山上徹也容疑者の全ツイートを計量分析して見えた、その孤独な政治的世界

伊藤 昌亮 プロフィール

次に第二のアプローチとして、彼は反知性主義的な態度を取ることができなかった。なぜなら知的であることは、おそらく彼にとっての最後の誇りだったからだ。

「父は京大出」「父の兄は弁護士」「母は大阪市大卒」「母方の叔母は医者」という環境で「優等生として育った」にもかかわらず、「あの破綻以来、徐々に勉強は分からなくなって行った」という彼の述懐からは、家族が破綻したこととともに、自らの学業が破綻し、得られるはずだった学歴が失われてしまったことへの悔しさがにじみ出ている。

しかしだからこそ、学歴は失われてしまっても知性は失われていないこと、「自分の頭で考え自分の言葉で喋れる」ことへの強い誇りがあったのではないだろうか。そのため逆に、学歴は持っていても知性は持っていない人間、「教科書通りのお題目は唱えられるが自分の頭で考えた事がない奴」を彼は強く軽蔑する。「オールド左翼の教科書通り」の発言に終始しているリベラル派もその対象だ。

このように知的であることに誇りを持ち、それゆえに主知主義的な立場から反知性主義的な右派の体質を批判していた彼が、ネトウヨの「教科書通り」にフェイクニュース作りに励み、反知性主義的な態度を取ることは、やはりできなかったのだろう。

こうしたことから彼は、結局ネトウヨになりきることができなかった。その結果、保守派にもリベラル派にもネット右派にも属することができず、また、権力にも反権力にも反・反権力にも与することができなかった。

 

新自由主義の内面化

このように彼は、「ネトウヨにならざるをえなかったネトウヨ」であるとともに、「ネトウヨになりきれなかったネトウヨ」でもある。そのためどこにも足場を持たないまま、政治的な迷路の中をただ一人さまようことになる。

そうして孤立していく彼の状況にさらに拍車をかけることになったのが、もう一つの政治的傾向だろう。リバタリアン的、もしくはネオリベラルな傾向だ。

ここで7番目に言及度が高いテーマ、[コロナ]を見てみよう。このテーマに関わる語で最も出現度が高いのは「マスク」であり、さらに「コロナ」などの一般的な語に次いで高いのは、「ホリエモン」「航空会社」などだ。これらの語を多用しながら彼は、いわゆる反マスク論を展開している。

マスクをしていなかったとしてホリエモンこと堀江貴文を追い出した店や、乗客を訴えた航空会社などに触れ、マスク着用を「ゴリ押し」するその姿勢を彼は強く批判する。こうした彼の反マスク論は、陰謀論的なものではなく、むしろ科学的な見地から、公的な権力が個人の自由に介入してくることを批判するものであり、したがってリバタリアン的なものだ。マスクをすることは「共同体に加入する儀式」だとして、その非合理性を彼はあざ笑っている。

彼のこうしたリバタリアン的な傾向は、とくに[格差社会]のテーマでは、ネオリベラルな傾向として現れてくる。そこではジョーカーの話題を通じて弱者男性論が語られているが、一方で「福祉」「年金」「社会保障」「竹中平蔵」などの語を通じて、ある種の福祉国家論が展開されている。ただしそれは、福祉国家を否定するものとしての福祉国家論だが。

彼は言う。「老人が大量に年金・医療費で国費の大半を食い潰し」、「今の福祉体制が続く訳がない」のは明らかなので、「現役世代だけの民間保険を作るべき」、「年金も医療保険も公がやる限り自由の侵害に他ならない」。そうした思いからさらに言う。「年金徴収の個宅訪問に年金受給者としか思えないジジイが来たので一瞬殴ろうかと思った」。

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