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広島市名誉市民 三宅一生氏の御逝去に対する市長コメント
広島市の名誉市民である三宅一生先生の訃報に接し、大きな驚きと深い悲しみを禁じえません。
先生は、昭和13年(1938年)に広島市東蟹屋町(現・広島市東区)に生まれ、7歳の時に被爆されました。
多摩美術大学卒業後すぐに初のコレクション「布と石の詩」を発表されるなど精力的に活動を続けられ、同大学を卒業後、フランスのパリや米国ニューヨークでの修行を経て、昭和45年(1970年)に三宅デザイン事務所を設立されました。
先生は、平面の布と立体である身体との関係を独自の目でとらえ直し、「一枚の布」という画期的な衣服の概念で世界に衝撃を与え、昭和63年(1988年)に発表された「プリーツ・プリーズ」は国境を越え、世界中から広く支持されています。
先生の数々の活動は国内外で高く評価され、平成2年(1990年)には第1回ヒロシマ賞、平成5年(1993年)にはフランスのレジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエが授与され、さらには、服飾デザインを芸術の一分野として認識させたことなどにより平成10年(1998年)に文化功労者に選ばれ、平成22年(2010年)には文化勲章を受章されるなど、国内外において数多くの賞を受賞されました。
また、先生は、平成21年(2009年)7月にニューヨーク・タイムズ紙に「閃光の記憶」を寄稿され、自らの被爆体験を通して核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願う「ヒロシマの心」を広く世界にアピールされるなど、核兵器廃絶を願う広島にとってその御功績は誠に偉大であり、広島市民の誇りでした。
ここに改めて、その御功績を偲ぶとともに、先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、その遺志を受け継ぎ、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くしていくことをお誓い申し上げます。
令和4年(2022年)8月9日
広島市長 松井 一實