でれでれ草さんの記事を転載引用させていただきます。
※でれでれ草さんの記事からの画像がうまく取り込めないものが複数ありますので、転載元記事の方でご覧ください。
美智子さん、徳仁さん について
鬼塚史観と皇室問題|托卵と貰い子でつなぐ近代皇統(4) | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
(こちらの記事↑より転載ここから)
【鬼塚史観】初代:昭和西園寺天皇
ほんとうに、昭和天皇の実父が西園寺八郎(旧姓毛利)だったとしたら、ここで明治・大室王朝が絶えます。そして西園寺王朝の始まりです。
西園寺八郎は、毛利家から養子に来た方なので、実質的には毛利王朝といえるかもしれません。
【鬼塚史観】西園寺王朝二代目:今上天皇
もらい子だという噂が高いのですが、とりあえず2代目にカウントさせていただきます。
皇太子時代の明仁さんとは、耳が違いますね。頭蓋骨も違います。顎の長さ、頭蓋骨の奥行き、、、、別人でしょうたぶん。
明仁さんは、複数の「正田美智子」と婚姻関係を結びました。「正田美智子」というのは、明仁さん専用の喜び組の屋号です。
同時期に複数の美智子。この時期は「美人ミッチー3号チーム」ですね。
美智子だけではなく、明仁さんも同時期に複数いるようです。頭身も身長も顔も違います。屋号化したのかもしれません。
今の皇族とは、複数の正体不明の人間による屋号化したチームです。それぞれの明仁さんの父系が不明であり、正確には西園寺朝といえるかどうか不明です。
後日、それぞれの妃を取り上げますが、似た者通し、同種で引き合い結婚することが多いですね。つまり、妻をみれば夫がわかるのではないでしょうか。
正田家は群馬の部落から成り上がった家ですが、正田美智子は、正田家の長女ではなく、西武グループの創立者である堤康次郎の隠し子だといわれています。じっさい、正田美智子は、堤家のひとびとご風貌が似ていますし、あきらかに明仁皇太子家は堤家と連携していました。
堤家は、滋賀の部落に住み着いた朝鮮人を発祥としているといわれています。そこを総会屋に恐喝されていましたから、朝鮮系の滋賀の部落からなりあがったのは事実でしょう。
明仁さんの出生にまつわる噂として、秩父宮が陸軍にはいり地方に駐屯しているときに、売春婦にはらまして産ませた子供だという噂がありました。
仮に真実なら、その売春婦は朝鮮系だったのではないでしょうか。そして父親は本当に秩父宮だったのでしょうか。
【でれでれ史観】佐伯王朝初代:徳仁天皇(予定)
偽王朝は3代以上は続かないみたいですが、西園寺(毛利)王朝も続きませんでした。
長男徳仁さんが、思いっきり托卵でした。
ご成婚した正田美智子が産んだ徳仁親王は、なぜか、朝日新聞の正田美智子担当だった新聞記者にそっくりです。成人後、英国へ留学しますが、そのときに鼻を明仁さんににせてワシ鼻にしています。
徳仁も複数いますが、いちおう本物あつかいされている徳仁さんを徳仁1号と呼んでいます。ご成婚した正田美智子がうんだこどもだとおもいます。
ご成婚した正田美智子は、第二子を懐妊するも胎児がブドウ状に奇形化して掻把の手術を受けます。その後、半年間の長期静養に入りますが、その後行方がわかりません。
自殺をほのめかす電話を友人にかけまくった形跡があり、自殺したと思われます。
ご成婚した「美智子様」は、低身長でひどい猫背でしたが、
御静養後、あらわれた「美智子様」は、背丈が10センチは伸び、小顔、小さな耳、まっすぐな脚の美人にかわっていました。不思議なことです。
話をナルちゃんに戻しますが、②耳が下部についているナルちゃんを、徳仁1号と呼んでいます。ご成婚した正田美智子の子供と思われます。
若いころのナルちゃんは、若いころの佐伯氏に似ています。
同時期に複数の徳仁、複数の美智子が確認できます。
左:徳仁2号、右:徳仁1号、
上段:徳仁1号、色白、ストレートヘア、丸顔、
下段:徳仁2号、色黒、剛毛くせ毛、丸いおでこ、落花生のような頭蓋骨
A≠Bですね。そしてBは徳仁2号と思われます。
正田美智子の生んだ徳仁以外にも徳仁はたくさんいるところをみると、こちらも早くから屋号化していたようです。
正田美智子が産んだ、いちおうは皇族として認められていた徳仁さんは、2017年1月の宮中行事を最後に今は行方不明です。尿パックの着用と、尿漏れが確認されており、死去したと思われます。その後、徳仁を務めているのは、風貌が似ているだけで中国人の労働者臭い、手の荒れた下品なにせものです。
口唇口蓋裂のあとがある徳仁もいます。いずれの徳仁さんも、発音が中国風で、おかしいことが指摘されています。
本当に、この偽物が即位するのでしょうか。
続きます。
………………………………………………………………………………(転載ここまで)
皇室典範|皇位継承の資格⑧番外編・托卵疑惑 | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
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拙ブログへお越しいただきありがとうございます。
最後に、番外編として、、徳仁親王の托卵子疑惑を取り上げたいと思います。
徳仁親王が明仁天皇の御子ではなく、別の男性のお子様ではないのかという疑惑は古くからありました。
徳仁親王の出生日に絡む疑惑
<ご成婚日1959年4月10日
出産予定日
1960年3月第一週目
徳仁親王出生日
1960年2月23日
黄体ホルモンをいれての、分娩でした。
![]()
無題 Name 名無し 16/01/30(土)15:42 id:SmEkdD4A No.1523508
計算から導き出される受精予定日は6月半ばです。
にもかかわらず美智子が書かせていた小説「美智子様」では5月半ばに受精したようなごまかし工作がなされています。
美智子は6月半ばに非公式で一人外出しています。
外出したときにすでに妊娠していたような書き方がされています。
美智子は 徳仁が明仁の子ではないのでは?と
昭和天皇はじめとした皇族らに疑われていたのではないでしょうか?
無題 Name 名無し 16/02/01(月)22:49 id:R7EIV7EU No.1526215
堤一族の子でナットクの顔。
昭和34年(35年と仰る方も)6月14日に
M子が一人で外出して、その日にナルを受精したと
情報が出ています。
徳仁親王の出生カルテが紛失
東京大学医学部付属病院は2007年6月21日、入院患者120人分の個人情報が記載されていた 入院台帳1冊が紛失したと発表した。この中に徳仁親王の腸のポリープ摘出手術のカルテが含まれていました。
本来なら、徳仁親王が出生された2月23日より1週間は前だったのですが、促進剤を入れて無理やり出産させました。
何故でしょ。
受精日をごまかすために無理やり出したのでは、という疑惑を呼びます。
美智子夫人が深窓の令嬢であるなら、こうした疑惑は発生しないのですが、ご成婚前の所業やご成婚後の、おふるまいを考えてみると疑惑を呼ぶのです。
美智子夫人の所業に絡む疑惑
正田美智子はご成婚まえにすでに2人いたようです。
左の正田美智子
・面長、額の生え際にむらがある、顔のパーツが中心によっている、
右のご成婚した正田美智子
・オカメ顔、富士額、
愛子さんと愛子さんの影武者の影子たちのように、ともに、同じ工作員チームに所属する、聖心女学院に通う同級生だったのかもしれません。
貞淑な女性であるなら、こうした疑惑は信憑性を持たないのですが、、、
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http://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm
… 無題 Name 名無し 15/10/15(木)20:22 id:feDM8vdk No.1435572
「御徒町が恋しい。」
…御成婚の後、皇居の《籠の鳥》となられた、お可哀想な
美智子妃殿下が そう、おっしゃったそうな…。
「アメ横」に、自由の身であった頃は通っていたそうな。
「アメ横」→戦前は「しょうべん横町」と呼ばれた。
戦後は、闇市の場となり
愚連隊の温床となった。
その中の最大の集団「血桜団」は、朝鮮人連盟と結託して、
賭博、かっぱらい、恐喝、女衒、街娼のショバ代を
稼ぎの源とした。
…今尚、中国人.韓国人であふれ、風俗の多い場所です。
(ここまで)
御徒町
当時、この町に出入りしていた日本女性は2種類しかいなかったそうです。
1オンリーさん
2パンパンさん
1は、進駐軍の将校用の特定の彼女さん、愛人さんです。
愛人になるかわりに、生活の面倒を見てもらい、身内の留学やビジネスの口をきいてもらったりしていたそうです。旨く行けば、軍人さんの正妻にしてもらえました。
2は、進駐軍さんたちの相手をするフリーな女性たちです。
路上に立ち、日々、頑張っておられました。
ご成婚後、明仁夫人二なった後も、新聞記者にタバコの火をつけてさしあげたこともあり、大人の男性の接待をしていたか、あるいは、自らが喫煙していた可能性もあります。
御花を生ける美智子様
バラの生け方から見て、華道の素養がないことがわかります。
当時の良家の子女は、お茶、御花、お料理は必須でしたが、美智子様は、習い事をした形跡がありません。
一方では、15歳の頃からエリート男性のための婚活パーティーである竹山パーティーに参加。ダンスを踊ってたもよう。
良家の子女とは思えません。
女性は若い方が有利、早いうちから売りこんどけ、という考え方は、娼婦、風俗業界のものであって、良家はもとより、当時の保守的な一般家庭でもないでしょう。
第一ボタンをはずして、メンチを切ってガンをとばす美智子さま。
耳には球形のピアス。
テニスでの、口癖は「やばい」。
出入りする町は御徒町。
ことばの乱れに、服装の乱れに、性のみだれ。
それを、世間ではヤンキーといいます。
酷い着物のきつけかたです。
2人の美智子様は、耳にピアスをされてます。
耳に穴をあけてピアスをするという習慣が、ファッションとして定着したのは、90年代に入ってからですね。
当時、耳に穴をあけている日本女性は珍しく、さらには、良家の名門女学校に通う方の中では、美智子様位ではなかったでしょうか。
幼少時から耳に穴をあけてピアスをするのは、中国系ならありえたそうです。
こうした「しつけ」は、母親の正田富美にあるようです。
彼女は大陸で育った方で、「上海夫人」もしくは「大陸夫人」とよばれていました。
正田邸も、土足での生活だったらしく、上海の租界のスタイルを貫いていたようです。
当時、大陸夫人とよばれる方は、日本語が流ちょうな中国系、朝鮮系のアジア系女性という意味だったそうです。
富美にも、家系図がありますが、母親が不詳です。
さらに、富美は、美智子夫人が皇太子の妻になる可能性がでてきたころ、副島家に、戸籍を買いたいと申し出たというリークもあります。
※伏見氏より,お借りしてます。
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http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/5b5f7b71a9f433992e38b86070996e3d
11月に、鹿児島の父の従兄弟の御宅に、挨拶がてら、遊びに行きました。父の従兄弟の奥さんは、旧華族の秋月子爵のお嬢様で、高齢になった今でも、全身からオーラを発していらっしゃいます。
年は、聞けませんが、結婚したのが1970年ですから、正田泰子と同じくらいでしょうか。
(略)
聞くと、正田美智子入内以来、旧華族の人達は、「諦め」にも似た気分で、戦々恐々として口をつぐんでいたそうです。
御妃候補が美智子に、絞られ始めたときから、正田は部落の家系、実の父は正田英三郎ではなく、妻、富美と部落出身の堤康次郎との不倫の子だという事を知っていたそうです。
富美の「大陸夫人」と言う俗称も、一応、娘が、皇太子妃だから遠まわしに皮肉で付けた呼び名で、家の中では「朝鮮女」と侮蔑していたそうです。
何よりも、家族の人達が恐れたのは、「部落ヤクザ」の西武の堤康次郎の娘だからです。「ピストル堤」と呼ばれた歴史に残る極悪人の娘ですから、下手に美智子と関わると、実父の手のものに殺されるかもしれない。と言う恐怖は、当時の家族の方々には当然の恐怖であったと思います。当時朝鮮人が未だ、暴れていた時代で、敗戦後の警察力も弱く、日本人は朝鮮人達の暴行と脅しに屈していた時代です。
(ここまで)
コメント欄より
初めてコメントさせていただきます。
堤康次郎の下りを読み思わず「あっ」と、声が出てしまいました。
私の実家は西武の地元に代々住む家で、祖父や父、親戚の叔父達から堤がどのような手段であの辺りの土地を手に入れて成り上がったかを聞いて育ちました。
御多分に洩れず部落です。
昔から西武グループはそちらの人達が多く働いています。それより何より堤清二と美智子さんが似ていると、確かにそのように見えますが、他にもよく似た人物を思い出しました。
記事中にあるように、康次郎が女色に耽ったのは事実で地元の芸者に産ませた子供を見知っています。この人物が見事に美智子さんに似ています。
垂れ下がった康次郎譲りの鼻、腫れぼったい瞼に眉と目の間が広くあいている所も。何かパズルのピースが嵌っていくようで、少し身震いいたしました。
(以上)
堤氏は、家の女中、親類、部下、友人、取引さき、子会社、孫会社、芸者さん、玄人さん、あらゆるところにいる女性に手を付けて、お子様を3桁ほど残されたそうです。葬儀には、よくにた子供を連れた女性が押し寄せてきて収集がつかなかったみたいですね。
さらに、堤康次郎氏のお子様の一人、堤清二さんについての証言もあります。
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【ダヤンレポート】その⑪ – 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
③そう云えば、浩宮(告白するには遅すぎたアホの坂田)って、堤(清二)さんに似ている。これは、
今回出張で同行した会社役員の妹が、西武百貨店でその堤の秘書をしていた。その衝撃のエピソード。
堤は、その秘書に対し、の坂田を「ヒロ君」「ヒロ坊」「ヒロッチ」と呼んでいた。
のめぐりが悪い(理解力がない)のではなく、血は争えない。血は水より濃い。
(ここまで)
美智子夫人は、そういう雰囲気の、ご家庭で育った方なのです。
ナルちゃんの整形手術に絡む疑惑
そして、徳仁親王の整形です。
徳仁親王は、正田家はもとより、皇族のだれにも似ていらっしゃいません。
さらには、段階的に、明仁天皇に似せるため整形手術をされています。
明仁天皇はワシ鼻です。
徳仁さんは、この時期、ワシ鼻ではありませんね。
ワシ鼻ではないナルちゃん
わざとらしいワシ鼻になっています。鼻に詰め込んだ異物が逃げ出しそうです。
明仁天皇に似せるため整形しているようです。何故でしょう。
さらに、朝鮮風の釣り目も直しています。
複数体制の可能性があります。
特定人物に酷似している疑惑
では、徳仁親王の遺伝上の父親がだれか、という疑惑ですが、
1 朝日新聞記者・お妃候補担当、ご成婚後は皇太子家担当の、佐伯晋氏説
2 堤康次郎による、試し腹説
が根深くあります。
佐伯晋氏
お妃候補取材担当だった方ですが、正田家にはフリーパスで出入りできた御方。
美智子嬢のプライベイトな写真をいくつも残しています。
似てるんですよね。これがまた。
表情筋の使い方が左右非対称なとこが同じなのね。
ソックリでしょ。不思議ね。
あくまで疑惑ですから。
でも、DNA鑑定は受けていただきたいですね。
そして、皇室典範に戻ります。
皇室典範
第一条
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第五条
徳仁親王殿下。
この方は、はたして、皇室典範、第一条、第五条に適応する方でしょうか。
以上です。
ご拝読いただきありがとうございました。
……………………………………………………………………………………(転載ここまで)
皇太子の影武者㉑托卵疑惑 | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
(こちらの記事↑より転載ここから)
皇太子浩宮徳仁の托卵疑惑、ナルちゃんズの実父疑惑の男性たち
浩宮徳仁
TOKYO, Japan – File photo shows Japan’s Crown Prince Naruhito and Crown Princess Masako waving during their wedding parade in Tokyo on June 9, 1993. The couple marked their 20th wedding anniversary on June 9, 2013. (Kyodo)
生命線と頭脳線の始まりがS字に湾曲している変った手相をしていたナルちゃん。人差し指が長いナルちゃん。
淘汰されずに、わざわざ差し込んでくるところを見ると、この時期の「正妻」であったミッチ―4号の実子だったのかもしれませんね
ナルちゃんは両親から、いたわりと愛情が注がれているのがわかる写真です。
でも、いたわり方が、成人した息子に対するいたわりと愛情というよりは、なにかハンデを持った子供に対する無条件の許容といたわりのようにも見えます。とはいうものの、自信はありません(笑)
実父の明仁さんはもとより、天皇家の誰にも似ていないというのも不思議な話ですね。
天皇家の方々
かなり知能が低かったこと、もしかしたら、右手に軽い奇形があったかもしれない形跡があります。少し右腕が長いですね。
正田美智子が複数いる上に、ご成婚から出産までの間に美智子は10回は単独で外出しているとのことなので貞操に疑いがあり、ナルちゃんズの父親が明仁さんでない可能性は高いと思います。
わざわざ促進剤を入れて出産を早めたのも、受胎日をごまかすためのかも、と思ってしまします。それに、ナルちゃんの出生時のカルテが紛失したのも気になりますね。
もし明仁さんの実子だったとしても、今、この浩宮徳仁が生存しているかどうかわかりまん。今世紀に入っていらい、本物とおもわれる浩宮徳仁の画像は拾えませんから。生きていないかもしれません。
徳仁1号と佐伯晋
2015年の秋の園遊会、派手に尿漏れしていた徳仁1号
耳の位置が低い位置にあるので、同一人物ではないだろうかとおもっている管理人。
右は正田美智子と親しかった、朝日新聞、お妃候補担当記者の佐伯氏。佐伯氏の歯並びをちゃんとしたら似てくるかも。
成婚以前から正田家のみならず美智子の部屋にいたるまで、にフリーで出入りが許されていた記者。
高級住宅地にあったとはいえ、正田邸は豪邸とはいえないサイズのお家。
この小さな家に、自由に出入りができたのが佐伯さんだったのね。
正田美智子の多くのプライベイトな写真を残しているかた。
佐伯氏はご成婚当日のお別れの朝には、美智子の部屋から見送ったとされるかた。
さらに、美智子が皇太子の求婚をうけるかどうかの、箱根の親族会議にも参加していた人。
ただの新聞記者ではな勝ったと思う。美智子と同じく、工作員として育てられていた人ではないでしょうか。
後年、朝日新聞社のなかで、社会部に所属しながらも異様な出世を遂げました。
ナルちゃん1号とこの人が、超似てるんですよネ。
実父の明仁さんより、正田家・皇太子家の担当新聞記者ににているというのも不思議な話ですね。
徳仁2号と入江侍従長
しつこく反秋篠宮派が流し続けるデマの一つが、秋篠宮様が美智子と入江侍従長との間の不義の子というデマ。
実際、美智子と入江が不倫をしていたという話はよく聞きます。そして、入江の職務態度も悪かったことも。昼間っから勤務中に飲酒したりしてたそうです。
紀子様の婚前の堕胎のデマが雅子のスライドであったことは有名ですが、この入江に関するデマもスライドかもしれません。
入江と実父とした親王は秋篠宮様ではなく、徳仁2号ではなかったでしょうか。
妙に、2号の口のゆがみ方が、美智子との密通が噂されていた入江侍従長ににてたりするので謎が多そうです。
いろいろ貼っときます。
実父の明仁さんより、侍従長ににているというのも不思議な話ですね。
堤とナルちゃん
美智子の異母兄弟の堤義明もねじれてるんですけど、とはねじれる方向が逆方向なんですよね。
ぎょっとするほど、ナルちゃんと堤清二、義明兄弟とが似ている画像があったりしますけどね。
堤清二さんは、ナルちゃんのことを、ヒロッチ、とよんでたそうですから、やはり、ミッチーズの女どもは堤家の血族だったのでしょう。
ナルちゃんズの中には、成長過程の段階で、背丈が伸びたので脱落したダブルもいると思います。
関わる人間の数が多いと危険ですし、誰でもいいというわけでもないし、秘密が守れる関係となると、ミッチーズの真の実家の堤家の血族からということになりそうです。
歴代のミッチーズと『ねむの木学園』
もし、管理人の仮説通りなら、発達障害の本物の徳仁は、美智子が気にかけている「ねむの木村」に預かってもらい、くらしている可能性もあるかも。
ねむの木学園は障害をもった方たちのための施設でしたね。
左翼同和仲間の吉永小百合
異様なまでに、歴代のミッチーズはねむの木学園にこだわりましたね。左翼つながりもあったと思いますが。
皇族皇室が、福祉に気持ちをよせるのは当然なのですが、阪神大震災には御所に生えていた野草を数本、しかも在日の居住区にささげた美智子、東北震災への寄付として古本をおくり、しかも、贈り先が知人のカトリックの施設だったという、美智子の吝嗇ぶり偽善ぶりをかんがえると異様な気がします。
ナルちゃんのみならず、もしかして、本物の愛子さんを影子とすり替えた後は、ねむの木学園にこっそり隠すつもりだったのかも、と考えてしまいます。
コメント欄より
こんにちは。
連日連投お疲れ様でございます。
そして、ありがとうございます。
次の記事(ねむの木学園)にコメントしようと思ったのにコメント欄が開かないので、こちらで失礼させて頂きます。
仮説とはいっても鋭い洞察力で素晴らしいです。
毎回ワクワクしながら拝読しております。
少し前に皇室全般画像掲示板で、本物のアイボンは生きているのか?のレスで「本物は静岡に居る」というカキコミがありました。
何で静岡県?と印象に残っておりましたが、
でれでれ様のねむの木学園の仮説で、ハッと思い、ねむの木学園を検索してみると静岡県なんですねー。
ひえぇぇ、、、鳥肌が立ちました。
まさかでしょうか?
(以上)
ありがとうございました。
まさか、、、かもしれませんね~~。
学習院へ通うナルちゃん
学習院時代のエピソードと、成人後のナルちゃんとの連続性があるので、学習院へは初等部のころから、軽度の発達障害だった後年尿漏れをする1号を通わせてたのではないでしょうか。徳仁1号本人も、自分がダブルだと知らないで育った可能性もあります。
ナルちゃんの学習院での「ごゆっくりさん」は伝説化していますので、かえってダブルだと疑われなかったのかなと思ったりします。
ナルちゃんの留学
そして、比較的ましな知能の入江の落胤かもしれない徳仁2号を英国留学させた後は、ごゆっくりさんの尿漏れ1号は簡単な公務、祭祀、宮中行事、そして、知能が少しはましな徳仁2号が主に会見や公務を担当したのかな、と。
でも、最近,1号も2号もみないとこみると、1号も2号も病気か死去かわかりませんが命数のもとに身心いずれかを病み、何らかの形で引退したのかな、とか。
この場合、ダブルの徳仁さんたちは戸籍がないことも考えらえます。
父親は不明ですが、徳仁とは、複数の美智子が生んだ男児のことのようです。
徳仁さんのダブルは複数いたけど、浩宮の命数を共有していたのでみな出来がわるかったのかな、とか。
雅子は誰と婚姻したのか?愛子さんの父親は??
雅子と結婚生活をし、愛子さんの父となったのはどのナルなのかは不明。
雅子が婚姻する相手が、2000年つづいた王家の嫡男でもなんでもなく、正田美智子に化けた社会の最下層に位置する朝鮮系女工作員が、平民との間に作った不義の子であることを雅子が知っていたかも不明。小和田夫妻も雅子も、しらなかったとおもう。
雅子にはオットが一杯
でも、どいつもこいつも母は妓生もどき、父は平民、どいつもこいつも托卵子の可能性大。
人の縁は同種で引き合うといいます。親子友人知人、敵味方などの人間関係、そして、夫婦もしかり。以前もあげましたが、皇室掲示板より、、
嫌われ雅子の一生 Name 名無し
17/01/04(水)13:03 ID:9nA2zfgs No.1868767
まあ、この人もキツイ人生よね。
托卵児で義父の元で実子格差とセクハラされながら育ち、
実父の野心のために当代一のキモ男と結婚させられ、
嫁ってみれば本人のキャパを遥かに越えた能力を要求され、
キモ男の子を辛い不妊治療の末にやっとのことで産んでみれば障害児、
精も魂も尽き果てて「静養」と称して怠惰な生活に溺れれば、
国民から愛想をつかされ滅茶苦茶の叩かれる……。
外堀も内堀も埋まりつつある Name 名無し
17/01/04(水)13:14 ID:9nA2zfgs No.1868780
すでに権勢を極めた実父はこの世になく、頼みの綱だった義父も他国で軟禁状態、
嫌いぬいたキモ亭主が今のこの人の唯一の後ろ盾なんだけど病気で明日をも知れない。
庇ってくれていた姑も正体が暴かれ出していて、もう嫁どころではない。
実子の療育に失敗し、貰いっ子してみれば、そっちまで精神疾患にして拒食症で潰しかかってるし。
(ここまで)
……………………………………………………………………………………(転載ここまで)