【1964年決勝 尾道商2―3海南】
▽決勝
海 南000000111―3
尾道商000002000―2
(海)尾崎―三浦敏
(尾)小川―寺下
大会初となる初出場校同士の顔合わせとなった1964年の決勝。6万人の大観衆が注目したのは、剛と柔の対照的なスタイルのエース対決だった。長身からの快速球で打者をねじ伏せる徳島・海南の尾崎正司に対し、広島・尾道商の小川邦和は右横手から抜群の制球力で凡打の山を築いていた。
ともに準決勝まで1人で投げ抜き、小川は4試合で2完封、3失点。一方の尾崎も3完封で1失点と、ほぼ完璧な投球を披露。後にプロゴルファーの「ジャンボ」尾崎将司として大成する身体能力の高さを示していた。
予想通りの投手戦。均衡を破ったのは尾道商だった。六回2死から好機を築き、4番田坂正明が左前適時打。相手守備の乱れもあり、2点を先制した。小川の脳裏に「尾道市内をパレードしている姿が浮かんだ」という。
だが身長170センチのエースは限界に近かった。腰痛や疲労から制球が甘くなり、七、八回に各1失点。九回はスクイズで勝ち越し点を奪われた。
それでも尾道商ナインは諦めていなかった。2死満塁と攻め立て、打席には小川。フルカウントまで白熱した対決は一飛でピリオドが打たれた。池田善蔵監督は「本当にいいゲームをしてくれた。観衆の方々に感銘を与えられる試合ができて満足です」と称賛した。
尾崎はプロ入りしたものの未勝利に終わり、プロゴルファーに転身。小川は巨人、広島で通算248試合に登板し、29勝9セーブを挙げた。尾道商は68年にも決勝に進み、埼玉・大宮工から2点を先制しながら3失点して逆転負け。因縁めいた展開で再び頂点を逃している。