人類は長い進化の過程でさまざまな環境に適応し、生存するための社会的戦略を培ってきた。社会的集団として成功するには「適応と生存」のバランスがとれている必要があり、そのためには資源や情報を最大限に有効活用する人材と、新たな可能性や未知の分野を切り拓く探索者が必要だったと考えられている。
このほど学術誌『Frontiers in Psychology』に掲載された論文は、ディスレクシア(発達性読み書き障害)の特性がヒトの適応や生存に役立ってきた可能性を、過去の研究に基づいて議論したものだ。論文によると、ディスレクシアは人類が刻一刻と変化する環境に適応するために不可欠な役割を担ってきたかもしれない。そして、その能力を存分に伸ばすには、読み書きを必要としない学習スタイルの設計が必要だというのだ。
進化的な基盤をもつ「探索」のスキル
地球上に生息するあらゆる動物は、生存のために価値ある情報や資源を探す必要がある。とはいえ、発見したものを活用せずに延々と探索を続けていては非効率だ。
反対に、あらゆるものを利用しても問題解決として最適ではなかったり、変化する環境への適応に失敗する可能性もあったりする。このように、「探索」か「活用」のどちらかに偏りすぎると、動物は生存に必要な資源や知識を得られない。
特に人間の集団社会においては、探索と活用のバランスをうまくとることが、複雑に変化する世界への適応に不可欠だ。それゆえ、探索や活用に特化した能力は人間の認知的な進化に働く最も大きな選択圧のひとつであると、今回の論文の研究者たちは考えている。この探索と活用の均衡は、進化から経済、人工知能(AI)に至るまで、一見すると無関係に見える多くの分野でも生じているという。
これらがどのようにディスレクシアと関係するかというと、ディスレクシアの人々の脳には「探索」に特化すると考えられる特徴があるからだ。そして、その脳はディスレクシアではない人々の脳とは認知的・生理学的に異なることが過去の研究でわかっている。
「ディスレクシアを単なる学習障害だとする見方は、全体像を捉えられていません。この研究は、ディスレクシアの人々の認知的優位性をよりよく理解するための新しいフレームワークを提案するものなのです」と、ケンブリッジ大学マクドナルド考古学研究所のヘレン・テイラー博士は説明する。
進化の歴史は、ヒトの社会が足りない部分を補完する戦略に特化してきたことを示唆している。このため、問題解決のための「探索」と、社会をうまく回すための資源や情報の「活用」はトレードオフの関係にあると考えられてきた。
それでは、ディスレクシアの人々の脳や認知は、いま明らかになっている研究でどのような位置づけなのだろうか? いくつかの具体例を見てみよう。
ものごとの全体像の把握に適した脳
「ディスレクシアの人々が経験する困難は、新しい情報の探索と既存の知識の活用の間の認知的なトレードオフから生じるとわたしたちは考えています」と、テイラーは言う。「発見や発明、創造性などの特定の領域で観察される能力の向上はディスレクシアの利点であり、それを説明できるのが(脳の)“探索的な偏り”であると考えられるのです」
ディスレクシアの人々の優れた能力としてよく言及されるもののなかには、ものごとの全体像を見る能力や複雑なシステムを検知して推論する能力、パターンや相似の識別を伴う異なる視点や知識分野間のつながりを見る能力など、大局を見ることと関連しているものが多いことが、過去の研究でわかっている。また、未来や知られざる過去についてシミュレーションしたり、予測したりする能力も高いようだ。