美鷹学園高等学校生徒会では、学校の数か所に目安箱を設置している。何か困っていることがあって、生徒会に相談したいときはこちらにどうぞという箱だ。
箱の中身は一日に一度、当番で役員が回収している。今日は詩乃の番だ。麻里は先に生徒会室へ向かった。
生徒会室は三階なので、回収は一階から廻っていく。西棟と東棟の各階に箱は四つずつ。効率よく校舎を廻ると、今日は全部で三通の紙が入っていた。目安箱に入れる紙はどんなものでも可としているので、三枚のうち二枚はルーズリーフの切れ端、一枚はかわいらしいキャラクターが印刷されているメモ用紙だった。
「三通か。多いね」
麻里の感想に、その場にいた生徒会役員たちがうなずいた。平素は、一週間に一枚入っていれば多い方である。
「一年生が入ってきたばかりだからなぁ。とりあえず入れてみた人がいるのかも」
「あ、なるほど」
副会長である福西浩章(と、会計係であり浩章の双子の弟でもある浩倫(がそう言った。
生徒会役員の三年生たちは、授業が終わるととりあえず生徒会室に集まっている。塾や習い事が無ければほぼ毎日だ。会議の資料を作るのはもちろんだが、そうではなくとも集まることは多い。より良い学校作りをしていく為の話し合い、と称しているが、その実は生徒会室で受験勉強をしたり情報交換をしたりお菓子交換をしつつくだらない話で笑いあったり、要は溜まり場なのだ。もちろん二年生の中にも生徒会役員はいるが、彼らは三年生である詩乃たちに遠慮しているのか、正規の会議日以外ではやってこない。
「んじゃまあ、詩乃、読んで」
麻里の言葉を受け、詩乃は回収してきた紙を広げた。内容を読み上げるのは、回収当番だと決まっている。ちなみに、二年生が回収当番の時は正規の会議日にまとめて読み上げられる。
「えーと。「授業が多いです。なんとかしてください」だって」
「なんとか、ねぇ…」
みんな苦笑いだ。この手の要望は、定期的に目安箱に入ってくる。
「クラスと名前は?」
「無記入」
「はい、却下」
箱に入れる紙にクラスと名前を記入するのは任意、ということになっている。だから無記入でも相手にされないということはない。だが、真剣に困っていることがあってどうにか助けてほしいと願っているのなら、そしてそこに恥ずべきものがないのなら、記入すべきであると役員たちは思っている。生徒会は絶対に内容を外に漏らすことはない。助けてほしいと言われても、どちらに手を差し伸べればいいのか判らないならどうしようもない。
「次は?」
次の紙に書いてあったのは、とある教師に対する態度の是正要求だった。名指しで非難されている。とにかく厭味ったらしく横柄で困っているとあった。こちらにはクラスが記入されていた。二年三組一同、とある。
「あー、あいつか…」
名指しされている教師の名は上岡。古参の数学教師である。詩乃の記憶が確かならば、あと二年もすれば定年のはずだ。一年生の時、詩乃と麻里も上岡に担当されていた。
「俺は上岡には習ったことないな。そんなひどい?」
「そうでもないけど」
「いやひどいね」
「ひどかったよ」
浩章の言葉に詩乃が答え、かぶさるように麻里と浩倫が発言した。
そうだっけな、と考える詩乃の向かいで、麻里が具体例を挙げる。
「例えばさ、黒板に書いた問題を誰かに解かせようとするじゃない? 解る人って聞いておいて、手を挙げない人をわざと指すのね。で、当てられた子が黒板前でもたつくと、ずーっと厭味を言い続けるの。そういえばお前は前のテストであそこを間違えていたなとか、あの時点でつまずくいているなら確かにこの問題は無理だろうなとか。延々と」
うわ、と浩章が顔を歪める。
「で、正解した子には褒めることもせずに俺が教えてるんだから当然、みたいなことをいちいち口に出していうわけよ。基本的に「教えてやってる」っていうスタンスなんだよね」
「自分で教えることを職業に選んだくせにな」
「そのうちに、挙手をしようがしなかろうが当てられるからって誰も挙手しなくなったんだけど、そしたら勝手に悲嘆に暮れるの。こんなに一生懸命教えているのに、俺の言葉は何も伝わっていないのかって。俺が悪いならそう言えよとか、まるで被害者気取り」
同じような内容が、目安箱に入っていた紙にも書いてある。上岡の授業は苦痛だと。
「で、詩乃はあいつのどこを見て「そうでもない」とか思うの?」
「え?」
「いや、どっか良いところを見たことがあるからそう言ったのかと思って」
軽く首を傾げながら、麻里がそう言う。少し考えてから、詩乃は言葉を口にした。
「麻里は…。そういうところが良いよね」
「は?」
「だってあたしの言葉には否定的なのに、それでもこうやって理由を聞いてくれるじゃない? それって、難しいことじゃないかなって」
思ったままを言っただけなのに、麻里はぽかんとして、それからわざわざ席を立ってぎゅっと詩乃を抱きしめた。
「…何?」
「あたしにしてみれば、それが詩乃の良いところだよ」
「わかんない」
「いいよ、あたしがわかっていれば」
詩乃を解放した麻里は、にっこりと笑った。輝かんばかりの笑顔だった。と、その様子を見ていた浩倫(が口を開く。
「おーい斎川、抱きつくなら俺にしとけよ」
「いいよー。冥途の土産にしてあげる」
「冥途って…。俺との抱擁プライスレスだよ? ありがたく抱きついて来いよ」
「ただより高いもんは無いのよ」
「じゃあ俺にしとけ、斎川。俺との抱擁もプライスレスだ。カモン」
続いて口を挟んだ浩(章(には見向きもせず、麻里は詩乃に言う。
「とりあえず上岡の件は置いといて、最後の投書読んでくれる?」
「生徒会長として生徒の言葉を無視するのはどうだろう。なあみっちー、どう思う?」
「同感だな、ふみくん。ちなみに俺は逢坂との抱擁でもいい。なんならふみくんとの抱擁でもいい」
「見境なしかよ。同じ顔で面白いこと言うな。俺まで面白いこと言わなきゃいけない気持ちになるだろ」
馬鹿なことを言っている双子には一瞥もくれず、詩乃は最後の紙を広げた。キャラクターが印刷されているかわいらしいメモ用紙である。
「読むね。「ある人を探してもらえないでしょうか」」
「おお、人探し?」
麻里が喰いつき、浩章と浩倫も身を乗り出した。
メモ用紙の内容は、こうだ。
生徒会のみなさんへ
ある人を探してもらえないでしょうか。
私は、一週間前に入学した一年生です。この一週間、自分でも探してみたのですが見つけられず、困っているのでお手紙を書いています。
十日前、私は美(鷹(商店街で買い物をしていました。夕飯の買い物でしたが、その頃母が風邪を引いていて、日用品も買っていました。
自転車で行っていたのですが、トイレットペーパーや洗剤、夕飯の材料を買うと荷物がとても大きくなってしまいました。どうにか自転車置き場まで荷物を持っていったのですが、当然かごには入りきりません。ハンドルにも荷物を掛けて帰ろうとした時、バランスを崩してしまったのです。テレビの中みたいな話ですが、自転車置き場にあった自転車をドミノ式に倒してしまいました。
ぶつけた身体は痛いし恥ずかしいし荷物は重いしで立ち上がれないでいた時、その人は現れました。
私から荷物を取り、私を立たせてくれて、倒れた十数台の自転車を一緒に起こしてくれました。
その人は私に中学生かと聞き、私が美鷹高校で入学式を控えていると答えたら、「なんだ、うちの生徒か」と呟きました。つまり先輩なのだと思います。先生という年齢には見えませんでした。
生徒会のみなさん、どうかこの先輩を探してください。改めてお礼が言いたいからです。もちろんその場でもお礼は言ったと思うのですが、何しろ動揺していてよく覚えていないのです。私はまだ高校に不慣れで、自力で探そうにも校舎内で迷子になってしまいます。また、一年生の私が二年生、三年生の教室をうろついていると変な目で見られてしまって、恥ずかしくて逃げ帰ってきてしまいます。
あまり時間もありません。力を貸してください。どうかよろしくお願いします。
一年四組 荒木加奈子
文章を読み終えた詩乃はほうとため息をつき、他の三人も似たようなものだった。
「つまり、ヒーローを探してほしいってことよね」
「カッコいいな、そいつ。誰だろ」
「ピンチの時に助けてもらったら、そりゃ探し出したいよなぁ。同じ学校ならなおさら」
「見つけてあげたいね」
心から、詩乃はそう言った。一年四組荒木加奈子は、きちんとあらましを説明し、クラスと名前を名乗っている。そういう生徒にこそ、生徒会は役に立ちたい。
「とは言っても情報が少ないね」
麻里の言葉に、浩倫が「だな」とうなずいた。
「新一年生はまだ部活にも入っていないから、もう帰ってるだろうな。とりあえず、明日にでも呼び出して詳細を聞くか」
「賛成。この文章、よくまとまっているけど情報は少ない。せめて相手の背格好とか特徴くらいは書いてもらわないと」
浩章の言葉に全員がうなずき、今日はお開きということになった。上岡教師のことは、文章にまとめて生徒会執行部担当の教師、つまり西園寺に提出する。書類を作るのは、もちろん書記である詩乃だ。
帰り支度をして下駄箱に向かう。上履きを置いて学校指定のローファーを取り出すタイミングで、麻里がふと「いいなぁ」とつぶやいた。双子はクラスが違うので、靴箱を二つ挟んだ向こう側にいる。
「何が?」
「ヒーローだよ。ピンチに現れて助けてくれて、しかも同じ学校とか。運命的じゃない?」
「運命ねぇ…」
「きっと荒木さんには、すごくカッコよく見えたんだよ。でなきゃわざわざ目安箱に依頼なんかしないだろうし」
「そんなカッコいい人、この学校にいたっけ? あたしは心当たりないな」
「…詩乃って時々辛辣だよね」
「そう?」
ローファーを履いて外へ向かう。四月中旬の空は、よく晴れていた。
「陽が長くなってきたよね。うれしいな。あたし、暗いのは苦手だから」
「麻里は怖がりだもんね」
「まーねー」
詩乃はどちらかというと夜の方が好きだ。正確に言うと、夜に入る直前の、日が沈んでいく様が好きだ。吸い込まれるように、自分も地平線の彼方に消えてしまいたいと思ったことは、一度や二度ではない。
詩乃も麻里も自転車通学なので、昇降口を出るとまず校舎の裏手へ廻る。揃って自転車置き場から愛車を出して押しながら行くと、校門前で、先に靴を履きかえていた浩章と浩倫が誰かと話していた。相手はすぐに判明した。現国教師であり詩乃たちの担任でもあり生徒会顧問でもある西園寺だ。美鷹学園では、下校時間になると教師が校門に立って生徒を見送ってくれる。日によって一人だったり数人だったりするが、今日は西園寺が一人で立っている。時間的に余裕のある教師が立つことになっているのだろう。
「ごめん、お待たせ」
麻里がそう言うと、双子は揃っておうと返事をした。
「先生と何話してたの?」
「西園寺先生ならどうするかと思って」
「何を」
「授業で、当てた生徒が何も答えられなかった場合」
上岡のことを念頭に置いての質問だろう。
「へぇ。で、先生の答えは?」
「今、答えようとしてたところだよ」
低いがよく通る声で、西園寺は考える仕草をしてみせた。
「問題の内容にもよるけど、復習問題なら多少は小言を言うかもしれない。まだ教えていないところを試しに当ててみたのだったら、他の生徒と相談する時間を与えるかな。もしくはヒントを与える」
「なるほど。西園寺先生はいいなぁ」
「自分の教え方が悪いって、落ち込んだりします?」
「落ち込んだとしても、それを生徒に言うほどヤワじゃない」
「おお、先生カッコいい」
「それはどうも」
三人と西園寺のやり取りを、詩乃は一歩下がったところから聞いていた。特に会話に参加したいと思わないからである。
「気を付けて帰りなさい。自転車組は―――」
「早めの点灯、でしょ? 解ってますって」
にっと笑った麻里に、西園寺は苦笑した。
「先生、さようなら」
「はい、さようなら」
西園寺と軽く手を振り合って、四人は校門を後にした。双子は電車通学なので、校門を出たところで道が別れる。
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