第百二十話「あの時の彼女の気持ち」
わたしは小さな物音を聞いて目を覚ました。
周囲は暗く、そして狭い。
この空間は狭い。
何十という転移の果てに辿り着いたこの空間はゆりかごのように狭い。
人間が一人か二人、寝転べるぐらいの広さしかない。
天井も低い。
わたしの背丈ギリギリの高さだ。
この高さで、この狭さ。
ここなら、わたしがいる限り、魔物が転移してくることはないだろう。
わたしはその空間の端に座り、壁にもたれて目の前のものを見つめる。
そこにあるのは魔法陣だ。
薄ぼんやりと青白く光る魔法陣。
転移魔法陣。
ここに片足を乗せるだけで、わたしはどこかに飛ばされる。
おそらくは、魔物の巣窟へ。
2桁単位の魔物がひしめく死の空間へ。
一ヶ月前。
わたしはドジを踏んだ。
仕方がなかったと言い訳はできる。
戦闘中、飛んできた攻撃を避けて、一歩後ろに下がろうとして、石に躓いた。
よろめいた足の先。
そこに転移魔法陣があったのだ。
戦闘に入る前に、どこに罠があるのかを確認したにもかかわらず。
わたしはいとも簡単に、その罠を踏み抜いてしまった。
そして、転移した先には大量の魔物がいた。
20、いや30はいただろう。
わたしは魔術師だ。
自分では優秀な方だと思っている。
無詠唱の魔術は使えないが、詠唱を短縮し、そこらの魔術師よりも素早く魔術を使える。
大勢を相手にするのにも慣れている。
慌てる事もなかった。
全滅させようという考えに、すぐに至った。
けれども、魔物は倒しても倒しても湧いてきた。
視界の端からは次々と魔物が出現していた。
この迷宮の魔物は、転移魔法陣がどこに通じているのかを知っているのだ。
ここは魔物の巣。
魔物たちが哀れな犠牲者を捕食するための罠だ。
わたしは死を覚悟した。
魔物は倒せる。
しかし、魔力は無限ではない。
いつかは力尽き、倒れるだろうと直感した。
自分の限界は知っている。
わたしの魔力が3割、いや2割を切ったところで、敵の数は一向に減らなかった。
死体の数だけは増えているが、魔物は次々と押し寄せてきている。
完全に詰みだった。
救援は来ない。
見捨てられたのか。
わたしが向こうの立場なら、こんなドジな女は置いていくだろう。
どれだけ魔術が使えても、罠を踏み抜くようなグズは足手まといだ。
いや、彼らが自分を見捨てるとは思えない。
あるいは、転移の発動範囲にパウロさん達もいて、別の場所に転移してしまったのか。
戦力不足で、一時的に撤退しなければならなくなったのか。
とにかく、助けはこない。
わたしは泣きそうになりながら、それでも必死に戦った。
ジリジリと減っていく自分の魔力を感じ取りながら。
そんな中、一つの光明を見出した。
この広い部屋に6つある魔法陣。
そのうちの一つからは、魔物が出現してこないのだ。
あるいは、あの魔法陣の先には魔物がいないのかもしれない。
いちかばちか。
わたしは全ての魔力を駆使して魔物の群れを突破し、その魔法陣に飛び乗った。
そうして辿り着いたのが、この空間だ。
なんとか生き延びたのだ。
僥倖だった。
水は魔術でいくらでも作り出せる。
食料もバックパックの中にいくらかは入れてきた。
ここで魔力を回復し、なんとか脱出しよう。
そう思い、一日を過ごした。
翌日、わたしは転移魔法陣を踏んだ。
ついた先は見知らぬ通路だった。
どうやら、ランダムに転移する魔法陣だったらしい。
しかし、周囲に人の気配は無かった。
わたしは自力でマッピングしつつ、迷宮から脱出すべく、先へと進んだ。
救援を待つという事も考えたが、パウロさん達が全滅している可能性もあった。
転移罠とは、それだけ恐ろしいものなのだ。
わたしは通路を歩きまわり、三つの転移魔法陣を発見した。
その一つ、近くの岩に印を付けて飛び乗る。
見知らぬ通路に転移する。
そんな事を何度か繰り返した。
転移の迷宮は、こうしないと進めないのだ。
わたしは罠を踏まないように注意しつつ、
岩などで隠蔽された魔法陣に気をつけつつ、先に進む。
先に進んでいるのか、戻っているのかはわからない。
転移の迷宮は自分の現在位置も把握できない。
感覚が頼りにならない。
不安はあったが、しかし進まなければならない。
食料も心もとない。
魔物を倒し、その肉を食らいつつ、進んでいく。
何度目かの転移で、魔物の巣窟へと転移した。
死に物狂いで戦って、同じように魔物の出てこない魔法陣を見つけて。
そして戻ってきた。
この狭い空間に。
それを何度繰り返しただろうか。
五度、十度。
目の前の魔法陣でたどり着く先は、いつも違う。
しかし、いつかはここに戻ってくるのだ。
わたしは精も根も尽き果てた。
さすがに疲れてしまった。
体内時計によると、一ヶ月は経っただろう。
一ヶ月も何の成果もなく、ぐるぐると回り続けたのだ。
戦いは楽ではなかった。
楽な戦いは一度もなかった。
何度も攻撃を喰らい、出血で意識が朦朧とした事もあった。
何度目からかは、魔物もわたしが逃げ込む魔法陣を守るように立ち回り始めた。
思いの他、奴らは知能が高いのだ。
突破するのに全力を費やさなければならない。
追い詰められているのを感じる。
体のふしぶしが痛い。
食料も食い尽くした。
ここの魔物は硬く、味も悪い。
解毒を使わなければ食べられないぐらい、体にも悪い。
自分の体力が落ちているのを感じる。
有り余っているのは魔力だけだ。
次はどうなるかわからない。
もう少しだけ敵が多かったら。
もう少しだけ敵の連携がうまかったら。
わたしの魔力は尽きて、魔物に四肢をバラバラにされて食われてしまうのだ。
そして、それを運よく回避し、魔物たちを突破しても、またここに戻ってくるだけなのだ。
そう考えるだけで、目の前の魔法陣を踏めない。
おそらく、魔物はわたしの存在に気づいている。
わたしがこの狭い空間にいることを知っている。
そして、この狭い空間の魔法陣を踏んだわたしが、あの巣窟へと戻ってくるのも。
きっと待ち構えているだろう。
わたしが致命的なミスを犯すのを、どこかで、いまかいまかと待ち構えているのだ。
予感がある。
きっと"次"は、無い。
「……」
ここで、わたしは初めて、死を意識した。
きっと死体は発見されないだろう。
遺品も残らないだろう。
何も残せないまま、わたしは死ぬのだ。
怖い。
怖かった。
奥歯が知らぬうちにカチカチと鳴っていた。
叫び出したい衝動にかられて、杖をギュッと握りしめた。
今まで、死というものは何度も見てきた。
冒険者として生きてきて、目の前で人が死ぬのを目撃したこともある。
屈強な戦士が、枯れ木のように魔物に真っ二つにされるのを目の前で見たこともある。
聡明な魔術師が、トマトのように魔物に潰されるのを目の前で見たこともある。
芸達者な盗賊が、素早い剣士が。
目の前で死んでいくのを見たことはある。
そんなものを見た日に、いつかは自分の番が来ると、そうボンヤリとおもったこともある。
同時に、自分は大丈夫だと思っていた。
けれども、実際に直面してみると、恐ろしい。
わたしはまだ、何もしていない。
まだしたいこともある。
夢だってある。
そう。夢だ。
わたしは教師になりたい。
わたしは人にものを教えるのが好きだ。
教師としての才能は無いけれど、教えるのが好きだ。
だから、この一件が終わったら、無事にゼニスさんを救いだしたら、
魔法大学で教職の試験でも受けてみようかと思っていたのだ。
学校の先生だ。
魔法大学には師匠がいる。
喧嘩別れした師匠だ。
もしかすると、師匠とまた喧嘩をしてしまうかもしれない。
けど、今ならきっと、あの師匠ともうまくやれる気がする。
……顕示欲の強いひとだったが、今頃は教頭ぐらいにはなれただろうか。
人並みの幸せというものも感じてみたい。
そうだ。教師になれば、結婚だって出来るはずだ。
好きな男と結婚して、一緒に暮らして、そして情熱的な夜を過ごすのだ。
わたしは魔族で、子供のような容姿のちんちくりんだが。
それでも、チャンスぐらいはあるだろう。
「はっ」
嘲笑が漏れた。
我ながら、こんな状況でよくもまぁ、こんな夢みたいな事を思い浮かべるものだ。
わたしは死ぬ。
どちらの夢も叶う事はない。
惨めに死ぬだけだ。
こうなったら、もう助からない。
こうなって助かった人を、わたしは知らない。
…………死にたくない。
でも、わたしは魔法陣を踏んだ。
死にたくないから。
---
予感は的中した。
わたしは見知らぬ通路へと転移し、
見知らぬ印を付けた魔法陣を幾つか移動していき、
そして、当然のように魔物の巣窟へと叩きこまれた。
一目みた瞬間、無理だと悟った。
魔物たちは転移魔法陣の上に、死んだ魔物を積み重ねていた。
やはり、魔物はあの狭い部屋に転移しないのか。
となれば、あれをどかして、そして飛び込むしかない。
「この群れと戦いながら?」
綺麗なフォーメーションだと思った。
死体の山、わたしが逃げ込む先の転移魔法陣を守りながら、
放射状に魔物が配置されている。
真正面にいるアイアンクロウラーは防御に徹するかのように動き、
アイアンクロウラーの後ろからは
さらにその後ろには、巨大な泥人形、マッドスカルが立っており、岩の塊を射出してくる。
まるで軍隊だと思いつつ、私は魔術を紡いだ。
「荘厳なる大地の鎧を纏わん。
『
周囲に土による砦が形作られる。
やがてそれはわたしの頭の先まで覆い、ドームとなってわたしを守るだろう。
しかし、わたしはある一定のたかさで制御を手放す。
天井はいらない。
胸ぐらいまでの高さがあれば、アイアンクロウラーの突進は止められる。
「落ちる雫を散らしめし、世界は水で覆われん。
『
わたしの周囲に無数の水玉が浮かび、弾丸となって周囲に飛び散る。
しかし、この術の攻撃力は極めて低い。
魔物たちはほんの少し足止めをされただけ。
わかっている。
即座に、次の魔術を唱える。
「天より舞い降りし蒼き女神よ、その錫杖を振るいて世界を凍りつかせん!
『
水滴を浴びた魔物の表面がビシビシと音をたてて凍りつく。
『
前衛に相当する魔物たちの動きが完全に止まる。
わたしは、そこにさらなる魔術を打ち込む。
上級魔術。
「霜の王。大いなる雪原の覇王。
純白を纏い、一切の熱を刈り取る零の王。
死を司りし冷たき王が凍てつかせん!
『
短縮した魔術が完成する。
本来ならば周囲全体に向かって放たれる氷の槍。
それが前方に放射状に飛んで行く。
氷の槍は凍りついた敵前衛の後ろ、魔物たちへと次々と突き刺さる。
あえて、敵の前衛は倒さない。
氷の彫像が壁の役割を果たしているうちに、上級魔術を詠唱し、背後の後列を叩く。
この戦法で、シーローンの近くにあった迷宮を踏破したこともある。
必勝の戦法である。
しかし……。
「……やっぱり」
後衛の魔物が死ぬと同時に、次々と転移魔法陣より別の魔物が湧き出てくる。
倒した魔物を踏み越えて、あっという間に部屋に魔物が充填されていく。
「だめですか」
あっという間に、部屋は魔物で一杯になった。
わたしの心も絶望で一杯になっていく。
同時に焦りがうまれる。
まずい。
あの死体の山をどかさなければここを突破することが出来ない。
しかし、手が足りない。
「くっ!」
遠距離から、マッドスカルの岩弾が飛んでくる。
土砦の一部を破壊し、そこから動きの鈍ったアイアンクロウラーがもぞもぞと入り込んで来る。
背筋にぶわっと冷や汗が浮かぶ。
「焦げたる剣を持ちて敵を切り裂かん!
『
炎の刃が飛んでいき、アイアンクロウラーの甲殻を赤熱させる。
アイアンクロウラーはのたうちまわりながら絶命した。
アイアンクロウラーは火に弱い。
しかし、洞窟内で火を使うのは妙手ではない。
自分の首を締める結果となる。
だが使わなければならない。
「荘厳なる大地の鎧を纏わん。
『
再び、土の壁を作り出す。
魔力の残量がどんどん減っていく。
焦る。
どうすればいいのか。
どうすれば助かるのか。
考える。
考えながら、ひたすら魔物を倒していく。
しかしわからない。
詰んでいるのではないのか。
もう、終わりではないのか。
やはり、ここでわたしは死ぬのではないのか。
そう思いつつも、作業的に魔物を倒していく。
「……あっ」
足元がふらついた。
頭がボンヤリしている。
魔力が枯渇し掛けているのを感じた。
あと数発、何かを放てば、わたしは気絶する。
「やだ……」
わたしは杖を握りしめる。
死にたくない。
死にたくない。
そう思っているのに、
脳裏に、今までの事が次々と浮かび上がった。
生まれてすぐ、物心ついて、両親が残念そうな顔をしていた。
静かな村で、自分だけが他人と会話できないと知った。
ふびんに思った両親が、言葉を教えてくれた。
村に来た旅の魔術師に感銘を受けて、魔術を習った。
初級の水魔術を武器に、村を飛び出した。
飛び出した先で、三人の少年と出会った。
彼らと一緒に何年も冒険者として旅した。
仲間の一人が死んで、パーティを解散した。
中央大陸を旅した。
そこで色んな人に出会い、魔法大学の存在を知った。
魔法大学に入学した。
授業というものを初めて受けて、感銘を受けた。
テストでいい点数を取り、実技で結果を残して、周囲に嫉妬された。
寮で友人と寝転びながら色々話した。
高学年になって、師匠と出会った。
師匠から聖級水魔術を教わって、簡単に使えるようになって、調子にのった。
師匠にあれこれ言われて、腹を立てた。
卒業して、師匠に挨拶もせずに旅だった。
優秀な自分ならアスラ王国でも働けるだろうと思って王都に行った。
仕事がなくて、段々と辺境へと移動していった。
辺境でも仕事がなくて、途方にくれた。
そこで、家庭教師募集の張り紙を見つけた。
パウロさんたち、そしてルディに出会った。
パウロさんたちの情事を見て興奮した。
ルディの才能に驚いて、そして嫉妬した。
自分のように調子に乗らないルディを見て、尊敬にも似た感情が芽生えた。
ルディに水聖級魔術を教えて、旅立った。
シーローン王国の近くにある迷宮に潜り始めた。
踏破したらシーローン王国に召し抱えられた。
パックス王子に魔術を教え、改めてルディの凄さと、自分の教師としての才能の無さを思い知った。
ルディから手紙が来て、一生懸命魔神語の教科書を作った。
色々と嫌気がさして、シーローン王国を発った。
そして、転移事件を知った。
エリナリーゼとタルハンドに出会った。
エリナリーゼやタルハンドの奔放さにびっくりした。
魔大陸を旅した。
両親に再会して、親がきちんとわたしを愛していてくれたと確認できた。
キシリカに会った。
そして、そして……。
そんな情景が、一瞬で頭を流れていく。
目の前にはアイアンクロウラーが迫っている。
先ほどの火魔術の熱で部屋が暖められて、フロストノヴァの効果が薄くなっているのだ。
もうだめだ。
死にたくない、嫌だ。
嫌だ。
「やっ、いやぁ……!」
わたしは無様に杖を振り回す。
粘糸が飛んできて、杖に絡みつく。
一瞬で杖を取り落としてしまう。
「死にたくない、た、助けて、誰か……!」
後ずさりするが、後ろは壁だ。
アイアンクロウラーが迫ってくる。
何匹も、何匹も。
もう為す術がない。
このまま、生きたまま食われるのか。
嫌だ、そんなのは嫌だ。
「誰か助けて……」
あ。
……あ。
(もう、お母さんたちには会えないな)
最後に思ったのは、そんな事だった。
目の前に迫る魔物に対し、わたしはギュっと目をつぶった。
---
待てど暮らせど、その瞬間は来なかった。
あるいはわたしは即死して、すでに死んでしまっているのでは無いかと思った。
そんなわけはない。
しかし、もう音すら聞こえないのだ。
ここはもう、死後の世界かもしれない。
恐る恐る目を開ける。
そこには、想像を絶するような光景が広がっていた。
氷の世界だ。
アイアンクロウラーも、
マッドスカルも。
みんな真っ白い氷の彫像になっていたのだ。
奥にいたマッドスカルが、パシンと音をたてて崩れた。
カンと本体である頭蓋骨が地面に落ちて、カシャンと割れた。
芯まで完全に凍りついている。
わたしの使う、表面を凍りつかせるだけのフロストノヴァとは威力が段違いだ。
おそらく、生きている魔物はいないだろう。
「……え?」
何が起こったのかわからなくて。
混乱したまま、わたしは杖を拾う。
「ひゃ!」
杖は氷のように冷たくなっていて、思わず取り落としてしまう。
カランと、静寂の世界に音がする。
その音に反応したのか、わたしの耳に一つの声が届いた。
「ああ、良かった……」
氷の彫像の間を縫うように歩いてきたのは、一人の青年だった。
彼を見た瞬間、わたしは心臓が早鐘を打つのを感じた。
わたしの理想の男性がそこにいた。
柔らかそうな髪に優しげな顔立ち。
背は高く、ローブ姿――魔術師であるにもかかわらず、ガッチリとして見える。
鼠色のローブに身をまとい、大きな杖を手に、こちらへやってくる。
あからさまにホッとした顔でわたしを見下ろし、
「えっ? えっ?」
ギュっとわたしを抱きしめた。
暖かくて、力強くて、頼りになる腕だった。
ふわりと香る、ちょっと汗臭くて、でもどこか懐かしい匂い。
彼は中腰になり、わたしの首筋に顔をうずめるようにして、感極まったように大きく息を吸い込んだ。
「すーっ……」
「……っ!」
と、そこでわたしはあることに気づいた。
この1ヶ月、わたしは水浴びすらしていない。
「あっ」
気づいた瞬間、わたしは彼を突き飛ばしていた。
「あれっ?」
驚いた顔をする彼。
いけない。申し訳ない事をしてしまった。
助けてくれたのに。
いやでも、臭いと思われたくもないし……。
あ、いや、今はそんな事を気にしてる場合ではないのか?
あれ?
思考がついていかない。
「す、すいません、ちょっと臭いので……」
「く、臭いですか、すいません」
ショックを受けたような顔で自分の袖のにおいを嗅ぐ彼。
「違います! わたしがですよ。一ヶ月もこんな所にいたので」
「あ、そうですか、いや、俺は気にしませんよ?」
「わたしが気にするんです」
っと、いけない。
こんなのはいいんだ。
まずはお礼を言わなければ。
そして名前を聞かなければ。
「助けて頂いてありがとうございます」
「いえ、当然の事です」
当然の事とは。
あれだけの魔物の大群を相手にわたしを助ける義理など無いだろうに。
そうだ、名前。名前を聞かなければ。
「おほん……初めまして。わたしの名前はロキシー・ミグルディアと申します。
できれば、お名前を聞かせていただけないでしょうか」
そう言うと、彼は彫像のようにピタリと止まった。
何かおかしな事を言っただろうか。
「は、初めまして……?」
「え? あ、どこかでお会いしましたか?
だとしたら申し訳ありません、その、覚えていなくて……」
そういえば、どこかで見たことあるような気がする。
どこだったろうか。
パウロさんにちょっと似ているけど……。
こんな人を忘れるだろうか。
「覚えて、いない……」
彼は青い顔をしていた。
怒らせてしまっただろうか。
いやでも、確かにどこかで会った事があるような。
見覚えのある顔だし、昔確かに……。
「覚えて……おぼ……」
彼はかすかに首を振りつつ、よろめくように数歩後ろに下がる。
そして、唐突に口元を抑えて……。
「おええぇぇぇ」
吐いた。
---
この青年がルディ――成長したルーデウス・グレイラットだと知ったのは、それから少ししての事である。
後から追い付いてきたパウロさんたちに保護され、私は九死に一生を得た。