咲が落ち着いた頃には11時となっていた。2回戦目の開始は13時半からのため、麻子達は早めの昼食も兼ねて、会場内の食堂へと向かうことにした。しかし当然と言うべきか、控え室から食堂へ向かうまでの道はマスコミによって囲まれていた。どこの記者も、先鋒戦でトビ終了という結末を引き起こした本人を取材したがっていたためだ。
「うーわー……こりゃあちょっと困ったことになったわね……」
「も、もしかして皆私目当てですか……?」
「そうじゃなかったらウチに張り込む理由がないじぇ」
その熱気たるや、近付くだけで蒸発してしまうのではないかと思ってしまうほどであった。しかし前から散々持ち上げられてきた和はともかく、咲は取材慣れしていない。もし取材なんて受けようものなら、その結末は容易に想像できた。
「どうしたもんじゃろうか……」
皆が頭を悩ませていると、久の携帯に一本の電話が鳴った。そのディスプレイには、『藤田靖子』と書かれている。渡りに船だ、と直感で察した久は、飛びつくようにその電話に出た。
「もしもし、靖子!?」
「お、おう、久か」
「丁度良かったわ、助けて!」
「だろうなと思ったよ……まぁとりあえず、私がどうにかするからちょっと待ってろ」
「恩に着るわ!」
この建物自体にはそれほど明るくない一同にとって、靖子の指示は天啓と言っても過言ではなかった。事実、靖子の指示に従うと、いとも容易く裏にある関係者出入り口の所まで辿り着けたからである。そしてその出入り口の鉄扉を開けると、靖子一人が清澄メンバーを出迎えた。
「とりあえずお疲れ。まぁあんな終わり方をしたらマスコミが飛びつくのは誰でも想像できたからな……まぁ、立ち話も何だし、早く終わった分時間もあるから、とりあえずは外でご飯にしようか」
靖子の案内により、一同は徒歩圏内のファミレスへと足を運んだ。外はもう夏だったこともあり、日差しが強く暑かったが、店内に入るとひんやりとして実に心地が良かった。
「案内したのは私だしお金も出そう。好きなのを頼んでいいぞ」
「本当ですか!?」
早速優希が目を輝かせながら良い喰い付きを見せる。実に現金ではあったものの、手持ちがないのは皆同じであったため、ありがたいのは本心であった。
―――
「まぁとりあえずは、2回戦進出おめでとう。しかし咲は一体どんな呪文を使ったんだ……?」
靖子が一同を労うように言葉をかけ、続いて質問を投げかけた。つい10日ほど前に戦ったときとは別人も別人だったのだから、そう聞きたくなるのも無理はない話であった。
「あはは……ちょっと張り切りすぎちゃって……」
まさか感情に囚われてトランス状態になってしまった、なんて言えるはずもなく、咲は困ったように笑いながら誤魔化した。
「張り切った結果があれか……末恐ろしいな」
そう言った靖子であるが、実際は何かを隠していることはわかっていた。しかしわざわざ隠したがっているそれを根掘り葉掘り聞くほど野暮でもないため、あえて今はわかっていないことにした。そこで少し話題を変え、もうひとつ気になる事に切り込んだ。
「しかし、他の面子は大丈夫なのか? 咲の強さは1回戦で嫌というほどわかったが、まさかチーム咲状態ではないだろう?」
「その辺はバッチリよ。何せ合宿までして皆で猛特訓を重ねたからね」
「皆、か……」
そう呟いた靖子は、思わず麻子の方へと視線を向ける。皆、ということは、つまり麻子もその練習メンバーに入っているということだ。『roof-top』にて前に手酷くやられたことを思い出した靖子は、もしかして咲が超覚醒したのも麻子のせいなのでは、と訝しんだ。実際、その考えは7割くらい当たっているのだが……。ちなみにその視線を向けられた麻子はというと、そんな視線など気にしていないかのように、ご飯物を頼んでいないにもかかわらずデザートのバナナサンデーを口に運んでいた。そして
「(女子は甘いものならいくらでも食べられる、なんて話を聞いていましたが、本当なのですね……)」
とか考えていた。その横には、ストロベリーパフェが入っていた容器が置かれていた。
―――
「それじゃ、午後も頑張れよ」
「任せなさい」
靖子と別れた一行は、控え室へは戻らず、そのまま対局室へと向かった。咲を中心に置いた輪形陣を敷いて。これは万一記者に出会った際の防御壁の意味合いもあったが、一番の目的は咲をはぐれさせない、その一点にあった。咲は既にこの日の朝方に迷子をやらかしているため、念には念を入れたのだ。もし時間になっても迷子で到着できないため失格、なんて羽目になってしまったら洒落にならない。もしかしたらこの世界においては、麻雀が強い人は何かが抜けているのかもしれない。
「それでは、私達は戻りますね」
対局室の扉から少し離れた場所で、麻子が咲にそう言った。流石に扉が見えている場所のため、いくら咲でも迷うことはない。
「うん、ありがとう」
「咲さん」
麻子に返事をしていざ対局室へ、と咲が後ろを振り向きかけた時、和が静かに咲の名前を呼んだ。その表情は、我が子を見守る母親のように、うっすらと笑みを浮かべている。
「楽しんできてくださいね」
「……うん!」
和の後押しもあり、咲は心からの笑顔で、対局室へと入ることが出来た。
―――
2回戦、清澄高校の先鋒、宮永咲。1回戦でのこともあり、対局相手は咲を非常に警戒していた。そして拙いながらも3人でうまく連携を取り、咲を封じ込めていた。ただそれが、咲にとっては少々露骨で、敵意も剥き出しだったのが問題だった。
「(……やっぱりマークされてる……3対1って……そんなの麻雀じゃ……やだ、そんな目で見ないで……)」
咲自身の中で、負のオーラが増大していく。私だってしたくてした訳じゃない。それに3対1なんてされたら勝てっこない。何より怯え、恐怖、敵意、そんなものが篭った目で見られたくない。
「まずい、また咲の奴が呑まれ始めよる……」
麻子ばりにオーラに敏感なまこは、咲の違和感にいち早く気付いた。しかし対局室の中は電波も届かなければ、控え室の声も届かない。このままでは1回戦と同じ結果になりかねない。いや、それならまだマシである。もっと酷いのは、それを逆手に取られて脱落させられることだ。
「……」
しかし、和は落ち着いていた。まこの状況報告を聞いても尚、笑みを絶やさなかった。咲さんなら大丈夫、このくらいなら乗り越えてくれる。そう信じていた。
「(……まずい、体が勝手に……)」
しかし、和の思いとは裏腹に、咲は自分でも段々と制御が利かなくなっているのを感じていた。このままだと1回戦と同じ目に遭うのはわかりきっていた。今はまだ何とか自分の意思で制御できているものの、このまま行けばコントロールを失うのも時間の問題である。
「(っ……あっ!)」
もうすぐ完全に体の制御が利かなくなる、そんな時。咲の脳内に優しい声が響いた。
『楽しんできてくださいね』
「(……そうだ、3対1が何だ。麻子ちゃんと打った時と比べれば、このくらいなんでもない……ハンデにもならないよ。あの目も、それだけ私を強い打ち手と認めてくれているから。それに……和ちゃんも言ってた。どんな状況でも、麻雀は楽しむもの、だよね!)」
一見悪いものでも、見方を変えればプラスになる。そのことを咲が理解した瞬間、パリン、と鏡が割れるような音がした。
―――
「咲の空気が……変わった? さっきまで、呑まれかけとったはずじゃあ……」
まこの予想に反し、今の咲に宿っているのは、今まで見た中でも一際鮮やかな桃色の炎だった。更に、さっきまで纏っていた負のオーラは完全に消え失せている。咲の表情も、麻子との対局の時に見せていた、全てを深淵へと引きずり込むような濁った瞳ではなく、青空を反射するくらいに透き通った瞳を湛えていた。
「(……うん、思い出したよ。麻雀って、楽しむものだよね!)」
和の言葉を思い出し、自分に打ち勝って生気を得た咲は、それからというもの実に生き生きとした闘牌を見せていた。嶺上開花を決めるのは勿論、それ以外の手でも何度も和了っており、他家を圧倒しているのは変わらない。しかし、その一手一手には咲の意思が込められていた。目標だけを目指して、他を全て捨てるような機械のような打ち方ではない。そんな打ち方だとつまらないから。まるで咲の手牌、河、表情がそう語っているかのようであった。
「先鋒戦終了! 1位は1回戦と同じく清澄高校、宮永咲! 1年生ながらまるで王者の如き闘牌でした! 1回戦のようにトバすことこそできなかったものの、それでも20万点を超える圧倒的な点数! これは『牌に愛された子』の再来か!?」
先鋒戦は序盤での封じ込めもあってトバし終了こそ出来なかったものの、それでも咲が他校を圧倒した。しかし咲にとっては点数より大事なものを得ていた。好きなように、伸び伸びと、打ちたいように打つことができる。自分の麻雀を取り戻すことができたのだ。
「ただいま戻りました!」
「おかえりだじぇ!」
「よう頑張ったな。すんでの所じゃったけど、きちんと踏ん張ることが出来た」
咲の顔は、1回戦と違いとても晴れやかなものであった。自分の全力を出し切った。言葉にこそ出していないものの、咲の表情がそう物語っているのは誰から見ても明らかだった。
「お疲れ様です、咲さん」
「うん、ただいま、和ちゃっひゃっ!」
「……」
和のところに駆け寄ろうとした咲は、何もないところで真正面から転んでしまった。最後の最後で実に締まらない、しかしある意味咲らしい終わりとも言えた。
「(……一時はどうなるかと思いましたが、宮永さんの自力で乗り越えました、か。この世界の学生は、皆強い方ばかりですね)」
過去の対局を思い出しながら、麻子は目の前に広がるチームメイトのやり取りを眺めていた。そしてその精神力の強さに、改めて感嘆するのであった。
―――
「決まりましたぁっ! 2回戦Dブロック、決勝進出校は、1回戦でも圧倒的な闘牌を見せつけた清澄高校! 副将、原村和がトバし終了! 大将を待たずして決勝進出を決めましたぁっ! これはこのままダークホースとして優勝までいってしまうのか!?」
2回戦は和までは回ったものの、結局は大将の麻子まで回ることなく、その和がトバして終わらせてしまった。先鋒での咲の大量得点に加え、強い打ち手が比較的少ない次鋒で優希が稼ぎきったこと、さらに久の悪待ち戦法が見事にハマリ、和がごく普通に打つだけでもトビ終了が発生するくらいに点数が削られていたのである。これに警戒を更に強めたのが龍門渕であった。
「清澄のやつ……先鋒の宮永、だっけか。アイツ、1回戦と何か違ったな」
「え? どっちも圧倒してたのは変わりないのではなくて?」
「そうか、透華はデジタル派だったな」
「何かバカにされている気がしますわ……」
まず真っ先に分析していたのは、先鋒であり現状最重要警戒対象である咲であった。しかし牌譜を見ても、1回戦と何が違うのか、透華から、いや、智紀、一から見てもわからなかった。しかし純は持ち前のセンスで、1回戦と2回戦での咲が纏うものが違うことを本能的に察していた。
「1回戦のほうが、高火力だけど読みやすい分、まだどうにかなりそうだったんだけどな……これは苦戦しそうだ」
純が冷や汗を流しながら、次に戦うことが確定している咲をどうしたものか思案していた。
「次に見るべきは……次鋒、片岡優希、ですわね。智紀、大丈夫そうかしら?」
「……多分、東場で和了らせなければ大丈夫」
智紀は基本デジタル打ちであるが、和と違ってオカルト方面にも多少の理解はある。それはこの龍門渕の大将、天江衣がデジタルとはかけ離れたオカルトの塊であったからなのだが……だが、それが智紀にとっては良い方向に作用した。和のように全てを偶然として割り切るのではなく、それもひとつの要素として組み込み、対策を練るのである。デジタルだがその場での対応力も高い。故に龍門渕のスタメンを張れるのである。
「それより問題なのは中堅……」
智紀が次の牌譜を自分のノートPCに映し出す。竹井久の牌譜だ。
「うわぁ……なんとなく察してはいたけど、本当に両面とかの多面待ちに取らないね、この人……」
一は、久の徹底した悪待ち戦法にやや引き気味であった。基本に忠実に、まっすぐ打つのが信条である一の打ち方は、そこを引っ掛けようとする久の戦法とは相性が悪い。まこほどではないものの、よくて五分、調子によってそれ以下もあり得ると考えていた。もっとも、それは何もないところで会った時の話で、今回のように牌譜から既に傾向が見えているなら善戦はできるだろう、と一は踏んでいたのだが。
「そして副将……原村和。やっぱり原村は『のどっち』だと思いますわ」
ネット麻雀界で、最早運営のプログラムではないかと疑われているくらいに強い『のどっち』。透華は和の牌譜から、その片鱗、いや、『のどっち』そのものを見出していた。
「……確かに、中学ん時の原村の牌譜はミスも多かったし、それを見たんじゃ『のどっち』なんて名前の似てる別人だろとしか思わなかった。けど、今回のこいつを見てしまったらなぁ……」
そう、和は大会が始まる前の時点で、既に『のどっち』として覚醒していたのである。これで4人の牌譜が揃った。あとは大将である仁川麻子……という名前だけしか出ていない謎の人物だけ。しかし彼女は2回戦も副将戦で終わってしまったがばかりに、これまで全く出番が無く終わってしまった。つまり何の前情報もなしに、ガチンコでぶつからなければいけないのである。
「まぁ、あの衣だから大丈夫だとは思うけど……」
「なんか嫌な予感がすんなぁ……」
少なくともあの先鋒の宮永咲と同じか、あるいはそれ以上の強さを誇る謎の打ち手。いくら龍門渕の大将であり『牌に愛された子』である衣がいると言えども、龍門渕高校の面々は不安を隠せないでいた。
―――
「ほい、チャーシュー!」
2回戦が終わり、すっかり日も沈んだ頃。清澄メンバー一同は、近くにあった屋台のラーメン屋へと足を運んでいた。
「晩御飯は部長である私のおごりだから、明日の決勝に備えてたっぷり食べてね」
「おいしそうだじぇ!」
「いただきます!」
「……」
順々に届いたラーメンに舌鼓を打つ優希と咲。しかし同じく届いたはずの和は、周囲をおろおろと見渡すばかりで食べようとしなかった。その様子を見た優希が、和に質問をした。
「のどちゃんはラーメンは初めてか?」
「ら、ラーメンくらい知ってます!」
そう言いながら、優希の見よう見まねで箸をつける和。どう見ても初めて食べる姿にしか見えないが、それを指摘するのも野暮であったので、皆は温かい目で初めてのラーメンを食べる和を見ていた。
「(懐かしいですね。こういったものを食べるのはいつぶりでしょうか)」
麻子は麻子で、屋台のラーメンなどというものを久しぶりに食べるため、その懐かしさを味わっていた。いつからかスポンサーがつくようになってからは、事ある毎に会席料理だの何だのを振舞われてきていたため、こういった『普通』の食事は久しぶりだったのだ。
「(麺は縮れ麺でスープがよく絡み、野菜がいいアクセントになっている。チャーシューは脂がたっぷりなものの、思ったよりしつこくなくいくらでも食べられそうな味。肝心のスープはあっさり系の魚介系だしの醤油ですが、脂がたっぷりのチャーシューと合わさって丁度いい食べ応えを演出してくれます)」
飯テロにもなりそうな品評を脳内で行う麻子。驚くことに、その行っている間に気がつけばラーメンの量が半分くらいになっていた。元々それなりにあったはずなのだが、どうやら美味しさで時間が少しだけ飛んだらしい。
「親父! タコスラーメンを作れ!」
「タコはねぇなぁ」
―――
「ただいま」
「おかえりー、見てたわよ、大会! 決勝進出なんてやるじゃない!」
「宮永って子も強かったが、お前はその子を差し置いて大将を任されてるんだってな。こりゃ明日の決勝も期待して見なきゃな!」
「ちょっとあなた、プレッシャーかけるのはよしなさい!」
家に帰った麻子は、両親から今日の大会についての感想を貰った。その内容は、麻子が出ていないにもかかわらず概ね好意的なものであった。むしろ咲と比較されて期待を更に上げられているほどであった。
「大丈夫。明日は必ず、勝つから」
普通の子なら、その重圧で押し潰されるまではいかずとも、緊張が高まりすぎてもおかしくないくらいの、そんな純粋な期待。しかし麻子は、プレッシャーには滅法強い。そんなものに負けるようでは、裏麻雀界で生き残ることなど、ましてやその界隈では知らない者がいないくらい有名になることなどできないからだ。故に親からのそれも、好意的に受け取るだけ受け取り、何食わぬ顔でスルーした。それどころか自分からハードルを上げていた。
その後家族で夕食を食べた後、麻子は自室に戻り、改めて転生してから今日までの出来事を思い返した。宮永咲、須賀京太郎という人物と巡り合えたこと。その縁で麻雀部へと入部したこと。咲を初めとした、異能の打ち手と巡り合ったこと。そしてそれらと共に戦う仲間として入部したこと。初めて見る形の雀荘に驚いたこと。皆で合宿に行ったこと。咲が壁に当たったこと。大会というものに初めて参加したこと。そこで咲が壁を乗り越えたこと。そして、予選を通過し、全国への切符まであと一歩のところまできたこと。
「(……彼女達のためにも、必ず、明日は勝ちましょう)」
元から負けるつもりなどさらさら無かったが、改めて麻子は、自分の周りがとても恵まれた人物ばかりであることを思い返し、その人と人との繋がりというものを噛み締めながら、明日の決勝のために眠りについた。
ちょっと駆け足でしたが、次から県大会決勝戦に入ります。
もう麻子さんは大分真人間になってますね。
もう県大会終わったらカン! でいいんじゃないかって気がしてきました()
靖子さんがこんな時間にうろついているのは、司会も交代制で担当の試合があまりにも早く終わったが故の暇つぶしとでも解釈していただければ……(投稿してから気付いたやつ)