日本海呼称問題で、韓国を黙らせる
昨日以前からの所用があり熊本を往復してきた。ニュース報道のとおり、4日、開業医だった同級生が北アルプス白馬岳登山中に遭難し死亡した。弔電を打ったが、正午から葬儀だったので数珠を持参し途中のドライブ・インで冥福を祈った。天候の急変で防寒着を取り出す暇もなかったようだと言うが本当だろうか?大分の久住山に高校の1年の夏、山岳部員として登ったことがある。その時登山部長の先生から、夏ここで遭難した例があると聞き、今でもそれを覚えている。夏山でも決して甘く見るなという教訓だが、ましてアルプスでは!
さぞ無念だったろう。合掌。
「正論」今月号から、
韓国だけが吼えている分には問題は小さいが、アメリカの教科書で日本海を東海とすることを州議会に提起するという手段に出ている。また国連の地名標準化委員会では韓国の言い分が通っているようだ。尖閣事件を切欠に日本政府が対抗措置をとらない、とろうとしないことで事態を一層悪化させている。
しかもこれが民主党政府だから危険であることは明らかである。
以下の記事は、茂木弘道氏が英訳し世界の識者に発信したそうである。
著者は拓大教授、下条正男
昭和25年、長野県出身、国学院大学大学院博士課程修了、58年に韓国に渡り、三星綜合研修院主任講師、仁川大学校客員教授を経て平成10年帰国。11年から現職。竹島研究の第1人者で、島根県庁「竹島問題研究会」座長を務める。著書に「竹島は日韓どちらのものか」(文芸新書)
領土問題と化した呼称問題
1月29日付の産経新聞一面は、「日本海と併記、米州法案1票差で否決」「韓国系120万人揺さぶり浸透」と伝えた。法案はバージニア州で使用する教科書に、日本海と東海を併記するよう求めたもので、韓国系米国人が多く住むバージニア州アナンデール選挙区のデーブ・マースデン議員が州の上院教育厚生委員会に提出していた。結果は8対7.非常に危うい状況だった。
東海併記に関しては、昨年からシカゴの韓国人会を中心に、ロスアンゼルス、ニューヨーク、ワシントンなどで署名運動が始まり、議員達に攻勢がかけられた。韓国人会が動いたのは、5年に1度開かれる国際水路機関の総会が今年4月23日から27日までモナコで開催され、海図作成の指針となる『海洋と海の境界』が改定されるからである。米国の州議会で東海併記の法案を成立させ、それを根拠に国際水路機関の総会で正当性を主張するという思惑だった。バージニア州の法案協力者のデーブ・マースデン議員は、「東海の呼称は2千年前からある」とまで発言している。日本が知らないうちに、韓国のプロパガンダが浸透し、一人歩きしているのである。
国際社会を舞台に「日本海を東海に改めよ」と求める運動は、1991年に韓国が国連に加入し、92年から国連の地名標準化委員会で日本海の呼称について問題提起したことに始まる。さらに、94年の国連「海洋法条約」の発効を経て、96年2月、韓国が不法占拠する我が国固有の領土竹島(韓国名、独島)で接岸施設の建設に着手し、竹島の侵奪を正当化する動きが顕著になるとともに本格化した。「独島(竹島)が『日本海』にあると、日本領海内にあるようで適切でない」という理由である。韓国側は、日本海呼称問題を竹島問題とリンクさせているのである。
実際、米国各地で韓国人会が組織している「独島守護国際連帯」は、竹島問題だけでなく、日本海呼称問題もターゲットに政治活動を活発化させている。昨年11月29日、韓国の聨合ニュース電子版が、「米国韓国人会、東海併記請願のためクリントン(国務長官)との面談要請」と伝え、翌12月10日には、独島守護国際連帯のコウ・チャンクソン執行委員長が、「国際水路機関に実質的に力を行使できるのは米国の国務省尾連邦の上下院議員だ。彼らを積極的に説得する」と述べたと報じている。
日本は、日本海呼称問題が単なる地図上の表記の問題ではなく、領土問題であることを肝に銘じなければならない。
歴史問題ともからませ
ところで、韓国側の積極的攻勢は、韓国政府の戦略の表れである。韓国政府は、2005年3月16日に「竹島の日」条例が成立する約1週間前に、竹島問題に持続的に対処する機関の設置を法案化し、翌4月に「東北アジアに平和のための正しい歴史定立企画団」を発足させた。企画団は2006年9月に「東北アジア歴史財団」という国策機関への改組され、竹島や東海呼称問題だけでなく、「東海問題」「慰安婦問題」「靖国問題」「歴史教科書問題」などのれ岸問題で日本非難の対外宣伝工作に従事している。最近の慰安婦問題や沖縄の八重山地区をはじめ日本各地で頻発する歴史教科書の不採択運動にも、東北アジア歴史財団が深く関わっている。
それだけでなく、2010年の菅直人首相に「菅談話」に、「朝鮮王室儀軌」の引渡しが明記されたのも東北アジア歴史財団の工作があったからである。日本が過去を反省する物的証拠として「朝鮮王室儀軌」の引渡しを求めたのである。その事は、東北アジア歴史財団の鄭在貞理事長にインタビューした「週刊朝鮮」(2010年12月24日ネット版)で明らかにされている。鄭理事長は、「朝鮮王室儀軌」引渡しのため、松下政経塾出身の国会議員にそれらを提案し、談話に盛り込ませたのだという。
そして彼らはいま、日本に対して絶対的に優位に立てる歴史問題を、日本海呼称問題に活用し始めている。「朝鮮半島では2,000年前から日本海を東海と呼称していたのに、1912年、海図作成の基になる『海洋と海の境界』が水路機関で編纂される際、日本の植民地統治下にあったために東海呼称を主張する機会を奪われていた」というのである。「日本海の名称が支配的になったのは20世紀全般の日本の帝国主義、植民地主義の結果」と歴史を捏造し、国際社会に日本の「非」を訴える材料にしているのだ。
韓国側はロシアや中国、北朝鮮とも連携してきている。2010年9月、中国漁船が日本の巡視船に追突した事件が起きた際、香港の『亜州週刊』(同年9月26日号)は、韓国が竹島を不法占拠しているのに倣い、「日本から韓国が独島を奪還した貴重な体験を学べば釣魚島回復も夢ではない」とした。直後の同年11月1日には、メドベージェフ大統領が、ロシアの大統領としては初めて国後島を訪問、北方領土問題も深刻な状況に陥っている。
これ以上、日本の国益は損なわれてはならない。本稿では、「日本海を歴史的に『東海』と呼んできた」という韓国側の言い分の嘘を明らかにし、彼らを論破する材料として日本政府をはじめ関係機関、国民の皆さんに供したい。
「東海呼称はキリスト誕生より古い」の嘘
韓国側は5年前に開催される国際水路機関の総会に向け、世界各地で「東海セミナー」を開催し、東海併記に賛同する国々の拡大に努めている。そうした場で、日本海を「東海」とする根拠として説明されるのが、『三国史記』(「高句麗本紀」)と『広開土王碑』に見られる「東海」の文字である。このうち『三国史記』に「東海」と記述されたのは、紀元前37年。東海の呼称は「2千年前からある」「キリストの誕生より古い」と韓国側が勝ち誇ったように言うのはこのためだ。
その『三国史記』には、「東海之濱」という記述が確かにある。しかしこの「東海」は、日本海ではない。
そもそも高句麗の故地は、半島西側の遼東半島付近(卒本付近)である。今日の勧告は高句麗の歴史を韓国の歴史と見ているが、韓国の国家的な系譜に高句麗は含まれていない。中国と韓国は、2003年頃から高句麗の歴史を巡り、韓国の系譜か中国の一地方政権の歴史かで、高句麗史論争を続けている。
その中国との高句麗論争で、韓国側の主張を有利にするために製作されたのが韓流ドラマの『朱蒙』と『太王四神記』である。『朱蒙』は高句麗の始祖である東明王、『太王四神記』は高句麗中興の祖である広開土王をめぐるドラマである。中国側の歴史認識からすれば、朱蒙と広開土王も、韓国の歴史とは関係はない。当然、彼らにゆかりのある『三国史記』や「広開土王碑」に記された「東海」も、中国が方位の基準となるため日本海ではあり得ないということになる。
具体的に見ていこう。「広開土王碑」に記されているには、「東海賈、国烟三、看烟五」という文字である。これは広開土王の墓の墓守(陵戸)の数を記したもので、東海賈は墓守が住んでいた地域の名称に過ぎない。「東海賈」が日本海という海の名前をさしているとするのは、そもそも牽強付会である。
もう一方の『三国史記』には、「東海之濱(ほとり)に地あり。号して迦葉原という」と記されている。この「東海」は何を指しているのか。それを解くヒントは、李氏朝鮮時代初期に編纂された『龍飛御天歌』の次のような記述にある。
「四海の外、皆また海あり。東海の別に渤海あり。ゆえに東海、渤海と共称す。また通じてこれを滄海という。我が国は渤海に東にあり。ゆえに海東という」
つまり、ここで言う「東海」とは、渤海のことなのである。『龍飛御天歌』だけではない。李氏朝鮮時代中期の李晬光は「中国の東海、即ち我が国の西海」(「芝峰類説)とし、同後期の鄭東愈も「中国の所謂東海は、我が国の西海」(「昼永編」)としている。
中国には方位の概念としての四海の観念があり、渤海や黄海など東方の海を「東海」と称していた。そのため朝鮮は自らを「東海の東」にあるとして「海東」と称し、『龍飛御天歌』では、その基準となる渤海を東海としたのである。
k
無意味な古地図の数争い
韓国が歴史問題を論ずる際、現在の自分勝手な認識から過去の文献を解釈する傾向があ尾る。これは韓国側が東海呼称の根拠に一つとしている『新増東国與地勝覧』の「八道総図」(P123写真①)の解釈でも見られる。韓国側は、朝鮮半島を描いた「八道総図」の東海岸に「東海」の文字があることから、日本海を東海と呼称してきた証拠とする。
しかし実際には、「東海」は朝鮮半島の東側の海濤(大波)を祀る東海神祠の位置を示しているに過ぎない。『新増東国與地勝覧』の編纂に関わった金宗直は、「八道総図」について「巻首の総図は、即ち祀典、載す所の嶽濤洎名山大川を録す」とあとがきで説明している。自然を神々として祭ることを規定した「祀典」に準じ、祭祀の場所が描かれているだけなのである。
『新増東国與地勝覧』には、「八道総図」のほかに朝鮮八道の地図が収戴されている。その各道の地図には、「州県の鎮山、その四至四到」が記録されている。「四至四到」とは、四方に隣接する地のことである。東海神祀が安置された江原道の「江原道図」(同写真②)には、東側沿海の外縁に「東北抵大海」「東抵大海」と記されている。しかしこれは、江原道の東北と東を延長すると、大海に至(抵)るという意味である。
この表記の仕方は、『新増東国與地勝覧』が中国・明の『大明一統志』(「福建地理之図」、P124写真③)では、沿海と外洋を区別して「東抵海」としている。
さらに、「八道総図」の東海という名称は、歴史的に海域を示すものでなく、方位を示すものでもあった。その典型的な事例としては、梁誠之による上疏文がある。梁誠之は世祖2年(1457年)3月、「東南西海神祠、皆開城により定まる。また方位、乖(もと)る」とし、高麗朝の基準ではなく、朝鮮王朝として新たに「北海神祠」を鴨緑江上流の甲山に設置すべきであるとした。鴨緑江上流の甲山は内陸部であり、北海と呼べる海はない。そこに「北海」の神祠を勧請しようとしたのは、海そのものよりも北方を祀る神祠が必要だったからである。
この梁誠之の上疏葉、東西南北の四海が、海そのものではなく、方位を意味する概念であったことを示している。中国でいう「四海皆兄弟」の「四海」も方位の概念であり、朝鮮半島ではそれが踏襲されてきたのである。
近代の史料では、韓国側は、1907年ごろに作られた「愛国歌」の歌詞「東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで」を、当時日本海を東海と呼称していた証拠としている。しかしこれも、現在から見た願望に過ぎない。
明治36年(1903)年に葛生修亮が刊行した『韓海通漁指針』は、「韓海」を伝統的な東海、南海、西海に分け、「東海」を「東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山付近に至る沿海を指す」と明記している。「東海」は「一大内海を形成せる日本海の一部」に過ぎなかったのである。
これと同様に認識は、朴殷植の『韓国痛史』にも見られる。朴殷植は、「韓国は亜細亜東南の突出にある半島国なり。その境界は東、滄海に濱(沿い)、日本海を隔てて、西は黄海に臨んで中国の山東江蘇二省に対す」と、韓国の地理的特性を記している。『韓国痛史』は民国4年(1915年)に刊行されているが、「愛国歌」ができた後も、沿海(滄海)の外には日本海が在ると、認識していたのである。
これに対して、日本海の名称はすでに明治16年(1883)年4月、日本の海軍水路局が刊行した『裛瀛水路誌』に採用され、水路部が明治27年(1894)に刊行した「朝鮮水路誌」でも踏襲されている。そこには日本海の範囲が、「日本海ハ北北東至南南西ノ長凡900里、東西ノ幅最闊ノ所600里、日本各島ヲ以テ東及南ノ海界トナシ、朝鮮及黒龍沿岸州ノ海岸ヲ以テ西及西北ノ海界トナス」と明記されている。日本の水路部が作製した海図は、英国やロシアなどの海図を基に作成されており、日本海は公式の呼称として、世界的に定着していたのである。
しかし日本政府は、東海の呼称に歴史的根拠がない事実をホームページ上でも指摘していない。日本政府は、世界の古地図には日本海と表記した地図が多いか、韓国海や朝鮮海と表記した古地図が多いかで対抗し、竹島問題には無頓着であった。そのため韓国側も日本政府と同じ戦術をとり、古地図の数を競ってきた。その結果、韓国側の集計では韓国海や朝鮮海などが多く、日本側の調査では日本海が多くなっている。これは水掛け論で、結論は出ない。そこで韓国側は、国際水路機関や国連地名標準化会議の関係者を活用して、日本海の呼称が不当であると宣伝するなど、対外工作を着々と進めてきた。
中でも、韓国の英字新聞「コリアヘラルド」(電子版)が2010年5月に連載したインタビュー記事は、1992年以降、国際社会を舞台に進めてきた韓国の工作活動の集大成だったと言える。ピーター・E・ラバー元国連地名専門家会議議長、ポール・ウッドマン元国連地名専門家会議、米国地名委員会のノーマン・クレリクス氏、国連の標準化会議の専門部会長でソウル大学名誉教授のリ・キスク東海研究会名誉会長ら、この問題で一定の影響力を持つ13人を登場させたのである。
彼らは、日本海の海域と、韓国側が主張する「東海」が重複しないという歴史的事実を知らずに、東海呼称に同調していた。いまや国連地名標準化会議や国際水路機関の一部は、韓国側の策謀にマインドコントロールされていると言っても過言ではない。
例えば、漢文が読めるはずの北京大学のハンマオリー教授の見解を見てみよう。ハンマオリー教授は、10世紀、中国の東北部に建国した金の『大金集禮』に書かれた「祭東海祝文(「東海を祭るの祝文」)中に登場する「東海」が今日の日本海であるとし、金の後に中国東北部に建国した清朝も、日本海を東海と呼称していたと断じている。
だが『大金集禮』(巻34)や『金史』(巻34)に記された「嶽鎮海瀆」条を見ると、金の「東海」とは、渤海に面した中国山東省の萊州に鎮座する東海神廟のことを指していて、日本海とは無縁であることはもちろん、海の名前ですらない。
東海神廟は清朝にも継承され、清代の『皇朝通典』や『皇朝文献通考』には、「東海を山東萊州に祭る」とある。『大清一統志』(巻136)にも、東海神廟の位置を、山東省の萊州「府の城西18里、四海の一つを祀るなり」と明記されている。金時代と同様に、清朝でも、「東海」は山東省の萊州府の神廟のことだったのである。
ハンオマリー教授はまた、『海防纂要』の「遼東連朝鮮図」にある「朝鮮東海」の文字を、東海呼称の根拠としている。だが、「遼東連朝鮮図」には、朝鮮東海の他に朝鮮南海、朝鮮西海の文字もある。これらは、すべて沿岸域を指しているのである。ハンマオリー教授は朝鮮南海と朝鮮西海を無視し、「朝鮮東海」だけを示して東海呼称の証拠としたことになる。教授は時節に都合の良い部分だけを示しているのである。
文献の恣意的解釈は、韓国のソウル大学で学んだウィーン大学のライナー・ドーメルス教授にも見られる。ドーメルス教授は、東海呼称の正当性の証拠として、「四海華夷総図」を挙げた。だがこの「四海華夷総図」も中国を中心に四海(四夷)を示したもので、日本海とは関係がない。
事実を突きつけよ!
以上見てきたように、韓国側の東海呼称の主張には、歴史的根拠など何もない。韓国側の言い分を検証すると、①地名を指す「東海」という言葉を、日本海の名称と曲解している②朝鮮半島西側の渤海や黄海に当たる海域の中国側の呼称だった「東海」を、日本海の呼称と混同している③半島東側の沿海を指す言葉に過ぎない「東海」を、日本海全体を指す言葉だと解釈しているーという三つのパターンの誤りを、知ってかしらずかは不明だが繰り返しているのである。
それでも、韓国側のプロパガンダは功を奏しつつある。2000年には日本海と東海の併記は2.8%だったのが、韓国側の調査によると、2009年には28%にまで拡大したという。
前述したように、日本海を東海と呼称させる運動は、韓国政府が全面的に後押ししている。2007年、当時外相であった潘基文国連事務総長は、「国連の日」に開催された国連事務総長主催のコンサートで、日本海を東海とし、竹島を独島と表記した英文のパンフレットを配布したという。
潘氏は外相として、「竹島問題は日韓関係よりも上位概念」とも発言したが、国連事務総長となってからの影響力は、さらに無視できなくなっている。国連の地名標準化委員会や国際水路機関の関係者が、東海呼称問題で韓国よりの発言をし、地名標準化委員会の専門部会のトップは韓国人である。先に紹介した「コリアヘラルド」のインタビュー連載に、関係する国際機関の重鎮が登場したこととも無縁ではないだろう。民主党政権が、「竹島が韓国によって不法占拠されている」ということすら出来ない弱腰のままでは、とても太刀打ちできない。
日本は、日本海表記と東海表記の古地図の数を争うのではなく、東海呼称に歴史的根拠がない事実を、国際水路機関の総会で主張する必要がある。それを怠れば、歴史問題を持ち出し、東海の併記を「過去の清算」とする韓国側の理論は、事情を知らない国際水路機関の参加国の賛同を得かねないのだ。さらに、東アジアで偽りの歴史による混迷が連鎖的に起きかねない。冒頭に述べたように、中国では、韓国の竹島侵奪をモデルに尖閣諸島を奪えという声が上がっているのである。
本稿の締め切り直前、米ニューヨーク州議会で、東海の単独表記が討議されることになったという情報が飛び込んできた。日本政府は、日本海を「東海」と呼んできたという韓国の主張の欺瞞を明らかにし、断固として国益を守らなければならない
さぞ無念だったろう。合掌。
「正論」今月号から、
韓国だけが吼えている分には問題は小さいが、アメリカの教科書で日本海を東海とすることを州議会に提起するという手段に出ている。また国連の地名標準化委員会では韓国の言い分が通っているようだ。尖閣事件を切欠に日本政府が対抗措置をとらない、とろうとしないことで事態を一層悪化させている。
しかもこれが民主党政府だから危険であることは明らかである。
以下の記事は、茂木弘道氏が英訳し世界の識者に発信したそうである。
著者は拓大教授、下条正男
昭和25年、長野県出身、国学院大学大学院博士課程修了、58年に韓国に渡り、三星綜合研修院主任講師、仁川大学校客員教授を経て平成10年帰国。11年から現職。竹島研究の第1人者で、島根県庁「竹島問題研究会」座長を務める。著書に「竹島は日韓どちらのものか」(文芸新書)
領土問題と化した呼称問題
1月29日付の産経新聞一面は、「日本海と併記、米州法案1票差で否決」「韓国系120万人揺さぶり浸透」と伝えた。法案はバージニア州で使用する教科書に、日本海と東海を併記するよう求めたもので、韓国系米国人が多く住むバージニア州アナンデール選挙区のデーブ・マースデン議員が州の上院教育厚生委員会に提出していた。結果は8対7.非常に危うい状況だった。
東海併記に関しては、昨年からシカゴの韓国人会を中心に、ロスアンゼルス、ニューヨーク、ワシントンなどで署名運動が始まり、議員達に攻勢がかけられた。韓国人会が動いたのは、5年に1度開かれる国際水路機関の総会が今年4月23日から27日までモナコで開催され、海図作成の指針となる『海洋と海の境界』が改定されるからである。米国の州議会で東海併記の法案を成立させ、それを根拠に国際水路機関の総会で正当性を主張するという思惑だった。バージニア州の法案協力者のデーブ・マースデン議員は、「東海の呼称は2千年前からある」とまで発言している。日本が知らないうちに、韓国のプロパガンダが浸透し、一人歩きしているのである。
国際社会を舞台に「日本海を東海に改めよ」と求める運動は、1991年に韓国が国連に加入し、92年から国連の地名標準化委員会で日本海の呼称について問題提起したことに始まる。さらに、94年の国連「海洋法条約」の発効を経て、96年2月、韓国が不法占拠する我が国固有の領土竹島(韓国名、独島)で接岸施設の建設に着手し、竹島の侵奪を正当化する動きが顕著になるとともに本格化した。「独島(竹島)が『日本海』にあると、日本領海内にあるようで適切でない」という理由である。韓国側は、日本海呼称問題を竹島問題とリンクさせているのである。
実際、米国各地で韓国人会が組織している「独島守護国際連帯」は、竹島問題だけでなく、日本海呼称問題もターゲットに政治活動を活発化させている。昨年11月29日、韓国の聨合ニュース電子版が、「米国韓国人会、東海併記請願のためクリントン(国務長官)との面談要請」と伝え、翌12月10日には、独島守護国際連帯のコウ・チャンクソン執行委員長が、「国際水路機関に実質的に力を行使できるのは米国の国務省尾連邦の上下院議員だ。彼らを積極的に説得する」と述べたと報じている。
日本は、日本海呼称問題が単なる地図上の表記の問題ではなく、領土問題であることを肝に銘じなければならない。
歴史問題ともからませ
ところで、韓国側の積極的攻勢は、韓国政府の戦略の表れである。韓国政府は、2005年3月16日に「竹島の日」条例が成立する約1週間前に、竹島問題に持続的に対処する機関の設置を法案化し、翌4月に「東北アジアに平和のための正しい歴史定立企画団」を発足させた。企画団は2006年9月に「東北アジア歴史財団」という国策機関への改組され、竹島や東海呼称問題だけでなく、「東海問題」「慰安婦問題」「靖国問題」「歴史教科書問題」などのれ岸問題で日本非難の対外宣伝工作に従事している。最近の慰安婦問題や沖縄の八重山地区をはじめ日本各地で頻発する歴史教科書の不採択運動にも、東北アジア歴史財団が深く関わっている。
それだけでなく、2010年の菅直人首相に「菅談話」に、「朝鮮王室儀軌」の引渡しが明記されたのも東北アジア歴史財団の工作があったからである。日本が過去を反省する物的証拠として「朝鮮王室儀軌」の引渡しを求めたのである。その事は、東北アジア歴史財団の鄭在貞理事長にインタビューした「週刊朝鮮」(2010年12月24日ネット版)で明らかにされている。鄭理事長は、「朝鮮王室儀軌」引渡しのため、松下政経塾出身の国会議員にそれらを提案し、談話に盛り込ませたのだという。
そして彼らはいま、日本に対して絶対的に優位に立てる歴史問題を、日本海呼称問題に活用し始めている。「朝鮮半島では2,000年前から日本海を東海と呼称していたのに、1912年、海図作成の基になる『海洋と海の境界』が水路機関で編纂される際、日本の植民地統治下にあったために東海呼称を主張する機会を奪われていた」というのである。「日本海の名称が支配的になったのは20世紀全般の日本の帝国主義、植民地主義の結果」と歴史を捏造し、国際社会に日本の「非」を訴える材料にしているのだ。
韓国側はロシアや中国、北朝鮮とも連携してきている。2010年9月、中国漁船が日本の巡視船に追突した事件が起きた際、香港の『亜州週刊』(同年9月26日号)は、韓国が竹島を不法占拠しているのに倣い、「日本から韓国が独島を奪還した貴重な体験を学べば釣魚島回復も夢ではない」とした。直後の同年11月1日には、メドベージェフ大統領が、ロシアの大統領としては初めて国後島を訪問、北方領土問題も深刻な状況に陥っている。
これ以上、日本の国益は損なわれてはならない。本稿では、「日本海を歴史的に『東海』と呼んできた」という韓国側の言い分の嘘を明らかにし、彼らを論破する材料として日本政府をはじめ関係機関、国民の皆さんに供したい。
「東海呼称はキリスト誕生より古い」の嘘
韓国側は5年前に開催される国際水路機関の総会に向け、世界各地で「東海セミナー」を開催し、東海併記に賛同する国々の拡大に努めている。そうした場で、日本海を「東海」とする根拠として説明されるのが、『三国史記』(「高句麗本紀」)と『広開土王碑』に見られる「東海」の文字である。このうち『三国史記』に「東海」と記述されたのは、紀元前37年。東海の呼称は「2千年前からある」「キリストの誕生より古い」と韓国側が勝ち誇ったように言うのはこのためだ。
その『三国史記』には、「東海之濱」という記述が確かにある。しかしこの「東海」は、日本海ではない。
そもそも高句麗の故地は、半島西側の遼東半島付近(卒本付近)である。今日の勧告は高句麗の歴史を韓国の歴史と見ているが、韓国の国家的な系譜に高句麗は含まれていない。中国と韓国は、2003年頃から高句麗の歴史を巡り、韓国の系譜か中国の一地方政権の歴史かで、高句麗史論争を続けている。
その中国との高句麗論争で、韓国側の主張を有利にするために製作されたのが韓流ドラマの『朱蒙』と『太王四神記』である。『朱蒙』は高句麗の始祖である東明王、『太王四神記』は高句麗中興の祖である広開土王をめぐるドラマである。中国側の歴史認識からすれば、朱蒙と広開土王も、韓国の歴史とは関係はない。当然、彼らにゆかりのある『三国史記』や「広開土王碑」に記された「東海」も、中国が方位の基準となるため日本海ではあり得ないということになる。
具体的に見ていこう。「広開土王碑」に記されているには、「東海賈、国烟三、看烟五」という文字である。これは広開土王の墓の墓守(陵戸)の数を記したもので、東海賈は墓守が住んでいた地域の名称に過ぎない。「東海賈」が日本海という海の名前をさしているとするのは、そもそも牽強付会である。
もう一方の『三国史記』には、「東海之濱(ほとり)に地あり。号して迦葉原という」と記されている。この「東海」は何を指しているのか。それを解くヒントは、李氏朝鮮時代初期に編纂された『龍飛御天歌』の次のような記述にある。
「四海の外、皆また海あり。東海の別に渤海あり。ゆえに東海、渤海と共称す。また通じてこれを滄海という。我が国は渤海に東にあり。ゆえに海東という」
つまり、ここで言う「東海」とは、渤海のことなのである。『龍飛御天歌』だけではない。李氏朝鮮時代中期の李晬光は「中国の東海、即ち我が国の西海」(「芝峰類説)とし、同後期の鄭東愈も「中国の所謂東海は、我が国の西海」(「昼永編」)としている。
中国には方位の概念としての四海の観念があり、渤海や黄海など東方の海を「東海」と称していた。そのため朝鮮は自らを「東海の東」にあるとして「海東」と称し、『龍飛御天歌』では、その基準となる渤海を東海としたのである。
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無意味な古地図の数争い
韓国が歴史問題を論ずる際、現在の自分勝手な認識から過去の文献を解釈する傾向があ尾る。これは韓国側が東海呼称の根拠に一つとしている『新増東国與地勝覧』の「八道総図」(P123写真①)の解釈でも見られる。韓国側は、朝鮮半島を描いた「八道総図」の東海岸に「東海」の文字があることから、日本海を東海と呼称してきた証拠とする。
しかし実際には、「東海」は朝鮮半島の東側の海濤(大波)を祀る東海神祠の位置を示しているに過ぎない。『新増東国與地勝覧』の編纂に関わった金宗直は、「八道総図」について「巻首の総図は、即ち祀典、載す所の嶽濤洎名山大川を録す」とあとがきで説明している。自然を神々として祭ることを規定した「祀典」に準じ、祭祀の場所が描かれているだけなのである。
『新増東国與地勝覧』には、「八道総図」のほかに朝鮮八道の地図が収戴されている。その各道の地図には、「州県の鎮山、その四至四到」が記録されている。「四至四到」とは、四方に隣接する地のことである。東海神祀が安置された江原道の「江原道図」(同写真②)には、東側沿海の外縁に「東北抵大海」「東抵大海」と記されている。しかしこれは、江原道の東北と東を延長すると、大海に至(抵)るという意味である。
この表記の仕方は、『新増東国與地勝覧』が中国・明の『大明一統志』(「福建地理之図」、P124写真③)では、沿海と外洋を区別して「東抵海」としている。
さらに、「八道総図」の東海という名称は、歴史的に海域を示すものでなく、方位を示すものでもあった。その典型的な事例としては、梁誠之による上疏文がある。梁誠之は世祖2年(1457年)3月、「東南西海神祠、皆開城により定まる。また方位、乖(もと)る」とし、高麗朝の基準ではなく、朝鮮王朝として新たに「北海神祠」を鴨緑江上流の甲山に設置すべきであるとした。鴨緑江上流の甲山は内陸部であり、北海と呼べる海はない。そこに「北海」の神祠を勧請しようとしたのは、海そのものよりも北方を祀る神祠が必要だったからである。
この梁誠之の上疏葉、東西南北の四海が、海そのものではなく、方位を意味する概念であったことを示している。中国でいう「四海皆兄弟」の「四海」も方位の概念であり、朝鮮半島ではそれが踏襲されてきたのである。
近代の史料では、韓国側は、1907年ごろに作られた「愛国歌」の歌詞「東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで」を、当時日本海を東海と呼称していた証拠としている。しかしこれも、現在から見た願望に過ぎない。
明治36年(1903)年に葛生修亮が刊行した『韓海通漁指針』は、「韓海」を伝統的な東海、南海、西海に分け、「東海」を「東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山付近に至る沿海を指す」と明記している。「東海」は「一大内海を形成せる日本海の一部」に過ぎなかったのである。
これと同様に認識は、朴殷植の『韓国痛史』にも見られる。朴殷植は、「韓国は亜細亜東南の突出にある半島国なり。その境界は東、滄海に濱(沿い)、日本海を隔てて、西は黄海に臨んで中国の山東江蘇二省に対す」と、韓国の地理的特性を記している。『韓国痛史』は民国4年(1915年)に刊行されているが、「愛国歌」ができた後も、沿海(滄海)の外には日本海が在ると、認識していたのである。
これに対して、日本海の名称はすでに明治16年(1883)年4月、日本の海軍水路局が刊行した『裛瀛水路誌』に採用され、水路部が明治27年(1894)に刊行した「朝鮮水路誌」でも踏襲されている。そこには日本海の範囲が、「日本海ハ北北東至南南西ノ長凡900里、東西ノ幅最闊ノ所600里、日本各島ヲ以テ東及南ノ海界トナシ、朝鮮及黒龍沿岸州ノ海岸ヲ以テ西及西北ノ海界トナス」と明記されている。日本の水路部が作製した海図は、英国やロシアなどの海図を基に作成されており、日本海は公式の呼称として、世界的に定着していたのである。
しかし日本政府は、東海の呼称に歴史的根拠がない事実をホームページ上でも指摘していない。日本政府は、世界の古地図には日本海と表記した地図が多いか、韓国海や朝鮮海と表記した古地図が多いかで対抗し、竹島問題には無頓着であった。そのため韓国側も日本政府と同じ戦術をとり、古地図の数を競ってきた。その結果、韓国側の集計では韓国海や朝鮮海などが多く、日本側の調査では日本海が多くなっている。これは水掛け論で、結論は出ない。そこで韓国側は、国際水路機関や国連地名標準化会議の関係者を活用して、日本海の呼称が不当であると宣伝するなど、対外工作を着々と進めてきた。
中でも、韓国の英字新聞「コリアヘラルド」(電子版)が2010年5月に連載したインタビュー記事は、1992年以降、国際社会を舞台に進めてきた韓国の工作活動の集大成だったと言える。ピーター・E・ラバー元国連地名専門家会議議長、ポール・ウッドマン元国連地名専門家会議、米国地名委員会のノーマン・クレリクス氏、国連の標準化会議の専門部会長でソウル大学名誉教授のリ・キスク東海研究会名誉会長ら、この問題で一定の影響力を持つ13人を登場させたのである。
彼らは、日本海の海域と、韓国側が主張する「東海」が重複しないという歴史的事実を知らずに、東海呼称に同調していた。いまや国連地名標準化会議や国際水路機関の一部は、韓国側の策謀にマインドコントロールされていると言っても過言ではない。
例えば、漢文が読めるはずの北京大学のハンマオリー教授の見解を見てみよう。ハンマオリー教授は、10世紀、中国の東北部に建国した金の『大金集禮』に書かれた「祭東海祝文(「東海を祭るの祝文」)中に登場する「東海」が今日の日本海であるとし、金の後に中国東北部に建国した清朝も、日本海を東海と呼称していたと断じている。
だが『大金集禮』(巻34)や『金史』(巻34)に記された「嶽鎮海瀆」条を見ると、金の「東海」とは、渤海に面した中国山東省の萊州に鎮座する東海神廟のことを指していて、日本海とは無縁であることはもちろん、海の名前ですらない。
東海神廟は清朝にも継承され、清代の『皇朝通典』や『皇朝文献通考』には、「東海を山東萊州に祭る」とある。『大清一統志』(巻136)にも、東海神廟の位置を、山東省の萊州「府の城西18里、四海の一つを祀るなり」と明記されている。金時代と同様に、清朝でも、「東海」は山東省の萊州府の神廟のことだったのである。
ハンオマリー教授はまた、『海防纂要』の「遼東連朝鮮図」にある「朝鮮東海」の文字を、東海呼称の根拠としている。だが、「遼東連朝鮮図」には、朝鮮東海の他に朝鮮南海、朝鮮西海の文字もある。これらは、すべて沿岸域を指しているのである。ハンマオリー教授は朝鮮南海と朝鮮西海を無視し、「朝鮮東海」だけを示して東海呼称の証拠としたことになる。教授は時節に都合の良い部分だけを示しているのである。
文献の恣意的解釈は、韓国のソウル大学で学んだウィーン大学のライナー・ドーメルス教授にも見られる。ドーメルス教授は、東海呼称の正当性の証拠として、「四海華夷総図」を挙げた。だがこの「四海華夷総図」も中国を中心に四海(四夷)を示したもので、日本海とは関係がない。
事実を突きつけよ!
以上見てきたように、韓国側の東海呼称の主張には、歴史的根拠など何もない。韓国側の言い分を検証すると、①地名を指す「東海」という言葉を、日本海の名称と曲解している②朝鮮半島西側の渤海や黄海に当たる海域の中国側の呼称だった「東海」を、日本海の呼称と混同している③半島東側の沿海を指す言葉に過ぎない「東海」を、日本海全体を指す言葉だと解釈しているーという三つのパターンの誤りを、知ってかしらずかは不明だが繰り返しているのである。
それでも、韓国側のプロパガンダは功を奏しつつある。2000年には日本海と東海の併記は2.8%だったのが、韓国側の調査によると、2009年には28%にまで拡大したという。
前述したように、日本海を東海と呼称させる運動は、韓国政府が全面的に後押ししている。2007年、当時外相であった潘基文国連事務総長は、「国連の日」に開催された国連事務総長主催のコンサートで、日本海を東海とし、竹島を独島と表記した英文のパンフレットを配布したという。
潘氏は外相として、「竹島問題は日韓関係よりも上位概念」とも発言したが、国連事務総長となってからの影響力は、さらに無視できなくなっている。国連の地名標準化委員会や国際水路機関の関係者が、東海呼称問題で韓国よりの発言をし、地名標準化委員会の専門部会のトップは韓国人である。先に紹介した「コリアヘラルド」のインタビュー連載に、関係する国際機関の重鎮が登場したこととも無縁ではないだろう。民主党政権が、「竹島が韓国によって不法占拠されている」ということすら出来ない弱腰のままでは、とても太刀打ちできない。
日本は、日本海表記と東海表記の古地図の数を争うのではなく、東海呼称に歴史的根拠がない事実を、国際水路機関の総会で主張する必要がある。それを怠れば、歴史問題を持ち出し、東海の併記を「過去の清算」とする韓国側の理論は、事情を知らない国際水路機関の参加国の賛同を得かねないのだ。さらに、東アジアで偽りの歴史による混迷が連鎖的に起きかねない。冒頭に述べたように、中国では、韓国の竹島侵奪をモデルに尖閣諸島を奪えという声が上がっているのである。
本稿の締め切り直前、米ニューヨーク州議会で、東海の単独表記が討議されることになったという情報が飛び込んできた。日本政府は、日本海を「東海」と呼んできたという韓国の主張の欺瞞を明らかにし、断固として国益を守らなければならない
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