Message 先輩メッセージ
国民生活に直結する政府の動きを捉え、
その真意を探り、検証する
松山 尚幹/ MATSUYAMA NAOKI
所属部署政治部
入社年 / 専攻2009年入社 / 経済学部 経済学科卒
現在の仕事
「平河クラブ」で政局の舞台裏を追う
自民党を担当する「平河クラブ」に所属し、石破茂元幹事長が率いてきた石破派や、参院自民党などを担当しています。2020年9月にあった自民党総裁選でも石破氏の担当をしました。7年8カ月続いた安倍晋三首相の退任表明後、あっという間に各派閥が菅義偉官房長官を担ぎ上げる構図が固まり、石破氏にとっては、最初から勝ち目のない戦いでした。それでも苦悩しながら戦いに挑んでいく、その背景には何があるのか。番記者として、議員たちが国会内を歩く時などに細かな接触を繰り返し、時には事務所で長時間話し込み、その真意を探りました。次の首相を決める局面で何が起きているか、政治家たちが何を考え、どんな感情を持っているか。その取材はとても刺激的でしたし、考えさせられることも多かったです。
仕事の魅力
政治家の言葉から真意を瞬時に読み取る
首相官邸を担当していた2020年3月、G7首脳のテレビ会議がありました。当時の世間の関心は、コロナ禍で東京五輪・パラリンピックが予定通りにできるかどうか。深夜、日付が変わる頃にやっと会議が終わり、官邸のエントランスで安倍首相のぶら下がり取材が始まりました。首相は五輪について、「完全な形で実現することでG7の支持を得た」とだけ言って帰ろうとします。声をかけて呼び止め、開催時期について議論になったかを聞きました。首相は私の目をじっと見ながら、直接は答えず、同じセリフだけを繰り返し、その場を後にしました。「延期だ」と思った瞬間でした。首相の姿が見えなくなってから、「規模縮小や無観客での開催はないということか」など、他にも確認すべき事があったと後悔もしました。
翌朝の新聞各紙の1面は、このやりとりを元に「時期は明言せず」という報道になり、延期の「空気感」が少しずつ広がっていきました。政治家は発信したいことだけを言うことが多いですし、将来の予防線として表現を少しずつ変えていくこともあります。権力監視のためにも、そうしたことを見落とさないで瞬時に反応できるかどうかが問われていると改めて思った出来事でした。
これから
政治を身近に感じてもらう発信を模索
政治にどれだけ多くの人に関心を持ってもらえるか、特に若い層に向けてうまく発信したいと思っています。以前ポッドキャストにも出演しましたが、いろいろな媒体に向けた発信は必要だと思っています。また、政治家は選挙を勝ち上がってきているだけあって、接してみると魅力を感じる人が多いです。硬い話だけではなく、政治を身近に思ってもらえる工夫をしたいと思っています。また、個人的なことですが、語学も勉強し直そうと思っています。
MY CAREER HISTORY私のキャリアヒストリー
- 2009 / 04
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入社 松山総局 警察担当 [1年目]
名字で配属先が決まったともっぱらの噂に。街ネタ担当でもあり、季節のスケッチ写真を撮って紙面に載せるのが好きでした。
- 2009 / 09
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松山総局 高校野球担当
甲子園常連校から、島にある部員1人のチームまで、取材したどのチームにもそれぞれのドラマがあり、心にのこっています。
- 2010 / 09
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松山総局 警察キャップ [2年目]
内偵中のある大型詐欺事件の容疑者に会うために東京まで出張しました。様々な情報を総合して自宅マンションを探し出し、帰宅したところを直撃した時は緊張しました。容疑者や被害者に直接話を聞くことで、事件の違った側面も見えてきました。
- 2012 / 04
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四国中央支局長 四国中央市政、スポーツ全般担当 [4年目]
たいした記事も書けませんでしたが、同業他社もほとんどいない街で、記者人生では一番地元に密着した生活をしていました。いつも夜遅くにご飯を作ってくれていた近所のスナックのママは第二の母親です。
- 2013 / 04
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奈良総局 文化財担当、選挙事務局長担当 [5年目]
東大寺や興福寺、奈良文化財研究所などが取材先でした。素人なので発掘現場に日本書記を持って行って、いちから話を聞いたりしていました。あるお寺の執事長の人生を振り返った21回の連載は、その後、テレビ番組にもなりました。
- 2014 / 04
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大阪編集センター 硬面、高校野球斑、選挙班担当 [6年目]
記事をどこの面でどう扱うか考え、見出しやレイアウトで読んでもらえるように工夫することが仕事です。高校野球の特設面や広島カープ連覇の号外といったその時々のプロジェクトでは、全体の紙面イメージを考えた上で、出稿部やデザイン部、写真部と相談しながら、チームで一つのものを作り上げていく過程が仕事の魅力でした。
- 2018 / 04
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東京編集センター 硬面担当 [10年目]
主に1面や2面といった総合面を作っていました。締め切り時間ギリギリに飛び込んでくるニュースにきちんと価値判断して対応できるか、非常に刺激的な職場でした。様々なニュースに対応するという意味で今の官邸クラブとも似ている仕事です。
- 2018 / 10
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政治部 官邸クラブ担当
総理番とともに沖縄北方担当大臣も担当していました。北方領土の色丹島に行って現島民のロシア人と元島民の交流や葛藤を垣間見たのが印象に残っています。
- 2019 / 10
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第1子誕生。ちょうど担当だった即位の礼の時期でしたが、先輩記者が仕事のカバーをしてくれることになり、1カ月ほど休みをとりました。
- 2020 / 04
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政治部 平河クラブ(自民党担当)
新しい担当がスタートしてしばらくは、新型コロナウイルスの影響で月の半分は在宅勤務でした。
入社動機
各社の説明会やOB訪問、面接などを通じて、一番自由闊達な雰囲気を感じたのが朝日新聞でした。その印象は入社してからも変わらず、これまで経験したどこの職場でも、若手も含めてみんなで議論して方向性を決めていく雰囲気があります。
オフの過ごし方
学生時代まで続けていた野球は、今でも同業他社との草野球大会に出たりしています。大阪時代は深夜の京セラドームを貸し切って社内で紅白戦をしたこともありました。フルマラソンも一度挑戦して、継続的にランニングもしていたのですが、最近はさぼっています。
みなさんへのメッセージ
高校球児からお坊さん、総理大臣まで幅広く担当しましたが、いろいろな場所に行っていろいろな人の話を聞くのは自分の人生の幅が広がるようで楽しいです。そして何よりも、一つの記事がきっかけで何かが変わるかも知れない。そんな可能性もある仕事に魅力を感じています。みなさんも夢中になれる仕事と出会えるよう、いろいろな人の話を聞きながら、自分の将来像を探ってみて下さい。
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