買い物で自分の世界を拡張する
わたしはずっとギブソン・レスポール(ビンテージではない最近のものなので10万円くらい)を使っていたが、ネックが太くて弾きづらいので、最近アイバニーズのものを買った。これもお値段は10万円くらい。アイバニーズはネックが薄くてかなり弾きやすい。上達したわけではないが、今までよりはマシになった。こうやって新しいものを買うことで人間は自分の世界を拡張していくのである。買い物で世界は広がる。ギブソン・レスポールはとても人気があるが、重いしネックが太いので、所有していても、実際には軽くて薄い別のギターを使う人が多いであろう。わたしとしても、ギブソン・レスポールの音が好きで、ブランドとして所有欲を満たしたいのもあり、これを使っていたのだが、実用性としてなかなか厳しいので、軽くて薄いアイバニーズにしたわけだ。わたしは下手なので、どのギターを使おうが同じであるかもしれないが、大衆消費社会において、われわれはお買い物で自己を拡張するのである。戦後社会はテレビ・冷蔵庫・洗濯機の三種の神器でライフスタイルを変えたが、最近ならスマホとかインターネットになるであろう。今後も新しい製品がライフスタイルを変えていく。おそらく人間自体はまったく進歩しないので、そこは悲しいところである。部屋の灯りがLEDになったことで読書が捗り空海を超える知性を身に着けられるかというと、そういうことはない。便利は便利というそれだけである。だから、たとえばわれわれが22世紀や23世紀の世界を見れないとしても、惜しむ必要はまったくない。未来の道具はすごい便利だろうが、人間そのものは横這いであり、人間の中身は進歩しない。こうやって考えてみると、本当に深刻な問題は、わたしのギターが下手ということではなく、すごい上級者で頂点にいるギタリストでも、ジミ・ヘンドリックスよりうまくないかもしれないし、作曲とかでも、だいたいやり尽くされた感はある。人類として音楽は終わっているという懸念だ。懐古趣味として演奏や作曲をしているだけかもしれない。さすがにレコーディング技術や機材は進歩していて、仕上がりは綺麗になるが、アナログのレコードよりデジタルの音の方が綺麗であるとしても、音楽そのものが進化したわけではあるまい。映像表現でも、最近はデジタル技術があるし解像度も高くなっているので美しいが、まあそれだけのことである。お手紙を手書きで書く代わりに、スマホで送信することで便利になったが、たぶん書いてる内容は進歩していない。技術は先人の業績に付け足しできるので進歩はするのだが、人間自体が同レベルという悲しさはある。人間そのものが向上しないからこそ、道具を発明し拡張していくのだ!とまとめることも可能であるし、人間は本体がしょぼくても拡張性を持った存在である、ということも可能だ。ユーチューバーがお買い物をする動画は再生数も多い。買い物で世界が広がるからであろう。人間そのものが進歩しないので、そうやって拡張するしか無いのである。