読み書きが困難な「ディスレクシア」の特性が、人類の文化的漸進に貢献していた:研究結果

全体的な発達に遅れがないにもかかわらず、読み書きに著しい困難を示す現代の学習障害のひとつ、ディスレクシア。このほど発表された研究は、その特性がヒトの適応や生存に役立ってきた可能性と、その能力を生かすために求められる「新たな教育」のあり方を説いている。
起業家やクリエイティブ分野に携わる人には、ディスレクシアの人が多いという調査結果がある。英ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでは学生の29%がディスレクシアを有すると自認していた。
起業家やクリエイティブ分野に携わる人には、ディスレクシアの人が多いという調査結果がある。英ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでは学生の29%がディスレクシアを有すると自認していた。PHOTOGRAPH: STEPHEN SIMPSON/GETTY IMAGES

人類は長い進化の過程でさまざまな環境に適応し、生存するための社会的戦略を培ってきた。社会的集団として成功するには「適応と生存」のバランスがとれている必要があり、そのためには資源や情報を最大限に有効活用する人材と、新たな可能性や未知の分野を切り拓く探索者が必要だったと考えられている。

このほど学術誌『Frontiers in Psychology』に掲載された論文は、ディスレクシア(発達性読み書き障害)の特性がヒトの適応や生存に役立ってきた可能性を、過去の研究に基づいて議論したものだ。論文によると、ディスレクシアは人類が刻一刻と変化する環境に適応するために不可欠な役割を担ってきたかもしれない。そして、その能力を存分に伸ばすには、読み書きを必要としない学習スタイルの設計が必要だというのだ。

進化的な基盤をもつ「探索」のスキル

地球上に生息するあらゆる動物は、生存のために価値ある情報や資源を探す必要がある。とはいえ、発見したものを活用せずに延々と探索を続けていては非効率だ。

反対に、あらゆるものを利用しても問題解決として最適ではなかったり、変化する環境への適応に失敗する可能性もあったりする。このように、「探索」か「活用」のどちらかに偏りすぎると、動物は生存に必要な資源や知識を得られない。

特に人間の集団社会においては、探索と活用のバランスをうまくとることが、複雑に変化する世界への適応に不可欠だ。それゆえ、探索や活用に特化した能力は人間の認知的な進化に働く最も大きな選択圧のひとつであると、今回の論文の研究者たちは考えている。この探索と活用の均衡は、進化から経済、人工知能(AI)に至るまで、一見すると無関係に見える多くの分野でも生じているという。

これらがどのようにディスレクシアと関係するかというと、ディスレクシアの人々の脳には「探索」に特化すると考えられる特徴があるからだ。そして、その脳はディスレクシアではない人々の脳とは認知的・生理学的に異なることが過去の研究でわかっている。

「ディスレクシアを単なる学習障害だとする見方は、全体像を捉えられていません。この研究は、ディスレクシアの人々の認知的優位性をよりよく理解するための新しいフレームワークを提案するものなのです」と、ケンブリッジ大学マクドナルド考古学研究所のヘレン・テイラー博士は説明する

進化の歴史は、ヒトの社会が足りない部分を補完する戦略に特化してきたことを示唆している。このため、問題解決のための「探索」と、社会をうまく回すための資源や情報の「活用」はトレードオフの関係にあると考えられてきた。

それでは、ディスレクシアの人々の脳や認知は、いま明らかになっている研究でどのような位置づけなのだろうか? いくつかの具体例を見てみよう。

ものごとの全体像の把握に適した脳

「ディスレクシアの人々が経験する困難は、新しい情報の探索と既存の知識の活用の間の認知的なトレードオフから生じるとわたしたちは考えています」と、テイラーは言う。「発見や発明、創造性などの特定の領域で観察される能力の向上はディスレクシアの利点であり、それを説明できるのが(脳の)“探索的な偏り”であると考えられるのです」

ディスレクシアの人々の優れた能力としてよく言及されるもののなかには、ものごとの全体像を見る能力や複雑なシステムを検知して推論する能力、パターンや相似の識別を伴う異なる視点や知識分野間のつながりを見る能力など、大局を見ることと関連しているものが多いことが、過去の研究でわかっている。また、未来や知られざる過去についてシミュレーションしたり、予測したりする能力も高いようだ。

こうしたディスレクシアの利点は、エッシャーの有名な「滝」のような不可能図形(3次元では実在不可能な2次元の図形)を用いた研究で過去に実証されていた。これらの図形は、局所的には整合性がとれているように見えるが、全体で見ると存在不可能なことがわかる。しかし、その不可能性を検出するには、部分的にではなく全体をスキャンする必要がある。

そのときの実験では、ディスレクシアの被験者はそうではない人たちに比べて精度を落とすことなく、有意に速く不可能図形を検出できることが明らかになっていた。これらの結果は、視覚的空間情報が局所的ではなく全体的に処理されることで、迅速かつ正確にものの全体像を把握する能力が高まることが示唆されている。

また、全体を把握する方向に注意が向くという傾向は、視覚情報だけではなく聴覚情報にも当てはまるようだ。ディスレクシアの人たちは全体に意識が向くがゆえに、カクテルパーティーのような騒々しい条件下では音声を聞き取る能力が有意に低下することが過去の研究で明らかになっている。より広い空間的注意をもつので、周辺の音声を無視できないからだと考えられている。

別の例としてディスレクシアの人々は、いったん学習すると意識から切り離しても自動的に実行される「技能」に関する記憶(「手続き記憶」と呼ばれる)の学習効率が低いことも、過去の研究でわかっている。例えば、読み書きやピアノの演奏の学習などはすべて手続き記憶に依存する技能の例であり、いったん学習すれば自動的かつ迅速に処理できる記憶だ。

こうした自動性は、タスクをより速く、効率的にこなすことを可能にする。しかし、認知的探索の観点からは、ひとたび自動化された技能は基本的に同じ情報を何度も利用することになる。逆に自動性がなかなか身につかない人は、そのプロセスを意識的に咀嚼しながら実行することになるので、“遅れ”が生じるのだ。

自動化の遅れを伴うこのような情報処理方法は、非効率で手間がかかるかもしれない。しかし、そのトレードオフとして新しくより適切な戦略の可能性を模索し、そこで得た知識を既存の情報と統合する時間を提供する、ひいてはイノベーションを促進する可能性が示唆されているのだ。

程度の違いこそあるが、ディスレクシアは人口の約5〜20%を占めると推測されている。「ディスレクシアの代償的な利点がなければ、これほど一般的であるはずがない」と論文が強調する理由は、ディスレクシアの人々には変わりゆく環境のなかでものごとの全貌を把握し、解決法を見出す能力に秀でている可能性があるからだ。

脳の生理学的な違いがもたらす認知的な偏り

ディスレクシアの脳には神経生理学的なニューロンの編成も見られることが、過去の研究では証明されている。脳の“しわ”に見られる山になった部分(脳回)と谷になった部分(脳溝)を想像してみてほしい。

ヒトの脳にはマイクロカラム構造と呼ばれる、しわの表面から深部に向かって縦に並んだニューロンの集まりがある。マイクロカラムは情報を処理する大脳皮質の微細構造であり、これらのニューロンはある刺激に対して類似した応答をする。このマイクロカラム間のローカルな接続性や、大脳皮質をつなぐグローバルな接続性の生理学的な違いは、情報の処理方法の違いに関係しているのだ。

具体的にディスレクシアのマイクロカラム構造について説明すると、幅と間隔が大きく、その数も少ない。よってローカルな結合が少なくなる。代わりにマイクロカラム間のスペースが広がることで、別の神経繊維が発達する。ディスレクシアの脳は、左右の大脳半球をつなぐ交連線維が多くなり、左右をつなぐ脳梁のような回路の容量が大きくなるのだという。

つまり、ローカルとグローバルの脳神経の接続性はトレードオフの関係にあるのだ。ディスレクシアの場合、このマイクロカラム回路に関連する生理学的制約が、ローカル結合を“犠牲”にすることでより強いグローバルな結合を可能にしている。なお、自閉症の人たちは、これとは真逆の構造をもつことがわかっている。

このようなカラム構造の違いが、全体的な志向バイアスをもつ人(ディスレクシアの人)から細部志向のバイアスをもつ人(自閉症の人)までの認知スタイルのスペクトラムを生じさせる可能性がある。言い換えると、脳の物理的な制約により、ディスレクシアの人は全体的な認知に偏り、情報探索の能力が高くなる。自閉症の人は、その逆の傾向があることがわかったのだ。

こういった脳の構造ゆえの認知の違い──特に読み書きの難しさは、長いあいだかけて進化してきた探索的な側面の“代償”である可能性がある。読み書きが困難という子どもたちは異文化でも同じように出現する性質から、ディスレクシアの根底に横たわる認知の違いはヒトの近代的行動の出現まで(15万〜50,000年前)には進化していたはずだと、今回の論文の著者たちは考えている。

これほど多くの人口に探索的な偏りが見られるということは、「探索」と「活用」の視点から、何十万年にもわたって人類が不確実性と変化の多い時代に進化してきたことを過去の研究は示している。このことは、古環境学分野の知見とも一致するという。ここ100年ほどで広まった読み書きの必要性が、このような進化的な淘汰圧を及ぼしたとは考えにくいというのが、今回の論文の研究者らの考えだ。

クリエイティブ分野が得意な脳

「この研究はまた、ディスレクシアの人々が建築や工学、起業などの探索関連の能力を必要とする特定の職業に引き寄せられるように見える理由を説明できるかもしれません」と、テイラーは言う。

論文によると、米国の起業家を対象とした調査では、回答者の35%がディスレクシアだった。また、ロンドン芸術大学のカレッジのひとつであるセントラル・セント・マーチンズでは、大学準備期間にいる学生の75%がディスレクシアに関する何らかの症状を有しており、英国のロイヤル・カレッジ・オブ・アートでは学生の29%がディスレクシアを有すると自認しているという。

また、英国の複数の大学において4つの学位分野(工学、法学、医学、歯学)を網羅した調査では、工学分野では28%がディスレクシアを申告しており、法学では5%だった。ディスレクシアの人々のほとんどが診断を受けないことを考えると、これらの自己申告の多さは驚異的な確率である。

今回の研究で提示されたたさまざまな知見が導きだした解釈は、ディスレクシアは「足かせにしかならない」とする考え方に異議を唱えるものだ。このことはまた、現在の見解にディスレクシアに付随する困難を「欠陥」としてのみ捉えるのではなく、そうした人々が得意とする探索的能力を伸ばすような教育の重要性を示唆している。

「現在の学校や学術機関、職場は、探索的な学習を最大限に活用するように設計されていません。しかし、人類が重要な課題を解決し今後も適応していくには、このような考え方を育むことが早急に必要なのです」と、テイラーは強調する。

ディスレクシアの再定義化に必要な改善点は、教育や学問、職場において探索に対する文化的障壁を取り除き、探索的学習を育成し、競争よりも協調を重視することなのだ。

いずれにせよ、人類という社会的動物の並外れた適応能力を説明するには、異なる能力をもつ人々の協力が必要不可欠である。このような共同探索システムを支えるための文化的変化が、人類が現在直面している課題に立ち向かうための鍵になるかもしれない。

※『WIRED』による脳の関連記事はこちら


Related Articles
article image
スマートフォンやタブレット端末の普及により、子どもたちは幼少期から画面を観て過ごすようになっている。それでは、その画面で何をしているのかによって知能への影響は変わるのだろうか? ある研究では、ビデオゲームが知能にプラスの影響を与えるという結果が出た。

毎週のイベントに無料参加できる!
『WIRED』日本版のメンバーシップ会員 募集中!

次の10年を見通すためのインサイト(洞察)が詰まった選りすぐりのロングリード(長編記事)を、週替わりのテーマに合わせてお届けする会員サービス「WIRED SZ メンバーシップ」。毎週開催のイベントに無料で参加可能な刺激に満ちたサービスは、無料トライアルを実施中!詳細はこちら