番外編 来なかった夜《限定公開》

 小銭だ小銭だ。

 私はほんの数枚の銀貨をポケットに入れ、馬小屋に走った。

 酒場で即席の仲間たちと別れ、既に宵の口も過ぎている。

 薄暗闇に何度もポケットを確認するが、銀貨は確かにそこへ入っていた。ほんの数枚だけど命がけの対価だ。

 と、馬小屋に戻って気づく。途中でなにか食い物を買うべきだった。

 現金の状態で持っている金は盗られたり落としたりすればなくなるが、食べ物にして腹に落としてしまえば誰も盗ることは出来ない。

 しかし、馬小屋は当然に食べ物を売る露天街からは離れている。戻るのも面倒だ。

 初めての冒険から生還し、妙に興奮していた気持ちも冷め、猛烈な倦怠感が体を満たし始めていた。

 

「あら、あなたは……」


 馬小屋近くのベンチから不意に声を掛けられた。

 暗がりに目を凝らすと、そこには女が一人座っている。

 はて、誰だったろうか。私は三秒ほど考え、結局答えを出せなかった。

 

「朝、会ったでしょ。馬小屋の隣で寝てたじゃない」


 痺れを切らしたのだろう、相手に言われてようやく思い出した。

 ワデットの友達だ。


「ああ! 思い出した。ええと、名前は確か……」


 ワデットが名前を呼んでいたと思いながら、額を掻くが記憶はさっぱり浮かんでこない。目つきの悪い、あの、朝に弱いという。


「ゼタよ。別にあなたに名乗った訳じゃないから気にしないで」


「そうそう、ゼタさんだ。あーしはドロイ。改めてヨロシクね」


 出来るだけ無害そうにヘラヘラ笑い、私は名乗る。

 自分の年齢も知らないので確信は持てないが、ゼタは同期といっても私より少しだけ年齢が上のようだった。

 しかし、彼女がいるということはそこらにワデットがいるのだろうか。

 周囲を見回すけれども、それらしい人影は見あたらない。

 

「あなた、ひょっとして酒場の帰り?」


 ゼタの問いに私は頷く。

 初めての冒険から帰り、二人が抜け、残った四人で自己紹介も兼ねて酒場へ行ったのだ。

 

「そうだよ。なんだか同じパーティの男の子が奢ってくれてね」


 思えば人に飲食を奢って貰ったのは初めてだ。

 しかし、自由市民の彼は当たり前の様な顔をしていたので、それはそのままこの都市の豊かさを示しているのだろう。

 調子に乗ってビールを三杯も飲んでしまったし、魔法使いの少年に酔っぱらって絡んでしまった。

 おちゃらけるにもキチンとした育ちで厳つい戦士くんや、どうも思い詰めたような目つきの僧侶ちゃんには絡みづらいので、仕方がなかったのだ。

 それに比べれば魔法使いくんはいい。

 小柄で、いざとなれば殴り合いにも勝てそうだし、多少の面倒を押しつけても尻の一つも触らせれば許してくれそうな感じもする。

 

「ふうん、そう。酒場にワデットはいなかった?」


 ああ、なるほど。

 こんなところでゼタがなにをしているかと思えば、ワデットを待っているのだ。

 

「いや、悪いけど見なかった……と思う」


 あまり周囲の席を見回したりしていないし、そもそもワデットは今朝方に少し会話を交わしただけの関係性である。確信を持ってそうだと答えることは出来ない。

 

「……そう」


 面白くもなさそうにゼタは呟いた。

 しかし、頬に当てた手の指先はわずかに震えている。

 恐ろしいのだ。

 自分が帰ってくることが出来たからといって、朝別れた者が同じように帰ってくるとは限らない。

 私たちは死の危険性も飲み込んで迷宮に降りる冒険者である。私自身、初めて挑んだ宝箱の解錠に失敗していたら石弓に貫かれていただろう。

 今日、初めての迷宮行から無事に生還し、ここにいるのも単に幸運だったからに他ならない。

 

「あーしも待とっかな」


 呟いて私もゼタの隣に腰を降ろした。

 ゼタの目はジロリと私を見たが、特に何かを言ったりはしなかった。

 ワデットはよく話す子だったけどゼタは違うらしい。

 しかし、私も沈黙に耐えられる方ではない。


「ゼタさんも今日が冒険初めでしょ。どうだったの?」


「……前衛が一人、死んだわ」


 前衛を勤める様な連中は地下一階の魔物と五分で渡り合うのだろうけど、体力があるので滅多に死なないと聞いていた。しかし、それでも死ぬときは死ぬのだろう。


「魔物の攻撃がね、偶然一人に集中したの。でも、私たちはすぐに帰る事が出来たからそれ以上の被害はなかった」


 前衛が欠け、後衛がその穴を埋めた場合、穴埋め役は明確に死にやすいと聞く。穴埋め役の穴を更に埋める為に次に出た者もやはり死にやすく、前衛が一人倒れると連鎖的にパーティ壊滅の憂き目に遭ってもおかしくないのだ。

 一歩間違えればゼタもここにいなかったかもしれない。私だって……。

 背筋が粟立つ。

 酒に酔った高揚感などいつの間にかどこかへ消えていた。

 私たちは死んでもおかしくない道を進んでいるのだ。

 うまく言葉を見つけることが出来ず、私たちの間には沈黙が横たわり続けた。

 

「あれ、ゼタ。あ、ドロイちゃんも。二人でなにしてんの?」


 わはははと笑いながらワデットが登場するまで沈黙は続いた。

 半ばまで死んだのではと思っていた私たちは彼女を見て、すぐに言葉を出すことが出来なかった。


「……アンタ、こんな時間までなにやってたの?」


「え、仲間の一人が郊外で鶏飼ってるっていうからさ、みんなで鶏肉ごちそうになってたよ。美味しかった!」


 妙に声が大きいのは酒に酔っているからだろう。


「うちのパーティ、最初から完璧だったよ。三回も魔物と戦ったのにね、一人がちょっと怪我しただけで済んだし。もしかしたら才能あるのかもしんないね!」


 ワデットは目を細め、誇らしげに語った。

 恐怖から目を逸らすためにせよ、高揚感に吊られるにせよ、冒険者はよく酒を飲むのだという。この場合、ワデットはどちらの感情で酒を流し込んだのだろうか。

 と、ゼタが立ち上がりワデットの額をペチりと叩いた。

 不安を押し殺して待っていた心境とワデットの脳天気さの落差に腹が立ったのだろう。


「痛い! あれ、ゼタちゃん怒ってる?」


 ワデットが確認するまでもなくゼタは踵を返し馬小屋の方へ歩いていった。

 

「待って、待って、おみやげはないけど怒らないで! ほら、ドロイちゃんも一緒に謝る!」


「え、あーしも?」


 どちらかと言えば私もゼタとともに怒ってもいいのではないだろうか。

 そう思いつつ、ゼタを取りなし、彼女が落ち着いた時にはすでにワデットは寝息を立てていた。

 こいつ……。

 こうして冒険者として最初の夜は釈然としないまま更けていくのだった。

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