昨日の晩、NHKアーカイブスでやってた「ルポルタージュにっぽん インベーダー作戦」が、けっこうおもしろかったです。
日本中がインベーダーゲームによって侵略されてしまっていたころ、昭和54年(1979年)6月23日に放映された番組だそうです。
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インベーダーゲームを作ったのは、「タイトー」だってのは一般常識ですが、タイトー以外の会社がマネっこして作ったインベーダーゲームが、当時たくさんあったそうです。タイトーとしては、てめぇら何すんだよ!ってことで、訴訟を起こしてたりしたわけです。
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そんな中、任天堂の人、これ山内社長(当時)ですか?怖そうな人だ…いわく、一社で独占せずに、オープンにしてみんなで共有して業界を活性化しましょうよ、みたいなことをおっしゃってるわけで、見てて、大笑いしてしまいました。当時、まだソフトウェアは著作権で保護される、なんてことにはなっていなかったんですが、任天堂のその考え方、当時ならOKでした?!
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まるで町工場のようなセガ・エンタープライゼスも登場。なんかもう、ほほえましい雰囲気でした。
インタビューに答えてた方の…髪型がものすごく気になったり…
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一方、こちらは東京大学。
とくに工学系では、音引き(ー)を省略することが多いですが、さすがに「コンピュタ」ってのは耳慣れないわけなんですけど…
「マイコン」という言葉が、あの当時の雰囲気をとてもよく表現しています。下のほうに「Basic以外」って書いてあるみたいですが、そういえばBasicをばかにする傾向って、昔ありましたよね…
説明を聞いたり質問したりしてるおじさん方は、セガの人らしいです。
わけわかんないのですが、フォークダンスをやってたり…
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というわけで、これから新しい産業がはじまるぞ~と予想させる、エネルギーの高まりみたいなものが感じられていて、ああ、いい時代だったんだろうなぁ、なんて思ってしまいました。
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前半では、昭和38年(1963年)12月28日放映の、「現代の記録 孤独な遊戯~パチンコ文化論~」ってのをやってまして、これもなかなか興味深かったです。
たとえば、パチンコ台が背中あわせになっている隙間に
中の人がいる、とか…
このころから、人手不足解消のために、玉の供給が自動化されていったそうです。さかんに、「オートメ化」って言ってました。
この当時は、パチンコ業界を軽くみているようなかんじがあったようで、番組のつくりも、そんなところが感じられました。警察も、けっこうパチンコ業界を厳しく取り締まってたりしたようで・・・(笑)
トトともうします。
今回の2本のNHKアーカイブスは、いずれも「新電子立国j日本」の第三回目と四回目
に放送された「パチンコ」と「テレビゲーム」を題材にした番組にリンクしていました。もしインターネットを介してご覧になられる機会があったら見てみてください。
今回の二番組みがそれぞれ引用されています。
しかし、良く撮影クルーはセガと任天堂を取材されましたよね!
正に、先見の目があったのでしょうね!!
ところで、「パチンコ」に関してはとても名作ですね。パチンコをする立場と経営する立場、パチンコを提唱した立場にパチンコ台の中古、再生をする人の立場、利益無視で趣味
にして自宅にパチンコ台を持ち込んでいる人の立場・・・短い時間に良くまとめられて
いて非常に見ごたえがありました。
「新電子立国」はたしか見た記憶があるのですが、ぜひもう一度見てみたいです。
ブログには、茶化したような感じで書いてしまいましたが、久々にいいものを見させてもらったよ、と感じました。
個人的な思い出では、その前の番組「電子立国 日本の自叙伝」を見てたとき、ちょうど大学の学生実験で、似たようなことをやってたものでして、ものすごく熱意がかきたてられました。
P.S.
NHKアーカイブスって、放送枠が土曜日の昼間に変わってたんですね。昨日は、もう1つ別のNHKアーカイブスが始まったのかと思ってました。
電子立国って面白い番組でしたよね!!
「電子立国 日本の自叙伝」って本当にアノ時代の方々は苦労されたんだろうなぁ~
って事を「疑似体験」出来てとても面白かったと思います。電卓のマイコンが全ての始まりと知ってとても驚いたものでした。ちなみに、電子立国が放送された時私は小学生でした。それから3年後の高校受験のとき、電子立国に影響されて高等専門学校の電子工学科jへ進学してしまうくらい、自分の中で影響のあった番組でした。
確かにNHKアーカイブスの時間帯変更されましたね。昼間に持ってくるって事はそれだけ視聴率が上がって認知度が上がったのかもしれませんね。何はともあれ、今の時代を生きる自分達にとって過去の記憶は貴重な財産ですし、こういった番組が民放でも放送されるとまた面白いかも知れませんね!