「私もタンピン先生のように、できるだけモノは買わない。病院にかからないように身体を鍛え、1日2食の質素な食事をし、競争のないところで静かに暮らす。大学を卒業するまでの22年間で、エネルギーをすべて使い果たしてしまったから……」
「自分にはこの先の人生が見えない。結婚したら本当に幸せになれるの? マンションを買ったら、必ず成功者になれる?先輩たちを見てきたが、決してそうは思わない」
「私たちはカマ(国家や社会)に刈り取られるニラ(野菜)になりたくないだけだ」(ニラは何度刈り取っても生えてくる野菜(取るに足りない存在)という意味で、中国ではよく自虐的に使われる)
若者たちのコメントからは、諦めてそうするしかない、というよりも、むしろ積極的に何もしないで過ごす「タンピン主義」を選ぶという「意志」のようなものが感じられる。
批判的なメディア
一方、このような現象に対して、主要メディアは批判的だ。日刊紙『光明日報』は「一部の若者の生活態度がとても消極的になっている。社会にとってマイナスであり、警戒すべき現象だ」と論じた。
『南方日報』も「タンピン主義は恥ずかしいことだ。タンピン主義の一体どこが正義なのか? 若者こそいちばん奮闘すべき世代ではないか。自分の運命を受け入れることは構わないが、タンピン主義はいけない」と批判している。「奮闘」とは、近年、習近平政権が好んで使っている言葉で、人々を鼓舞するときにしばしば登場する。
中国では、なぜ今、タンピン主義が起きたと分析されているのか。中国のSNSを見てみると、「これは現在の社会の風潮に対する、若者たちの無言の抵抗や反発なのではないか」といった分析が目立つ。