撮影で監督が肋骨を骨折
大林 南極に行くまでも大変でした。毎年、南極に入れる人数は国ごとに決まっていて、誰でも行けるわけではない。南極で撮影ができるのかどうかもわかりませんでした。
角谷 そこで、夏の間だけニュージーランドと南極を往復している観光船に蔵原監督とカメラマン2名の3人が乗船。風景だけ先に撮影してくることになりました。
ところが、海が猛烈に荒れて南極まで辿り着けず引き返してしまった。それどころか、船内で転倒した蔵原監督は、肋骨を3本も折る大けがをしてしまいました。
長谷川 文字通り、前途多難な船出でしたね。
大林 その後、ニュージーランド空軍の協力を得て、飛行機に乗せてもらいました。ここで南極の素晴らしい映像を撮れたので、私たちもモチベーションが上がりました。
角谷 主役を決めるときも苦戦しましたね。蔵原監督を含めた製作陣は、「高倉健さん以外にいない」と確信していた。ただ、当時の高倉さんは映画『海峡』の撮影に入っており、何度会いにいっても、「いまは撮影に集中しているので」と、話を聞いてもらえませんでした。
寒いロケばかりだった健さん
長谷川 たしかに高倉さんの集中力には鬼気迫るものがありました。
角谷 真冬に竜飛岬で行われた『海峡』のロケに交渉のために押しかけたとき、高倉さんは足踏みをしながら芝居に集中し、寒さを凌いでいました。僕らも水っぱなを垂らしながら撮影が終わるのを待っていると、高倉さんが寄ってきて「寒いでしょう。僕は『八甲田山』、『動乱』、『駅 STATION』、『海峡』と、このところ寒いロケ地ばかりなんです。次は南極に行けというんですか?」と一言。僕は何も言えず、東京に戻ってきました。
大林 制作発表の直前になっても、主役が誰になるのかわからずハラハラしましたよ。
角谷 高倉さんから蔵原監督に連絡があったのは制作発表の前日。「返事をお待たせしましたが、よろしくお願いします」と言われ、蔵原監督も私も涙をポロポロと流しながら、高倉さんと握手をしたことを覚えています。
大林 その翌々日、さっそく私は撮影隊の第1陣として、メインのロケ地であるカナダのレゾリュートに向けて出発しました。
角谷 レゾリュートは人口150人ほどの小さな町です。たまたまインド人の方が経営しているロッジがあったのでロケ地に選んだのですが、泊まれる人数は限られています。最小限の俳優とスタッフでロケに臨みました。