『TERFと呼ばれる私達 ~トランスジェンダーと女性スペース~(仮)』を編集するためのwikiです。当面は公開にしていますが、今後荒らしなどが入るようになれば非公開にする可能性があります。

#TERFと呼ばれる私達

「TERFがトランスジェンダーに対する差別をしています。通報してください。」まただ。いつからだろう。私たちはいつの間にか差別者と呼ばれるようになってしまった。
 私はTwitterで人権侵害に関する情報を集め発信したり疑問を投げかけるアカウントを持っている。その中で女性の権利について発信している人をフォローしていると、時たまトランスジェンダーに関する話題が出てきた。「トランスジェンダーというと、法律もできたって聞いたな。体と心の性別が違って、自分の体をどうしても受け入れられず診断を受けて性転換をして戸籍を変えた人たちでしょ?医学的・法的な根拠があるんだし大丈夫でしょ」なんて思っていたのは私だけではないだろう。
 私の転機は2020年11月のことだった。yahooニュースでトランスジェンダー女性の教員を紹介していた。そのトランス女性は、性別適合手術(性転換ではなくこちらが正式な言い方です)は受けておらず戸籍上は男性だった。その人物は女性と結婚して子どもがいる、つまり恋愛対象は女性で男性器を使って女性と性行為をしている。その人が多目的トイレではなく女子トイレでないと嫌だと言い、職場の女性にアンケートをとって反対多数となると、今度はニュースに出て自分は差別を受けていると主張しているのだ。そしてその記事を執筆したのは、その分野の素人でもなければ極端な過激派でもない。性的マイノリティの権利について普段から啓蒙活動をしている方だった。
 いや、それはさすがに違うんじゃないか。私はツイッターに自分の疑問を投げかけた。トイレの目的は排泄を安全にすることであって、ジェンダー・アイデンティティの確認は優先事項なのだろうか?だってトイレに性犯罪目的で入る男性がいることは事実だし、今の日本は女子トイレを性欲を満たすために使おうとする男性が少なくないのも事実。香織先生がトランス女性とはいえ「男性身体を持ち男性としてこの社会で育てられた女性愛者」だ。その警戒を解いて受け入れないと差別だというのは、職場の女性に自分を傷つけないためのケア要員を期待していないだろうか?多目的トイレを職員室の近くに設置するのじゃダメだろうか。すると次々とコメントが届き始めた。「何にも分かっていない差別者」「トランス女性を差別している」「無知に基づくヘイトスピーチ」「なんだTERFか」
 こうして私は"晴れて"TERFの一員と認定された。

 TERFとは「Trans Exclusionary Radical Feminist」つまりトランス排除的なラディカルフェミニストを指す言葉だ。詳しい話は用語解説のページに譲るとして、トイレ使用について疑問を投げかけるだけで排除したことになるのだろうか。それに私は人権全般に関して発信していたのであって特にフェミニストという自覚はない。ましてラディカル(根源的、急進的)?そう、その時点ではラディカルフェミニストの意味も知らなかった。
 私は正しい知識を持たないために、人権を奪われて苦しむ人を貶めるような発言をしてしまったのだろうか?私はトランスジェンダーに関する本や、当事者の体験談、当事者のツイッター発信などをいくつも読んだ。たしかにトランス当事者の中には家族に受け入れられず自分で自分を受け入れらず苦しんできた人が少なからずいることが分かった。でも一方でトランスという言葉が思っていたより広い概念であることも見えてきた。私が思っていたトランス像はトランスジェンダーと呼ばれるうちの一部にすぎないことも分かった。加えて否が応にも、女性に対して暴力的な言葉を使い脅しをかけ、女性の受ける被害や女性差別を軽んじたり茶化したりする言葉も目に入る。「すべてを奪われても仕方ない」「ヒトモドキ」「頭カチ割って中身みてみてぇ」「写メ撮りまくってトラメガで叱りつけましょう」そういう言葉がある時はトランス当事者、またある時はトランスジェンダーの人権に賛同するアライから発せられていた。女性に共感しただけで勉強不足だと言われ、替え歌を作って女性を嘲笑い、個人情報を特定して拡散すると脅し、学者が虚偽の情報を拡散し、精神科医はペニスが怖いなら病院に行けと言い立てる。そのことを咎める人もいなかった。
 なんで「全ての差別に反対する」という題目を掲げながら暴力を受け被害に怯える女性に向かってこのような言葉をぶつけることができるのだろう。それって結局差別をしてはいけない相手と、差別していい相手を使い分けてるだけなんじゃなかろうか。トランスジェンダーへの差別を解消するとして、その際に女性が安全でないと感じる手法でないといけないの?トランス女性の権利を求める声は聞いて女性の権利を守る声は聞かないの?女性の安全との間で妥協点を探って双方の人権を守る試みさえも差別?それって人権に上下関係を付けて女性の人権を下に置いていないか?そう問いかけても、その問いかけそのものがまた差別だと言われてしまう。そんなことを何度も何度も繰り返しながら、私は打ちのめされていった。
 このままでは、私たちの抵抗の声は消されて無かったことにされてしまう。これは記録として残さなければならない。そう思って私はこの書籍を作ることを呼びかけた。この本はジェンダーやフェミニズムを追及する学者の学術書でもなければ、政党や団体による政策の理論づけでもないし、何らかの宗教団体の教義でもない。私たちは知識も考え方も支持政党もバラバラ。ただ女性スペースを守るべきという考えだけが共通している。女性に関することは女性の声を聞いてほしい、その叫びを集めてまとめたのがこの本である。

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