このテーマに関わる語で「天皇」などの一般的な語に次いで出現度が高いのは、「男系」「内親王」「眞子」「小室圭」「女系」などだ。これらの語を多用しながら彼は、女系天皇支持の立場から、男系天皇にこだわる右派を強く批判している。しかもその際、いつもの反フェミニズム的な態度とは裏腹に、ジェンダー平等を支持する立場を表明している。
彼は言う。「男系継承に拘り」、「女系反対」などという「反ジェンダー的」な思想を「謳う国で女性の社会進出が進まないって、そらそうやろね」。さらに右派の評論家の竹田恒泰を引き合いに出して言う。「旧皇族の末裔がこんなゴリゴリの反ジェンダー思想拡声器のオッサンでなかったら、皇室にも日本にももう少し救いがあるというもの」。
こうしたことからすると、彼を単純に右派として括ることはできないだろう。とりわけ無知蒙昧なネトウヨとして扱うことはできない。だとすれば彼は、いわば「ネトウヨになりきれなかったネトウヨ」だとも言えるのではないだろうか。
権力/反権力/反・反権力
ここで背景を整理してみよう。一般に旧右派(従来の保守派)/左派(リベラル派)/新右派(ネット右派)の間には、権力/反権力/反・反権力という関係がある。つまりマジョリティとしての保守派の権力を批判するリベラル派は、マイノリティのために反権力の戦いを起こすが、一方でそうしたリベラル派にむしろ権力性を見、それを批判するネット右派は、「真の弱者」のために反・反権力の戦いを起こす。
その際、リベラル派は知識階級から構成されるものなので、その知的な力に対抗するために、ネット右派はいくつかのアプローチを採る。
その一つは保守派と結託することだ。つまり自分たちは権力を持っていないが、保守派は大きな権力を持っているので、敵の敵である保守派と組むことで、その力でリベラル派を叩いてもらうという作戦だ。
もう一つはあえて知的ではない戦い方をすることだ。つまり論争しても勝ち目はないので、議論は避け、代わりにフェイクニュースや陰謀論など、議論のしようもない言説を武器に、いわば反知性主義的なゲリラ戦を仕掛けるという作戦だ。
これら2つのアプローチを採ることで、つまり保守派と結託しながら反知性主義的なゲリラ戦を仕掛けることで、リベラル派をやっつけようとするのがネット右派の常套手段であり、それを身に付けたときにネトウヨは十全なネトウヨとなる。
ここで彼のケースを考えてみよう。彼は自らを追いやっていったリベラル派への反発から、つまりその反権力の戦いに見られる権力性への反発から、ネトウヨにならざるをえなかった。そして反・反権力の戦いに加わり、リベラル派をやっつけるために、これら2つのアプローチを採る必要があった。しかし彼にはそれができなかった。
まず第一のアプローチとして、彼は保守派と結託することができなかった。なぜなら保守派は統一教会と結託していたからだ。
つまり目下の敵であるリベラル派への反発から、敵の敵である保守派と組もうとしても、それが本来の敵である統一教会と組んでいる以上、組むわけにはいかない。その結果、保守派を支持しはするが、結託するには至らず、彼の自民党支持はどこか中途半端なものとならざるをえない。非主流派を支持し、政権の中枢にはむしろ批判的だったのはそのためだろう。
彼は言う。「右に利用価値があるというだけで岸が招き入れたのが統一教会」、「岸を信奉」している「安倍が無法のDNAを受け継いでいても驚きはしない」。そうした「DNA」が埋め込まれている政権の中枢と結託することはできなかったのだろう。