第2話 夢世界の狩り
「物好きが使ってるガソリン車の燃料を運んでいたトラックだったらしい。不幸中の幸いというべきか、巻き込まれた人間はいない。運転手も脱出していたそうだよ。あの子は……残念だったけどね」
葬式場に来ていた朔奈は通りすがった大人がそんなことを口にしていたのを聞いた。線香をあげて手を合わせたらあとは帰るだけ。狂ったように泣き叫ぶ長橋家の面々は、すでに母親に至っては気が触れているとしか言いようのない支離滅裂な言動が目立ち、警備員が呼んだ警察に連れられてどこかへ消えていた。
先生が気の毒そうな顔をして、それからクラスメイトは各々の両親に連れられて三々五々散っていく。朔奈は叔父の車に乗り込んで、後部座席でシートベルトをした。ミント系の香りに混じる、ケバケバしい女の匂い。従姉妹の女子高生が使っている香水の匂いだ。
「つらいのはわかるが……明日は遅刻するなよ。そんなんじゃ、兄さんも成仏できねえだろ」
「うん。ごめんなさい」
朔奈の両親は早くに他界している。朔奈は両親が死んだあと、実父の八十神
「裁判が終わった。
「……大人って大変なんだな」
「まあな。子供が気にすることでもないが……一応、共有しておく」
「うん」
刻子——朔往の妻で、不倫していたために離婚することとなり、裁判に発展した人。長らく続いたそれはどうやら刻子の負けで終わったらしい。執行官が押し寄せて動産差押とか、そうなるんだろうか。
慰謝料の額は叔父は言わないが、恐らくは一五〇万葎貨から二〇〇万葎貨といったところだろう。それまでパートタイマーでしかなかった叔母には到底そんな貯蓄があるとは思えない。
深く傷ついた朔往、そして従姉妹。その二人がおった心の傷と、今後の世間体を考えれば相応の罰ということなのだろうか。男女平等という言葉が振りかざされ、一時女性優位を囁かれたが、現代では残酷なまでな平等さが襲い掛かる。
性的マイノリティとか、そういう言葉が抱えていたストレスが一気に吐き出されたように「だったら男も女もそうでないものも、みんな一律に負うべき責任は負って、受けるべき罰は受けろ」となったのだ。ある種、そういった場にいた当事者の意見が形になったようなものだろう。
交差点の向こうに、朔奈は見知った後ろ姿を見かけた。
「叔父さん、そこで下ろしてもらっていいかな。まだ六時だし、いいよね」
「いいけど……大丈夫か。昨日、
「夢遊病かもしれないけど、今は起きてるし。じゃあ」
信号で停まったのをいいことに、朔奈は車から降りた。
交差点の信号前で立っていたのは、同じクラスの少女だった。地味で目立たない子で、物静かな、存在感さえ希薄な幽霊のような人である。けれど不思議と波長が合い、朔奈は彼女と思い立ったようにぽつぽつ会話することがあった。乗っているときは、結構長い間喋ることもある。
「
「……朔奈君。うん。うち、親が忙しくて、基本的にいないし」
「一人だと、危ないだろ? ……その、送って行こうか?」
「お願い。そんなに遠くないよ。ここから駅三つ行って、十五分歩いたらつくし」
葬式場は学区から少し離れていた。彼女は行きは恐らくバスか何かの公共機関を使ったのだろう。朔奈はさりげなく車道側に立って、そのまま駅まで向かう。二人で切符を買って改札を抜けると、仕事終わりのサラリーマンや大学生くらいの男女に紛れるようにして帰りの列車に乗り込んだ。
「朔奈君は中学に入ったら、部活はどうする?」
「……帰宅部かな。特別やりたいことはないし」
流れる景色を見つつそう答えた。ライトレール列車という、文字通り光のレールの上を走る次世代の軽快路面電車が市内に走っているが、公共鉄道は通常の鉄のレールを走るものだ。ライトレールは速度がそこまで出るわけではないらしく、都市内ではそれでいいが、やはり長距離移動となると従来の列車が一番いいらしい。
ガタンガタンと揺れる列車の向こうには無数の光が瞬く。
「真響さんは?」
「私はどうしようかな。中学自体行きたくないしさ」
「いじめの主犯なら……」
「……まあね。でもふつーに、なんか面倒なんだ。子供と遊ぶのには飽きてきた」
「大人びてるもんね、真響さん」
「朔奈君に言われたくないけど……君となら、まあ、悪くないかな」
そのとき、唐突に車内が瞬いた。列車内の電気が消えたとかではなく、あらゆる全ての光がぶつん、と消えたのだ。その明滅が二、三回繰り返されて、朔奈はまず自分の視力に異常が出たのではないかと思ったが、
「何、今の」
隣の真響がそう言ったのを聞いて、違うと察した。
今のは……。
そうして先頭車両が闇に飲まれるようにずるずると暗く染まった。停電のままトンネルか? ありえない。ここから学区までの駅にトンネルなどないのに。
ほとんど本能のようなもので危険を察した朔奈は真響の肩を抑えるようにして二人で屈んだ。
「どうしたの?」
「嫌な予感がする。……死ぬ間際になったり、死に近づくと変な感覚が目覚めるってよく漫画であるけど……現実になるものかな」
「オカルト好きなの? 確かに、変な感じかもだけど……そういうの信じる人?」
「信じてはいないけど、否定もしてない。あったら面白そうだとはおも——」
がこんっ、と車輪が外れるような大きな音。朔奈の体が浮き、磁石に吸い込まれる鉄屑のように真後ろに引っ張られた。
「——っ! 真響さんっ!」
「朔奈く——」
咄嗟に掴んだのは、硬いもの。何かのグリップだ。
ぐんっ、とどんどん落っこちていくような感覚。内臓が浮く嫌なあの感じ。ジェットコースターの、頂点から地上へ落下していくときのような——エレベーターで下へ降りるときの変な浮遊感。重力というくびきが薄れていくあの感じ。ある種の解放感だ。
そうして、次の瞬間けたたましい轟音と破砕音が轟いて朔奈の意識が激しく揺らいだ。ざざっとノイズが駆け抜けたように頭の中の思考が掻き乱される。
——大丈夫、君には獣のように爪牙がある。
そんな声が唐突に頭の中に響く。
——君には
なんだこれは、と思った。どうにか締め出そうとするが、頭に浮かぶ奇妙でぼんやりしたイメージを伴うそれは消えない。
——あらゆる異形をそれで打ち払える。
俺はくだらないフリーゲームをやってるんじゃないんだ、そう怒鳴ろうとして、
唐突に真っ暗だった視界に橙色の灯籠が灯った。
それらが両脇にずらり遠くまで並んで行き、ぐしゃりと潰れた列車の内装を照らし出す。粉々に割れた窓ガラスが全身に刺さった中年男性、折れた手すりが胸を一突きにしている女子大生、激しく叩きつけられて破裂した肉片に、手足が出来の悪い粘土人形のようにくしゃりと曲がった子供。
ひどい事故だ。なんで自分は生きている。
何かを握っている——確かめるようにしてそれを見た。
それは黒地に銀色の刃を持つ剣だった。
反りがない刀……直刀ともいうべきものだ。なぜかすっかりと手に馴染んでおり、違和感は全くない。随分と前からこれを知っていて、その名前もなぜか自然と浮かんだ。
「……〈
……、真響……さん? なんで、あいつの名前を。
随分と前から知っていて、自然と名前が浮かぶような存在で、手に馴染む。では、これは。
なんで、じゃあ——、どうして真響がいない?
——大丈夫だよ。
「大丈夫、朔奈君。私はここ。ここにいる」
剣からそう聞こえ、朔奈は奇妙な罪悪感を断たれた。
「どういうことなんだ、これ」
「私にもよくわからない。ただ、たった今こうなることを知ったの。こうすべきだって思って、それで……」
どういう、何が起こってこうなったんだ。
頭の中のもやと悩み、疑問。それが視覚化するかのように、目の前に黒い渦が巻いた。ずるずると這い回るそれは黒い球体になって、そこからぬるっと手足が——いや、脚部が生えた。
人間の腕、左右六本で虫の節足を作ったようなもの。胴体は人間の女性、男性、女性の順で三つ連なり、男性のでっぷりと太った腹の前後に大小の異なる乳房が四つ。前方に目玉が五つある、若い女性の顔をいくつか貼り合わせたような阿修羅のめいた頭部がもこっと出てきた。
これが、異形? 冒涜的だ。人というものを随分と舐めている。
——切って。
簡単に言う——!
異形が両手で床を踏んだ。客車が揺れ、朔奈は一瞬の判断で後ろに飛んだら追い詰められると察して左へ転がった。シートに飛び込むようにして回避すると、弾丸のように虫人間が過ぎ去る。ゴゴッ、と音を立てて歪んだ鉄パイプを掴んで制動する虫人間を睨んで、切る、という声を噛み締めるようにして手にした〈廻異真響〉を構えた。
剣道なんて知らない。だが、体が知っているかのように朔奈は上段霞に構えていた。
飛び込んでくる虫人間の伸ばされた右腕を一瞬で弾き、返す一撃で肘から先を切断。通り過ぎていく後ろの一本を半ばから両断し、姿勢を崩して窓へ突っ込んだ虫人間の、淫毛が見える臀部へ真っ向唐竹割。溢れ出す墨汁のような血と悲鳴。振り返り、いびつな苦悶の顔をする頭部、人間ではありえない五つの目玉のど真ん中に切っ先をねじ込んだ。
肉を断ち切って骨を砕く確かな感触。脳味噌らしき、何か柔らかいものを潰したような手応え。
虫人間が「ギィィギギィ、ギギギギィ」と軋んだ金属のような鳴き声をあげ、ざあっと霧散して消えた。黒い霧のようなそれが、矛盾しているかもしれないが、黒く輝いているようなそれが〈廻異真響〉に——真響にじゅるるっと吸い込まれた。
「真響さん、大丈夫……?」
「う、うん……」
何が起こったんだろう。
ずきんっ、と頭が痛んだ。
——真響、化身を解いて。やり方はわかるよね。
「急になにを、」
どうもこの脳内音声は真響にも共有されているらしい。彼女は声に反論するが、
——一般人に見られたら困ると言うのは、賢い君たちにならわかるだろう?
そう言われて、理解せざるをえなかった。納得はできないが、一理あると思ったのは事実である。
朔奈の手から〈廻異真響〉が離れ、それは光の粒子となって人の姿をとって真響に戻る。
そうして通路の両脇にあった灯火がその空間ごと歪んでいき、耳障りな軋りと共に崩れ去っていった。
夢……いや、悪夢か。まるでそんな世界で奇妙な経験をしているんだと朔奈は思った。電車の中で寝てしまったのだ、と。そうに違いないと。
それにしても、出来過ぎたと言える長橋の死に、それに付随する奇妙な夢世界の体験。
……あの神社の出来事が関わっているのか。変なものに取り憑かれたのか。
もう一度、あそこへいって確かめなくては。
夢天月夜のナイトメア 雅彩ラヰカ @9V009150Raika
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