六代目山口組「分裂」から7年で緊張 7年前の平成27年8月27日に神戸山口組が結成
2022年08月07日 20時05分 週刊実話Web
2022年08月07日 20時05分 週刊実話Web
2022年08月07日 11時01分 週刊実話Web
「8月に入って、余計に不気味さが増しとる。六代目山口組(司忍組長)がいつどこに仕掛けるのか、敵対組織も構えとるはずや」(関西の組織関係者)
平成27年8月27日に山口組が分裂し、井上邦雄組長らが神戸山口組を結成してから、間もなく7年が経とうとしている。
「分裂の計画は、10年ほど前から極秘裏に練られていたそうだ。武力面と財力面を万全にしただけでなく、二代目宅見組(大阪中央)を引き入れて入江禎組長を副組長に座らせた。射殺された宅見勝初代は五代目山口組で若頭を務めていた大物であり、入江組長も六代目山口組の舎弟頭だった。このメンバーだからこそ勝機を見出し、大義を掲げて神戸山口組を発足したのだろう」(業界ジャーナリスト)
分裂の噂が立ち始めると、その真偽を確認しようと警察当局も情報収集に躍起になった。目に見えて変化があったのは、離脱するとみられるメンバーらの警戒ぶりだった。
「兵庫県淡路市にあった寺岡修若頭の?友会本部は、外壁の上部に有刺鉄線を張り巡らせて、明らかに様子が変わっていた。また、他の直系組長でも車両の窓に防弾フィルムを貼るなど、急に何かに備えるようになったそうだ」(同)
しかし、当局ですら山口組分裂の可能性を判断しかねていた。その背景には、神戸側の徹底した〝情報統制〟があったという。
「離脱した直系組長たちは、配下の組員に山口組を出ることを伝えなかったと聞く。伝えたとしても一部の最高幹部にとどめ、情報が漏れないようにしていた。そうでなければ、計画がめくれてしまい決行できなかったはずだ」(同)
7年前の8月27日、夏期休暇中にもかかわらず六代目山口組は最高幹部を招集。緊急執行部会の目的は噂の真偽を確かめることに他ならず、事前に察知した井上組長らは行動に移した。未明、井上組長の自宅に集まり、先手を打って盃を交わしたのである。
「このとき、列席できなかった直系組長もいたようだ。それだけ、事を急いでいた証拠だろう。この計画は、六代目山口組・髙山清司若頭の服役中を狙って決行された。戦略家として知られ、当事者たちからも『髙山若頭がいたら実現できなかった』という声があったほどだ」(同)
分裂から2カ月後の平成27年10月、ついに抗争の火ぶたが切って落とされた。
地元での勢力争いが激化した末、長野県で射殺事件が発生したのだ。
翌28年には竹内照明若頭補佐の三代目弘道会(愛知)系組員らによる射殺事件が立て続けに発生。六代目側は武力行使の姿勢を強めていく。
そんな中、平成29年4月には織田絆誠若頭代行(現・絆會会長)らが神戸山口組を離脱し、新組織を結成。山健組の3分の1の勢力を引き連れていったため、神戸側の勢力に影響が出た。
この神戸側の〝分裂〟は、六代目側にとって切り崩しのチャンスとなった。平成30年9月、弘道会傘下野内組への〝大型移籍〟が起きたのだ。
「弘道会は切り崩しも活発に行っていたが、野内組に織田派の最高幹部たちが参画したのは驚きだった。説得されたというより、渡世を生きる中で複雑な思いを抱えていたからのようだった。野内正博組長は現在、弘道会のナンバー2である若頭に就いている。こうした手腕を買われての抜擢だったのだろう」(他団体幹部)
野内組は勢力吸収を続け、三次団体にもかかわらず構成員100人以上を抱えるまでに拡大した。
今年5月に起きた入江副組長宅への車両特攻は弘道会関係者によるもので、6月の井上組長宅銃撃では野内組組員が逮捕された。
「野内組からは、五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の若頭だった與則和・與組組長が刺された事件(平成31年4月)などで実行犯が出ていた。その後、別事件で不起訴になった組員が、井上組長の自宅に17発もの銃弾を撃ち込むことになる。再び野内組が最前線に立ったことで、緊張が高まったんだ」(同)
令和元年10月に髙山若頭が出所したのちも、襲撃事件によって神戸側から死者が出るなどし、戦局は六代目側優勢といわれた。
令和2年7月には、神戸側の中核組織だった山健組のみならず、池田組(池田孝志組長・岡山)も脱退。一時は〝五派乱立〟状態となったのだった。
昨年9月には、独立組織として活動を続けていた山健組が帰参し、より六代目側が優勢となった。
「中田組長は弘道会系組員への銃撃事件で逮捕、起訴され、2年半以上も勾留が続いとる。けど現場とは意思疎通を図っとって、神戸山口組からの脱退も六代目山口組への帰参も中田組長が決めたことや。井上組長は戻ってくると信じとったようやから、ショックやったんちゃうか。まあ、逆に神戸存続の決意を固めたとは思うが」(ベテラン記者)
神戸側の結束の強さは、6月に営まれた仲村石松若頭補佐(三代目古川組組長)の葬儀にも表れていた。
令和2年1月に六代目側と神戸側に特定抗争指定が適用されて以降、会合などの情報が漏れづらくなり、特に少人数で集まる神戸側の定例会は開催場所も不明で、直参らの集結を確認できなくなっていた。そのため、葬儀に参列した井上組長の姿をマスコミが捉えたのは、約2年半ぶりだった。
斎場には神戸山口組の全直参が顔を揃え、仲村若頭補佐を見送っていた。
「遠方の直参も駆け付けとって、葬儀とはいえ、神戸側はまだまだ戦う気なんやと思うた。何より、当の井上組長にそうした気迫を感じたからな」(同)
通夜、葬儀は特定抗争指定の警戒区域外で営まれ、組員5人以上の集結が可能にもかかわらず、両日とも井上組長のガードは最少人数だったのだ。
「この10日前には、自宅に銃弾を撃ち込まれとったんやで。いくら防弾車両に乗っていようが、襲撃されるリスクに変わりはなかった。承知の上で移動したんやろな。来るなら来いと…」(同)
現在、神戸山口組発足当初からの直参は入江副組長、寺岡若頭、宮下和美舎弟頭補佐(二代目西脇組組長=兵庫神戸)、岡本久男舎弟(二代目松下組組長=同)、清崎達也幹部(四代目大門会会長=熊本)しかいない。そのうち、井上組長を含む4人が六代目側の襲撃を受けているのだ。
寺岡若頭に至っては、元傘下組事務所や徳島県にある関係先への発砲、別の関係先周辺での車両特攻が起き、直近では6月18日に関係先とされる飲食店で六代目系組員が暴れるなどした。
「集中的に攻撃が加えられとるから、寺岡若頭に対しては強い警告を発しとるんやないか。そうやなかったら、本人が親しい人物の関係先ばかり狙わんやろ」(前出・関西の組織関係者)
だが、立て続けに起きていた攻撃も、ここ約1カ月半は止んでいる(本稿締め切り8月5日時点)。
「それが不穏なんや。何もせんまま六代目側が8月27日を迎えるやろか。7月2日には、弘道会関係者が藤田恭道若頭補佐(二代目英組組長=大阪西淀川)の都内にある関係先を探っていた際に〝反撃〟されとるし。池田組や絆會へも何が起きるか分からんで…」(同)
また、引退して渡世を離れるのか、脱退して独立組織になるのか、などと憶測が飛び交った神戸山口組最高幹部の進退に関しては、結論が出るとみられた〝期限〟を過ぎても、ハッキリしたことは分かっていない。
「戦局を左右しかねない事態であり、当局も注視していた。本人は決断を下すタイミングを見ているのかもしれない、とさえいわれているが、いずれにしろ明確に聞こえていないのが現状だ」(山口組ウオッチャー)
神戸山口組を取り巻く状況は複雑化している。道仁会・小林哲治会長(福岡)と井上組長、寺岡若頭の接触に関しては個人的なものとされてきたが、分裂問題に関して何らかの話し合いが行われてきたとみられる。
さらに、神戸側と親交を持つ三代目?道会(池澤望総裁、佐藤光司会長=広島)や五代目浅野組(中岡豊総裁、重政宜弘会長=岡山)の動向も注目されている。
「?道会の池澤総裁と寺岡若頭は、兄弟分で昵懇の仲だ。今後もサポートしていく可能性がある。浅野組に関しては、六代目山口組の親戚団体である稲川会(内堀和也会長=東京)とも親交があるため、実質的な板挟みといえるのではないか。分裂問題の余波は他団体にも及んでいるわけだ」(同)
分裂終結の〝着地点〟は依然として見えていない。
「いずれ決戦を迎え、また血が流れる危険性もある。六代目側の攻撃次第や」(前出・関西の組織関係者)
運命の時は刻一刻と近づいている。
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