ここから先しばらく、麻子さんはしばらくちょい役でしか出ません。
仕方ないね。
県大会決勝戦の日。開会式が終わり、改めて対局室へ向かう、清澄高校の先鋒である宮永咲は、相変わらずの輪形陣で護衛されつつ対局室前まで来ていた。本来なら過剰護衛とも言える感じではあったが、道中には結構な人数の記者がいたため、結果的には正解と言えた。
「それじゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい、咲」
「やりたいようにやって、全力を出し切ってくださいね」
部員の皆から応援のメッセージを受け取る咲。その顔は、昨日まで見せていた昏い表情でも怯えたような表情でもなく、これから始まるお祭りに遊びに行く子どものような、そんな期待に満ち溢れた顔だった。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いする」
「おう、よろしくな」
「よろしくね」
既に他校の先鋒メンバーは集まっていたようで、咲が最後の入場となった。一同は場決めを行い、親の清澄から順に、龍門渕、風越、鶴賀と決定した。
「それでは、全国出場の切符を賭けた決勝戦、前半戦スタートです!」
司会のその言葉とほぼ同時に、試合開始のブザー音が鳴り響く。誰にとっても負けられない戦いの火蓋が切られた。
―――
先鋒戦、前半戦。その開幕は、化け物じみたスコアを叩き出した咲を3人が警戒しながら打つ、という形となった。見えないものを見ることが出来る、すなわち流れをある程度感じられる純は、咲の手が進んだと見るや鳴きでツモをずらし、咲の有効牌をことごとく他家へと流していった。美穂子、睦月の両者も、薄々純に乗らされていることは気付いていたものの、咲をなるべく動かさせないという意味では利害が一致していたため、純のその誘いに乗って和了を拾っていた。
「(うーん……なんかツモがおかしいよぉ……何か麻子ちゃんと打ってるときみたい)」
調子が悪いときは終局まで全く和了れない、ということも麻雀においては珍しくはない。しかし、南二局を過ぎても聴牌すら取れないのは、流石に異常事態と言ってもよかった。だが、咲はここまでの中で、純が鳴きで動いてくるタイミングをある程度把握していた。
「(龍門渕の人は、私の向聴数が進むと必ずと言っていいほど鳴いてくる。そして、その後にツモがおかしくなっちゃう……なら)」
咲にとって幸いだったのは、3人がとにかく早和了を連発していたおかげで、高い手がろくに出なかったことである。つまり点数としては、十分に逆転の目があるレベルなのである。
南三局 13巡目 ドラ
咲手牌:
この局は幸いにも皆の手が遅く、妨害があったものの二向聴まで持ち込むことが出来た。そしてそこにツモってきたのは、待望の。赤ドラを含んだ面子が確定し、一向聴まで辿り着いた。ここで咲が選択したのは
切りであった。
『現在苦戦中の清澄の宮永選手、久々の一向聴です! だが嵌張が連続していて形は悪いか?』
「(清澄の奴、手が進んだか……このままだと立て続けに有効牌を引かれる感じがする、まずいな……)」
咲の向聴数向上の気配を敏感に察した純は、手から絞り続けていた生牌のを切り出した。
「ポン!」
睦月手牌:
睦月が待っていましたとばかりにそれを晒し、聴牌した。を切れば中三色赤1の3900の手である。三色が消えるのに加え、赤ドラをこの巡目で切るのはいくらなんでも抵抗が大きかったのもあり、睦月は迷わず
切りを選択した。
「カン」
「!?」
それが一瞬の隙であった。咲が大明槓でを喰い取ったその瞬間、純は咲から強烈な流れを感じた。
「(おい待てよ……まさか、この嶺上牌で聴牌するってことはねーよな……!?)」
内心では否定していたが、直感はその否定を否定していた。今はっきりと感じたのは、咲が向聴数を進める感覚……いや、それ以上であるということを。
「(だが、アイツは聴牌していなかったはずだ……なら、最悪でも聴牌止まりだ。まだ潰せる!)」
純の思考は、普通なら正しかった。いくら手が進んだとしても、進められるのは1牌分だけなのである。この時点で聴牌していないのなら、和了ることはあり得ない。しかし、純は咲のことを見誤っていた。ここまでの大量得点の陰に隠れていたが、元々咲はパワーアタッカーなどではなかったのである。
「カン」
「(なっ……!?)」
嶺上牌をツモった咲は、その嶺上牌を手の中に入れ、既に完成していたの槓子を晒し、更に暗槓を重ねた。ここまで来ると、純にもはっきりと咲が和了る未来が感じられた。咲の手が嶺上牌に伸びるその刹那、咲の腕から美しい桃色の花弁が舞い踊る。その光景を、咲以外の3人はただ見つめるしか出来なかった。
「ツモ、嶺上開花、赤赤。7700点です!」
咲和了形:
ツモ
ドラ
『き、決まったぁーー! 清澄の宮永選手、なんと大明槓からの嶺上開花でツモ和了り! を鳴かせた鶴賀の津山選手は7700点の責任払いです!』
『……まるで、嶺上牌がわかっているかのようだったな……』
『で、では、これが偶然ではない、と……?』
『いや、わからん。少なくとも私にそんなことはできん。だが……この和了はおかしいのは確かだ。これが”牌に愛された子”の力なのかもしれん』
大明槓でを晒してからの、暗槓を重ねての嶺上開花責任払い。司会として呼ばれている靖子も指摘するとおり、和了り方としては異様と表現せざるを得ない、周りから見れば歪みに歪んだ手であった。もし嶺上開花が出来なかったとすれば、ただの役無しの手になってしまうのである。
「(ふぅ……なんとか和了らせてもらえたよ……でも、2回戦までと違って、全然和了らせてもらえないや……これが全国レベル、なんだね……!)」
一方咲は、ここでようやく和了を拾わせてもらえたことに安堵し、そして全国レベルの強さというものを改めて実感していた。麻子との対局ほどではないものの、うまく打たせてもらえないというのをずっと感じ続けていたのである。
―――
南四局 12巡目 ドラ:
咲手牌:
咲はこの局も純の妨害を受けており、向聴数自体はまだ二向聴と伸び悩んでいた。だが代わりに、咲の手牌は異様なものとなっていた。今度は手の内に槓子が2組も揃っているのである。しかし、咲はここで槓子を晒そうとはしなかった。もし晒してしまえば、また純に止められてしまう、というのがわかっていたからである。
そして咲は、この槓子を溜め込む打ち方をして気付いたことがあった。あくまで純が流れを拾え、妨害できるのは、向聴数が変わったときか、同じ向聴数で役の高さが明らかに変わった時である、ということである。それ単体では特に意味を成さない槓子を溜め込む分には、純に妨害されることはなかったことから、咲はこの考えに辿り着いていた。
「チー」
咲は睦月から零れたを鳴き、
を切る。これで手牌は
となった。しかしこの鳴きで
を切った場合、向聴数は変わらず二向聴であった。この状況に、純は少し怪訝な表情を見せた。
「(を晒しておきながら向聴数は変わらず……まだ一向聴って気配はない。何を考えているんだ、清澄の奴は……)」
もしかしたら動いたほうが良いのかもしれない。そう感じつつも、純はツモが効かず動くことが出来なかった。美穂子、睦月もそのままツモ切りである。そして咲まで手番が回ってきてしまった。
「カン!」
「(!!)」
またも槓子を晒し、咲は動き始めた。暗槓であり、国士に当たるような牌でもないため、槍槓を宣言することも勿論できない。つまり、3人はただ咲が魅せる技をただ見守ることしかできないのである。
「もう一個、カン!」
「また2連続カン!?」
思わず純は思いが口に出てしまった。それほどまでに、目の前の光景がショッキングなものであったのだろう。ドラがことごとく乗っていないため、それほど高い点数にはならなさそうではあるのだけが救いではある。しかし、3人は点数以上に、咲が操る牌の美しさ、そして咲の強さを感じていた。
「ツモ、嶺上開花。赤ひとつで60符2翻は1000・2000です!」
咲和了形:
ツモ
ドラ
この和了に会場は騒然としていた。それまで静かだった咲が、突然2連続槓からの嶺上開花を、2局連続で決めてきたのである。それはまるで、魔物がようやく眠りから目覚めたような、そんな恐ろしい雰囲気にも感じられた。
『ぜ、前半戦終了―! 1位は振込み回数0で堅実な立ち回りを見せた風越、そしてその後ろには2連続連続槓からの嶺上開花を決めた清澄が100点差で迫っております! 3位の龍門渕も振りこみは0でしたが、点数がやや力不足だったか? そして鶴賀は責任払いの7700が大きく響き87400点! 上位3校は団子状態だが、鶴賀はやや厳しいか!?』
「(清澄のあの子……いよいよ本気、ってところかしら……?)」
「(まずいな……連続槓から手作りされたらオレでも止められねーぞ……!?)」
「(違う……力量差が、違いすぎるっ……!)」
「(うん、段々取り戻してきた、次はいける!)」
調子を取り戻し始め、自分の勝ち方が見えてきた咲と、それに恐れ戦きながらも立ち向かう3人。まるでその様子は、1人の魔王に立ち向かう3人の勇者といった様相であった、と後にどこかで語られる事となるが、それは別の話である。
―――
清澄:105300
龍門渕:101900
風越:105400
鶴賀: 87400
『さて、席決めも終わり、いよいよ後半戦スタートです!』
司会のトークと同時にブザーが鳴り、後半戦がスタートした。席順は前半戦と変わり、起家の咲から順に睦月、純、美穂子となった。東一局は、やはりマークされているということもあり、咲は純に立て続けに有効牌を潰され、そのまま純に和了を許す形となった。
「(うーん、でもやっぱりまだ全力を出し切れないなぁ……合宿とか、家族麻雀のときと、何かが違う……)」
咲は自身に対する違和感の原因を探っていた。そこで、当時の麻雀の記憶を思い出していた。
「(……あっ!)」
合宿の最終日。お風呂に足袋ソックスなるものが置いてあり、それが実に心地よい、ということで試して見たのだが、どうも咲にはそれが合わなかった。そこで再度裸足になった。この出来事を咲は思い出した。そして、家族麻雀で打ってるときも裸足で打っていたことを同時に思い出した。状況は東二局、睦月がツモ和了で2100点を取り、東二局1本場へと突入するところであった。
「あの、脱いでも良いですか?」
「はっ……?」
突然の脱衣宣言。ドジを踏んで主語を忘れてしまったがばかりに、変な混乱を巻き起こしてしまった。そこで慌てて咲は、靴と靴下を脱ぎたい、と改めて申し出て、無事にそれが許可される運びとなった。
「(うん、同じ、あのときと同じだよ!)」
宮永咲。決勝戦後半戦にて、『清澄の白い魔王』として、遂に完全覚醒の時を迎えた。
「(……妙だ、何かがおかしい。清澄の流れが良いのはわかる。だが、オレがそれに何も干渉できねえ……嫌な予感がするな)」
東二局1本場。咲は順に邪魔をされることなく、順調に有効牌を重ねていた。いや、厳密には、純が邪魔しようとしてもできなかった、と言うほうが正しい。純に鳴ける牌がことごとく出ず、さらに鳴かせる牌も持っていない。まるで、咲に和了れと言わんばかりの状況であった。
「ツモ、ドラ1。700・1300の1本場は800・1400です」
咲和了形: ツモ
ドラ
東三局 ドラ
「(また清澄の手が進んでやがる……これ以上好き勝手されるとまずい……!)」
6巡目、咲が切ったを見て、純はすぐに動いた。
「ポン!」
純手牌:
打
この局は、純が妨害を入れることには成功した。咲からを喰い取り、無理やり流れを変えようとしたのである。しかし、余剰牌だった
を手拍子で切ったのがまずかった。
「ポン」
ゴッ、と鈍い音が鳴り響く。それが聞こえていたのは純だけではあるが、しかし、それ以上に恐ろしいのが、咲から発せられているオーラであった。1回戦で発していたものとも、2回戦で発していたものとも違う、純粋なる王者としてのオーラとでも言うべきもの。それに関しては、純のみならず美穂子、睦月もひしひしと感じていた。
「(チッ、ずらした牌が元に戻りやがった……!)」
動くにも鳴ける牌も出ず、また鳴かせられる牌を切ることもできない。無常にもそのままツモだけが進んでいく。そして、目の前にいる咲の手作りを、純は指を咥えて見ているしかなかった。
「ツモ、嶺上開花ドラ1、500・1000!」
咲和了形:
ツモ
「(何だその和了は!?)」
「(鳴かなくても門前リーチで十分な形だったはず……)」
「(まるでウォーミングアップみてーだな……)」
またも開かれる嶺上開花のみの手。睦月は今まで味わったことのない異様な麻雀に呑まれつつあった。また美穂子と純も、咲のその和了に対する違和感、そしてその和了を繰り出す理由を考えていた。
遂に靴下を脱いだ咲さん。試合の行方は後編へと続きます。