〈しなの歴史再見〉弥生時代像を変える松原遺跡 等質の集団 横につながる社会
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■長野県教育委員会事務局文化財専門員 馬場伸一郎
1990年、上信越道建設に伴う長野インター予定地付近の発掘調査で、長野県の弥生時代像を大幅に変える大集落、長野市松原遺跡の中心部分が発見された。
集落は出現した当初こそ規模が小さく建物跡も少なかったが、最盛期の紀元前1世紀ごろに大きな溝で居住域をいくつかに分かち、その一つ一つに数多くの建物跡を持つ姿に変貌する。集落は約15万平方メートルの範囲に広がり、近畿地方の標準的な環濠(かんごう)を持つ集落が四つ程度入る規模に膨張する。同時に、日本海側から千曲川をさかのぼり関東平野へと抜ける交流ルートの要であったことを、発掘調査で出土した大量の土器や石器が示している。
松原遺跡に集落がつくられた弥生時代のシナノでは、紀元前2世紀ごろに転機が訪れる。千曲川流域には水稲農耕とともに、中野市柳沢遺跡の銅戈(どうか)・銅鐸(どうたく)に象徴されるように西日本系の農耕儀礼が伝わった。それ以後の…
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