清王朝(1644-1912)の皇帝たちは、わが源義経の子孫なのだ。そういう俗説があるそうです。
讃岐の学者、森長見(もり・ながみ、通称は森助右衛門、1742-1794)に、『国学忘貝(こくがくわすれがい)』(天明七年刊本1787)という著作があり、その巻下に、問題の一節があります。
西土今ノ清編集アリシ『圖書集成』ト號スル書、一萬卷アリ、新渡ニテ、其部ノ内、『圖書輯勘』ト云ヘル百三十卷アリ、清帝自ラ序ヲ製作アリ、其略文トテ「朕姓源、義經之裔、其先出清和、故號國清」トアリ、「清ト號スルハ清和帝ノ清ナリ」ト、或儒、考ヲ加ヘ書ルヲ前年見テ、不審ナリシ。去々丑ノ年、新刻セシ『古文孝經序跋』ノ序二、「『古今圖書集成』一萬卷、寶曆庚辰歲、清客汪繩武齎來其書全套。明和甲申、納之官庫」ノ文アリ。猶亦其書渡リシ實事傳承ノコトアレド、爰二記セズ。サレド右清帝自序アルコトハ、其真偽ヲ不知。
『古今図書集成』に収める『図書輯勘』という書物に、その説が見える、というのですが、上記の文を見れば、長見自身は「清帝自序アルコトハ、其真偽ヲ知ラズ」と、学者らしく態度を保留しています。むしろ、疑っている口吻が感じられます。
これに続く文では、関連する『金史別本列将伝』を引用していますが、それについても長見は「好事虚談」と切って捨てています。そしてこの一節の末に「彌今ノ清ハ、義經ノ後胤ナラバ西土ヲ掌握アリシコト實二快然タル哉」と言います。あくまで「後胤ナラバ」と仮定して言っており、「もしこの説が本当だったら面白い」というにすぎず、長見がこの説を真剣に信じていた形跡はうかがえません。
以上の事を、『国学忘貝』の版本について読んでみたわけですが、種明かしをすれば、狩野直喜『漢文研究法』(みすず書房、1979年、p.61)に、次のような『古今図書集成』へのコメントがあるのを確かめておきたかったのです。
此書は昔は大切なりき。日本にては幕府の紅葉山文庫にありしのみなり。雍正の序に源義経がその祖先なりとありと云ひ、人信じたりき。
ウェブで調べてみると、人気のある俗説らしく、賛成派も反対派もこの『国学忘貝』を盛んに引用していますが、残念ながら転引に転引を重ねているらしく、ほとんどが不正確です(『図書輯勘』の巻数を「三十」とするとか、「清帝」を「乾隆帝」とするとか、森長見がこの説を信じている思っているとか)。一応、原文を引用し、写真もあわせて載せました。考証の一助になれば幸いです。
もとより『古今図書集成』に『図書輯勘』などという書物は引用されておらず、清帝の序も存在しないわけですが、一万巻の大部の書である『古今図書集成』の中にあるのだと、江戸時代の人がでっち上げた法螺話でしょう。