みんなで作った昭和基地
長谷川 昭和基地のセットも、全員でイチから手作りしたそうですね。
角谷 通常、セットを作るのは美術の大道具さんが担当します。ところが、このときは極力人数を絞っているから、大道具さんを連れて行く余裕がありませんでした。そこで、撮影助手、照明助手から俳優さんまで、全員総出でセットを作った。あれは本当に大変でした。
大林 気温は連日マイナス40度超え。柱は芯まで鉄のように凍って釘を打ち込めない。打ち込もうとすると釘のほうが曲がっちゃう。困り果てました。でもこの苦闘があって、撮影スタッフの心が一つになりました。
角谷 無線の鉄塔を立てるのも苦労しました。日本で作った鉄塔を、現地に運んで立てる作業だけだったのに、地面が凍っていて埋め込むことがまったくできなかった。
大林 ブリザード(極地に見られる暴風雪)の中で作業をしていたら、すぐ凍傷になり、頬の皮がベロンと剥けてしまいました。デストロイヤー(プロレスラー)のような目出し帽を被り、その上に毛皮のついた外套を被っていましたが、少し隙間があっただけで凍傷になる。もちろん雪焼けで肌の色は変色しました。
高倉さんは1ヵ月ほど遅れてロケ隊と合流したのですが、我々を見たときの第一声は「負けた!」でした。
「週刊現代」2022年8月6日号より
本記事では、撮影前から困難の連続だった『南極物語』の撮影秘話が明かされた。後編記事『高倉健は死を覚悟、犬には麻酔薬を投与…映画『南極物語』の舞台裏が過酷すぎた』では、高倉健さんを襲ったまさかの危機から撮影のこだわりまでさらに『南極物語』の裏側を掘り下げていく。