第9995話 年度末(限定公開)

 川辺の帰り道は暗いのだけど、点々と街灯が立っているので、何も見えないということはない。


「キックボクシングって難しいのね」


 白い肌にいくつもの赤いあざを浮かべて、ギーは笑った。

 格好は学校の制服で、手には大きめのスポーツバッグを抱えている。僕も制服なのだけれど、短パンとシャツが入っただけの手提げ袋なので幾分身軽だ。

 僕が友達にどうしてもと頼まれて参加したキックボクシングジム無料体験の帰りである。

 ジムのトレーナーは僕の動きを見て大げさに褒めてくれたのだけど、ギーの動きには驚愕していた。

 曰く、才能があるのだと。

 是非入会してくれと頭を下げるトレーナーの脳裏には、中学生以下女子の部で全国を制覇した実娘の存在があった。練習相手としてそこらの女子選手では弱すぎ、男子選手だと強すぎる。

 結局はどちらかが手加減をすることになり本番を模したような全力の練習試合ができない。そこでギーを仕立てて娘のスパーリングパートナーを務めさせようとしたのだろう。

 その後成り行きでギーとチャンピオンの女の子はスパーリングをすることになり、ギーは見ていられないほど一方的に痛めつけられたのだった。

 

「距離感がね、全然違った」


 相手の女の子は僕から見てもあからさまに手加減をし、ゆっくりとした攻撃を繰り返していたのにも関わらず、ギーはこれを避けられなかった。

 反対にギーの出した突きは当たると思ってもなぜか空を切り、慣れない蹴りに至っては片手で払い落とされてしまった。

 

「アッちゃんが見ていなかったらもっと汚い戦い方もあったんだけどねえ」


 ギーは苦笑しながら頬の痣を触った。

 おそらく、故意に相手の足を踏み頭突きを入れようとした一瞬があったのだけど、彼女はためらい、そうして肘打ちで迎撃された。

 もちろん、これも手加減されており肘の先はギーの頬の先をゆっくりなぞっただけだ。

 そうでなければ彼女の綺麗な顔は派手に腫れるか、皮膚を割かれて血を流していただろう。

 

「でも僕が見てなかったらスパーリングなんて受けなかったでしょう?」


 きっと彼女は僕にいいところを見せたかったのだ。

 時々、二人で遊びに行くときにギーはダーツやビリヤード、ボウリングなんかに僕を誘い、大差で勝っては誇らしく微笑む。

 その延長で、軽い気持ちだったはずのキックボクシングはしかし相手が悪かった。

 三歳からサンドバッグを蹴っているというトレーナーの愛娘は才能と経験の塊だったのだ。ギーには恵まれた運動神経と、かつての戦闘経験があるものの慣れない動きやルールに縛られ、高度かつシンプルなフェイントに何度も翻弄され、惨敗した。

 いや、相手はそれでも凄いと称賛していたので、そもそも勝負にすらなっていなかった。

 

「でも、ほら戦うのってずっと縁がなかったからなんだか昂っちゃって楽しかったわ。こう、なんていうか昔を思い出す」


 ギーはカバンを僕に持たせると歩きながらシャドーボクシングを始めた。

 先ほどまでよりずっと滑らかな動きと体を上下に揺らすデフェンスワークが薄暗い帰り道に映える。


「どう、あの子のマネをしてみたんだけど?」


 美しいと答えようとして言葉を飲み込む。

 多分そういうことを聞かれているのではない。


「さっきよりずっと強そうだよ」


 先ほどまでの動きにあった違和感が抜け落ちていた。


「あのトレーナーさんの動きをトレースしてたんだけどよく考えれば体格が違うからダメなのね。だからもっと体格の近いあの子の方を参考にしてみたの」


 簡単に言うが、あの少女だって大量の練習量の果てに動きを掴んだはずである。

 しばらく打ち合っただけの素人が動き掴んでいることを知ればどう思うだろう。


「でも、多分勝てないわ。簡単なシャドーと私の攻撃を避ける動きしか見てないもの。当然、まだ奥に引き出しもあるでしょうし、厳密にいえばあの子と私の体格も違う。ここから先は私に合った動きを掘り起こしていかないといけない」


 そういうとギーは右手を大きく下げ、全身のバネを使って最大限遠くの空間を突いて見せた。

 物凄い勢いの打撃で、それが当たれば僕なんか昏倒してしまうだろうと確信させられる。

 しかし、これは先ほども繰り出し、その結果として見事にかわされたのだった。


「槍をね、突き立てるつもりでもっと小さく、素早く、確実に……」


 半歩前に出した右足で踏み込みながら右腕を伸ばす。

 威力は十分。しかし、それだけでは当たらないのだ。


「動きを隠して、軽い確実な打撃の中に重たいヤツを混ぜるのね。槍を持っての戦い方とは随分と違うけど、考えると楽しいわ」


 キャーキャーと笑いながらギーは川沿いで踊って見せる。制服のスカートが膝までまくれ、白い腿がちらりと覗いた。

 僕はドキリと跳ねた心臓を隠し、動揺を隠すため口元を隠す。

 

「ねえギー、ジムには入会するの?」


 トレーナーはギーに対して入会金は無料。君なら会費も一年間免除だと鼻息を荒くしていた。僕に対しても、ギーが入会するのなら半年分免除してくれるのだと言っていたのでよほどギーを入会させたいのだろう。


「アッちゃんはどうする?」


「僕は……」


 なんと答えればいいのかわからなかった。

 きっと彼女は、僕がやるならやるし、やらないならやらないつもりなのだ。

 僕に殴り合いの才能が皆無なのは大前提として、それでも体を動かすのは楽しいかもしれない。トレーナーもいい人そうだったし、僕を誘ってくれた友達もいいやつだ。

 何より、ギーの才能が生かせるのならそれは素晴らしいことだ。

 それでも考えてしまう。


「まあゆっくり考えようよ。ね、アッちゃん」


 いつの間にか横に来たギーの腕が僕の肩に回された。


「とりあえずおなか減ったからさ、うち来なよ。餃子焼いてあげる。汗もかいたし、お風呂も入っていけばいいよ」


 難しい表情はそのままに、僕の思考は違う方向へシフトし、いそいそとギーの住む部屋へと向かうのだった。

 もちろん、餃子をごちそうになりに。

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