~第1章 創業と理念~

メンバー:井出剛社長、
緒方美穂(2014年1月入社、総務経理室 副主任)、
山田奉文(2006年4月入社、営業推進室 リーダー)

インタビュー日:2015年11月


緒方:
果実堂は今年で設立10年目を迎えました。私を含めて新しい社員も増えましたので、創業の経緯やこれまでの沿革を教えてください。
山田:
ただし社員は皆とても忙しいので、簡潔に、わかりやすく、答えてくださいね。 ただの思い出話や自慢話はお断りですよ。
井出:
創業の動機は治療医学の時代から予防医学への<時代の変化>を感じたからです。
以上、おわりです。
緒方:
簡潔過ぎます。社長の前職を知らない社員の方が多いと思いますが何をなされていたのですか?
山田:
やはり青果関係ですか?
井出:
以前はトランスジェニックという遺伝子研究関連会社の社長をしていました。抗体や遺伝子破壊マウスを作製して…
緒方:
え〜と、難しそうな話になりそうなので、研究内容の話は割愛させて頂きますね。
山田:
でもなんで社長を辞めたのですか?
井出:
それは別の機会に話します。そこを辞職して、半年が過ぎた頃、毒性学者の父*の勧めで水俣に行きました。2004年のことです。その時の経験が果実堂設立の原点となっています。
*実父の井出博之(薬学博士)は現 一般財団法人ウェルシーズ 代表理事
緒方:
水俣で何があったのですか?
井出:
水俣はご存じのように戦後最悪の公害病が起ったところですが、父たちが薬草園構想というプロジェクトを展開していて、風光明媚な棚田で薬草を植えていました。 その薬草の中にミズナやオーク、ビートなどの幼葉も栽培されていました。そこではじめてベビーリーフのことを知りました。もっとも父はベビーリーフと言わずにウェルリーフ(Well Leaf)*と言っていましたが。 *WellはWellness(健康)の略。Well Leaf(体に良い野菜)という造語は創業以来、一貫として果実堂の根幹をなす思想となっています。
山田:
あー、わかりました。それで果実堂を設立してベビーリーフを始めたという訳ですね。
井出:
いいえ。
緒方:
先程、予防医学の時代の到来を感じたと言われていましたが、水俣で初めて見たベビーリーフと何か関係ありますか?
井出:
毎日少しずつ食べることで病気になりにくい体質をつくっていく、それが予防医学の原点だとしたら、ウェルリーフという機能性野菜の発想は、これから重要になっていくのではと思いました。
山田:
動機は本当にそれだけですか?社長のことだからベビーリーフは儲かると直感したのではないですか?
井出:
正直、その頃の私は少し虚無感というか敗北感にとらわれていました。前職は、まさに治療医学のベンチャー企業でしたので、米国ボストンによく行ってました。そこにはジーンタウン(遺伝子の街)という名のバイオベンチャー企業の巨大孵卵器のようなエリアがありまして、産学官連携のもと米国政府の巨額なハイテク予算をベースに、大学、大手製薬会社、アントレプレナー(起業家)、ベンチャー企業、エンジェル(投資家)、ナスダック市場(ベンチャー企業向けの株式市場)が猛烈なスピード感をもって絡み合いダイナミックに新薬や革新的な治療法を生みだしていました。この姿を目の当たりにして、正直、もう日本はかなわないと思いました。
山田:
はぁ?難しくて言っている意味がわかりませんが。
緒方:
だけど予防医学ならば日本はなんとかなるのではと。
井出:
そうです。東洋人はやはり漢方的な発想が得意ではないかと。
緒方:
果実堂の最初の研究拠点は水俣の第三セクター<みなまた環境テクノセンター>の一室にあったと聞いていますが。
井出:
果実堂ではなくウェルリーフという会社です。父の造語をそのまま社名にしました。後に果実堂と合併しました。水俣、芦北地域の特産の甘夏みかんの果皮を乾燥させて陳皮のサプリメントとして開発しました。そのため、陳皮を作るために特殊な釜を設計しました。フルミン釜という愛称でした。不知火海が一望できる海岸沿いの高台に甘夏みかん農園を開拓された福田農場ワイナリーという素晴らしい観光農園があって、オーナーの故福田興次社長の親身な支援もあって、皮ごとまるごとみかんサプリメント<フルミン>*を開発することが出来ました。 *フルミンは、フルーツたっぷり、ビタミンたっぷりの略。
緒方:
では果実堂は何をしていたのですか。
井出:
もう1社、先駆的な予防医学系ベンチャーが熊本市に誕生していました。SAKURA INC.です。この会社は農林水産省の研究機関と熊本大学医学部と連携して農産物の機能性解析を人の血液を用いて測定してました。ヒト介入試験というものです。
設立者は熊本大学リエゾンオフィス出身の畠山稔さん(現DAIZ㈱監査役)です。後に果実堂と合併しました。
山田:
ですから果実堂は何をしていたのですか?
井出:
熊本市内の<くまもと大学連携インキュベータ>という公的なベンチャー企業インキュベート施設に入って、毛髪を用いたミネラル診断を行っていました。ICPという重金属測定装置を使用して、主に子供の毛髪中のミネラル含有量を測定して、その結果に基づいて母親に食事改善を促す事業をコープ熊本と共同で行っていました。食生活の乱れからミネラルバランスを崩している子供が多く、中には亜鉛不足で味覚障害になっている子供もいます。そのような子供は平気でマヨネーズ一本飲み干したり、なんにでもソースを大量にかけて食べないと満足しなかったりしています。
緒方:
「味気のない女」という映画もつくりましたね。
井出:
ミネラル不足から味覚障害になった人々をテーマに短編映画を撮りました。
データだけではなく映画を観てもらうことで日々の食事のあり方に関心をもってもらいたいと思いました。私は名作と思っておりますが(笑)
山田:
新入社員の僕は編集が大変でした。映画会社だと聞いて果実堂に入社したら今ではベビーリーフの営業マンですからね。話が違い過ぎますよ。
緒方:
そろそろベビーリーフ事業の話をしてもらえませんでしょうか。
山田:
そして、もう少し簡潔に、お願いします。
井出:
ウェルリーフのサプリメントも、SAKURA INC.の機能性分析も、果実堂の毛髪ミネラル測定も、ビジネス的にはすべて失敗に終わりました。理想をもって予防医学分野に参入しましたが、ビジネスの形にすることの難しさが身に沁みました。
その時、父から熊本県阿蘇市西原村にあるベビーリーフ会社が倒産したから引き継いでやってみないかと言われました。水俣以来のベビーリーフとの再会でした。2006年のことです。
緒方:
農業をすることに不安はありませんでしたか?
井出:
勿論、悩みました。倒産した会社の農場を仕方なく見学すると社員がサッカーシューズを履いてビニールハウスの中で焚火をしていました。これには驚きました。兵頭聡さん、中尾勝次郎さん(現栽培管理グループ長)、渡邉章宏さん達です。パッキング工場にいきますと今にも崩れ落ちそうな縫製工場の跡地で社員がベビーリーフを袋詰めしていました。石井由香里さん(現工場管理副グループ長)です。床は埃だらけで穴が空いた壁にストッキングが差し込まれていました。これじゃ倒産しても仕方ないなと思いました。
山田:
それでも、もう後がないからやろうと思ったのですね。
井出:
いいえ。父にベビーリーフはしないとはっきり言いました。
緒方:
でも反対された。
井出:
そうです。機能性野菜は予防医学上を考えたうえで、とても重要だとコンコンと説教されました。 もし父が反対しなければベビーリーフは本当にやってなかったと思います。皆様と縁もなかったと思います。
緒方:
不思議な縁ですね。
山田:
映画会社の方が良かったです…
井出:
私の本当の悩みは農業が果たして事業として成り立つのかということでした。 農業に関しては、高齢化、後継者不足、耕作放棄地、地球環境の変化といった暗いニュースばかりでした。しかも得意のバイオ技術が活かせる水耕栽培ならばともかく土耕ハウス栽培です。どう考えてもやるべきではありませんでした。そこで水俣でお世話になった農業界の重鎮の福田社長のもとに相談に行きました。
緒方:
福田社長の意見が気になりますね
井出:
いつもはやさしい表情の福田社長がベビーリーフの話を聞くや、やや厳しい表情になり、こう言われました。
「農業を考えるとき【農】と【業】を分けて考えなさい」
緒方:
どういう意味でしょうか。
井出:
【農】は例えば限界集落の水田です。田んぼに水が張られ続けることで、自然が守られ、環境が守られ、景観が守られ、故郷が守られ、神事や文化や教育や癒しの営みが守られます。集落の水田が黒字か赤字かが重要ではなく、【農】はもっと大きなバランスシートで限界集落の発展そのものを考える必要があるということです。
山田:
それでは【業】の方は?
井出:
一方【業】は普通の産業と同じで、効率化に挑み、技術を磨き、品質を高め、原価を低減し、業容を拡大していく必要があります。福田社長は【農】も【業】も、ともに重要で、大事なことは混同しないこと、と言われました。
緒方:
果実堂は【農】と【業】どちらの道を選んだのですか。
井出:
【業】をやらせていただきますと言いました。
山田:
おやおや、大丈夫ですか?