女子学院を卒業する為の特別礼拝

全体公開 102views 5 6281文字
2022-08-14 08:50:16

讃美歌Ⅲ5を歌って、今日の礼拝を始めましょう。

マタイ7・1-7
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

 ふと礼拝ノートを書きたいと思い、8年ぶり位に礼拝ノートを書いています。正直、「書きたい」のか「書かねばならない」のか自分でも分かりませんが、何はともあれ今こうして書いているのは神様のお導きなのだと思います。今日はこの神様のお導きについて話をします。
 何故今、こうして礼拝ノートを書いているのか。それは、あの6年間自分が担当した礼拝が、神様の目的に適うものだったとは到底思えないからです。神様が女子学院という学校を通じて与えて下さった、礼拝という「自分と他者に向き合う」機会を、私はきちんと受け取れていなかったでしょう。聖書箇所には真面目に向き合っていました。礼拝時間を短くする為だけに讃美歌187番を選ぶようなことはしていなかったと思います。
 ただ私は、自分の経験を基とした話を出来るだけ避けていました。絶対的存在の前ではどうしても人間は弱くなります。神様相手ならまだしも、弱い自分を他人の前に有無を言わさず引きずり出されるのは不本意でした。学年が上がるにつれその傾向は強まり、外交政策について論じたり、汎神論と無神論について論じたり、黒板まで使って美術史講義をしたり、ともかく一人称での語りをあらゆる手段で回避しました。当時の私は、JG生の大半を嫌ってこそいませんでしたが、「自分に厳しい故に他人に対しても簡単に冷淡になれる人」達だと思っていました。その為に、同級生への内面開示を「何故わざわざ弱みを見せなければならないのか」と忌避したのです。礼拝で自分の話をしながら涙する同級生を見て、「自分には出来ない」と羨ましさのような感情を抱いたこともあります。この場にいる冷淡なクラスメート達に自分の感情が受け止めてもらえると何故信じられるのか、私には疑問でなりませんでした。
 高3で回ってきた女子学院生活最後の礼拝では、もう残り少ない付き合いだからとJG生の好きでないところについて、具体的には「JG生は想像力が欠如している。目の前に見える人の弱さには寄り添えても、少し離れればそもそも弱さの存在まで想像が及ばない。無自覚に人を傷つけるところがある」みたいなことをオブラートに包んで話しました。オブラートに包めていなかったので否定的な感想を礼拝後耳にしました。すぐさま率直に批判出来るのはJG生の良い所だと思います。結局の所自分の話は出来ていません。このような背景から、「一人称での礼拝の機会を持たない限り、本当の意味で女子学院を卒業したとは言えない」と思い礼拝ノートを綴った次第です。ですのでこれは私の為の礼拝。しかしながら、私の話からあの6年間のように少しでも何かを感じ、祈りを共にして下さる同輩が一人でもいれば幸いです。
 さて、今日の聖書箇所は、3年前のイスラエル巡礼旅行の折、エリコの遺跡からエルサレムのホテルまでの帰路、バスの中で夕べの礼拝をしていた時の聖書箇所です。ぼうっと小雨の止んだ車窓の外を見ていると、虹が差してきました。皆で騒いで写真を撮りました。その少し後に礼拝が始まり、巡礼会社の社長であるシスターが「求めなさい。そうすれば、与えられる。」と聖書を読み上げました。その時、聖句がすっと自分の中に落ちていくのが分かりました。今こうして私がここにいるのは、全て自分が求めたことに神様が応えて下さったからなのだと悟ったのです。虹もきっと、それを分からせる為に劇的な形で神様が見せてくれたのだと、そう思いました。
 このイスラエル巡礼旅行は、大学時代に所属していた古楽合唱サークル「室内合唱団」の常任指揮者であるキリスト者の先生が企画して下さったものです。室内合唱団はルネサンス・バロック時代の宗教音楽を専門に活動していた合唱団です。過去形となってしまうのが寂しいですが、60年記念の演奏会を節目に解団し、今は卒団生が各々の場で、時に集まりながら歌っています。私自身は現在、共に歌うことは叶っていませんが、先生の素晴らしいカウンターテナーのお声と古楽器の音色を聴きに、しばしば教会やホールに足を運んでいます。ちなみに先生のお母様は女子学院の卒業生で音楽科の教諭でもあり、講堂であのパイプオルガンを弾いておられました。このご縁にも神様の導きを感じます。
 「室内合唱団」というサークルは、私が大学受験で第一志望に進学していたら出会い得ないものでした。元々第一志望の大学は「受験科目で楽をしたいというだけで大学を選んだら人間的に堕落する」という理由で選んだものだったので、そこに通えないこと自体はさして不本意ではなかったのですが、それでも自身の力が及ばない故の失敗は大いに不本意でした。ですが、余力を持って大学に入学出来たお蔭で、他学部にも入り浸り、副専攻を修了し、学芸員の資格を得、毎年海外旅行が出来る程度にはアルバイトも、と様々なことに取り組むことが出来ました。室内合唱団もその一つです。室内合唱団は私の進路に大きな影響を与えました。大学一年の冬、演奏旅行でライプツィヒに滞在した折、公演と公演の間でプラハとベルリンを訪れました。国境をバスで越えてシェンゲン協定を実感し、ベルリンの都市のあちこちで今も残る近代史の影を感じた経験が、私の欧州統合への関心を決定的な物にしたのです。かくして私は修士課程で欧州統合を研究テーマに据えることとなりました。私の要領の悪さで仮にギリギリ第一志望に合格していたとして、室内合唱団との出会いが無かったのは勿論、進振と卒業の為に単位を取るのに精一杯となり、視野は今程広がらなかったと思います。在学中も卒業後も私の人生を豊かにしてくれた室内合唱団との出会い、それにはっきり感謝したのがイスラル巡礼旅行でした。
 念願叶って欧州統合について研究した大学院時代ですが、実は第一志望だった研究科にはまたも落ちています。英語の試験中、腕時計が止まっていることに気付かず、「まだ余裕だから一応ここも辞書引いておこう」等とのんびりしている内に、後半に取り組まずに試験が終了したのでした。和訳の完成度を上げる前に最後まで一通り辿り着くべきでした。何故突然あそこで試験の基本中の基本を放棄したのか我ながら理解に苦しみますが、とにもかくにも不合格です。師事したかった教授には研究科入学後もマンツーマンでお世話になる機会に恵まれたのですが、「あのやたら最初だけ出来が良かった答案は君だったのか」と言われました。結果的には進学先の研究科で、自身の関心に近いことが広く深く学べました。進学先の方が入学難度自体は高いこともあり、他の学生からの刺激も多く受けられました。第一志望に合格していたら研究科での面白い人々との出会いも無かったと思うと、これで良かったのだと思います。
 イスラエルから帰国して成田空港に降り立ち、携帯電話の電源を入れた瞬間のことです。研究科事務室からの着信がありました。大学院の入学パンフレットで「在学生紹介」の欄を書いてくれないかとの依頼で、指導教授からの推薦でした。今迄自分が頑張ってきたことは間違いでないのだと念を押されたようでした。神様も虹では気付きが持続しないと考えたのか、間を空けず劇的な演出です。
 大学受験で苦しんだ挙句目標に届かなかったこと、院試で腕時計が壊れたこと、二つの大きな進路決定機会での経験は当時失意でしたが、その後の日々は私の望みに適うものだった、適うものに出来たと、エリコからの道で虹を見た私は真っ直ぐ言うことが出来ます。
 人間関係においても、今日の聖書箇所を実感させるものはあります。自らの意思で私に関わって下さる全ての方のことは、神様が引き合わせて下さったのだと思っていますが、今日は特にそれを実感させられた二人の友人の話をします。
 一人は大学一年の時、故宮博物院展で出会ったおばあ様です。『翠玉白菜』を鑑賞する為の3時間半待ちの行列で横にいたのが彼女でした。気さくに話しかけてきた彼女は、外交の場でも活躍していた元中国語通訳で、山手言葉の美しいとても教養豊かな方でした。漢籍の話や公私問わず飛び回った外国でのエピソードを楽しそうに話して下さる姿はとてもかっこ良く、私の憧れとなりました。それ以来文通を続けており、漢詩を読む時は彼女のように年を重ねたいものだと思います。知性馨しい、レースの手袋の似合うおばあ様になる心算です。
 大学を卒業する月、久々に会った彼女は大学院入学を控えた私にこう言いました。
「初めて貴方に出逢った時から思っていたけど、本当に貴方はラッキーガールよ。何かを選ぶってなった時に『失敗した』と思うことが無いでしょう?その時は『あっちが良かった』って思ったとしても、それを自分で『これで良かった』って幸せに変えることが出来る。運命を切り開く力がある」
 その日の帰り際、お花屋さんで「白い花がお好きでしょう?貴方のイメージにぴったり」と言って白いスイートピーの花束を誂えて下さいました。祝福というのはこういう形をしているのだと思いました。とても素敵な人生の先輩と友人として話が出来ること、この彼女との繋がり自体が、自分なりに勉学と向き合い続けてきたことの結果であり、また彼女が私にくれた言葉はそのまま今日の聖書箇所であります。確かに私は、第一志望であった女子学院での生活も含め、自分の選択と努力が失敗とならないように考えて生きてきたのです。
 もう一人は中学受験時代の仲間です。直近の冬、心身の不調から、毎晩「明日も生きること」を意識して選ばなければやっていけなかった時期がありました。死ぬのを先延ばしにする理由の方が負けそうになった日、それを察知してコンタクトを取ってくれたのがその友人です。以前も限界なのが自覚出来ない程辛かった日に同じことがありました。何がセンサーに引っかかったのか訊いていないので、何故まずい状況だと分かったのか、未だ不思議に思っています。
 通話の中で友人がくれた「しんどいことは人に話せた方が良いよ」という言葉は、私にとっては新鮮な発見でした。勿論、弱音を吐いてはいけない等と思っていた訳でも、周囲の人の弱音をネガティブに感じていた訳でもありません。ただ「話しても良い」でなく「話せた方が良い」と言われた時、ようやく「弱音って吐いて良いんだ」という簡単なことが、一般論でなく自分事として理解出来ました。その友人自身は大概のことは「寝れば忘れる」らしいのですが、それはそれで私には無い強さで憧れています。私が中学受験をすると決めなければ出会うことの無かった友人であり、また望む望まざるに関わらず、一人でどうにかしようと思っていなければ生まれなかった繋がりで、見えなかった友人の一面です。
 とはいえ、自身が向き合っていない弱さをそのまま人に見せるのは醜悪極まりない行為だと思っているので、機敏を忘れず、私に向き合ってくれる友人を失わぬよう大事にしたいです。この友人は女子学院の卒業生ではありませんが、この礼拝ノートを書き切るだけの勇気が持てたのは、多分にこの友人のお蔭でもあります。読んでいるか分からないので、話を整理してきちんと謝意を伝える心算です。
 このように、私は自身を納得させる為に努力することしか出来ない人間ですが、それによって得たものに納得することが出来てきました。その納得を心の底から肯定し、女子学院入学式より6年間表現を変え聞き続けた「全ては神様の御計画」と繋げたイスラエル巡礼旅程でした。女子学院生活最後の礼拝の聖書箇所に、私は「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」を選びました。単純に好きだったので選んだのですが、これが好きな聖書箇所だというのは「相当苦しかったんだな」と自分でも苦笑を禁じ得ません。この苦しさは、JG生らしく強く賢くあろうとする努力に起因するものでしたが、当時の私にとってその先にある「希望」は「今の苦しみに向き合えば、御計画で良い方向にどうにかしてくれるだろう」程度の茫洋極まりないものでした。この茫洋さは、自身の希望と何ら結びつかない強迫観念に囚われていたからに他なりません。その頃に比べれば、神の御計画をもっと主体的に捉えられるようになったなと思います。それは求め探すもの、開きたい門を自身の希望と結びつけることが出来たからです。もっと言えば、最初から結びついていたのを、勝手に作り上げたJG生像で自ら隠してしまっていたのでしょう。
 私はもう自分がパンを求めていると知っています。そして神様はパンを求める者に石を与えませんが、お米を与えることはあります。パンが欲しかったけどお米で良かったな、そう思える程お米を美味しく調理出来る失敗しないラッキーガールの力が、私には備わっていると信じることが出来ます。
 先月、五島列島で隠れ切支丹関連の史跡を巡礼しました。この巡礼も先生が企画してくださったものです。今回は、室内合唱団の卒団生やイスラエル巡礼で知り合った方々に加え、女子学院の同輩一人と一緒での参加でした。私が女子学院卒業後に得たものを女子学院の学友が共に楽しんでくれているのは、自分の半生が肯定されたようでとても嬉しいものでした。JG生らしさに囚われていた私にとり、あの学び舎から離れた場でJG生と喜びを分かち合えた体験は、自分が一番欲していた祝福であるとはっきり自覚します。
 今も自身の至らなさによって、日々穏やかに過ごせているとは言えません。今の環境を作った選択が間違いだったとは考えていませんが、諦めきれない狭い門への希望を叶える為に、けして恵まれていない体力でどうにか頑張ろうとしています。狭い門から入ろうとするのは女子学院を目指すと決めた時よりもっと昔からの性分です。今後どんなパンが与えられるのか、或いは今の米料理をもっと美味しくするよう命じられるのかは分かりませんが、どのような帰結も失敗にしない心算です。私はその力を持つラッキーガールなのですから。

 祈りましょう。
 天にまします父なる神様、今日も礼拝を以て一日を始められたことに感謝致します。今日一日の活動をお守りください。御心に適うものをお与え下さい。また、私も他者に良いものを与えられますように。この願いばかりの小さな祈りを、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。


※この礼拝ノートに手をつけたのがイスラエルからの帰国直後の2019年3月だったので、放置した期間含めるとかれこれ仕上げるのに3年以上かかっています。うだうだと何をどこまで書くか葛藤し、二度目の巡礼旅行を経てようやく書き上げることが出来ました。ご清読有難うございました。


投稿にいいねする
  • Tweet


© 2022 Privatter All Rights Reserved.