夢天月夜のナイトメア
雅彩ラヰカ
【序】夜の影
第1話 呼び水
古くから人智を超えた出来事を怪異とし、それを妖怪というものにデフォルメしたり神の御業であるとして恐れて崇め、それにあやかろうとしていたのが人間だ。
祭事によって神の託宣を得たり、てるてる坊主を作って快晴を願うのもそうだし、ステレオタイプなもので言えば藁人形に釘というのもそうだろう。もしくは神社のお守りや絵馬、破魔矢などもそれだ。あれらもヒトを超えた何かの力を借りようとするものだ。
どうにもならないとき、雨乞いをするように。干天の慈雨を乞うように。
そんな具合に、
色を失ってぼろぼろに塗装が剥がれ落ちて、もう鳥居としての外観すら怪しいそれを潜る。石碑にはどのような文字が穿たれているのかもわからず、あたりは好き放題にはえた草木が繁茂し、階段は苔むしている。
滑りそうになる足を踏み締めてそう多くもない階段をのぼると、そこには廃屋と言えるような神社があった。
住宅街から離れた山の中にある、もう畑を耕している老人でさえ名前を思い出せない神社だ。いつどのような目的で、誰がどう建てたのかも知られていない。
朔奈は黒い髪で右目を隠して、冬の下を歩く。小学校に入って少し——二年生の夏休み明けから始まったいじめ。最初は無視されるという程度のそれはどんどんエスカレートした。けれどそれは朔奈を賢くさせる反動になった。小学校六年生の二月現在、中学生活が始まるまでの短いこの間に、悩みを誰かに聞かせたかった。
その相手に名も知れぬ神様を選ぶなんて、と思わなくもないが、どこかで吐き出さねばおかしくなるという確信があった。
いじめに対する自衛策に本を読んで、いろいろな記事を漁った。難しい漢字を調べて意味を知り、学んだ。けれど往々にして声と主語がでかいだけでそれを繰り返すことしかできない、まさに馬鹿の一つ覚えのようにそれを喚くだけの
朔奈は境内に立ち、朽ちた賽銭箱に十
朽ち果てて、あとは自然に飲み込まれるのを待つだけの神社。真夜中の、妙に爛々と煌めく黄色の月が空に浮かんでいる。ここだけ別の世界であるように感じられて、おそらくはそういった神秘的な場であるからこそ社が築かれたのだろうが——。
しゃらんっ、と何かが鳴って、朔奈は驚いて振り返る。
階段の右手にある社務所。それはなんというか、ネットに転がっているエロ漫画の公衆便所のようにボロ臭い掘建小屋だが、そこから人影が出てきた。
不法侵入者……いや、それは多分自分もだが。
人影が近づいてきて、それが女性であることに気づく。
すらりと背が高く、長い黒髪を夜風に揺らした。顔には真っ黒にリンドウ色の模様、星を散りばめたような蒔絵が描かれている狐のお面。服装はしかし、黒いパンツスタイルのスーツだ。
変なコスプレ趣味のヤバい人……? そう思えた。
「私の家に何かようかな」
女がそう聞いてきた。朔奈は「えっ、と……」と言葉を詰まらせる。
「あと一度だけ問う。何の用だい?」
有無を言わさぬ重圧感。うやむやな、曖昧模糊とした態度では文字通り羽をもがれた蛾のように踏み潰される、そんな気がした。
「愚痴を……こぼしにきました」
「愚痴? そんなことのために金を払ったのか。……聞くだけ聞いてやる」
なんであなたが偉そうに、という言葉を飲み込んで、朔奈は訥々と語り出す。
小学校に上がった一年後、小二からいじめが始まって今に至ること。いじめの主犯格と、実行犯の一部と同じ中学に通うことになってしまったこと。それから、どうにかして根本的にこの事態を解決したいが、どうにもできない無力感を言葉にした。時折感情的になる部分もあって、その都度狐面の女に「深呼吸でもしたらどうだ」と諌められた。
やがて落ち着いた時には空が白みはじめており、恐らく七時くらいにはなっているんじゃないかと思えた。早く帰らないとという意識はあまりなく、学校に遅刻するのは面倒だという惰性に近いようなものがぼんやりあった。
「大変だな、昨今の学徒は」
「俺はまだ幸せな方だよ。……本当にきついと、苛めてるやつを呪ったり、憂さ晴らしにそこらの他人を傷つけたり、自分すら殺そうとするんだ」
「お前は呪わないのか」
「呪ってるよ。……どうにもならないけどね」
「ふん。……どうにもならんかどうかは、その目で確かめろ」
女はそれだけ言って、賽銭箱の前の階段に下ろしていた腰を持ち上げた。朔奈は座ったまま見上げる。
「日が昇る。……どんなに嫌なことがあろうとも、日輪だけは必ず昇るものだ」
意味深長な口調でそう言って、女は社務所……を通り過ぎて階段へ。そして、段数が決して多くはないとはいえとても飛び降りられる高さではないそこから跳躍した。
「ちょっと!」
朔奈は慌てて立ち上がって階段まで走っていって下を見下ろすが、そこにはいかなる影とて見当たらなかった。
まるで夢でも見ていたような……狐につままれていたかのような。
朔奈は奇妙な夢遊病を経験したような、そんな気がしていた。
×
その日、遅刻して登校した
準工業地帯の川沿いで、この時間帯は配送トラックが多い。気をつけろ、という父の声に快活な声で明成は答えていた。
刈り込んだ坊主頭の野球少年で、普段からバットを振っている。
飼い犬と帰ったら遊ぼう——そう思いながら走り、踏み出して、
轟いたクラクションにハッと気付いた時にはもうトラックは目の前にいた。
——、————、——。
「えっ、うわっ、きゅっ……救急車!」
「呼んでどうすんだよ! 体バラバラなんだぞ!」
「トラックから離れろって、あれガソリンだろ! 漏れてるって!」
×
朔奈が学校に着く頃には長橋明成の死亡と、それにともなうトラックの爆発事故はもう広まっていた。いち早く身元が確かとなる遺品を回収していた市民のお陰で、長橋家は早々に悲しむことができた。
そのことを聞いても、朔奈の中にはざまあみろという感覚は不思議となかった。
ただ、人が死ぬ時ってあっけないんだな——そう思ったくらいだった。
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