第9997話 前夜(限定公開)
十二月の二四日は二学期の終業式である。
学校は午前中のホームルームで終わり、僕たちはさて、と学校を後にした。
「アッちゃん、なんかこうやって一緒に歩くのは久しぶりだね」
横を歩くセーラー服姿の少女が呟く。
真黒な学校指定コートと艶のある長い黒髪、黒いセーラー服、それに黒い皮手袋が合わさって殺し屋か葬式みたいだな、と思った。
「うん、そうだね。寂しかったよ」
僕は冷たい空気を胸いっぱいに吸う。
口から喉がたった一度の深呼吸でひどく乾いた。
「忙しかったからね。お互いに」
僕たちは学生で、そうなると二学期という季節は行事が多い。
体育祭から修学旅行、それに文化祭。最後に期末試験があるわけだけど、僕は期末試験が終わると同時に体調を崩し、二日ほど学校を休んだのだ。
そうしてめでたく快復すると、僕と入れ替わりでギーがキックボクシングの遠征合宿に行ってしまった。南の方に一週間である。
おかげでもう半月ほど、ギーとはろくに顔を合わせていない。
もちろん、現代は文明の利器があるので電話したり、メールを送り合ったりは毎日していた。
おかげでテストの点数が振るわなかったのではないかと疑惑も残るものの、相手方のギーは学年でもトップクラスの順位をしれっと獲得しているので、きっと僕の気のせいだ。
ともかく、今朝の飛行機でギーは帰って来たらしく、遅刻寸前で教室にやって来た。
そうして、ようやくこうして近くの距離で会話を出来ている。
「合宿はどうだった?」
南国で行われた合宿に参加したはずなのに、相変わらず神秘的に白い肌のギーに僕の視線は釘づけられた。
もともとはジムトレーナーの娘にあてがわれたスパーリングパートナーであるはずのギーは、だんだんと試合に出るようになりそれなりの成果を残している。一方の僕もギーに付き合って練習には行くのだけれど、叩き合いはどうしても不得意なのでさぼってロードワークにばかり出るため、キックボクシングも陸上部も変わりない感じになっていた。
もちろん、試合や合宿などの参加は意思確認さえされない。
そうして、撃ち合いを日課にするようになったギーの肌はよく見ればところどころ擦過傷や痣が出来ている。だけど、それも美しさを際立たせていると僕は思う。
「んん、キツかったよ。まあ、いろいろと楽しかったけどね。ローカルなテレビが取材に来たりしたし」
キャーキャーと笑い、ギーがその時の経緯を話すのだけど、彼女は贔屓目なしに美人なので芸能界のスカウトなど来やしないかと心配な気持ちになった。
「そうだ、せっかくのクリスマスだしさ、うちに来なよ」
ギーがドン、と体をぶつけながら言う。
僕は態勢を崩しながら、どうにか耐えた。
ほんの一瞬でも、久しぶりの身体接触だった。
生身のギーに触れて、言葉にしがたい欲求が脳髄を浸していった。
果たして財布の中身はきちんと入っていただろうか。
「じゃあ、行く。久しぶりだし」
乾いた喉を唾液で湿らせながら、僕は答えた。
携帯電話を挟んで過ごすということは、彼女の家から足が遠のくということでもある。
夏休みなんかは頻繁に遊びに行っていたので、なんとなくなつかしさが胸を突いた。
というわけで、別に久しぶりじゃなくてもいくのだ。僕の尻に尻尾がついていたらちぎれんばかりに振り乱したかもしれない。
「うん。久しぶりだね」
ギーもはにかんで笑い、僕の手を掴んだ。
冷たくゴワゴワとした手袋の感触が気持ちいい。
「洗濯物したり、部屋の片づけをしたり、いろいろ忙しいんだけどね。ジムもしばらく休みだからそういうのはゆっくりやるよ」
僕が指にきゅっと力を入れ、手を握る力を強くするとギーもギュッと握り返してきた。
互いに力を入れたり、抜いたり、感触を楽しみながら僕らは歩く。
「昼ご飯はコンビニで買っていく?」
僕が聞くと、ギーはううん、と悩んだ。
「今朝、車で迎えに来てくれた会長の奥さんからタッパーに入った煮物をもらったんだよね。量もあるし、傷んでも嫌だから一緒に食べてよ。ご飯は私が炊くからさ」
クリスマスイブに煮物とは随分と渋いけど、ギーと一緒ならそれも華やかな思い出になりそうな気がした。
「じゃあ、せめてケーキとか買おうか。僕がコンビニで買ってくるからギーは先に行っててよ」
ケーキという言葉に、ギーは目を丸くする。
「それはいいね。ねえ、アッちゃん。お金は持ってる? ついでにチキンもあったら買ってきてよ」
楽しそうな彼女の笑顔に、僕も楽しくなってくる。
二人でやるクリスマスごっこだ。楽しくないわけがない。
まったく信仰心に欠けた僕でも、快く愛してくれる程度に神様が寛大であることを願おう。
ギーの自宅近くのコンビニで別れると、僕は商品棚から二切れ入りのケーキと五〇〇ミリのコーラを籠に入れた。それ以外にも必要なものをちょっとだけ買い込んで清算を済ませる。早足でギーの部屋に向かうと、玄関を開けるなりギーに抱きしめられた。
薄暗い玄関で、僕は久しぶりにギーの素肌に触れる。
制服につくホコリもシワも気にならない。なんせ明日からは休みなのだ。
空腹とは違う飢えを満たすことに僕たちは夢中になり、やがて小さな炊飯器のご飯が炊けたことを知らせる音で本来の空腹を思い出す。
照れたように笑うギーが立ち上がって食事の準備を始めた。
タッパーも電子レンジで温め、器によそい替える。
「とりあえず食べちゃおうか……て、あれチキンは?」
「あ、忘れてた!」
指摘されて初めて買い忘れを思い出す。
というよりもコンビニに行った時点で僕の脳みそはなんだかわからないフワフワしたもので占められていて、それ以外を買ってこれただけで奇跡みたいなものだった。
「まあ、いいよ。ほら、奥さんのくれた煮物もおいしそうだし、あとはケーキがあってさ」
ギーが笑いながら茶碗にご飯をよそい、温まった煮物をテーブルに出した。
カブとカボチャと挽肉の煮物である。
「奥さん、季節だからって言ってたけど、クリスマスってカボチャを食べるんだっけ?」
会長の奥さんがいうのは多分、冬至だ。
僕は思いながら箸を伸ばした。
よく味が染みて美味い。こういうのを滋味というのだろうか。
僕たちはうまいうまいと言いながら煮物を平らげ、ケーキを食べてコーラを飲んだ。
そのまま、ここしばらくのことや話したかった諸々をベッドに座って互いに並べていった。
ふと気が付けば時刻は夜の七時を過ぎており、母親に遅くなったがもうすぐ帰る旨の電話を掛けた。
しかし、積もる話の量は意外と多くて、僕たちがベッドから降りたのはさらに二時間後であった。ああ、これは怒られるな、と僕はギーに帰宅の意志を告げたものの彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて僕に抱き着いた。
「久しぶりに一緒に寝よう。冬は寒いからさ」
ああ、これは怒られる。
そうは思ったのだけど、ギーを振り払い難く、善意による果敢な抵抗のあと、僕の心は屈した。その間二秒。
一応、親にメールで『急遽クリスマスパーティに参加、そのまま泊めてもらう』と打ったら案外とすぐに返信が来て『了解。ただしタバコと酒は飲むな』とあった。
タバコや酒など不要だ。僕とギーの間は対話だけで十分に満ち足りていて楽しい。
と、ギーの携帯電話が鳴り、ギーが噴き出した。
「お義母さん、『今日のケーキが残っているから明日、遊びに来なさい』だって」
母親に感づかれているのは非常に気恥ずかしい。
しかし、ギーは嬉しそうだし、明日はギーが僕の家に来るのだろう。
楽しい冬休みになりそうだな、と僕は思う。と、僕の携帯電話にメッセージが届いた。
母親から『避妊はきちんとしなさい』。
グッと息が詰まったものの、それは正しい。
僕だってコンビニで必要なものはキチンと忘れずに買ったのだ。その分、チキンは忘れたけれども。
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