ゴヲスト・レザレクト — デヰブレイク・リフレイン —
雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き
第1話 抜刀術と、妖刀と
かつてこの地にいた白銀の龍神は、裡辺の土地を襲った災禍に立ち向かった。その龍神は恐るべき邪悪を討ち滅ぼした末にこの土地を再生し、ヒトとの間に子孫を残してやがては朽ち果て、骸となって土の中へと還っていった。
彼の一族は龍の血を重んじ、龍そのものを敬愛し、畏怖し、そしてその恩恵に感謝することを国是としていた——。
著者不明 『白銀龍神の血筋』より抜粋
×
初夏の柔らかな熱気の中を一陣の涼気を纏った風が吹き抜ける。梢が歌うようにさわさわと鳴って、さもその場が危険であるかのように危機を察した小鳥がばさばさと飛び立っていった。
葉叢を透かす光は、樹冠八〇メートルに達する巨木の下に佇む若者を照らし出す。そこへ舞う一枚の羽根に、彼は目もくれない。曇りない藍色の目は、真っ直ぐに気配を放つモノ——それが見えているかのように、真っ直ぐ前へ向けられていた。
歳は十六、七ほどか。あくまで人間であれば。いずれにせよ青年というに相応しい外見年齢の彼は、紫色が混じる銀髪を風に任せるように揺らして、腰に
どこか
種族は不明。外見は人間に近いのだが、額の右側からのみ三日月状の黒い角が生えているのだ。半妖——そう判断するのが正しいか。
であれば実年齢は、既に三十代後半、あるいは四十を過ぎているだろう。人間と妖怪とでは、肉体と精神の成熟速度も違うので、人間換算で言えば外見通り十代半ばくらいの精神年齢だろうけれど。
低く腰を落として、さらに捻っている。鞘は視線に対してほぼ後ろ。独特な構えだ。あまりにも特殊で、見慣れぬ——けれどもそれは、立派な抜刀術の構えだ。
と、藪がざわっと音を立てた。
青年はしかし慌てない。藍色の眼光をただ真っ直ぐに向けつつ、静かに息を潜める。
突如その藪が割れて一体の幻獣が飛び出してきた。
それは
機巧の爪ががばりと振り上げられ、ようやく青年が動く。
雷に打たれたような反射速度。彼は瞬く間に抜刀して、一太刀で機巧幻獣を綺麗に切り裂いた。がしゃん、と転がったそれはずるりと首が落ちて、滑らかな切断面をあらわにする。
流体が踊るような滑らかさで刀を血振りし、青年は無言ですっと鞘に納める。
彼は後ろを向うと、——真上。
枝に乗って機会を窺っていたもう一体の機巧幻獣が真下へ急襲。けれど青年はそれに即応した。
ほんの僅かな間に半歩下がってのしかかりを回避し、やはり常人離れした勢いで腰を落として捻り構える。既に鞘に手をかけて鍔を押し上げ、右手が柄を握り込んで、
さも空気が悲鳴をあげたかのような抜刀音と、それに比してあまりにも澄んだ斬撃音。
ィィンッ、という響きを残して、機巧の犬型幻獣は転がった。
既に五体の機巧を破壊しており、今までこの修行では最大でも三体しか出ていないことを考えれば今のが最後であろう。
事実それを告げるように、修行の終わりを伝えるようにしている自動式の、火薬装置が破裂する音が聞こえた。
「やっと……」
変声期が終わったばかりのやや低い声で青年は呟く。
「やっとものにできた……!」
彼は思わずはにかんだ。大人びている顔に年相応のあどけなさが浮かんで、けれどすぐに気を引き締める。
慢心以上の大敵はいないものだ。
首を振って雑念を払い落として、青年は機巧の残骸を拾い集めて離れた場所に待たせていた馬が引く荷台に積み込んだ。
「いくぞ、
愛馬の名を口にして、その背に跨った彼は手綱を引いた。
×
「どうどう。よし、いい子」
木柵が見えてきて、青年は馬を止めた。下馬した彼は見張りの、鬼人族の大男に右手をあげる。いかつい顔の大男——門衛はゆるく微笑んだ。
「
「ものになった。苦節十六年かな。爺さんにも自慢できる。あんたより二ヶ月早く体得したぞ、って」
「そうか。いやはや、立派になったもんだ。同胞だ! 門を開けろ!」
部下の門衛が「応!」と声を上げて滑車の
燈真——
生まれがここであるかどうかは不明だが、それでも故郷と言える土地である。彼は見慣れた通りを進んで、師父・稲羽
銀次はその苗字からなんとなくわかる通りの妖狐であり、当然だが恐らくは鬼との混血であろう燈真とは血のつながりはない。
けれど拾ってくれた大恩ある妖にして師匠だ。尊敬し、感謝している。まあ、少し偏屈なところはあるのだが。
そして今燈真に手綱を握られている莉緒は銀次の馬が産んだ雌馬で、燈真が世話を任せられていた。そのおかげかすっかり懐いており、扱いも容易である。
最初のうちは燈真の方がびびっているという有様だったが。
目貫通りから少し外れたところに稲羽邸はあった。幾重にも折り重なった頑丈な瓦と石造りの壁。この屋敷は有事の際には避難場所でもあって、また村人の集会場でもあった。
けれど銀次はここを売るつもりであり、その理由が、彼の死が近いことと燈真が退魔師を目指して旅立つというものだった。
「莉緒、しっかり休めよ」
ぶるる、と鼻を鳴らす愛馬をなで、厩舎を出る。屋敷の玄関を開けて土間に入り、大きな声で「ただいま」と言った。それから
老境も老境、御歳五百の六尾の妖狐たる、白髪頭の銀次は囲炉裏の前で胡座をかいて、湯呑みを手に火を見ていた。
「おいこら爺さん、寝てろって言っただろ」
「老い先短い爺だ。好きにさせろ」
「ふん。……抜刀術、上手くいった。ほら」
燈真は抱えて持ってきた、先ほど切り落とした機巧の頭部を見せる。銀次はそれをしわが刻まれつつもがっしりした大きな手で受け取って、断面を見て指の腹で撫でた。
彼は手元の遠視水晶で見ていたのだろうが、それでは細かい部分までは見れない。切った際の断面は、実物を見ないことにはわからないのだ。
「相変わらず刀だけはすぐに上達するな。いいだろう。お前を
銀次が立ち上がった。ふらつく様子もないし、なんなら健康そのものという振る舞いである。しかし彼はもう肺病の末期であり、時折吐血することさえあった。
一匹の狐——九尾が描かれている水墨画の掛け軸の前に飾られている、燈真の刀と同じ寸尺の打刀を乱雑に掴んで、手渡してきた。
「受け取れ。儂の愛刀……
「いいのかよ。墓に持っていかなくて」
「盗掘され愚図の物になるくらいなら、ちっとはマシに刀を振るえるお前に渡しておいた方が安心してくたばれる」
「そう……か。……では、ありがたく拝領いたします」
居住まいを正してするりと正座。両手をついて、こうべをたれる。
が、銀次はそんなことを気にしておらず、おそらくは老い先短いと察しているがゆえに、燈真を急かした。
「いいから受け取れ」
空気を読んでしっかりした言葉を使ったのに、と思いつつ燈真は輝夜嬢月姫を受け取る。物理的なだけではない、圧倒的な存在感を発するような重量感。
それは数百年もの間振るわれ、血を啜った末に妖力を帯びて『妖刀』とまで呼ばれるに至る一振り故のものだと思えた。
銀次は欠伸をして、ゼンマイ式の時計を指差す。時刻はまだ昼前だ。
「その辺で軽く飯でも食ってから試し切りにでも行ってこい。最近悪さをする山賊連中がいるだろう。奴らを始末しろ。儂の墓を荒らされてはかなわん」
「わかった。……ギンの爺さん」
「なんだ」
「その……今までありがとう。あんたに拾われて、武術を叩き込まれて……よかった。本当の親と故郷を探すための力をくれて」
銀次は面食らったように、けれど次には微笑んで、
「何があっても、この村もまたお前の故郷で、村人は全員お前の家族だろう。忘れるな、燈真」
と、そう言った。
気恥ずかしい——燈真はうなじのあたりを掻いてから「じゃあ、行ってくる」と土間へ降りていった。
しばらくして玄関が閉ざされ、馬の嘶く声がして、そこで銀次は限界を迎えたように激しく咳き込んだ。押さえた手元からは黒ずんだ血がぼとぼと垂れていき、とうとう膝を折って倒れた。
最後の瞬間に彼は何を思ったのだろうか。震える手で、彼にとっては生意気だが、孫のようで息子のような、同時にいい飲み仲間の悪友で——大切な家族である少年と撮影した、白黒の写真に手を伸ばしていた。
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