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王竜王討伐 - 最終章にして序章 - 作者:理不尽な孫の手
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3話「死神騎士」

 少女はその翌日、目を覚ました。

 ぼんやりした目で周囲を見渡す。部屋の中には女が二人。

 一人は自分と同じぐらいの年頃の、褐色の肌の少女。隣のベッドの上に胡坐をかき、目の前に並べた様々な形状のナイフを一つずつ磨いている所だった。その真剣な姿は、これから手術をしようという医者の姿によく似ていた。あるいは、拷問器具を厳選している拷問係の姿にも。これから自分は殺されるのだろうか。

 もう一人は逆方向。ベッドの脇に椅子を置き、そこに座って本を読んでいる。まるで首から上は深窓の令嬢のような雰囲気もあったが、全体の見た目で言えば城のメイドが仕事をサボって大衆小説を読んでいるようにしか見えない。決定的にメイドと違うのは、室内だというのにその腰に剣を吊るしているという点だろうか。何者だろう。

 左右にまるで違うタイプの人間がいると、自分がどこにいて、何をされそうになっているのか、まるで予想が付けられない。

 もう一度首を巡らせる。

 ナイフの少女と目があった。

「おい騎士。目が覚めたみたいだぞ」

 カタ、とほんの少しだけ椅子の動く音が聞こえた。

 音の方向を向くと、女が立っていた。水差しを持っている。

「おはよう。お水飲む?」

 無言でこくりと頷く。喉がカラカラに乾いていた。

 女は慣れた手つきで水差しを少女の口に当てると、むせてしまわないぐらいの、ごく少量の水を流し込んだ。それを二、三度に分けて行う。

 それだけで、十分少女の体の乾きは満たされた。

「ありがとお、ございます」

「あら、もう喋れるのね……どういたしまして」

 パタン、という音がする。

 首をめぐらせると、室内にたった一つだけある扉の閉じる音だった。見れば、ナイフの少女の姿が見当たらない。彼女が部屋を出て行く時の音だったのだろうか。足音は聞こえなかったのだが。

 上体を起こそうとして、苦痛が全身を包んだ。

「ぐぅっ……!?」

「大丈夫? そんな酷い怪我じゃなかったけど……」

 女がさして心配していなさそうな声音で少女を見下ろす。

 言われてみれば、確かに。動かそうとすると全身の至る所がズキリとした痛みを返してくるが、動けないほどの激痛ではない。軽い打ち身ばかりのようだ。

 少女は体を起こした。

 軽い眩暈を覚えるが、一時的なもの。

「ここわ、どこですか?」

「王竜山麓の町の宿屋」

 小気味良い即答が返ってきた。

 見れば、女はもはやこちらには用が無いとばかりに椅子に腰掛け、本を呼んでいた。

 タイトルは『北神英雄譚』。

 吟遊詩人ルハントの抒情詩が、その死後十年後に本として出回ったものだ。少女も子供の頃、子供用に判りやすく意訳されたものを読んだ事がある。

 第三節の勇者と魔王の戦いが好きだ。

 圧倒的な力を持つ魔王と、その魔王を一撃で倒しうる剣を持つ勇者が、たった一撃をどちらが先に打ち込むかという勝負。それを吟遊詩人ルハントが、自分がどれだけ無力で無価値な人間なのかと思い知らされつつも、ただ見守るという行為を続けるという話だ。

『何が起きているのか、わからない。どちらとも動かない。私もまた動けない。ただ戦慄だけが背筋を走っていた』

 という一文が印象に残っている。

「どうして、ルハントは最後に勇者とわかれたのかな?」

 少女がふとそんな疑問を口にすると、女は片方の眉をぴくりと震わせ、パタンと、やや乱暴に本を閉じた。

「読んでる人の前で先の展開言わないでよね……」

「……ごめんなさい」

 少女にとっては十数回読み返した話で、知っていて当然の結末であったが、女にとってはそうではなかったらしい。

 と、その時、部屋の扉がノックされた。

 返事を待たずに入ってくるのは、先ほど出て行ったナイフの少女だ。

 彼女はスタスタと部屋の中にはいり、先ほど放置していったナイフの列の前にぽすんと腰を下ろした。少年のような見た目だが、仕種は小動物のようで可愛い。

 少女はそうしてから、扉に向かって強めの口調でこう言った。

「おいアール、何してル? 早く入ってこい」

 と、それに呼応して、半開きの扉からおっかなびっくり顔を覗かせたのは、少年だった。

「チキさん、ノックをしたら返事をもらわないと……」

「何を言っていル。ノックをしたのはアールで、ここはそこのメイド騎士と、チキの部屋だ。自分の部屋に入ルのに何故ノックの返事を待たなけレばなラない」

「お客さんがいるからですよ………失礼します」

 少年は遠慮しつつも室内を見渡し、大丈夫そうと見て、ようやく入ってきた。

 彼が後ろ手で静かに扉を閉めるのを見て、読書の女がくすりと笑った。

「お行儀がいいのね」

 少年は肩をすくめて答えた。

「こう見えても、結構いい家柄の生まれなもので」

 女は「そういえば、そんな事も言ってたわね」、などといいつつ立ち上がり、彼に椅子を明け渡した。そのままナイフの手入れをする少女のところに行き、ベッドに腰を下ろした。ベッドが軋み、ナイフの少女が嫌そうな顔をした。

「おはようございます」

 少年は椅子に座ると、ベッドに眠る少女に対してにこやかに話しかけた。

「僕はアレックス=ライバックといいます。どうぞ気軽にアールと呼んでください」

「……流れる雲」

「……? 雲が、どうかしましたか?」

 少年は首を傾げて窓の外を見る。

 あいにくと本日は晴天で、窓の外には雲ひとつない青空が広がっている。

「違う、名前、あたしの」

「……えっと」

 少女は一生懸命言葉をつむぐ。魔術団体の本部は北方大地の西側で、この辺とは言語体系が大きく異なる。発音も不器用で、少年には少しばかり聞き取りにくかった。

 見かねた読書の女が助け舟を出す。

「アール君『流れる雲』というのが彼女の名前だそうよ」

「ああ、そういえば魔術師の方は……なるほど。シャイナさん、ありがとうございます」

 アールは得心がいったように頷いた。

 魔術師というものは、本名の他にもう一つ、特殊な名前を持つ。

 それはある迷信から始まった慣習だ。悪魔召喚において、悪魔の本名を知ると召喚者のいいなりに出来るが、逆に悪魔に本名を知られると魂を抜かれてしまう。だから互いに偽名を使いあい、対等の立場でいよう、という昔の慣習だ。

 まぁ、悪魔と呼ばれる一部の魔族も似たように偽名を使っているため、あながち迷信でもないのかもしれないが。

 現在では偽名は、その者の得意とする魔術属性と、その者の性格を示すような形容詞にて表される。

 例えば『怒れる大地』という名前であるなら、その人物は短気な性格で、土を操る魔術を得意とする事を示している。

 実際はそんな分かりやすい名前はほとんど無い。特に戦闘特化の魔術師であれば、名前から性格や術を割り出されるのは嬉しい話ではないからだ。


 シャイナは考える。

『流れる雲』。

 流されやすい性格で、雲を操る魔術を使う。

 という印象を受けるが、実際はそんなに簡単なものではないだろう。

 流れるというのは優柔不断と見て取ることもできるが、なら『流される雲』という名前でいいはずだ。流動的ながらも、自らの意思で流れていると見るほうが納得できる。

 雲というと、水や風関連の術を連想しがちだが、雲を蜘蛛とかけて捕縛や毒、幻を見せる術である可能性もある。

「流されやすい性格で、雲を操る術、得意としてます」

 ボサッと音がして『流れる雲』がそちらを向くと、シャイナがチキをベッドに押し倒していた。衝撃でナイフが二、三本、下に落ちた。

「おい騎士、危ないやめロ、サカルならあっちの雄にしロ。チキはいま忙しい」

 チキがじたばたと暴れる。しかしながらシャイナもまた素人ではなく、体格差も大きい。一筋縄ではいかないようだ。

「チキちゃんはちっちゃくて可愛いわねー、うりうり」

「やめロ、刺すぞこラ」

 ナイフの散乱したベッドの上で寝技の応酬が始まる。

 危なっかしいが、アールはそれを無視した。

「それで雲さん」

「はい」

「あそこで何があったのか、もしよろしければ話していただけますか? 正直、あなた方魔術集団が王竜の二匹や三匹にあっさり全滅させられるとは到底思えない」

 と、ベッドで暴れていたシャイナは動きを止めた。

 チキを下着まで剥いたところだった。

(チキちゃん、気付いてた?)

(おまえの馬鹿さ加減か? もっと早く気付くべきだったと反省していル)

(違うわよ。魔術集団が王竜に全滅させられるわけが無いってこと)

(おう、それか。死体のいくつかに鈍器か何かで気絶させラレた形跡があったな。襲撃者がまだ近くに潜んでいルかもしレんと思ったのだが、杞憂だったぞ)

(鈍器!? 早くいいなさいよ、そういう事は!)

(言わなくても気付いてただロ!)

(鈍器の跡なんて気付いてないわよ! 大体、騎士の私とアサシンの貴女じゃ情報量に違いがあるに決まってるでしょう!)

(む……それもそうか。以後気をつけル。あとチキはアサシンじゃないぞ、殺し屋だ)

 素直に頷きつつ、チキは服を正し始めた。

 シャイナはそれを眺めつつ、質問に対して沈黙を続ける雲を見る。

 ぼんやりとした顔で、何を考えているのかわからない。青みがかった白髪は寝ていたせいかボサボサで、寝巻きも着崩れている。寝起きの少女だ。エロい。

 アールはそんな少女を前に、静かに微笑みを称えていた。

 シャイナの目から見ても、アールという人間は何かがおかしい。歳相応のギラギラしたものが無い。紳士すぎる。騎士という職業柄、シャイナは貴族の子弟と会話する機会に恵まれていたから分かるのだが、あのぐらいの年頃の少年というのは、どれだけ表面上で紳士然としていても、女を見るとすぐに鼻の下を伸ばすものだ。

 アールにはそれが無い。かといって、全てにおいて紳士然としているわけではなく、竜退治などという子供じみた夢を見ている。アンバランスだ。

「戦いの事、何も、覚えていませんか?」

「あう……」

「話したくないなら、無理して話さないでもいいですよ」

「違うの、いきなり後ろから変な人が襲ってきて、前からは竜もきて、ごちゃごちゃで、よくわかんないの」

「そうですか。よくわかりました。とにかく、今はゆっくり休んでください」

 アールはそう言って、ゆっくりと椅子から腰を上げた。

 その顔には、あいも変わらず、静かな微笑が貼り付けられている。流れる雲はその顔に少しだけ安心したようだった。

 だがシャイナは、言いえぬ不気味さを感じていた。

 改めて考えてみると、このアールという少年は、何かがおかしい。

 子供のような夢を掲げている割に、言動や行動がそれに伴っていない。山の探索だってそうだ。てっきり、一人でずんずん先に進んでしまうのかと思ったら、チキに先行させて、自分は泰然と後ろから付いてくる。

 血気盛んというわけでもない。

 あの広場で死体を見た時もそうだ。もっと憤ったり、戸惑ったり、うろたえたり、とにかく感情の発露があると思ったが、思いの他、平然としていた。

 そのくせ、当然のように流れる雲を助ける。

 口と行動がちぐはぐな人物にはロクな者がいないと相場は決まっているが……。

 ……馬鹿馬鹿しい。

 シャイナはかぶりを振って考えを打ち消した。どんな人物であれ、アールがシャイナの命を救ったのは確かだ。

「……お腹も空いてきたし、ご飯にしましょう。アール君、食べ終わったら買出しに付き合ってくれる?」

「いいですよ。じゃあチキさんは留守番で、彼女の事をお願いします」

「おう、任せとけ」

 シャイナは不安を感じていたが、さして気には留めなかった。



 結局の所、魔術集団『草世葉木』の全滅した事件の真相は、最も有力なグループを他のグループが襲って潰した。それだけの事だろう。

 魔術集団は王竜退治の中で最も有力だった。何しろ攻撃力が違う。防御力が違う。

 王竜を狩りにきたメンバーだ。重力魔術と火炎ブレスに対する対策も完璧だろう。

 さらに探査魔術によって、他の集団より効率よく竜を探すこともできる。

 加えて言うなら、あの酒場にいたほかのグループはそうした妨害工作を平気な顔でやってのける者たちばかりだ。シャイナがあのグループのどれかのリーダーだったとしても、やはり真面目に竜退治に精を出すだけでなく、他の勢力にもちょっかいを出しただろう。

 他のグループの阻害というのは的外れでも、畜生にも劣る行為というわけではない。

 しかしながら、隣であるく正義漢はそれが許せなかったらしい。

「僕はそういうの、許せませんね。なぜ正々堂々、実力で競い合えないんですか」

「勝てないからよ」

 シャイナが広場の件について自分の見解を述べると、アールは憤懣やるかたない、といった様子で怒り出した。

 こういう正義漢っぽい発言をしてくれた方が、シャイナとしてはわかりやすい。

「他の集団が七ぐらいの力しか持っていないのに対して、魔術集団は十の力を持っていたの。あのままだったら魔術集団は確実に最初に王竜王を見つけて、最初に倒していたわ。実力で負けるとわかっていて運に頼るより、競争相手が隣にいる内に潰したほうが確実なのよ」

「……だとしても」

「あのねアール君。この状況、君にとっても決して悪い状況じゃないのよ。最大勢力が消えたことで私たちにもチャンスが見えてきたんだから」

「素直にそう思えませんよ」

 口を尖らせるアールを見て、シャイナは「そうね」と小さく呟いた。

 確かに彼女も、素直にそうは思えない。はっきり言って、アールのやる気とは裏腹に、あのまま魔術集団が王竜王を倒してくれるのが一番だ。

 自分たちにもチャンスが出来たが、そのチャンスをモノにして王竜王と戦えば、アールはあっけなく死んでしまうだろう。青豹師団や魔術集団のせいで感覚が麻痺しているが、王竜はそんなに生易しい相手ではない。

 シャイナとしては出来れば避けたいのだ。


「……っと、失礼」

 と、横を見ながら歩いていたシャイナの肩が誰かとぶつかった。

「まてや」

 シャイナは反射的に謝罪し、先を急ごうとしたが、ぶつかった相手はそれで済ませようとはしなかった。歩き去ろうとしたシャイナの方を掴み無理矢理振り向かせた。

 シャイナはその人物を見て、顔が強張るのを感じた。

「……やっぱり、てめぇか、シャイナ=マリーアン」

「バルコル……」

「?」

 何事かと、アールが振り返る。

 白い鎧を着た三人の男が立っていた。白い鎧には聖ミリスの紋章。聖騎士団だ。

 中でも一番『聖騎士』という言葉の似合わなさそうな、むしろ山賊と言った方が納得できるような野卑な顔をした男がシャイナをにらんでいた。親の仇に出会ったような顔だ。

 初対面では見抜けまい。

 この山賊のような男が聖騎士団の幹部であるなどとは。

「酒場で見かけた時にまさかと思ったが、てめぇ、よくもまぁ俺の前におめおめと顔を出せたもんだな、あぁん?」

「別に顔を出したくて出したわけじゃないわ」

 厄介な相手に会ってしまった、シャイナはそう思った。

 酒場で聖騎士団の集団を見かけた時、そのリーダーであるこの男と鉢合わせになれば、揉め事が起こる事はわかっていた。

 なるべくそうならないようにしようと思っていたが、失念していたのだ。

「当然ぶっころされる覚悟は出来てんだろうな……」

「貴方こそ、綺麗に一撃でしとめ切れないと、今までの苦労が水の泡よ?」

「んだとぉ……」

 バルコルはギリっと歯を鳴らし、背後の部下をチラ見した。

 その二人は戸惑っているようだった。唐突に自分たちの上司が敵意をむき出しにしたのだから当然だろう。

 シャイナの知るバルコルは野犬のような男だ。

 縄張り意識とプライドが高く、邪魔になるなら誰にでも噛み付くが、狂犬ではない

 利益にならない事はしないし、必要とあらば嫌いな上司に尻尾を振ってみせる。

 狡猾で意地汚い野犬にそっくりだ。

 だか、聖騎士団では信頼を得ている。「俺はいつか裏切りますから、もし裏切られても、隙作ったそっちが悪いんだぜ?」なんてことを堂々と上司に言ってのけるような男だが、仕事ぶりに関して言えば、有能だ。

 これで無能なら上司も切りやすかっただろうが、これでもかというぐらい有能であるがゆえ、切り捨てられない。

 味方にしても敵に回しても、ハイリスクハイリターン。

 それがシャイナの描く、聖騎士バルコルという人物像だ。

「副長……?」

 部下たちもそれはきっと理解しているはずだ。

 だからこそ、戸惑っている。

 バルコルがなぜ、通りがかりの変な恰好をした女騎士に敵意をむき出しにしているのか理解できない。

 一人が、見かねたように話しかける。

「副長、できればこの女が何者なのか話していただけますか? 祖国に仇なす者ならば、我々とて……」

「……チッ、そんなんじゃねえ、私怨だよ」

 不機嫌そうな顔で唾を吐くバルコル。

 と、そこでようやく、シャイナのすぐ傍に立つ少年の存在に気付いたらしい。

 訝しげに眉をひそめる。

「……なんだてめぇは」

「失礼。アレックス=ライバックと申します。現在シャイナさんとパーティを組ませていただいております」

「パーティだぁ?」

 バルコルはアールのつま先から頭のてっぺんまで、舐め回すように見回した。そして、チンピラのように鼻先を近づけてガンをつける。

 アールはそれに対し、涼しげに笑った。

「失礼ですが聖騎士殿、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「あぁん?」

 丁寧な言葉に、バルコルは面食らった。

「ミリス破邪装甲兵団、中央大陸総合支部、副長バルコルだ」

「副長……偉い方なのですか」

「中間管理職ってやつだ。偉くはねえ」

 シャイナは知っている。

 全世界に、のべ六つの支部を持つ聖騎士団。その中央大陸の支部といえば、本部に次いで二番目の大きさを持つ。いや、団員と管轄範囲で考えれば本国のそれを上回る。

 支部の副長という地位がどれぐらいかというと、騎士団長を最高位だとするなら、その下に各支部長がいて、そのすぐ下に位置する。

 つまりバルコルは、二番目の規模を持つ支部の、ナンバーツーである。

 彼より上の人間は全ての支部を合わせても二十人といない。

 偉いのだ。

 本来なら、こんな所で竜退治の指揮を取っているような人間ではない。

 それでも彼がこうしてここにいるのは、恐らく自分で企画したのだ。己の現場能力の高さと、そして竜退治という大きな仕事の結果を独り占めするために。

 原動力は出世欲。

 何が彼をそうさせるのか知らないが、清々しいほど潔く、彼は頂点を目指す。

 バルコルはアールが気に入ったらしい。下卑た笑い顔を作り、顎に手をやってニヤニヤとアールの顔を眺める。傍から見るとカモを見つけた盗賊のようにしか見えないが、本人にとっては何気ない仕種だ。

「なるほどなぁ、どこの貴族かしらねぇが、純朴そうな顔してやがる。死神騎士がまた哀れな犠牲者を囲ったってことか」

 シャイナの顔色が変わる。

「死神騎士、ですか?」

「なんでぇ、知らねえのか。そうだろうな、知ってたら好き好んでこの女と一緒に行動したりはしねぇもんな」

「出来れば教えていただけますか?」

「おいおい、シャイナ! 聞きたがってるぜ! 俺が話しちまっていいのかよ!」

 シャイナはバルコルをにらみつけていた。

 それを見て、アールは言った。

「構わないそうです。どうぞお話しください」

「……いいのかシャイナ、こんな事言ってるぞ」

 その言葉に、むしろバルコルが毒気を抜かれてしまったらしい。

 シャイナはそっぽを向いた。

「……いいんじゃない? 誰も貴方の言葉なんて信じないわ」

 バルコルは少し毒気が抜かれたような顔をしたが、「ヘッ」と一息吐くと、言った。

「この女はよ。いざとなったら仲間を殺して一人で生き残る、死神だ」

 アールより、聖騎士の二人の方が驚いた顔をしていた。

 少なくとも、聖騎士団では有名な話であろう。シャイナの過去に深く関わる話だ。

「なるほど」

 アールは頷いた。その表情はシャイナからは窺い知れない。

 きっと幻滅しているのだろう、とシャイナは思った。

 今までずっとそうだった。有名な死神騎士。誰もが、その噂を知っている。シャイナがそうだと知ると、微妙な顔をして後ずさる。味方殺しの死神騎士。

(あれ? おかしいわね……)

 アールもきっと、彼らと同じような態度を取るだろうと思うと、目の端に涙が溜まってきた。

「その程度のことで、鬼の首をとったような顔をしていたのか。滑稽な聖騎士だ」

 一瞬、シャイナはその言葉を誰が言ったのかわからなかった。

 明らかに蔑むような声、低い声、乱暴な声。

 初めて聞いた、アールの声。

 通夜のような雰囲気を予想していたバルコルが、暖めていた卵を盗まれたニワトリのようなマヌケな顔になるぐらい、その声は威圧的だった。

「あん……だと?」

 シャイナがアールに振り向くと、アールはいつも通りの微笑を浮かべていた。

 涼しげな微笑に、バルコルの顔がみるみるうちに赤くなっていく。彼は計算高いくせに激昂しやすいのだ。ちょっと笑われたぐらいで、すぐに笑った相手を地獄に叩き落す算段をし始める。ただ、見た目と違いキレても相手に襲い掛かったりはしない。むしろ、自分の頭を冷ますために一度引く癖があった。

「てめぇ……夜道に気をつけろよ」

 ギリギリと歯軋りをしながら、バルコルは踵を返す。彼は、キレている時には絶対に喧嘩をしないのだ。

「あ」

 と、今まで無言だったシャイナがふと口を開く。

「もしかして、魔術団体のアレ、貴方たちの仕業?」

 バルコルは足を止め、いかにも「心当たりがありません」といいたそうな、わざとらしい顔で返事をする。

「さあな、心当たりが多すぎて、わからねぇよ」

 バルコルはそういい残し「おい行くぞ」と、ポカンとしている部下を引き連れて去っていった。



 シャイナとアールは通りを歩いている。途中で買った安物の買い物カゴにはこの周辺で取れる野菜や川魚が納まっている。

 商人たちも、人の集まる期間を見計らって商品を仕入れたのだろう。売り切れなどの憂き目にあうことなく、二人は買出しを終えようとしていた。

「私、聖騎士団にいたことがあるのよ」

 長時間の沈黙に耐え切れなくなったシャイナは、そう口火を切った。

「十年ぐらい前かしらね。故郷の国が滅んで、放浪騎士になって、すぐだったと思う。有頂天だったわ。聖騎士と言えば、子供の憧れだもの」

 十四、五歳の頃だ。

 その頃は、女で、しかもまだ若いということもあって、どこの国でも正式雇用はしてくれなかった。単純に実力が足りないのもあったのだが、うぬぼれもあった。自分より明らかに能力の劣る者が使命され、不貞腐れることも多かったからだ。

 そんな折だ。聖騎士団から募集がかかった。

 ある邪教徒を調査するための人員の募集だ。

 期待はしていなかった。聖騎士団といえば古い歴史を持つ。という事は、年功序列を重んじるはずだ。女で年少の自分は、体のいい調査要員として使われるだけだろう。あるいは、足手まといと言われて仕事をもらえないかもしれない。

 それでもシャイナは応募した。

 応募すれば、とりあえずの生活は保障されるし、給金も貰える。

 もちろん、あわよくばという考えが無かったわけではないが、所詮、あわよくば、だ。

 さて、応募し、聖騎士団の白く輝く破邪装甲……ではなく白く塗っただけの騎士鎧を受領し、形ばかりの支度金を貰った。一応の聖騎士となったシャイナは、予想通り、さしたる仕事も与えられず、女と見くびられ、下っ端の中の下っ端という立場に落ちついた。

 底辺といっていい立場だったが、シャイナは腐ることなく働いた。

 見返してやろうとか、そういった事を思っていたわけではない。ただ、腐って働かなかった場合、自分の能力や性根までもが腐ってしまうのではないかと思っただけの話だ。

 自分本位な考えだが、さりとて悪い考えではなかったらしい。

 あくる日、シャイナは独自の調査で邪教徒集結の決定的な証拠を押さえた。

 上司にあたる下っ端たちは、それを一笑に付した。

 君に見つけられるようなことは他の誰かがとっくに見つけているはずだよ、と。

 それを、たった一人だけ、考慮に値すべきと見て、真面目に聞いた者がいた。

 下っ端を預かる、下級ながらも正式な聖騎士。

 それがバルコルであった。

 彼はシャイナの見つけてきた証拠の裏を取り、それを元に上司に陳情して部隊を動かし、邪教徒の尖兵ともなるその集団を撃滅した。さらに他のいくつか、邪教徒の支部に関する情報まで手に入れた。

 大金星。

 とまでは行かないが、少なくとも、下級の聖騎士が中級の聖騎士に昇進できるぐらいの功績であった。

 そのきっかけを作ったシャイナも、あれよあれよという間に本国へ異動し、正式な聖騎士として聖ミリスの法王に剣を捧げ、白銀の破邪装甲とかつて聖ミリスの使った聖剣のレプリカである聖騎士剣を受け取った。

 聖騎士となった。有頂天になりながらも、シャイナはこれを当然と受け止めた。結果を出し、認められる。自分の実力ならこれぐらいは当然だと思った。その裏ではバルコルの出世への工作が見え隠れしていたのだが、当時のシャイナはそれには気付かなかった。

 かくしてシャイナは下級聖騎士となり、中級聖騎士となったバルコルの部下となった。

 舞台は邪教徒の調査から、その殲滅作戦へと移る。

 作戦は順調で、バルコルとシャイナはあらゆる騎士隊の中でもめざましい活躍をした。あるいは彼女らがいなければその作戦が成功しなかったであろうというぐらい活躍した。何人もの邪教徒を見つけ出し、おびき出し、時には騙して追い詰め、殲滅した。

 一匹見かけたら三十匹、そんな言葉が相応しいぐらい、邪教徒はいた。

 そして一年掛かりでようやく教祖の居場所を突き止めたのだ。

 バルコルはすぐに上司に報告、支部の約半数を繰り出しての殲滅作戦が立案された。

 と、これが罠だった。

 結論から言うと、聖騎士団は全滅した。蟻の一匹すら抜け出せる隙間もないぐらいの敵に囲まれ、火矢を射掛けられた。破邪装甲に火は効かぬため、そのほとんどは酸欠によって動けなくされ、トドメを刺され、死んだ。

 今までの仲間の無念を晴らそうという凄まじい妄執は、聖騎士たちがどれだけ抵抗しても無駄であった。抵抗すればするほど、残虐に殺された。援軍はこなかった。

 地獄。

 そんな中に、バルコルの姿は無かった。

 いなかったのだ。中級騎士として一部隊を率いているはずのバルコルの姿が、戦闘が始まるとどこにもいなかったのだ。

 後に知った事だが、その頃彼は殲滅部隊の作戦本部にいた。現場の指揮官である上司に援軍の申請を要求した後、頃合いを見計らって作戦本部に戻り「私の上司が裏切りました! 援軍要請は罠です!」と陳情したのだそうだ。

 陳情を受けた作戦本部長はすぐさま援軍を打ち切り、『バルコルの発見した本当の教祖の居場所』へと兵を送り、これを仕留めた。

 つまりどういうことかというと、バルコルは自分の出世のために一計を案じた。

 まず立案された殲滅作戦を邪教徒側にリークする。すると邪教徒はそれを元に罠を張る。

 邪教徒の数はタカが知れているため、援軍は襲撃を受けた本隊には回されず、バルコルによってもたらされた『本当の教祖の居場所』に送られた。

 これにより、バルコルと階級的に肩を並べていた同僚はおしなべて死亡。さらにバルコルの一つ頭の上にいた上司たちも陣頭指揮を取っていたため死亡。バルコルは敵の教祖を倒した上、本隊のたった一人の生き残りという事で英雄視され、一足飛びにその地位をのし上げた。

 全ては計画通りだったが、一つ誤算があった。

 シャイナだ。彼女は持ち前の危機回避能力で地獄絵図から抜け出していた。

 本当の意味でのたった一人の生き残りだ。

 バルコルは慌てた。

 シャイナが生きていた。あの酷い罠を切り抜けられるはずがない。ならばどうやって、決まっている。彼女はバルコルの陰謀を知っていたのだ。だから事前に回避することができたのだ。

 バルコルはそう結論付けると。傷だらけで戻って来たシャイナを無言で斬ろうとした。

 シャイナは、わけも分からずに逃げた。なぜバルコルが自分を攻撃してくるのか分からなかった。彼女は知らないのだ。陰謀のことなど。

 バルコルが、邪教徒の罠を利用して、聖騎士団を罠に嵌め、地位向上を狙ったなどと。

 その時は知るよしもなかったのだ

 シャイナは逃げた。ずっと逃げ続けた。

 資金がなくなり、放浪騎士としてどこかの国の厄介となり、あの聖騎士団の実力派の騎士だったという噂が流れ、噂どおりの実力を発揮し、正式な騎士になったこともある。だが、バルコルの送り込んでくる暗殺者は、それを長く続けることを許さなかった。

 敵の中にシャイナの危機回避能力を上回る者はいなかったが、逆に味方の中にもシャイナについてこれるものは居なかった。敵を全滅させた頃には味方も全滅している。そんなことが何度もあった。

 それが、七、八年間は続いただろう。シャイナが聖騎士への幻想を失い、敵意を持つのに十分な時間だ。いつしか彼女は聖騎士と正反対の黒い服装を好んで身にまとうようになっていた。それが侍従服なのは、わりとどこでも手に入る上、安いからだ。

 その頃にはシャイナに『死神騎士』という仇名が付いていた。

 黒い女騎士は死神であり、彼女に関わった者は敵であれ、味方であれ、全滅する。

 そんな噂が流れ始めた頃、襲撃はパッタリと止んだ。

 だが、彼女を騎士として雇う国もまた、なくなっていたのだった。

「というお話だったのよ。名声とか英雄とか地位なんて馬鹿馬鹿しいもののために、私の人生はメチャクチャ。もし王竜王と戦ってアールが死んで、私が生き残ったら、また死神騎士の逸話が増えることになるわ……」

 ふと見ると、アールはシャイナをまっすぐ見つめていた。

 シャイナはたじろいだ。今気付いたのだが、彼の視線は極めて強いのだ。真っ直ぐに射抜いてくる。

「な、なによ」

「安心してください」

 真顔で、アールは言った。

「僕は死にませんから」

 さも簡単な事のように、言い切ったのだ。



 そうして帰路に至る。

 また、会話が無くなった。

 時刻はすでに夕方だ。宿で待つ二人もお腹をすかせているだろう。

 シャイナはもともと静謐を好むタイプだが、今はこの沈黙に居心地の悪さを覚えていた。

 自分の半生を話して、たった二言三言しか返してもらえなかったら、誰しもそうなる。

 そんな感じはしなかったのだが、もしかして拒絶されたのだろうか。

 何日たっても、何回されても、拒絶されることには慣れない。

 慣れたくもない。

 などというネガティブな思考に浸っていると、ふと進行方向上から叫び声がした。

「喧嘩だぁぁー!」

 切羽詰って、でも少し楽しそうな声。

 他人の喧嘩は面白い。それは一般見識だ。

 シャイナは、大の大人が技量もなく無様に殴りあうだけの喧嘩を好んで見たいとは思わなかった。だが、目の前にある人だかりを無視するほど嫌いというわけでもなかった。

 ひょいと、人垣の隙間から中を覗き込む。

 そこは宿屋街にいくつもある酒場の一つだ。昼間は食事所、夜は酒場として営業する、極めて一般的な店の一つ。

 テーブルやイスは乱雑に脇へと避けられ、中央に人工的な広場が出来上がっていた。

 その中央にいるのは、六人。

 三対三だ。

 双方が剣を抜いている。

 刃傷沙汰。喧嘩というより、もう殺し合いに域に入っているようだ。なるほど人だかりも出来るだろう。

「このへんだと、たかが喧嘩で人が集まるものなんですねぇ……」

 アールがすぐ横から感嘆の声を上げた。

「アール君の故郷では、こういうのって無かったの?」

「ええ、だって、喧嘩って毎日何回も起きるでしょう? 一々集まってたら仕事が手につきませんよ」

「……物騒な町なのね。アール君の故郷って」

 シャイナは視線を戻した。素人の殴り合いでないなら、興味がある。

 双方とも剣士だが、剣の形状が違う。

 片方は片刃剣。反りがあり、薄い刃。人を切るための剣だ。

 対するは両刃。反りがなく、分厚い。鎧を切るための剣だ。

 それを見ただけで、シャイナは両刃の陣営が不利と見て取った。

 さらに、片刃の恰好は特徴的であった。青い豹柄の上着……。

「王立騎士団と青豹師団ですか、シャイナさんはどちらが勝つと思いますか?」

「あら、どうして王立騎士団だってわかるの?」

「先日、酒場で見ました。あれは王立騎士団の剣です。柄頭に王竜王国の紋もあります」

 注意してよく見てみれば、なるほど確かに王冠を持つ竜の紋章。よく気付いたものだ。

「で、どっちに分があると思います?」

「傭兵団ね……数が五分なら、の話だけど」

 そんな言葉を発した時には、既に一合目の斬り合いが終わっていた。

 太刀打ちできない。そんな言葉が似合った。

 傭兵団はたった一太刀で、二人の騎士団員を血溜まりに沈めた。

 技量の差はもちろんだが。剣の質にも違いがあった。

 王立騎士団のそれは鈍色の甲冑を着て防御力を高めた上で振るう幅広の大剣だ。王竜のような巨大な生物、もしくは、同じように甲冑を着た人間相手の剣と言える。

 対して、青豹師団のそれは殺人剣だ。戦争で効率よく人間を殺す為の剣。

 本来なら傭兵といえば、腕自慢に毛が生えた程度の技量しか持たないものだが、まがりなりにも最強と名高い傭兵集団、原豹傭兵団が原色師団、青豹師団が王竜王退治という大掛かりな仕事に対して用意した精鋭だ。

 数は少なくとも、その一人一人が一国の剣術指南役を勤めるほどの剣豪。

 王立騎士団も素人では無いとはいえ、甲冑も無く、室内では取りまわし難い大剣。

 こうなる事は目に見えていた。

「ぐぅぅ……」

「おのれぇ……」

 倒れた騎士たちは、片腕を押さえながらも、傭兵をにらみつけた。致命傷を与えていないらしい。手加減したのだ。技量の差もあるが、傭兵たちもまた頭がいい。殺してしまえば、王立騎士団との対立は避けられないと分かっていたのだろう。

 だから、二人の腕を切るに収めた。わざわざ命のやりとりまではしない。傭兵にあるまじき判断だが、この場に関しては正解だ。

 喧嘩はそれで終わりだった。

「………ヘッ、大国の騎士たってこんなもんかよ」

 傭兵の一人が、嘲笑めいた鼻息を漏らしたりしなければ。

 それを見ていたのだろう。遠巻きに見ていた男の一人。巡回中であろう、王竜王国の騎士の一人が激昂した。

「おのれ! 貴様、我らを愚弄するか!」

「ああ?」

 非番の騎士が酒場で酔っ払って傭兵に切られる、その程度のことなら、別段巡邏の騎士も気にすることなど無かっただろう。命のやり取りをしなければ、調子にのった同僚が自業自得で怪我をしただけの話だ。

 だが、嘲笑がその騎士の琴線に触れた。

 騎士団全体に向けられた嘲笑を見過ごすわけにはいかなかった。

 傭兵は騎士を騎士と知っていて斬った。つまり、いまそこで倒れているのは仕事休みの一般人ではなく、王立騎士団員なのだ。そして、それを見過ごしたとあっては、王立騎士団は仲間が斬られても見ているだけの腰抜け揃いになってしまう。

 それを許しては、王竜王国王立騎士団の底が知れる。

「傭兵風情の分際で我ら王竜騎士に手を上げるとは!」

「許さん!」

「王立騎士団集合ぉぉぉぉぉぉぉ!」

 それは彼の被害者妄想だったかもしれない。

 だが、呼応する騎士がいた。仲間を集める騎士がいた。声を聞いて、遠くから走ってくる者もいた。同じように非番か休憩中で休んでいた者も、他の店から出てくる。

 あっという間だった。

 あっという間に、傭兵三人は囲まれた。

「……おいおい、まじかよ」

 十五、六人。中には完全装備の全身甲冑の者も少なくない、警邏用の短剣を手にしている者もいた。

 剣豪といえど、これだけの数に囲まれ、退路も無しでは、どうしようもあるまい。

 三人の傭兵はお互いを背にしながら剣を構えていたが、その顔は青い。

「よもや傭兵が、卑怯とは言うまいな」

 内、一人の騎士が前に出た。

 それを見て、周囲がざわめいた。

「レオナルド・ポンパドールだ……」

「騎士団長がなんで……」

「『驚愕獅子』……」

「アメイジング・レオだぞ……」

 傭兵を囲む騎士たちの中に、王立騎士団長、レオナルド=ポンパドールの姿があった。

 噂に名高い、不可能を可能にする男。王立騎士団の名を近隣諸国に知らしめた男。

 よもや、こんな場末の喧嘩に首をだすような者ではなかったが、偶然居合わせてしまったのだろう。そして場に居合わせたのなら、騎士団長として陣頭に出るしかなかったのだろう、とシャイナは考察する。

 止める立場の人間だが、騎士は誇りと名誉を重んじる。上に立ちたければ、最低限の見栄を張らなければならない事もあるのだ。

 不利と見て、傭兵の一人が口の端に笑いを浮かべて謝罪した。

「悪かったよ。でもま、大怪我はさせてねぇし、許してくれよ」

「土下座だ」

「は?」

「聞こえなかったか? 額を地面に擦りつけて、足を舐めて許しを請え」

 レオはそう言って、尊大に腕を組んだ。

 冗談だろう? そんな声が周囲の野次馬から聞こえたが、騎士たちの顔は誰もが真面目だった。

「我が国の騎士が、我が国の領内で、薄汚い傭兵風情に無様にも腕を切られ、嘲笑を受けたのだ。これでは領民に王立騎士団は弱卒の腰抜け揃いと侮られる。それを土下座ぐらいで許してやろうというのだ。安いモノだろう?」

「ふざけんじゃ……」

「ならば死ぬがいい」

 レオが剣を抜いた。傭兵が絶句する。

 その明らかに輝きが違う剣は、王立騎士団のそれと形を同じくするものだが、一目見て王立騎士団が持っている剣は、その剣のレプリカだと分かる。

 名物。業物。聖剣の一種だ。

「我々は無言で斬り捨てても構わんのだ。貴様ら三人斬った所で、青豹師団は報復などできようはずもないからな」

 傭兵団が騎士団を斬るとこの町に居辛くなるが、逆は違う。

 たかだか三人の平団員が場末の酒場で死んだ所で、青豹師団には王竜退治という仕事が残っている。戦力的に見て、王立騎士団に割く余力はないだろう。

 傭兵たちの額には脂汗が浮いている。

 シャイナはその理由を知っている。

 傭兵とはいえ、青豹師団もまたメンツに厳しい集団なのだ。青豹師団の精鋭と言えば、師団の中でもそれなりに地位のある者だろう。おいそれと頭を下げたとあっては、今度は自分の上司、青豹に殺されるかもしれない。

「やはり頭は下げぬか、命を無駄にしたな………青豹には、私の方から」

「いやいやいや、三人も団員を殺されたとあっちゃ、あっしも黙っていませんぜ?」

「なに!?」

 誰も、その男がいつからいたのかわからなかった。

 鮮やかな青豹柄の上着という、とても分かりやすい姿をしているのに、いつの間にかレオのすぐ目の前、傭兵たちを庇うように出現していた。

 シャイナですら、そんな目立つ男が視界に入った記憶を持たない。

「頭領!」

 その姿を認めて、はっきりと三人の傭兵に安堵の表情が浮かぶ。

 シャイナもその人物が誰かは知っていた。

 青豹師団の長。ブルーパンサー。青豹。

 本名は誰も知らぬ。知っているのは、その男が王立騎士団より遥かに巨大な組織の幹部であるという事と、殺し合いの巧みさでその地位を勝ち取ったという事だけだ。

 頭も切れる、腕も立つ。部下たちの信頼も厚いようだ。

「き、貴様、どこから沸いてでた!」

 騎士の一人が虚勢をはって叫ぶ。

「どこからって、最初から見てやしたぜ? 酒場の端っこの方でちびりちびりと飲んでたら、喧嘩が始まりやがって、こいつぁ風情のある見世物だと心躍らせてたら、なんだかつまんねぇ方向に進んじまったんで、こうして出っ張ってきたってわけですよ。あっしの心情としては、喧嘩なんぞ腕力の強い方が勝つ、でいいとおもうんすがねぇ。負けたからって仲間を引き連れて囲むなんて、みっともねぇじゃねえですかい?」

 ふざけた態度で大仰に肩をすくめる。

 レオは険しい顔でそれをにらみつける。

「……貴様」

「ひぇっひぇひぇ、あっしとしては喧嘩両成敗でもいいんですがね旦那、そりゃあ勝った方が負けた方に謝らせるって図式じゃあない。そっちで引っ込んで被害者面してる若ぇのが謝って、それからこっちも改めて頭を下げる、酒場に迷惑かけてごめんなさいってな。それでいいじゃないですかい? ねえ?」

 へらへらと笑って、その男は周囲に同意を求める。

 ヤジ馬から同意は得られない。

 レオナルド=ポンパドールとブルーパンサー。喧嘩が見たい民衆にとって、これほど興奮するカードはない。

「ありゃりゃ? んー、あっしは、この場での殺し合いなんかしてもちぃっとも益がねえと思ってんですけどねぇ……今ここで、あっしら四人、むざむざやられるつもりはねぇんですが、万が一あっしを斬っちまったら。あんたそりゃあ、うちのオヤジも怒りますよ? あの人、身内には甘ぇんで、王竜王国と原豹騎士団の全面戦争が始まりますね。益がねえ。かといって、逆にあっしらがここにいる全員を斬っちまったら、あっしらはお尋ね者だ。王竜王退治ってぇ仕事が出来なくなる。こいつぁよくねえんですよ」

 ふざけた態度で周囲を見回して、言い聞かせるように言う青豹。

 見た目とは違い、言っている事は正論だ。お互いに利益が無いのだからやめましょう。

「ってぇことで、ここで双方刃を納め、何事も無かったかのように日常へと戻っていくのが最善だと思うんすけど、いかがですかね?」

「………」

「どうかここは、あっしの顔に免じて、ねえ、レオ殿?」

 レオは少し思案していたが、やがて口を開いた。

「わかった」

 その言葉に、周囲の騎士たちはどよめく。「何故?」「ハッタリです、斬ってしまえばいい!」「騎士団の名折れですよ!」と。

 しかしレオはそれらの声を黙殺し、部下に命じて囲みを解かせた。

「へぇっへっへ、こいつぁすいませんね、そいじゃ、あっしらはこれで」

 青豹とその他三人は、悠々と通りへ出て行く。彼らが勝利したと言える。

「喧嘩は終わりだ! 散れ散れ!」

 レオはヤジ馬を追っ払い、シャイナたちもそれに従った。



「おう、遅かったな」

「道が込んでいたのよ」

 部屋に戻って来たシャイナを、チキが片目を閉じた状態で出迎える。ウインクをしているわけではない。自分の手入れしたナイフの輝きを確認してうっとりしているのだ。

 宿を空けたのは一刻から二刻程度だったろうが、それぐらいの時間を経過してなお、チキはナイフの手入れを続けていたという事になる。

「ずいぶんと念入りね」

「うむ。陰謀が渦巻いていルしようだし、身を引き締めないとまずい相手ばかリだしな。特にあの青豹はまずい」

 刃に曇りでも見つけたのか、チキはぴくりと眉を動かし、研石を使ってショリショリと刃を研ぎ始める。ベッドの上には金属の粉が散らばっている。

 後々に宿屋の主人に起こられなければいいけれど、とシャイナはふと思った。

「そうね……でも、どうして青豹がまずいの?」

 性質の悪さなら聖騎士団の方が上だ。

「ほう、死神騎士ともあロう者がわからないか?」

「あら、私が死神騎士だって知ってたの?」

「なんで知ラないと思う? 殺し屋は喧嘩を売っていい相手と悪い相手をよく知っていルものだぞ」

「それも、そうね」

 田舎から出てきたアールが知らないのは仕方が無い。

 が、自称都会っ子のこの暗殺少女が、中央大陸の死神騎士について知らないというのはおかしい。

「私の噂を知ってて、なんで私と一緒に行動してるの?」

「おい、質問は一度に一つにしロ、チキはそんなに頭がよくない」

 そう言いつつ、チキはベッドに並べていたナイフ一つ一つをベッドのシーツで拭い、一つ一つを丁寧に鞘に納めていく。シャイナは、二つ同時に質問しただろうかと考えをめぐらせ、先ほど何気なく聞いた青豹のことだと思い至った。

「まず最初の質問だが、奴ラは傭兵だ。傭兵は、金銭での報酬の依頼しかうけない、こレは大丈夫だな?」

「ええ」

 シャイナには傭兵の経験は無いが、そういうものだという事は理解できた。逆に言えば、金のためならなんでもするのが傭兵だ。

「その傭兵団が、依頼もなく王竜王討伐に参加していル」

「……依頼なら、あの鍛冶師が出したじゃない」

 チキは首を振った。

「違う、チキが言いたいのは違う。原豹傭兵団はでかいな? でかい傭兵団が動くのは誰かに言わレてからだ」

「……直接、名指しで依頼を受けないと動かないという事?」

「そゆ事だ」

 なるほど、とシャイナは頷いた。

 確かに言われてみれば、あの鍛冶師は原豹傭兵団に王竜を退治して欲しいと依頼したわけではないだろう。もし依頼していたなら青豹師団の、それもほんの一部だけを寄越すなどという真似はしない。せめて青豹師団全団員を率いての仕事に臨むはずだ。

 あるいは『青豹師団は一部の戦闘熟練者を除いて情報収集に力を入れている』と見る事も出来る。が、王竜王討伐というのは、それほど大規模な情報戦を行うような仕事ではない。シャイナたちのように少数ならともかく、青豹師団なら数に任せて山狩りを行った方が、効率もいいだろう。

 何故そうしないか。

 師団長ブルーパンサーが暇つぶしに参加した……いや、それほど暇な人物でもあるまい。なら、その他の面々を王竜王討伐とは別の仕事に割り当てているという事だ。

 別の仕事とは何なのか、シャイナにはちょっと思いつかない。

「目的がわからないと、行動の予測が出来ないわね」

「うむ、騎士も備えておけよ。怪しい奴らは他にもたくさんいるからな」

「ええ、わかってるわよ」

 チキは頷いて、ナイフを体の至る所に装備していく。あっという間に全てのナイフが服の中に隠れ、ナイフの少女はただの浅黒い肌の少女に戻った。

「所で、アールはどこに行った? そロそロ、チキのお腹はぺこぺこだぞ」

 きょろきょろと周囲を見回して、チキはアールの姿を探す。と、同時に漂ってくる、なんとも食欲をそそる香ばしい匂い。

「下で厨房を借りてるわ、なんでも郷土料理を食べさせてくれるんだって」

「騎士は手伝わなかったのか?」

「厨房を追い出されたのよ。包丁を逆手に持っただけなのに……」

「宿屋が火事になラなくて何よリだな」

 チキは肩をすくめて部屋から出て行った。

 シャイナはぽりぽりと頭を掻くと、寝ている少女を起こしにかかった。

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