に就いたジョージ6世の妃エリザベスはグレートブリテン王国成立以降で初の同国出身の王妃となった。現王太子チャールズの元の妃ダイアナ、現在の妃カミラもまた同国出身である。

なお、1960年にエリザベス2世と夫フィリップ・マウントバッテン(Philip Mountbatten)公の間に生まれる子の姓をマウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)とする枢密院令が発せられた。もっとも、家名(王朝名)が変更されたわけではないため、現状を前提とすればチャールズ王太子が即位してもその家名(王朝名)はウィンザーのままであり、姓のマウントバッテン=ウィンザーとはずれが生じることとなる。

マウントバッテン=ヘッセンであることは何度も書いて来ました。

陰謀論ではなく、イギリス王家の正体は女街のヴェルフ家、傭兵産業、オカルト、コミュニストのヘッセン家であるということがWikipediaに普通に書いてあると言えます。

イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、等々、国単位で分けて考えると全く見えないのですが、王族というのは、古くは旧約聖書の時代、紀元前数千年前から現在まで続く、特別な家系である事を、それぞれの家系図が示しています。

ヘッセンとヴェルフの関係は9世紀からということは上記で分かると思いますが、では、それ以前はどうだったのか?

これも家系図を辿る事でおおよそ把握出来ます。

そのルーツ=根っこは、一つの有名なカップルに辿り着くことになるのですが、その辺は神話のレベルになってしまいますので、ここで書くのは適切ではないと思います。

そこで、聖書に出てくるノア以降の登場人物に王族達のルーツを辿ってみます。

書いたらきりがないので、夫婦のうちどちらか、出自がはっきりしている方のルーツを辿りますので、また違う王家に繋がる方は切り捨て(とても切り捨てられないような超大物がいて、書きたくて仕方ない)、聖書に繋がる一部のみを書きます。

Philip Mountbatten , Duke of Edinburgh, b.10 JUN 1921
      |
Princess Alice of Battenberg, b.15 FEB 1885
      |
Princess Victoria of Hesse, b.5 APR 1863
      |
Alice of England, b.25 APR 1843
      |
Victoria of England, b.24 MAY 1819
      |
Princess Victoria of Saxe-coburg-saalfeld, b.17 AUG 1786
      |
Princess Victoria of Saxe-coburg-saalfeld, b.17 AUG 1786
      |
Francis, Duke of Saxe-Coburg-Saalfeld, b.15 JUL 1750
      |
Duchess Sophie Antoinette of Brunswick-
      |
Antoinette Amalie of Brunswick-L�neburg, b.1696
      |
Duke Louis Rudolph of Brunswick-Wolfenb�ttel, b.1671
      |
Duke Anthony Ulrich of Brunswick-Wolfenb�ttel, b.1633
      |
Duke Augustus of Brunswick-L�neburg,
      |
Ursula of Saxe-Lauenburg, b.1545
      |
Sibylle Princess of Saxony, b.2 MAY 1515
      |
Catherine of Mecklenburg, b.1487
      |
Sophie of Pomerania, b.abt 1460
      |
Sofie Princess of Pomerania, b.1435
      |
Maria Princess of Czersk, b.1408
      |
Aleksandra Princess of Lithuania, b.abt 1365
      |
Yuliyana Aleksandrovna of Tver, b.1331
      |
Anastasia Yurevna of Galicia, b.1295
      |
Euphemia of Kujavia, b.abt 1266
      |
Euphrosyne Princess of Oppeln, b.abt 1228
      |
Kazimierz I Prince of Oppeln, b.abt 1176
      |
Mieszko I Princes of Upper Silesia, b.abt 1145
      |
Agnes of Babenburg, b.abt 1111
      |
Agnes of Franconia, b.1074
      |
Bertha of Maurienne, b.9/21/1051
      |
Adelaide von Susa, b.abt 1014
      |  
Bertha of Italy, b.0980
      |
Obert II Marquis of Italy, b.0947
      |
Guilla of Spoleto, b.0914
      |
Waldrada of Burgundy, b.abt 0894
      |
Rudolph I King of Burgundy, b.abt 0865
      |
Conrad II Count of Auxerre, b.0825
      |
Conrad I Count of Auxerre, b.0800
      |
Welf Count in Bavaria, b.abt 0780
      |
Welf Isanbart Altdort Thurgau, b.abt 0755
      |
Warin II Gatinais Thurgau, b.BEF 0730
      |
Eberhard I von Alsace, b.AFT 0708
      |
Adalbertus I von Alsace, b.abt 0675
      |
Aldarich Eticho von Alsace, b.abt 0645
      |
Lendisius Bonifatius of Alsace, b.abt 0625
      |
Erchembaldus Duke of Alsace, b.abt 0590
      |
Ega Duke of Alsace, b.BEF 0570
      |
Erchenaud Duke of Alsace, b.abt 0550
      |
Ansbertus of the Moselle, b.abt 0506
      |
Ferreolus Duke of the Moselle, b.abt 0465
      |
Sigimerus I Bishop of Auvergne, b.abt 0419
      |
Clodion "the Hairy" King of France, b.0395
      |
Pharamond King of France, b.abt 0370
      |
Marcomir King of the East Franks, b.0347
      |
Clodius King of the East Franks, b.0324
      |
Dogobert King of the East Franks, b.abt 0300
      |
Genbald I King of the East Franks, b.0277
      |
Dagobert I King of Franks, b.abt 0257
      |
Walter King of the Franks, b.abt 0237
      |
Clodius III King of the Franks, b.BEF 0217
      |
Bartherus King of the Franks, b.abt 0197
      |
Hilderic (Childeric) King of t Franks, b.BEF 0177
      |
Sunno (Huano) King of the Franks, b.abt 0157
      |
Farabert King of the Franks, b.0135
      |
Clodomir IV King of the Franks, b.abt 0129
      |
Marcomir IV King of the Franks, b.abt 0110
      |
Odomir King of the Franks, b.abt 0090
      |
Richemer King of the Franks, b.abt 0070
      |
Rathaerius King of the Franks, b.abt 0050
      |
Antenor IV King of the Franks, b.abt 0030
      |
Clodimir III King of the Franks, b.0003
      |
Marcomir III King of the Franks, b.abt 0020 BC
      |
Clodius II King of the Franks, b.abt 0040 BC
      |
Francus King of the Franks, b.abt 0070 BC
      |
Antharius King of Sicambri, b.abt 0100 BC
      |
Cassander King of Sicambri, b.abt 0160 BC
      |
Merodach King of Sicambri, b.0160 BC
      |
Clodomir II King of Sicambri, b.0180 BC
      |
Antenor III King of Sicambri, b.0225 BC
      |
Clodius I of Sicambri, b.abt 0240 BC
      |
Marcomir II King of Sicambri, b.bef 0198 BC
      |
Nicanor King of Sicambri, b.bef 0232 BC
      |
Clodomir I King of Sicambri, b.abt 0270 BC
      |
Basanus King of Sicambri, b.0300 BC
      |
Diocles King of Scambrian, b.bef 0339 BC
      |
Helenus I King of Scambrian, b.bef 0358
      |
Priam King of Scambrian, b.abt 0400 BC
      |
Antenor II King of Scambrian, b.abt 0420 BC
      |
Marcomir I King of Cimmerians, b.abt 0440 BC
      |
Antenor II King of Cimmerians, b.abt 0483
      |
Helenus IV of Troy
      |
Priam IV of Troy
      |
Marcomir of Troy
      |
Dilulius I of Troy
      |
Almadius of Troy
      |
Gentilanor of Troy
      |
Priam III of Troy
      |
Alexandre of Troy
      |
Basabelian II of Troy
      |
Plesron II of Troy
      |
Helenus II of Troy
      |
Priam II of Troy
      |
Antenor I of Troy
      |
Plaserius II of Troy
      |
Zaberian of Troy
      |
Eliacor of Troy
      |
Plesron I of Troy
      |
Pleserius I of Troy
      |
Basabelian I of Troy
      |
Zelius of Troy
      |
Esdron of Troy
      |
Francus of Troy
      |
Zenter King of Troy
      |
Helenus of Epirus, b.abt 1185 BC
      |
Priam King of Troy, b.abt 1250 BC
      |
Laomedon King of Troy, b.1285 BC
      |
Ilus King of Troy, b.1350 BC
      |
Tros King of Troy, b.1328 BC
      |
Erichthonius King of Arcadia, b.1368 BC
      |
Dara (Dardanus) King of Arcadia, b.abt 1414 BC
      |
Zerah of the Old Testament, b.1565 BC
      |
Judah of the Old Testament, b.1805 BC
      |
Jacob (Israel) of the Old Testament, b.abt 1890 BC
      |
Isaac of the Old Testament, b.abt 1950 BC
      |
Abraham (Abram) of the Old Testament, b.abt 2050 BC
      |
Terah of the Old Testament, b.abt 2120
      |
Nahor of the Old Testament, b.abt 2149 BC
      |
Serug of the Old Testament, b.abt 2179 BC
      |
Reu of the Old Testament, b.abt 2211 BC
      |
Peleg of the Old Testament, b.abt 2241
      |
Eber of the Old Testament, b.abt 2275 BC
      |
Shelah (Salah) of the Old Testament, b.abt 2305 BC
      |
Arphaxad of the Old Testament, b.abt 2343 BC
      |
Shem of the Old Testament, b.abt 2443
      |
Noah of the Old Testament, b.abt 2943 BC

・・・・・と、ここまで来ると、さすがに「本当かよ〜?」という突っ込みが来ると思います。

上のOLD TESTAMENT  = 旧約聖書 

というわけで、聖書に出てくるノアからセム、アブラハム、イサク、ユダに繫がり、そこからギリシャ神話の時代。

トロイのあとにキンメリア人(キンメリアじん、英語: Cimmerians, Kimmerians, 古典ギリシア語: Κιμμέριοι)は、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族。

この時代にスキタイ人に追い出されたキンメリア人が、フリュギアを滅ぼすが、そこには留まらず、フリュギアを経て現在のドイツ、フランスといった地域に移動したと考えられます。

その理由はキンメリア王の息子がシカンブリ王である事から分かります。

下記は現在のロシア、東欧系の民族の流れです。

原始・古代(紀元前300年以前)

旧石器時代 - 中石器時代 - 新石器時代 - トルィピッリャ文化 - キンメリオイ - スキタイ - サルマタイ - 黒海北岸の都市国家


中世前期(300年 - 1240年)

ゴート族 - アント族 - フン族 - ヴェネド族 - 東スラヴ人 - ハザール - キエフ・ルーシ - クマン人 - テオドロ公国 - ヘルソネソス

中世後期(1240年 - 1569年)

ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 - キエフ公国 - リトアニア大公国 - ポーランド王国 - ジョチ・ウルス - クリミア・ハン国

近世(1569年-1775年)

ウクライナ・コサック - ザポロージャのシーチ - ポーランド・リトアニア共和国 - フメリヌィーツィクィイの乱 - ヘーチマン国家 - ハイダマークィの乱

近代(1775年 - 1917年)

ロシア帝国: 小ロシア - スロボダ・ウクライナ - 新ロシア - クバーニ

オスマン帝国: チョルトムルィークのシーチ - オレーシュコのシーチ - ドナウ川のシーチ

オーストリア=ハンガリー帝国: ハルィチナー - ブコヴィーナ

現代(1917年 - 1991年)

ウクライナ革命: ウクライナ人民共和国 - ウクライナ国 - 西ウクライナ人民共和国 - クバーニ人民共和国 - 自由地区(マフノフシチナ)

ソ連:ウクライナ社会主義ソビエト共和国 - ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 - ホロドモール - カルパト・ウクライナ


マウントバッテンのルーツはゲルマン系であり、これとは違うという事がとりあえず分かります。

ロシア・東欧系の流れとは違う地域に移った王族がシカンブリという、現在のドイツ、フランス、イタリアのあたりの王族がずっと続き、シカンブリ系サリー・フランク人クロヴィス1世がフランク人を統一して王国を開いたメロヴィング朝と、それを継承したカロリング朝になっとということ。

ということは、現在のマスターマインドがハザール人であるという主張は間違いであると言えます。

マウントバッテンのルーツはハザールの遥か前にフランク王国まで繋がる移行期にいた訳です。

ネット上の混乱した情報、何も裏付けの無い情報を信じることは、逆に正反合の餌食となります。

マスターマインドが何を狙っているのか?その為に何をして来たのか?

この辺をクリアにする為に、聖書から始まる「根っこ」を調べるのが得策です。

今回は長くなりましたのでこのへんで締めさせていただきますが、この記事に出てくる系統は、マウントバッテンのほんの一部です。

この記事でマウントバッテンがゲルマン系だけだと決めつける事はできません。

何故なら、マウントバッテンに辿り着くまでに、また、ロンバルディアに辿り着くまでに、様々な方角から、様々な家系が入って来ています。

今回はシカンブリの血筋を書きましたが、地中海側のルーツも書かなければいけません。

次回とはいいませんが、今後、地中海側に関して書かせていただこうと思っております。

それでは


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コメント

No title

Dara (Dardanus) King of Arcadia, b.abt 1414 BC
      |
Zerah of the Old Testament, b.1565 BC
      |
Judah of the Old Testament, b.1805 BC
      |

ジューダ(ユダ)の子孫、これ、ベレヅでいいんですかね?
んで、ベレヅの子孫がアルカディアの王 トロイの創設者?
つまり、世界の王族は自分の先祖は聖書にあると思っていると
いうことですか?

hotpotさま

http://blogs.yahoo.co.jp/masters_11f/49827911.html

http://emilia.exblog.jp/11841083/

私も見れなかったのですが、タイトルで検索したら出てきました

これです。

hotpotさま

hotpotさま

どのサイトが見れませんか?

美保子さんご紹介のサイトですか?

紹介されてるサイトのページが見れません…残念。

お久しぶりです。

ですが、これを全部カタカナにするのは大変です。
フランス語、ドイツ語、いろいろ混ざってますので、発音がことなります。
ご勘弁いただけないでしょうか・・・

ウケました

美保子様

いつもいつもお返事が遅れぎみですみませんです。

ご紹介のサイト、面白いですね。

サヴォイが現在も存在していて、しかもいじられているところが痛快でした。

これからも面白いサイト教えてください。

こういうのが一番、インパクトが有るので、私の書いている事の強力な裏付けになります。

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貴賤結婚の忌避と近親婚による劣化

こんにちは。
ヘッセン陣営の近親結婚は血友病などの遺伝的な問題を抱えているようですね。
レプティリアン説もありますが、貴賤結婚を禁止しているため代々近親結婚を繰り返してきています。
現在のカミラ夫人も遡れば、曾祖母のアリス・エドマンストン・ケッペルは既婚の下級貴族でしたがエドワード7世の愛妾クルチザンヌでした。アリスはヴァイオレットとソニアを生んでおり、ソニアの孫がカミラです。アリスはケッペル夫人ですがソニアの父はエドワード7世ではないかとの説もあります。ヴァージニア・ウルフの作品『オーランドー』で主人公のモデルとされるヴィタ・サックヴィル・ウェストと駆け落ちして貴族の令嬢の同性愛スキャンダルを起こしたのがヴァイオレットでした。

ダイアナは、母親がユダヤ人フランシス、遺伝子上の父親はジェームズ・ゴールドスミス(ロスチャイルド)だとの説もあり、骨格や容貌もゴールドスミス似です。キャサリンも母親はゴールドスミス姓。

王室詐欺もいいかげんにして欲しいものですね!

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タスキをかけた人々

こんにちは。

ヘッセン陣営の核心に入ってきましたね。
綬(ジュ)ともリボンとも呼ばれる仰々しいタスキをかけ、ティアラと呼ばれるかんざしを付けた伴侶を連れた人々。

サヴォイアを検索していて、イタリア在住の日本人女性のブログで国外追放された元王室の子孫の逮捕についてマフィアがらみの売春斡旋が容疑の一つであると書いてありました。
ヴェルフ家の出自が女衒なら、サヴォイアの末裔も女衒だった。

シカンブリからトロイそして旧約聖書?
今世紀になって何故ダヴィンチ・コードが出版されたのか、メロビングやシンクレアを浮上させ、イマニュエル(イエス)とマグダレーナ(マグダラのマリア)のカップルの子孫がいるかのようなほのめかし本とそのルーツに潜り込みたいヘッセン陣営の意図が読み解けてきています。

次回記事も楽しみです。

参考に 検索用語

サヴォイア家の王子さま!


エミリアからの便り
"嗚呼、サヴォイア家"

次々天然痘で亡くなった藤原不比等の子等と言い、先祖の因縁子孫に及んだサヴォイアと言い、対局を作り出して漁夫の利を得て、力と豪華さで人類の精神を操作してきた人々の威圧の象徴があのタスキなのだと笑ってしまいました。

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世界の情報を交えながら、自己組織集団(自給自足集合体)の時代について考えてゆきます。

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