豊橋の戦争遺跡(6)

神武天皇銅像
豊橋公園の中に小さな神社(豊城神社)があり、神武天皇像が祀られている。

顔は明治天皇を模したものだそうだ。現在はただの像だが、昔の絵葉書を見てみると、この像が16メートル四方の石垣の上に立っており、最上部の高さは15メートルもあったことがわかった。日清戦争後の明治32年(1899年)3月に八町練兵場の南側の中八町というところにあった像は、大正15年(1916年)、八町練兵場の中央北側に移築された。この時の像は下の石垣部分がなくなり、高さは半分くらいになっている。終戦後、この像は破壊を免れるため、しばらく隠され、その後、今の場所に設置されたらしい。台座下の土台がなくなったため、現在の高さは3メートルくらい、普通サイズになってしまった。昔のことを知らないと、そんな由来がある像だとは気がつかないだろう。

友人の話では、美術博物館の中には、軍隊関係の資料の展示はほとんどないらしいので、入らなかった。でも、売店で軍隊に関する資料が売られている可能性はあるとか・・・。

【東田町の陸軍墓地】地図

桜ヶ丘公園の中にある。日清、日露、太平洋戦争等の犠牲者が祀られている。以前、和歌山で見た陸軍墓地よりはマシな状態で、草は生えていたものの、ボーボーにはなっていなかった。市街地の中にあるのでマメにメンテされているのか?それにしても、雨の中のひとけのない墓は不気味だ。
個人の墓もあったが、ここのメインは「満州忠死者之碑」「昭和3年支那事変忠死者之碑」「工兵隊三大隊戦病死者合葬之墓」「陸軍軍人合葬之墓」など合葬碑がメインだった。

画像は騎兵第二十五連隊の碑

墓石が4つ並んでおり、将校>准士官>下士官>兵卒の順に墓が小さくなっているのは、当時の階級の違い(差が大きい)を表していて、興味深かった。

雨がやまないので、この日はこれで引き揚げ。夜は友人に大量の豊橋戦跡の資料を見せていただき、勉強会。

翌日は6時起き。まだ雨が降ったりやんだりしていたが、車で出撃。

【牛川遊歩公園】(地図)

東西に延びた細長い公園。別名1キロ公園。軍隊の射撃場の跡だそうだ。遺構は無いのでは?と友人。

移動中、突然、激しく雨が降り始めた。空が明るくなっているので、そろそろ雨があがりそうなのだが・・・。

【岩屋緑地】(地図)

岩屋緑地内の観音様のある山は文字どおりの岩山。岩山のすぐ北側に壕の入り口(木で塞がれている)がある。ここは怒部隊の本土決戦用陣地だったそうだ。友人は「これが戦車壕だと以前見学会で聞いた気がする」と言っていたが、信憑性は不明。

★その後、「この穴は重機関銃陣地入り口で戦車と関係ないです」という続報を頂きました。ありがとうございましたm(_ _)m

雨があがったので、岩山に登ってみた。まるで鎖場!濡れた岩がつるつる滑って怖かった。岩屋観音は二代目(昭和25年建立)。初代の観音様は戦時中の金属供出で持ち去られてしまったそうだ。この他、山の上には昭和二年に天皇が岩屋山に登られたことを記念した行幸記念碑(昭和4年)があった。
最上部からの展望は◎。晴れていればもっと気分がいいんだろうなぁ。

【二川トーチカ】(地図)

本土決戦用のトーチカ。二川駅近くの住宅街の中に、二階建ての建物くらいのサイズのコンクリの固まりが残っているのは不気味な感じ。

ということで、戦跡巡りは終了。のんほいパークに寄った後、コンビニで食事して、友人の車で二川宿本陣資料館へ。江戸時代の本陣が残っている貴重な施設である。ここの資料館はごく普通の宿場博物館だったが、特別展の「絵葉書のなかの豊橋」展が大当たりだった!軍隊関係の絵葉書と展示解説てんこ盛り(^_^) 気に入ったので、1600円の特別展のガイド本を買ってしまった。

★豊橋の明治以降の歴史に興味のある方へ;バックナンバーが残っていれば、買うべきです。

●豊橋市二川宿本陣資料館
豊橋市二川町字中町65番地、0532-41-8580
9時半~17時、月休、12/29~1/3休、400円
「絵葉書のなかの豊橋」は2006年4/29~6/11
公式サイト

【関連】
渥美半島の戦跡巡り
豊橋の戦争遺跡パート2(2008年)

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