番外編 来なかった夜4《限定公開》

 たまにはこんな夜もある。

 私は賭場で大勝ちし、懐も温かく寝床に戻る。

 と、公園の水場でゼタが顔を洗っていた。


「よお、ゼタさん。元気かい。あーしはね、絶好調!」


 おどけながら声を掛けたのを三秒後には後悔していた。

 振り向いたゼタの頬に、明らかに殴られた跡が刻まれていたから。

 左頬が腫れ、唇の端も裂けている。

 

「見てのとおり。どう思うかは貴方に任せる」


 明らかに迷宮で負った傷ではない。

 そうであれば彼女の様な魔法使いは死んでいるし、生き残ったのだとしたら僧侶の魔法で怪我は癒えている筈だ。

 私は気まずくなって視線を落とすと、自分の左手を見た。

 罠解除に用いるため、わずかに伸ばした人差し指の爪がそろそろ削り時だった。

 

「あのさ、ゼタさん。それってやっぱり例のやつら?」


 ゼタは元娼婦で、花街を仕切る連中の元から強引に飛び出したらしい。

 それ以来、現在に至るまで有形無形の嫌がらせを受け続けているのだ。


「さあね、どうかしら。路地から飛び出してきて、すれ違いざまに殴っていったから」


 冷静な口調とは裏腹に、目つきは確信と怒りに満ちている。

 ゼタの仲間たちは迷宮行以外では距離を置き、助ける気はないらしい。

 私は仮にも友人である彼女を助けることが出来ない無力さに下唇を噛んだ。

 

「ゼタさん、厄落としにご飯食べに行こうよ。あーしが奢るし」


 大抵の飲食店を閉め出されたゼタとはいえ冒険者行きつけの酒場は例外で、店主の手管により、女衒連中の影響が及んでいないのだった。

 ゼタは顔を拭うと、薄く笑った。


「あら、珍しい。いつも金欠のあなたが?」


「うん、まあね。あーしだって博打に負けてばかりじゃないよ!」


 財布の入った懐を頼もしく叩き、再び三秒後に後悔をしていた。

 ゼタの目がスッと細められたのだ。


「あら、そう。よかったじゃない。じゃあ、先に私が貸したお金を精算してもらおうかしら」


 うむ、それは嫌だ。


「ま、とりあえず今日のところは延滞利息の代わりにご飯を奢るということで」


 笑ってごまかそうと思ったものの、流石に仏頂面のゼタである。

 まったくつられてくれない。


「あなたには、二回も貸したわね。たいした金額じゃないし、その財布の中に入ってるんでしょう?」


 確かに入っている。

 そもそも私がゼタから借りたのはほんの食事代が二回だ。

 返そうと思えば返すことは可能で、そのうえで食事も奢ることはぜんぜん問題ない。

 しかし……


「……嫌、です」


 呻くように言った私に、ゼタはずいと顔を近づける。

 生々しい暴力の跡が目を刺し、思わず目を逸らしてしまった。


「だって、死んだら返さなくていいんだよ?」


 私はビクビクしながら傷つきやすい繊細な乙女の胸の内をさらけ出した。

 いつ死ぬかわからない私たちは、もちろん自分が死んでしまっても、相手が死んでしまっても貸し借りは無しになる。

 だったら返さないでズルズルと借り続けていた方が得ではないか。

 と、ゼタの手の平が私の頭にポンと置かれた。

 見ればゼタはやさしげに微笑んでいる。


「アンタ、馬鹿ね」


 許してくれる。

 そう思ったのは一瞬だった。

 ゼタの手はそのまま私の髪を掴み、揺さぶったのだ。


「そんなアホみたいな理屈なんて知るか。私が命がけで稼いだ金を返せ!」


「ぎゃあ、止めて。返すから!」


 私が半泣きで言うと、ゼタは舌打ちしながら手を離す。

 仕方が無いので懐から財布を取り出し、とりあえず借りた額の半分を差し出してみた。


「金額を忘れてるなら、思い出すまで頭を振って上げようかしら?」


「ふんだ。ゼタさんのケーチ、ケーチ、ケーチ!」


 私はきっちり借りた額を手の平に乗せてゼタに渡した。

 

「わかってるなら最初から返しなさいよ」


「……鬼ババ」


 つぶやいた瞬間、ゼタの足は私のつま先を踏み潰した。

 激痛にのけぞる私に、再びゼタが顔を寄せる。


「アンタね、飯食う金も博打に使い込んどいて、しかたなく貸した私に、金を取り立てたら鬼ババですって?」


「嘘、嘘、やさしいゼタさん大好き!」


「わかりゃいいのよ」


 ツンとして足を離すゼタに、唇をとがらせて不満を表現してみるがこれ以上やられてはたまらないので声には出さない。


「さ、食事に行きましょう。奢ってくれるのよね?」


「ええっ、お金を返したのに?」


「それとこれとは話が別でしょう。さ、行きましょう」


 金を取り返して、やや機嫌をよくしたのかゼタは腫れた頬で微笑んでいた。

 

「だいたいね、アンタも私も、もちろんワデットだってずっと死なないかもしれないじゃない。なんでアンタは死ぬこと前提で話をするのよ」


 ぼやくように呟くゼタに、仕方が無いので並んで歩く。

 夜はもう、随分と深くなっていた。

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