『TERFと呼ばれる私達 ~トランスジェンダーと女性スペース~(仮)』を編集するためのwikiです。当面は公開にしていますが、今後荒らしなどが入るようになれば非公開にする可能性があります。

「差別を受けた私が、その経験をいちばんよくわかっている」ということ。勝手に私の経験を否定しようとする方もこちらからお断りしたい
私たちにはことばが必要だ ― イ・ミンギョン

 トランス女性の女性スペースに関する議論でいつも感じるのは女性が事実認定をする権利を奪われているということだ。「女性と男性に身体の差があるというのは事実ではない」「トランス女性が女性スペースに入ったら女装痴漢も入ってくるというのは事実ではない」「ペニスがあるまま女湯に入ろうとするトランス女性がいるというのは事実ではない」そうやって女性の主張は全てそれは事実ではないものとして反論される。

 思えば女性の権利運動はいつでも女性が権利を奪われているという事実の否定との戦いだった。
 100年前に女性が「自分も市民として投票したい」と言ったら「家長の男性が投票すればそれによって妻や娘の意見が代表されているから必要ない」と言われた。でも代表されていると女性が感じていたなら女性から「投票したい」という声は上がらなかったはずだ。
 50年前女性が「自分も労働して収入を得たい」と言ったら「男性が労働すればそれによって妻や娘の生活は保障されているから必要ない」と言われた。でも保障されていると女性が感じていたなら女性から収入を得たいという声は上がらなかったはずだ。
 30年前女性が「性加害(セクハラ)を受けずに働きたい」と言ったら「それはコミュニケーションの一部だからやめる必要ない」と言われた。でもそれがコミュニケーションだと女性が感じていたなら女性からセクハラをやめてほしいという声は上がらなかったはずだ。
 3年前女性が「男性と同じ革靴で働きたい」と言ったら「男性にも革靴が苦手な人もいるから必要ない」と言われた。でも革靴も同じくらい苦しいと女性が感じていたなら女性から革靴を履きたいという声は上がらなかったはずだ。
 女性が自分たちが必要な権利を持っていないといって声を上げるときいつも「あなたが権利を持っていないというのは事実ではない」と言われてきたし、男性はいつも女性よりも女性のことが分かっているつもりでいる。女性が自分達について感じること、考えることは間違いであるとされてきた。

 そこで奪われているのは女性が「事実認定をする権利」だ。女性と男性に身体の差があるのは事実だ。トランス女性にかこつけて女性スペースに入る女装痴漢がいるのは事実だ。ペニスがあるまま女湯に入ろうとするトランス女性がいるというのは事実だ。今それに対して「女性が言ってる方が偽りであり、トランス女性が言ってる方が真実だ」と言われている。
 その事実認定を行っている人はそこで既に区別をしている。男女の事実認定が食い違う場合には女性の意見が誤りで、男性の身体を持つ者の意見が正解だ、と。その判断をする人は本当に「トランス女性は女性だ」と思ってるのだろうか。むしろトランス女性を男性側だと思っているからこそ、そこでトランス女性の言葉が真実だという認定が生まれるのではないだろうか。本当にトランス女性は女性だと思っているならその信憑性に優劣が発生するはずは無い。実際に女性側がいつも嘘をついているのだろうか?男女の身長差も身長と記録の相関関係もスポーツの記録の男女差も全部女性が上げている事実は信憑性のない捏造なのか?
 トランス女性モデルとして活躍するイシヅカユウさんは、女子更衣室利用に関して矛盾した発言をしていることを指摘された際にこう言った。「今でももっと問題は他にあるのにトランスジェンダー当事者の問題であるとすり替えていると思うし、全然そんなこと問題にしてる暇ないと思いますね。」ここで行われているのは、何が重大な問題かを決めるのは女性ではなくトランス女性側である、という問題の重み付けである。女性が重大だと考えることは重大ではない、何故ならトランス女性である自分が重大ではないと考えるからだ、という訳だ。
 一事が万事その調子だ。女性がトランス差別ではないと主張してもトランス女性が差別だと言えば差別。女性が女性差別だと主張してもトランス女性が差別ではないと言えば差別ではない。女性が男女には身体能力の違いがあると言ってもトランス女性がないと言えば違いはない。女性が男女で生得的な選好の違いはないと言ってもトランス女性があるといえば違いはある。女性側の主張は全て根拠なき妄想だと言うことにされてしまう。
 「トランス女性はマイノリティなんだから、マイノリティ側の意見に耳を傾けるって大事だよ」そういう意見を言う人はいるだろう。でも、その際に女性も差別を受けているマイノリティであることは無視されている。「マイノリティの意見を聞く、ただし女性は除く」ということ?それはマイノリティ側の意見に耳を傾けているのか?
 キャロライン・クリアド=ペレスの著書『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』の中ではこういう記述がある。「性的暴行などの重罪とまではいかなくとも、女性は男性との日常的なやりとりにおいて不快な経験をしており、故意による場合も多い。声をかけられたり、ひやかされたり、いやらしい目つきで見られるといったことから、「性的な中傷を浴びせられたり、名前を訊かれたりする」などさまざまだ。」だからこそ「女性のほうが男性よりも、危険な兆候や社会不安、落書き、だらしない風貌、廃墟などに対して、敏感に反応する」のだ。ペニスがある人※と同じスペースで服を脱ぐのは怖いと感じるでしょう?だって実際に性加害のほとんどはペニスがある人から女性の身体に向かって行われるじゃないか。それはレイプだけじゃないでしょう。女装してスカート捲し上げてペニス見せる痴漢だっている。匂いを嗅いだり音を聞いたりただ驚かせて反応を楽しんだり、そういう痴漢だっている。そのことを女性は経験してきて知っている。
 「通報を躊躇わないで」と言うけれど実際には通報すると責められること、通報しないで性被害に遭っても被害者側の責任にされてセカンドレイプを受けること、そういう両方はずれのクジ引きを日常的に引かされていることを知っている。だから恐怖を感じるんだよね。今この文章を読んでいる女性であるあなたの経験も恐怖の感情も事実である。あなたがそれを知りそれを感じていること、その記憶と感情そのものはどう考えても事実なんだ。だからその事実を事実として認定して欲しいということ。なのにこの社会では女性の経験や知識や感情は事実ではないと見做されてしまう、それこそが女性が事実認定をする権利を奪われているということだ。
 事実認定をする権利が奪われたままでは女性がどんな主張をしてもそれが正当だとは見なされない。だからこれは何百年も前から繰り返されてきた女性が事実認定をする権利を巡る争いだ。先人たちによってずっと行われてきた「女性が知っている事実は事実である」と認めさせる戦いの続きである。私はそう考えている。

※「子宮のある人」って呼ぶのは政治的に正しい言い方で、「ペニスのある人」って呼ぶのは差別って言われるんでしょう?それも知ってる。私が問いかけているのはその正しさの線引きの恣意性そのものだから。

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