第百七十三話「協力体制」
空中城塞に赴いた時、アリエルは庭園でお茶会をしていた。
給仕はシルヴァリルであったが、ペルギウスの姿はなかった。
その代わり、アリエルの前に座るのはナナホシだった。
お茶会とは余裕あるじゃん。
と、一瞬だけ思ったが、そんな事は無かった。
アリエルは疲れきったサラリーマンのような顔をしていた。
主従揃って、おつかれモードのようだ。
一応、表面上は優雅っぽく取り繕っているも、しかし、目の下には、うっすらとクマが浮かんでいた。
かなり追い詰められているようだ。
そんな状態でナナホシに対し「聞いて? どうしたのって聞いて?」というオーラを出していた。
ナナホシはというと、アリエルを無視していた。
ただ、非常に居心地が悪そうだった。
一緒にお茶は飲むことを拒みはしないが、アリエルとペルギウスの間に挟まれて面倒な思いをしたくない、という事だろう。
無気力系主人公みたいな奴だな。
それでも立ち去らないのは、一応、この前病気で死にかけた時に手を貸してくれたメンバーの中にアリエルも含まれているからだろう。
アリエルは魔道具を提供してくれただけだが、それでも協力してくれたのは確かだし。
「ああ、ルーデウス」
それがゆえに、俺の姿を見た時に、ややほっとした顔をしていた。
「ちょっとこっちきて座ってくれない?」
俺はナナホシの言葉に従い、ナナホシとアリエルの間に座った。
座ると同時に、シルヴァリルがお茶を入れてくれた。
テーブルにお茶を置く動作がやや乱暴で、優雅なシルヴァリルにしては珍しいなと思って見ると、仮面の奥から冷たい視線を感じた。
もしかして、アルマンフィを召喚した件を怒っているのだろうか。
ごめんなさい……。
「……じゃ、ルディ。お願いね」
一緒についてきたシルフィは小声で俺にそう告げて、アリエルの後ろに立った。
シルフィがきたお陰か、アリエルの顔も若干ながら、ほっとした風に見えた。
ちらりと視界の端を見ると、ルークの姿もあった。
この会合の直前ルークには話を通してある。
「アリエルに協力する」と言うと、彼は非常に顔をほころばせていた。
「これはルーデウス様。ご無沙汰しております。龍神オルステッドの配下となられた事、改めて祝辞を述べ、ても……よろしいのでしょうか?」
アリエルに覇気が無い。
歯切れが悪い。
事前にシルフィからオルステッドのネガキャンを受けていたからかもしれない。
「ありがとうございます。どんな相手でも、強大な人物の下につけば安心できますからね」
「ルーデウス様もまた強大なお方……やはり、そうした方同士は惹かれ合うのでしょうね……私のような者では、相手にもされません」
おおう。アリエルが自分を卑下してらっしゃる。
これは、よほどダメな方向に落ち込んでるな。
「ねえ」
と、ナナホシに脇をツンツンされた。
「昨日、オルステッドが来たわ」
「ああ、どうでした?」
「謝ったら許してくれたわ。これからも頼むって」
「それはよかった」
短い言葉だが、ナナホシは肩の荷が降りたような顔をしていた。
ごめんで済めば警察はいらないとは言うが、大抵のことはごめんで済むのだ。
俺だったら騙されてハメられて殺されかけたら、ごめんで済まさないが。
許してしまうオルステッドの度量が大きいと見ておこう。
「私もオルステッド様を拝見させて頂きました」
と、そこでアリエルが鈴を転がすような声で言った。
やはり、心地のいい声だ。
彼女には、不思議と従いたくなるカリスマがある。
見目も麗しい。
俺が今までみた中で最も綺麗な金髪。
美麗という単語を具現化したら生まれるであろう美貌。
俺の周囲には美少女や美女が多いが、客観的な視点で点数をつけるとするなら、アリエルが一番だろう。
人間的な美しさではなく、絵画的な美しさだ。
美術だな。
もっとも、今は覇気がないため、疲れた未亡人のような艶やかさすら感じられるが。
……このカリスマも呪いの一種かもしれないな。
「オルステッド様は恐ろしいお方ですね。遠目に拝見しただけなのに、身の危険を感じるほどに……」
「いきなり誰かに襲いかかるほど、血に飢えた人ではないので、大丈夫ですよ」
そうか。
アリエルもオルステッドを見てしまったのか。
じゃあ、オルステッドの指示で動いている、という話はしない方がいいだろう。
でも、彼女もすでに俺がオルステッドの配下になった事は知ってるし……。
「そうですね。
昨日は、ナナホシ様とお茶を飲んで帰られましたが、終始機嫌が悪そうな顔をしていた割には、シルヴァリル様にお茶をこぼされても激高する事もありませんでしたし」
シルヴァリルにお茶をこぼされるオルステッド。
まさか、わざとじゃなかろうな。
いや、シルヴァリルがきっと怯えて手元が狂ったのだ。
「私はピリピリとした空気を感じましたが、ナナホシ様も珍しく朗らかにお笑いになられていた所を見ると、見た目や雰囲気よりも、ずっと寛大で懐の広い方なのでしょうね……」
……あれ?
そういう感想が出るのか。
アリエルには呪いの効きが悪いのだろうか。
とにかく、好都合ではあるが。
それとも、もしかしてヒトガミの仕業だろうか。
考えてみれば、ヒトガミにしてみれば、アリエルを操るのが最も効率がいいはずだ。
ルークを使ってアリエルを誘導するより、旗印であるアリエルを直接動かした方が無駄が少ない。
オルステッドはその可能性については一切示唆しなかったが……。
何か、アリエルがヒトガミに操られない根拠でもあるのだろうか。
「あれは、呪いで嫌われているだけらしいですからね」
「そうなのですか。でしたら、私も一声掛けさせていただければよかったかもしれませんね……遠目に見ても震えるほど恐ろしかったので、近くで声を聞いたら、失禁の一つもしてしまったかもしれませんが」
アリエルはそう言って、クスクスと笑った。
失禁て……。
「もっとも、人前での失禁というものも、なかなか気持ちのいいものなのですが……」
「えっ?」
「アリエル様!」
シルフィが「メッ」とでも言わんばかりの声を出した。
今、失禁が気持ちいいという言葉が聞こえたが……。
まあ、聞かなかった事にしてあげようか。
アスラ王国の貴族王族は変態が多いしな。
うん。
それにしても、この美術な人が失禁とかいうと、すごく背徳的だな。
「ルディ! アリエル様の前で鼻の下伸ばさないで!」
「イエス、マム」
思わず鼻の下を触ってしまう。
伸びてたかなぁ……。
確かに俺は変態だけど、基本的に見たいのは好きな子のだけなんだぜ。
例えばシルフィとか。
いや、見せてとは言わないけど。
「うっわ……」
ナナホシがドン引きしているが、とりあえず彼女は置いとこう。
「コホン。ともあれ、ルーデウス様がオルステッド様の配下になったと聞いて、私も納得する所がありました」
「ほう、それはどうして?」
「ルーデウス様を御せるのは、それぐらいの実力者だと思っていましたから」
そうだろうか。
俺を御すなんて簡単だと思うけどな。
シルフィが夜にベッドの上で「あのねルディ、お願いがあるの」とか言ってたら、ホイホイ言うこと聞いちゃうだろうし。
いや、決してアリエルにそういった事を求めているわけではなく。
欲しがっているものが俗物的で小さいって事だ。
金と女で動く男だよ、俺は。
ともあれ、そろそろ本題に入ろう。
アリエルに協力するという話だ。
「実力者とは……例えば、アリエル様とか?」
ちょっと遠回しに言ってみると、アリエルは口元に手を当てて目を細めた。
「あら……ルーデウス様でもそうしたお世辞を言うのですね」
お世辞じゃないんだけどな。
最近どうにも麻痺してきたが、アリエルだってアスラ王国の王女だ。
前世に照らし合わせるなら、イギリス皇太子みたいなもんだ。
式典で目にすることはあっても、言葉を交わすことはまず無く、こうして一緒にテーブルを囲む機会も無い。
運よく知り合いになる事はあるだろうし、
今がまさに、その運良く知り合いになった状態なのだろうが。
立場以外にも、アリエルは色々と頑張っている。
現在、魔法都市シャリーアで要職についている者の中に、アリエルの息の掛かっていないものはほとんどいない。
魔法大学校長、教頭。
魔術ギルドのお偉いさん。
魔道具工房の長。
商会の元締め。
冒険者ギルドの支部長。
俺が知っているのはこんなもんだが、アリエルの名前を出せば、大体どこも良くしてくれる。
少なくとも、魔法都市シャリーアの主要な産業のトップに、アリエルは粉をかけ終わっていると見た方がいいだろう。
要するに何が言いたいかってーと。
人脈の力ってのは、十分実力に入る。
アリエルは実力者だ。
「……私も、一度はルーデウス様を配下に、と思ったのですが」
「ほう」
「すぐに諦めました。理由は様々あったのですが、私の手には負えそうもないというのが、一番でしょうか……」
アリエルは真横を見た。
美しい庭園の向こうには、地面のような白い雲が広がっていた。
遥か彼方まで続く、青い空と共に。
それを見ながら、彼女はポツリとつぶやいた。
「『身に余る力を持つものよ、滅ぶがいい』」
一瞬、俺に言われたのかと思った。
だが、違った。
アリエルはゆっくりとこちらを向いて言葉を続けた。
「幼い頃、アスラ王宮で見た演劇の、魔界大帝キシリカ・キシリスのセリフです」
きっとそれは嘘だな。
誰かが作った捏造の歴史だ。
キシリカがそんなカッコイイこと言うはずがない。
「黄金騎士アルデバランがキシリカを倒した時、キシリカが死ぬ間際に、アルデバランに対して呪うように言ったのです」
「……ほう」
「その後、アルデバランは人族の王となるも、周囲から恐れられ、最終的には配下の裏切りによって殺されてしまいます」
随分と、人間臭い劇だな。
ていうか、俺の知ってる歴史と全然違うな。
「その演劇は、アスラの王族の歳の節目に必ず開催されるものです」
歳の節目というと、五歳、十歳、十五歳の誕生日の事だろう。
アスラ王国ではそういった時期に大々的にパーティを行う。
王族ということで、劇の一つも開催されるのだろう。
「もちろん史実とは違うのですが、アスラ王族としての心構えの全てが詰まっている、と聞かされました」
やっぱり史実とは違うのか。
そりゃそうか。
俺が知ってるのとも全然違うもんな。
黄金騎士アルデバランと、キシリカ・キシリスの相打ち。
いや、実際は魔龍王ラプラスと、闘神との対決だったっけか。
まあ、なんでもいいが。
「心構えの全て、ですか」
「はい。戦い、勝ち、そして統治するという、王の全てが」
「……」
「しかし、ならばなぜ、アルデバランは裏切られ、死んでしまったのか。
過去、この劇を作らせた王は、次代に滅べと言っているのか。
幼い頃は私には疑問でした。
ですが、15歳になった時に、ふと気づきました。
『身に余る力を持つものよ、滅ぶがいい』という言葉に、全てが集約されているのでは、と」
アリエルはそう言うと、もう一度、遠い空を見た。
「過ぎた力が、破滅への道を助長する。
ならば、過ぎた力は持たず、己の能力に見合った力のみでやっていくべき。
操れる力の全てをコントロールすることが、王への道だ。
私は、今でもそう思っています」
……アリエルは顔を伏せた。
長いまつげが影を作る。
「わかっているのです。ペルギウス様やルーデウス様も、私には過ぎた力だということは」
アリエルはいつもどおり、柔らかな笑みを浮かべていた。
だが、泣きそうに見えた。
「もう一度、最後にペルギウス様にお願いをしてダメなら、私は諦めようと思っています」
「諦めるんですか?」
「はい。もちろん、ペルギウス様に後ろ盾になってもらうのを諦めるだけで、王になるための道は諦めないつもりです。アスラ王国の王という地位は、私にとっては過ぎたものではないと、思っていますので」
「……」
なんだかなぁ。
ため息が出そうだ。
過ぎてるだの、過ぎてないだの。
「アリエル様」
「はい、なんでしょう、ルーデウス様」
「俺のどこが、強大なんですか?」
強大だの、特別だの。
確かに、俺はそういう存在に思われる事を夢見たことはある。
前世では、そう思っていて、失敗した。
だから、今世では、自分を特別だと思わないようにと心がけてきた。
間違っていないと思う。
「ルーデウス様の凄まじさを挙げればキリがありませんが……。
なにより、その魔力総量ですね」
「魔力総量」
確かに、その部分は、人より優れているかもしれない。
ラプラスの因子とやらのお陰で、魔力総量は凄まじく多い。
並の人間がいくら努力してもたどり着けない領域にいるかもしれない。
確かに、それが俺の人生で役だった事は多い。
けれど、全てがそれで解決できたわけじゃない。
俺の問題を解決してきたのは、もっと別の事だ。
「確かに、その魔力総量で、俺が悩んでいる事が全て解決できていたら、俺も自分を強大と思えたかもしれません」
「何かお悩み事が?」
「毎日悩みっぱなしですよ。特に最近は「家族になんて説明したらいいんだ」って悩みで潰れてしまいそうなほどにね」
ヒトガミに怯え。
オルステッドにビクつき。
家族には何を何と話せばいいかわからず、嘘とごまかしを続けている。
そんな俺が強大?
冗談はやめてほしい。
「ペルギウス様はどうかわかりませんが……少なくとも、俺は強大じゃありません。あなたの親友のシルフィの夫で、ちょっと魔力総量が多くて、ちょっと変な知り合いが多いだけで、いつも悩んでいる、どこにでもいる魔術師です」
我ながら赤面しそうなスカしたセリフだ。
しかし、本心である。
俺は、テーブルの上にあるアリエルの手をとった。
柔らかい手だな。
細くて、折れてしまいそうな指だ。
視界の端で、シルフィがむっとした顔をしてるのがわかる。
「アリエル様。実は今日、ここに来たのは、世間話をするためではありません」
「では、私を口説きにいらしたのですか?」
いきなり手を握られても、アリエルはいつもどおりの表情を崩さなかった。
柔らかな笑み。
やや疲れた笑みだが。
これが彼女のポーカーフェイスだ。
「口説き落ちてくれるなら、それも魅力的ですが……。
ルークと、シルフィの二人に、頼まれたんですよ」
アリエルは、珍しく慌てたような動作で後ろを振り返った。
泰然としたシルフィと、やや慌てて頭を下げるルークがいた。
「アリエル様を助けて欲しい、と」
そう口に出すと、アリエルの手の力がグッと強くなった。
繊細な指からは想像もできない強さは、痛みを覚えるぐらい。
「二人が、そんな事を……?」
「このルーデウス・グレイラットに助けを求めては? などと上から目線で言うつもりはありません。俺が言いたいのは、もっと違う事です」
いきなり手を握って、そんな事を言う。
普段のアリエルならどういう反応をしただろうか。
「俺にも協力させてくださいませんか?」
そう言った時、アリエルの瞳から、一筋の涙が流れた。
きれいな涙だった。
不思議と俺は、アリエルが泣くことが意外に思えてしまった。
なぜだろうか。
アリエルは、空いた手で、すぐにその涙を拭い、泣き笑いのような表情を作った。
「こんなに心に来る口説き文句を言われたのは、生まれて初めてですよ」
それが本気ではない、軽口だとわかるのは、彼女の顔が真面目面だからだ。
顔を赤らめているわけでもなく、泣いているわけでもない。
王女の顔をしていた。
「確かに、ありがたい申し出です……しかし」
アリエルはすぐにうなずかなかった。
顎を引き、やや上目遣いになりつつ、顔を覗きこんできた。
さながら、俺の真意を探るように。
「ルーデウス様はオルステッド様の配下になったと聞きます、そのような勝手が許されるのですか?」
「オルステッド様には、すでに話を通してあります」
「ということは、ルーデウス様は、オルステッド様の指示で動いているというわけですね?」
アリエルはオルステッドの呪いの効きが悪いし、堂々と協力すると言ってもいい気はする。
だが予定通り、オルステッドの目的については伏せていく。
「そういうわけではありませんが、アリエル王女に助力したいと言ったら、自由にしろと仰られました」
「……そうですか、わかりました。オルステッド様には感謝を」
視界の端でシルフィが口を尖らせているが、仕方あるまい。
「では、よろしくお願いします。ルーデウス様」
「はい、こちらこそ」
俺はアリエルの手を、先ほどとは違う形で握り直した。
握手である。
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さて。
協力体制を結んだ所で、話を進めよう。
「アリエル様を王にするためには、オルステッド様に協力を要請するのもアリですが……。
あの方はアスラ王国への影響力はほとんどありませんし、
あまり力にはなってくれないでしょう」
いけしゃあしゃあと前置きした上で、議題を提示する。
「なので、やはりペルギウス様の御助力が重要になるかと思います」
「そうですね」
アリエルは真面目な顔で、椅子に座り直した。
心なしか、シルフィとルークの顔も真面目さを増している気がする。
ペルギウスを説得する。
それが重要だとオルステッドも言っていた。
それほど、ペルギウスはアスラ王国への影響力が大きいって事だ。
しかし、どうやって説得するか。
確か、以前ペルギウスはこう言った。
それを、俺も口に出して言ってみる。
「『王として最も重要な要素とはなにか、それをアリエルが自身の口から言えば、我は貴様に手を貸してやろう』」
と。
アリエルの目尻がヒクッと動いた。
彼女が悩みに悩み、答えを出せなかった問いだ。
「王として最も重要な要素とは、一体なんなんでしょうね」
俺も聞かれて答えたが、マシな答え、という返答が返ってきたのを覚えている。
つまり、俺の答えは正解ではない、という事だ。
オルステッドの話が本当であるなら、これと似たような命題をデリック・レッドバットという人物が答えたという事になる。
まあ、歴史は違ってくるし、同じ質問とは限らないが。
デリックという人物について聞いてみるのがいいだろうな。
しかし、どうやって聞くべきか。
俺がデリックを知っているというのはおかしいだろうし。
「あ、その、それを話し合う前に一つ……」
と、アリエルは話の腰を折り、ちらりとシルヴァリルを見る。
「この会話は全てペルギウス様に聞こえていますが、宜しいのでしょうか」
「……? ペルギウス様も、楽しんで聞いているんじゃないでしょうかね」
「王とは何かという問いに、複数人で相談して答えてもよいものなのでしょうか……」
ああ、なるほど。
王なら、一人で悩んで一人で考えろって事か。
どうなんだろうか。
と、シルヴァリルを見てみると、彼女はゆらりと背中の翼を動かした。
「ペルギウス様はアリエル様がいかにして答えを出しても、その答えが正であれば、お力を貸してくれます」
なにせ、寛大なお方ですゆえ。
といわんばかりの態度である。
「では、最初から誰かに相談してもよかったと……?」
「むしろ、なぜお一人で悩まれているのか、ペルギウス様は非常に不思議がっておいででした」
アリエルはその言葉に苦笑した。
「思い込みが行動を狭めてしまっていたのですね……」
アリエルは呟き、気持ちを入れ替えるように立ち上がった。
両手で大きく髪をかきあげ、パッと金髪をちらした後、両手を組んでぐっと伸びをする。
首を左右に曲げてコキリと鳴らし、パンパンと頬を叩いた。
王女とは思えない仕草だ。
「よし! では、シルフィ、ルーク。席に」
「ハッ!」
「わかりました」
二人が嬉々として席に座り、ナナホシの居心地の悪さが倍になる。
「では、会議を始めましょう」
アリエルは出会った時と同様の、自信たっぷりの声で、そう言った。
拍手をすべきだろうか。
いや、やめとこう。
その代わり、挙手をして発言する。
「その前に、認識を共通にしておきたいのですが、よろしいですか?」
「認識、ですか?」
「ええ、思えば、俺はアリエル様のことを何も知りませんからね」
「まぁ……何をお知りになりたいのですか?」
アリエルが少し顔を赤らめ、シルフィがじとっとした視線を送ってくる。
別に、スリーサイズを聞きたいわけじゃない。
今は、真面目な話をしているのだ。
「まず、アリエル様は、どうして王になりたいのか、という所からお聞かせ願えればと思います」
アリエルは王になりたい。
その理由について、チラっと聞いた事はあったはずだ。
たしか、そう、死んでいった者たちがどうのこうの。
そこをたどれば、デリックという名前も出て来るはずだ。
「前にもお教えしたかと思いますが?」
「あれ? 聞きましたか?」
「はい、ルーデウス様とシルフィとの結婚式の時に」
「できれば、改めてもう一度、教えていただきたい」
そう言うと、アリエルは当然のように言った。
「王にならねば、私を信じ死んでいった者たちにも顔向けができないからです」
「なるほど、信じ、死んでいった者たち……。
その人達について、詳しい話を聞いても?」
そう聞くと、アリエルはにこりと笑い、首をかしげた。
「その事が、命題と関係が?」
あ、これ、拒絶の顔だ。
言いたくないのだろうか。
「関係あるかどうかはわかりません。ただ、俺の目には、ペルギウス様がアリエル様を試しているようにも見えました。ならば、アリエル様の内面を掘り返してみれば、糸口が掴めるかもしれません」
「なるほど」
適当だが、もっともらしい言葉が出てきた。
でも、正直な話だ。
俺には真の王がなんたるか、なんてのはわからない。
昔、なんかの小説で見た程度だ。
「王は人のために生きる、否、むしろ人を導く者が王だ」とかなんとか。
そんな俺がウンウンと頭を悩ませた所で、答えなど出るはずがない。
「そうですね。
とはいえ、死んでいった者たちは、数多くいます。
特にアスラ王国から逃げ出すときに逝ってしまった13人……。
四人の騎士、アリステア、カラム、ドミニク、セドリック。
三人の術師、ケヴィン、ヨハン、バベット。
六人の侍従、ヴィクトル、マルスラン、ベルナデット、エドウィーナ、フロランス、コリーヌ。
この13人の名前は、一生忘れることは無いでしょう。
辛い旅を共にし、共に戦い、苦難を乗り越え。
そして誰もが、私が王になることを望み、死んで逝きました」
あれ?
デリックって名前が出てこない。
おかしいな……。
オルステッドの話では、死んでしまっているという話だったが。
アリエルにとっては、それほど重要な人物ではないのだろうか。
いや、もしデリックが生きていたとしたら、この13人からヒントを得ていた可能性もある。
「それぞれ、一人ひとりの事を詳しく聞かせてください」
「わかりました、少々長くなりますが、よろしいですか?」
「構いません、誰一人として、無駄な人物などいないでしょうからね」
そう言うと、何故か場の空気が、少し緩んだ。
アリエルが微笑み、ルークが意外そうな顔をしていた。
シルフィも心なしか誇らしげな顔だ。
ナナホシだけが居心地悪そうだ。
「では……」
アリエルは、ゆっくりとした口調で、13人のことを話した。
どんな出身で、どこで育ち、どんな経緯でアリエルと出会う事になったか。
どんな性格で、何が好きで、何が嫌いだったか。
何を誇りに思っていたか。
どんな会話をして、どんな事で笑い、どんな事で怒り、どんな事で泣いたか。
誰と誰が仲がよく、誰が誰を好きだったか、誰が誰を嫌いだったか。
そして、どんな最後を迎えたか。
それぞれドラマがあり、全員が生きた人間だった。
アリエルの話だけでも十分すぎるほど、一人一人の人となりが伝わってきた。
そのうえ、途中、途中でルークやシルフィが注釈を入れてくれた。
きっと、彼女ら三人は、同じことを聞けば、同じぐらいの話を返してくれるぐらい、13人の事を覚えているのだろう。
この場にいない、あの二人の女従者も……。
未来の日記には、シルフィは俺がダメになったせいで、アリエルについていったとあった。
だが、もし俺がダメになっていなくても、シルフィはアリエルについていってしまうのではないだろうか。
そう思えるほど、彼らの絆は、強かった。
ちょっと嫉妬するな。
でも、自分のために死んでくれた。
自分をかばって死んでくれた。
その重さは、俺だってよく知っているつもりだ。
シルフィがその重さを知ってるってことは、良いことなのだ。
「以上となります」
「なるほど……」
しかし、残念ながら俺はその13人の話の中から、王の要素なるものでピンと来るものは無かった。
ある意味、その絆こそが王の証なのではないだろうか、と思う事はある。
アーサー王の円卓だって、13の席があったというし。
いや、アリエルの周囲で生き残った人間も含めると、数は合わないけど。
「ルーデウス様、何か分かりましたか?」
「いえ……残念ながら」
「そうですか……」
アリエルは、ふうとため息をついた。
そこに、すかさずシルヴァリルがお茶のおかわりを差し出した。
俺も会話の途中で一杯飲んだが、深い香りと苦味、そして仄かな甘味を持つ、コーヒーにも似たお茶だ。
ナナホシはというと、話の節目でトイレに立ち、そのまま逃走した。
さすがに、誰がどう死んだかって話は、彼女には重すぎたかもしれない。
「さて、では、次は何を話しましょうか」
「そうですね」
デリック・レッドバットの事を聞きたい。
超聞きたい。
でも、せめて名前が出てこないと、聞きようがない。
いっそ、名前だけ出してから、あとでシルフィあたりに口裏合わせでもしてもらおうか。
聞くは一時の恥っていうし。
迷っていると、アリエルがふと、顎に手をあてた。
「ああ、まったく関係ない事なのですが、ふと、昔の事を思い出しました」
「……ほう?」
「ルーク、覚えていますか? 10歳ぐらいの頃、王宮内の庭園で、毎日のようにお茶をしていた頃のことを」
シルフィは首をかしげているが、ルークは懐かしそうに目を細めた。
「ええ、でも毎日ではありませんでした。精々、三日に一度ではありませんでしたか?」
「そうですね、当時は、色んな行事に駆り出されていましたから。
暇な日の午前中は、日差しを浴びながらあの庭園でお茶を飲むのが、習慣でした。
私と、ルークと、デリックで……」
俺はその単語を聞き逃さなかった。
「デリック? 誰ですか、それは?」
「ええ、シルフィの前に守護術師を務めていた、レッドバット家の子息です。
優秀な魔術師でしたが、転移事件の際に私を守って亡くなりました」
「ほう……その方のことを、詳しく聞いても?」
ようやく、デリックという人物の名前が出てきた。
転移事件で死んでしまったという情報通りだ。
巻き込まれたという事は、フィットア領にいたのだろうか。
これを詳しく聞けば、突破口が開けるかもしれない。
「……」
しかし、アリエルは驚いたような顔をして、口を閉ざしていた。
「どうしました?」
「……いえ、思い返せば、私が王になろうと思ったのは、デリックの死がきっかけだったことを、思い出しました」
アリエルは、何かに気づいたように、口元に手を当てていた。
「そのへん、詳しく教えていただけますか?」
「いえ、詳しくと言っても、何分、10年近く前のことですから。
デリックのことも忘れ気味で……」
「思い出してみてください」
アリエルはスッとお茶を飲み、顎を引いて、目をつぶった。
記憶を探っているのだろう。
しばらくそうしていたが、ふと、アリエルは目を開いた。
「デリック・レッドバットは、私の守護術師でした。
彼は常日頃から、私は王を目指すべきだと忠言をくれていました」
「ほう」
「当時の私は、王になるため兄上と戦うなどと考えてはおらず、
デリックの言葉も正直、煩わしく感じていました」
「その頃は、別に王にはなりたくなかったと」
「ええ。こうして、今のようにお茶を飲みつつ、ルークと共に王宮の女の子をどのようにして寝所に連れ込むか、という談義をしていれば、満足でした」
「んっんー?」
10年前って、アリエル様、まだ10歳ぐらいだよね?
ルークも同じぐらいだよね?
アスラ王国の貴族はなんてーか、進んでるね?
まあ、それはいい。人それぞれだ。
「コホン。アスラ王宮内では私を王に、と画策するものたちもいましたが、誰もが己の利権のために私を祭り上げようとしているだけでした」
まあ、俺もそんな奴らの仲間と言えないこともない。
「そんな中、デリックだけは、真摯だったと思います。
彼は私が王になれば、国がより良くなると信じて疑っていなかったように思います。
今思えば……ですが」
「ほう」
アリエルは、当時の事を語った。
アスラ王国にて起こった事件の話。
シルフィが転移してくる直前の話だ。
転移事件が起きた時、アリエルは庭園でお茶をしていた。
デリックはトイレで席を外しており、ルークだけが護衛としてその場にいた。
アリエルは当然ながら、魔物が出て来るなど、露ほどにも思っていなかったという。
そんな場所に、魔物が転移してきた。
真っ先に気づいたのは、トイレから戻ってきたばかりのデリックだった。
アリエルに向かって走りつつ、魔術を詠唱するデリック。
彼は、魔物を見た瞬間、攻撃魔術を詠唱しようとしたのだ。
しかし、彼は魔術の詠唱をやめて大声で注意を呼びかけた。
そのおかげで、アリエルは魔物の存在に気づき、運良く初撃を回避することに成功した。
でも距離が近すぎた。
目と鼻の先に迫った魔物。
ルークは動いていたが、時すでに遅かった。
そこにデリックが走りこんできて、己が身をアリエルと魔物の間に割り込ませたのだ。
そしてデリックは魔物の一撃を受けて即死した。
その後、シルフィが転移してきて魔物を退治するそうだが……それはまた別の話だ。
「あそこで魔術の詠唱を中断しなければ、デリックは魔物を倒し、命を失うことはなかったのに……」
「でもその場合、アリエル様は死んでいた」
「そうですね。死ぬか、あるいは重い傷を負っていたのは間違いないでしょう」
デリックは文字通り、命を掛けてアリエルを守ったわけだ。
「デリックは、最後に言いました。
『どうか、王になられてください』と。
私はその時、初めて、デリックが真摯な気持ちで私を王に推挙していたのだと実感できた気がします」
アリエルは続けていった。
「そして、迫る魔物を前に、明確な死を前に、
初めて心の底から王になろう、王にならなければいけないと、
だから死ぬわけにはいかないと、そう思ったのです」
アリエルはテーブルの上でグッと拳を握っていた。
その瞳は見開かれ、握った拳を凝視していた。
「どうして、私はそのことを忘れていたのでしょうか……こんな、大切なことを」
アリエルは、肩をフルフルと震わせ、沈痛に顔をうつむかせた。
後悔。
初心を忘れた事への、後悔。
俺はなんと声を掛ければいいのかわからなかった。
シルフィも、ルークもそうだった。
だが、アリエルは何も言わずとも顔をあげた。
憑き物が落ちたような顔をしていた。
初心に戻ることで、最初の心構えを思い出すことで、心のつかえがとれたのだろうか。
良いことだ。
「……」
しかし、今の話では、王の要素はわからなかったな。
フリダシに戻ってしまった気分だ。
シルフィとルークに、改めて意見を聞いた方がいいだろうか。
「素晴らしい話ですが、しかし、王の要素とは関係なさそうですね。どうしたものか……」
「いいえ、ルーデウス様」
悩む俺に、アリエルはゆっくりと首を振った。
晴れやかな顔で、透き通るような笑顔を見せていた。
思わず見とれてしまいそうなほど、美しい笑顔。
見とれる俺に、彼女は言った。
「答えがわかりました」
と。