第2話 血煙剣舞

 この時間になると、小さな村の一軒しかない食事処兼酒場であり、また宿屋も兼ねる陽天亭は混み合う。なので燈真は「ていくあうと」というらしい西洋文化を取り入れているその陽天亭の外に設られていた窓口で天むすを二つ買って、それをかじりつつ莉緒に乗って進んでいた。

 包み紙のポイ捨てだなんていう、侍にあるまじき行いなどは当然しない。腰の屑入れ袋に押し込んで、水鹿みずじかという幻獣の胃袋を加工した水袋から水分を取った。


 かつて馬に乗れるのは貴族や武士の階級にあるものだけだったとされるが、芽黎暦がれいれき一二五四年現在では平民でも馬に乗ることを許されていた。

 厳しい武士やら士族などからは反発の声は当然あったが、しかし皇帝陛下であらせられる白銀家当主の白銀蓮是しろがねれんぜのお触れが鶴の一声の如く轟き、雀どもの千声を黙らせた。


 山賊連中の噂は前々から聞いていた。戦の時代——より正確には内乱なのだが、そのとき用いられた砦跡を接収した連中が無礼狼藉を働き、通行人から通行料などと称して食料や金品を巻き上げているとか。

 行商人が減ってしまえば、電信さえできない村へ入る情報が減るし、交易の品も手に入らない。さらには、この周辺で危険な幻獣を狩る退魔師さえ近寄らなくなる。


 そうなれば村はひなびていき、廃れてしまう。当然これは死活問題であり、山賊行為に走ってしまう、義賊ですらないような傍迷惑な連中は文字通り斬り捨てるのが常であった。


 そういった危険な連中の排除を半妖青年である燈真一人に任せるというのもまた随分な無茶振りであるが、銀次の無理難題は今に始まった事ではない。

 彼は普段は物静かな頑固さを見せる老妖狐だが、修行については徹底して厳しく叩き上げるのだ。それに耐えかねた門弟は数知れず。都から来た士族の若者も根を上げていた。


 さて——件の城塞跡が見えてきた。

 外堀は川から水を引いており、跳ね橋が上がっているため正面からは入れない。「待ってろ」と言って莉緒を木陰に隠す。燈真は一人で小高い丘に登って藪に隠れ、単眼鏡たんがんきょうで城を観察した。


 城壁の上に二人。得物は野太刀、背負い太刀ともいう大振りな刀。あんなもの、なぜ歩兵がと呆れた。威嚇としては充分だが、馬にも乗らない兵が振るったところで体力を無駄に使う上、よほど熟練していなければ自分や味方を斬るだけだ。太刀やそれよりも長大な大太刀は、通常は馬上で使うものなのだが……。

 問題の練度は決して高くはない。その辺の喧嘩では負けなしだろうが、燈真のように厳しすぎる鍛錬を生き抜いた様子ではない。立ち姿から、体幹の弱さがわかる。


 陽天亭に来ていた、なんとかここを隠れて抜けたという行商人が言うには見張りは二人ほどで、護衛が確認した限りの総数は約十人。種族は雑種妖怪が大半だという。

 この程度の悪漢ならば、よほどの下手を打たねばどうとでもなる。燈真はそう判断しつつも、やはり油断するなと言い聞かせた。

 単眼鏡をしまって素早く藪を抜ける。


 腰にさした打刀——妖刀・輝夜嬢月姫と、脇差の羽切綱手はねきりつなでの二振りの手入れは、当然欠かしていない。妖刀の方は銀次が毎日しっかり目を通しているので心配いらないし、脇差の方は燈真が手入れを行なっていた。


 城の裏、杜撰極まる監視の甘さに漬け込んで侵入を試みる。

 鉤縄を投擲して水堀を越え、壁を踏み締めて駆け上がった。侍というよりは忍のような動きである。


 城壁の上は矢狭間という凹凸があった。凹んでいる部分から弓を射掛け、出っぱっている部分に退がるものだ。景観を意識しすぎたものだと、この凹凸がただの飾り程度の高低差しかなかったりする。


 燈真は短刀を抜いて、背を向けている見張りの首に腕を回して締め上げた。

 籠手に包まれた左手で口を塞ぎ右手の短刀で喉笛を深く掻き切る。間欠泉のように血飛沫が上がった。

 燈真のいっそ冷徹すぎる目つきは、まさに鬼の如し。


 力が抜け落ちた死体を横たえ、燈真はもう一人に狙いを定めた。

 羽織の内に並ぶクナイを抜いて握り込み、投擲する。ひょうと風を切った菱形の鋭利な先端がもう一人の見張りの頸に突き刺さり、悶絶しているうちに接近して先ほどと同じように喉元を掻き切る。

 時間にして三十秒もせずして、燈真は二人の見張りを排除することに成功している。早業——素人には不可能な、完璧な暗殺である。


 血糊がベッタリとついた短刀を拭って鞘におさめ、大人しくその場を後にした。城門から続く城内への出入り口を見つけてそこへ入り、聞こえてくる声を頼りに先へ進む。

 城内は決して広くない。特に廊下は手狭だ。燈真はうぐいす張りのそこで鳴る音に一つ諦めて、さっさと妖刀・輝夜嬢月姫を抜く。

 若干紫紺の色合いを帯びた鋼色の一振りを手にし、床の音に気づいた山賊が出てきた。


「な……んだてめえは!」


 低い胴間声が響き渡る。燈真は無言で抜刀した刀を脇構えに取って低く肉薄。相手にあっと言わせる間も与えぬうちに、瞬時に一閃を駆け巡らせた。胴を抜いた斬撃で相手の鎖帷子を切り裂いて、腹部に裂傷を与える。

 瞬時に足を踏み込んで反転、背後からばっさりと脊髄を切り抜く。


 ぱじゃっ、と絵の具のように真っ赤な血が溢れ出して、燈真は背後の気配を察してすぐさま屈んだ。

 ぶんっ、と大きな斧が頭上を抜け、廊下の柱に食い込む。柱そのものには戦の際に付けられた刀傷が多く走っており、削れていたり裂けていたりした。


「シッ!」


 振り抜かれたままの腕を輝夜嬢月姫で両断。「ぎゃっ」と悲鳴が聞こえたが、さらに短い呼気に合わせて逆風に振り上げた斬撃が下顎から額まで、顔面をスライス。

 男はもんどり打って倒れ、背中越しに心臓を貫いた。


 刀を抜いて滴る血を振り落として、ぎゅぃ、きぃっ、と鳴る廊下を進む。


「騒がしいぞ!」「どうした⁉︎」


 ぞろぞろ出てきたのはいずれも、まさに悪行に手を染める者特有の陰険な顔をした男たち。

 燈真は出てきた五人ばかりの男を静かに睨む。手にする妖刀には振り払い切れなかった血がへばりつく。


 左手の黒い籠手に覆われた指で背後を指差すと、山賊連中は口々に悪口雑言を叫んだ。

 そこには地の海に沈む、二人の仲間がいるからだ。


「お縄につくか斬られるか、好きな方を選べ」


 静かにそう、最後の選択を迫るが、彼らは怒号を上げて挑みかかってきた。

 雑な足取りによる歩法、気配丸出しの踏み込み。剣術——こと、居座った状態から斬る居合いや、稲羽家が教える狐閃流転流の抜刀術は体のどこにどれほどの力が入っているのかを知られないための工夫があるものだ。


 素人でさえわかるような力の入れ方など、それこそ素人同然。


 脳天を狙った面に対して燈真は相手の刀身を文字通り小手先で横から打って払い除け、右手に握る妖刀で胴を抜き払う。

 沈んだ一人を蹴って燈真は跳躍し、お返しとばかりにもう一人を文字通りに脳天唐竹割。ばっくりと割れた頭部に、潰れた脳の圧力で目玉が飛び出して耳の穴から脳組織が溢れだす。


 右——刺突を真下に転がって避けて、さらに回転。

 相手の足を払い除けつつすぐに起き上がって横薙ぎの斬撃で一人の首を落とし、喉元を狙ってきた斬撃に対して初めて受太刀して防いだ。


 もう一人が擦り上げるように裏切上。燈真は即座に鎬を押し付けて前方へ膝を押し込んで、発した力と己の体重を相手に移して押し込む。

 寸勁すんけいと呼ばれる武術の技法、その一つである。


 姿勢を崩した相手がいた場所へ踏み出して別の斬撃を回避、腰をぐりんとひねって回転切り払い。

 寸勁で押し倒された一人が、それでも短刀を抜いて切り掛かってくるが左手の籠手でそれを受け止めて払い、金属に包まれた左の裏拳で鼻と歯を叩き折って昏倒させた。


 静かな殺戮。若者が冷徹に行うには、あまりにも血生臭く赤々とした惨状が廊下に繰り広げられ、ぶちまけられていた。

 しかし燈真は既に、これでも四十七歳。見た目はまだ十六かそこらだが、その三倍の時間を生きていた。


 無論、妖の血が入っているため人間やその他の種族とは違い、精神年齢が時間経過と比例しているかはわからない。

 八十年も生きれば大往生である人間と、何百年も生きる妖狐とでは精神的な成熟に必要な時間が違うし、それは当然半妖たる燈真も同じであった。


 けれども、精神年齢も肉体も人間換算で十六前後であれ、それでも十五という元服を迎え大人と認められる年齢は過ぎている。


 物事の良し悪しの判断は当然つくし、命の重みだって実感を伴い理解できる。

 善悪だとか命の価値だとか、死生観といったそれらが二元論なんかじゃ語れないものであることも含め。


 ……先の内乱で多くの武士や士族が食いっぱぐれて山賊に身をやつし、彼らの奥方や娘が遊郭にいることも珍しくないという。

 全ては戦。それが原因だろう。敵も味方も死に、死にすぎ、多くが仕事を失ったりそれができない立場になった。

 けれど、いかな理由があれ他人の幸せを奪う権利はないし、己の不幸は他者の幸福を奪う言い訳には、決してなりはしない。


(……見張りと合わせてこれで九人。大体これくらいだろうな)


 大きくない砦だ。燈真は見落としがないとは断言できないが、目と耳と鼻、そして妖力の探知による索敵を一通り行った上で、ここにはもう不穏分子がいないことを判断した。

 燈真は刀身を振って血を落とし、籠手のうちにある革面を使って肘の内側で拭う。それから丁寧に納刀し、その場を辞した。


 遺体の片付けは村の衆が万一のため護衛を連れて行う。正式に退魔衆に入れば清掃班や回収班が随伴するのだが、田舎ではこれが限界だ。


 砦を出ると、道中行き来の時間も込みですっかり午後三時、それくらいの時間帯であろうくらいに太陽が傾いていた。この国の数え方なら八ツ半というくらいである。


 燈真は馬を留め置いた木陰へ向かっていき、愛馬を見つける。

 莉緒は下草を食んでおり、近場には糞がある。それにたかる虫を尻目に、燈真は縄を解いた。


 腰に吊り下げられている特殊な薬液が充填されている、濁った塗装がされている筒には耳が入っていた。当然、山賊の、である。

 腐敗を遅らせる薬品に漬け込んで持ち運び、討伐の証拠としているのであった。こういった耳を埋めた塚を耳塚といい、戦などがあったら往々にしてこれらが増え、場合によっては悪霊や怨霊が生じてしまうために、浄魂師じょうこんしという特殊な術師が鎮魂の舞を踊るのが通例だった。


「いくぞ」


 いななく莉緒に乗って村へ向かう。

 燈真は師父が生きているよう祈りつつも、正直覚悟はできていた。妖刀・輝夜嬢月姫には触れることさえ許さなかったのに、それを渡すなど尋常ではないからだ。


 仏に手を合わせるくらいの心持ちは必要だ。

 奥歯を噛んで、燈真は山道を下るのだった。

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