山本コウタローさんが願った核廃絶 ライフワークだった平和活動とは 広島・長崎原爆投下から77年

2022/08/06 07:00

1989年、参院選に立候補する直前の山本コウタローさん(当時40)。環境問題と男女平等を旗印にしていた
1989年、参院選に立候補する直前の山本コウタローさん(当時40)。環境問題と男女平等を旗印にしていた

 脳内出血のため7月4日に急逝した、歌手の山本コウタローさん(享年73)。山本さんといえば、1970年の日本レコード大賞新人賞を受賞した「走れコウタロー」などの大ヒット曲を持つ歌手という印象が強いが、他にもラジオパーソナリティー、コメンテーター、さらには白鴎大学(栃木)で33年にわたり教壇に立ち、定年退職を迎えた2019年に同大の名誉教授となった。そして、忘れてはならないのが核兵器廃絶へ向けた活動と高齢化が進む被爆者への支援だ。

【写真】講演する山本コウタローさん

 8月6日、77回目の原爆忌を迎える広島。広島市安佐北区にある被爆者のための特別養護ホーム「倉掛のぞみ園」は山本さんと縁が深い。運営する財団法人広島原爆被爆者援護事業団の事務局・清水英隆主幹は、「突然の訃報(ふほう)にとても驚いた」と話し、こう続けた。

「当園は1992年に開設されたのですが、建設費用に多額の寄付をして下さったのが山本さん、南こうせつさんらが中心となって86年から95年までの10年間開催した通称『広島ピースコンサート』なんです。このコンサートは95年でピリオドを打ったものの、その翌年から、お二人に大友康平さん(ロックバンド「ハウンドドッグ」のボーカル)を加えた3人で毎年8月6日に来園され、ボランティアライブを行うのが恒例でした」

 しかし、2020年1月あたりからのコロナ禍のため、19年8月6日の25回目を最後に中断せざるを得なくなった。

「再会を願っていたのですが、山本さんの姿をもう見ることができないかと思うと残念でなりません。入園されている方々もガッカリするでしょうね」と清水さんはため息をついた。

 筆者は、山本さんが70年代にパーソナリティーをしていたTBSの深夜ラジオ「パックインミュージック」のリスナーで、過去に2度、山本さんにインタビュー取材している。その時のテーマは広島や被爆者とは別であったが、雑談の中で「広島平和コンサート」や反戦への熱い思いを語ってくれた。それをベースに、新たな取材を加えて山本さんがライフワークの一つとして向き合ってきた平和活動を紹介したい。

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