~第3章 出逢いと再出発~

メンバー:井出剛社長、
荒牧千鶴(2013年4月入社、総務経理室 副主任)、
水村賢正(2010年10月入社、栽培管理室 リーダー)

インタビュー日:2016年2月


井出:
会社が<死の谷>に落ちそうな状況を招いたのは、すべて私の責任です。当然のこととして自分が先頭にたって再建に取り組む決意をしました。
荒牧:
でもですね、今日の対談に備えて私なりに調べてきたのですが、その年度(2009年度)の売上は2億9,800万円、営業赤字が1億1,300万円ですね。
井出:
創業時のベンチャー企業らしい見事な決算ですね。
荒牧:
私は経理担当ですのでわかるのですが、果実堂は<死の谷>の渕を彷徨っているのではなく、既に底に落ちてしまっているような状況です。
水村:
そもそも農場がベビーリーフを作れないのなら売るものがありませんよね。私も再建不能な状況だと思いますが。
井出:
・・・・・・・・

まずは、パッキング工場の玄関の灰皿とジュースの自動販売機を撤去させて、工場のトイレや床をピカピカにしました。次に隣接するプレハブ事務所の大掃除に取り掛かりました。靴箱の万次郎カボチャの破棄は当然ですが、倉庫を片付けていると、なんと業務用のパスタ麺が大量に出てきました。
水村:
果実堂がパスタ麺を売っていたのですか?
井出:
よくわかりませんが、すぐに販売を止めさせました。枝葉を切り落としてベビーリーフ事業に<一意専心>する体制づくりが急務でした。
荒牧:
でも当時はリーマンショックの真っ只中です。呑気に掃除ばかりして良かったのですか。
井出:
その通りです。一人になって、自宅のキッチンテーブルに座って、ぼーっと再建策を考えました。

思案① 果実堂は消費者に人気の高いベビーリーフを栽培・販売する会社です。株式投資や不動産の会社ではありません。リーマンショックの中でも国民は野菜を食べ続けます。つまりベビーリーフの市場は収縮していないということです。

思案② 一方、未曽有の大不況ですので金融機関は赤字ベンチャー企業に投資はしません。農業はモノづくりである限り再建にはサイエンスは絶対に欠かせませんが、ローコスト、すなわちイニシャルコストとランニングコストを極力抑えながら生産性を向上させ、農場を再生させるトップサイエンスが必須でした。収量向上こそが原価低減の源泉です。

思案③ かつて私のベビーリーフ1,000トン構想に反対した社員達は研究所はコストの塊だと断じて閉じてしまいましたが、たしかに収益をもたらさない研究所は不要です。研究所の復活には、農場の環境変化がもたらすベビーリーフの多様な生理現象と研究所で測定した植物の代謝物や土壌データを丹念につなぎ合わせて、キーファクターを見出し、そこから実際に収量を向上させる、いわば実学を担う<技師長>の存在が必要でした。
水村:
でも実際問題、そのような人物はいたのですか?
井出:
かねてより会長からベビーリーフ栽培を熱心に研究している青年がいると聞いていましたので、彼に会うために大分県臼杵市野津にある米麦栽培の西日本農業社*に行きました。
*2004年設立の西日本農業社は、大分県中山間部に拠点をもち、限界集落の耕作放棄地を積極的に開拓しています。代表者の後藤慎太郎さんは、現在大分県議会議員となって農業の活性化に取り組んでいます。

阿蘇山を越え約2時間をかけて西日本農業社に到着すると、無愛想で、汚れた黒ぶちメガネの奥底から鋭い視線で私を睨んでいる青年がいました。高瀬貴文さん(現 代表取締役社長)です。私がおきまりの<ベビーリーフ1,000トン構想>を語りだすと、ちらっと時計を見て、そのまま黙って農場に行ってしまいました。

あまりにも不遜な態度に、すっかり頭に血がのぼった私が熊本に帰ろうとしているとき奥から事務をしていた高瀬はるみさん(奥様)が出てきて、しきりに謝り、夫は昨年まで大手建築会社に勤務していたこと、野津の狭い自宅は農業関連の専門書で埋め尽くされ、深夜まで猛勉強していることなどを話してくれました。

UNOA(ユノア)という名の農場まで彼を追いかけますと土壌中の水分量でも調べているのか、しきりに土を握ってブツブツと呟いていました。ハウスには青い防風ネットが張られていました。視線を下げると発育の良いベビーリーフが一面に青々と茂っていて果実堂では久しく見てない光景が広がっていました。

高瀬さんはあきらかに<経験と勘の農業>ではなく、私が求める<サイエンス農業>を目指していました。しかも予算が極端に限られた農場でサイエンス農業を実践しようとしていました。
水村:
結局、熊本に戻ったのですか。
井出:
いいえ、その晩は、奥様の勧めで臼杵市に泊り、高瀬さん、後藤さんとスーパー温泉に浸かり、安酒を飲み交わし、日本の農業について遅くまで熱く語り合いました。

この時の出会いが縁となり高瀬さんは、熊本に来て果実堂の<技師長>となり、ベビーリーフ1,000トン構想の実現に向けて研究所の再建と農場改革を取り組むことになりました。
荒牧:
私が考えるには果実堂を再建するにはベビーリーフを「作れるのか」「売れるのか」の二つの課題を同時に解決しなければなりません。「売れるのか」については、どうされたのですか?
井出:
そうです。売上がすべてを癒やします。当時の果実堂の営業には二人の猛将がいました。久池井博さん(現DAIZ㈱)と工藤洋之さん(故人)です。久池井さんは半導体ベンチャー企業の出身、工藤さんはテレビ番組制作会社の出身で生鮮野菜の営業とは無縁のズブの素人でした。久池井さんは大型スーパー、工藤さんは高級百貨店を担当してもらうことになりましたが、二人は断られても断られても猪突猛進してくれました。Nobody knowsの果実堂のベビーリーフを首都圏や関西の大消費地に売り込むのは実に大変でした。久池井さんのキャリーバッグのゴロゴロが擦り切れて壊れてしまうことがありました。工藤さんは大病を患いながらも最後まで杖をついて営業を続けてくれました。
井出:
ただ前線の営業の動きに対して、情報を整理して戦略を練る後方支援をする人物がいませんでした。
その頃、河野淳子さん(現DAIZ㈱取締役)と久しぶりに再会しました。彼女は、前職トランスジェニック時代の仲間で、ベクターやマウスES細胞を用いた試験を担当していましたが、同社を退職後、農産物の未利用資源の活用を目指して個人で活動されていました。

河野さんとは、残留農薬測定、飼料米、変わったところでは受験生のための機能性弁当などを話し合っていましたが、私がいよいよ本腰を入れて果実堂の再建に乗り出すことになると全面協力してもらうことになりました。
荒牧:
ちょっと待ってください。河野さんがそもそもやりたかった農産物の未利用資源の活用事業はどうなりましたか?
井出:
果実堂の再建はすぐに済むから、それからすればいいじゃないかと言いました。
水村:
6年以上経った今でも業務推進センターの責任者をされていますが。
井出:
・・・・・・・
彼女の任務は<業務推進センター>というセクションを新しく立ち上げて農場の生産状況と営業の受注業務を<突合>させて、生産ロス、営業ロスの解消を目指すことでした。周年栽培のベビーリーフ事業にとっては、まさに交通の要所となる大切なセクションです。

営業の二人の活躍のおかげで次第に果実堂の【熊本県産 有機栽培ベビーリーフ】の販路が拡大して参りました。決まるとすぐに催事をして商品の定着を図りました。定時、定量、定質、定価そして定着の精神です。いつの間にか山田奉文さんが会社に戻ってきて全国行脚の催事を精力的に展開してくれました。

いざ業務推進センターが開設すると、河野さんは営業の前線から次々と送られてくる情報を解析し、受注予測をたて、その一方で気候変化等により刻一刻と変化する農場の収量予測と突合させなければならず多忙を極めました。お客様への欠品は許されません。農場での過剰生産による廃棄も許されません。そのため私たちは生産ロス、営業ロスをゼロにするため農場、工場、営業を横断する<ゼロ>というプロジェクトを立ち上げました。
荒牧:
これで再建策は完了ですね。
井出:
とんでもありません。取り組まなければならない重たい課題が最後に残っていました。パッキング工場です。5Sやカイゼンは夢のまた夢の状況で、売上が増えると工場原価は、逆に膨れ上がるという始末でした。まさに工場改革が待ったなしの状況でした。

ある日、私は古本屋で偶然に<トヨタ生産方式>の生みの親である大野耐一先生をモデルにした工場カイゼンの劇画本*を見つけました。劇画本と言っても専門的な解説文も添えられ、原価低減や効率化、大規模化に必要な基本的な考え方が簡潔に述べられていました。藁をも掴む思いで夢中になって読んで、早速その本を工場スタッフに薦めましたが・・・・・
*「トヨタの仕事哲学」若松義人著は、現在も果実堂のバイブル的存在になっています。
水村:
工場の反応はどうでしたか?
井出:
書類の下にどんどん埋まっていきました・・・・・ところが、数か月経った時、工場ではなく農場出身の中島政周さん(現取締役)が興奮した面持ちで、この本を握りしめて、工場のカイゼンを是非やりたいと申し出がありました。大野耐一先生の哲学には人を惹きつける何かがあるのかもしれません。

しかしパートを束ねるライン長の石井由香里さん(現工場管理副グループ長)は、5Sやカイゼンはルールや手間暇だけが増え、逆に効率化が妨げられるということで消極的でした。そこで思案した結果、いったん現場を離れてもらい、店舗巡回などの営業支援や業務推進センターの仕事をしてもらい、その立ち位置から工場の将来を考えてもらいました。その後、石井さんは工場パートの皆様の心の支えとなるまでに変身しました。

以来、トヨタ生産方式の精神に魅了された中島さんと、視野が大きくなった石井さんは、名コンビとして、パート社員の働き甲斐を一番に、共通の目標を設定して、効率化と原価低減に取り組み、カイゼンを続けています。
荒牧:
聞きづらいのですが、かつて社長のベビーリーフ1,000トン構想に反対して退陣を迫ったメンバーはどうされましたか?
井出:
ほぼ全員に残ってもらい再建策を手伝ってもらうことになりました。

人間が出来てなくて短気な私が彼等に寛容力を発揮できたのはゼーロンという演劇集団を率いる上村清彦座長との出会いがあったからです。ゼーロンは熊本でギリシャ悲劇やシェークスピアを演じている第一級の劇団で、年1回の公演の準備に1年をかける真剣な演劇集団でした。
井出:
農場の広川学さん(現DAIZ㈱取締役)は、劇団員でもありました。ある日、会社再建の多忙な時期に演劇を続けてもいいだろうかと相談がありました。
水村:
社長はどう答えましたか?
井出:
ゼーロンの作品を通して人間について勉強をしているのだから劇をやめれば広川さんではなくなる。ここで学んだことを、冬はハウス内温度マイナス8度、夏は40度の過酷な環境下で働いている農場社員の育成に活かしてほしいと言いました。以来、様々な職種からの出身の農場の若者に働くことの意義を植え付け、鼓舞し、時には叱責し、全員に親しまれるリーダーになって頂いています。
水村:
現場の協力あってこその果実堂の再建だったと思います。
井出:
栽培技術の向上に取り組む高瀬さん、生産ロス・営業ロス<ゼロ>に取り組む河野さん、工場のカイゼンに取り組む中島さん・石井さん、農場の人材育成に取り組む広川さんの協力を得て、ようやく果実堂の車輪は軋み音をたてながらも再びベビーリーフ1,000トン構想に向かって前へと廻りだしました。

ある日みんなで、事務所に<果実堂は日本一のベビーリーフ会社になる>と宣言したポスターを張りました。当然、会社の業績はすぐに回復することはありませんでしたが、日本一という目標にむかって社員が一丸となりました。
荒牧:
やっと再出発できましたね。良かったです。
井出:
しかし会社がようやく軌道に乗り出した直後に、まるで我々の本気度を試すかのように大きな試練に襲われることになりました。死者30名をだした記録的な大豪雨の九州北部豪雨の到来です。
水村:
どうなりましたか?