- 写真記者
- NORIKAZU FUKUSHIMA
- 福島 範和
- 東京写真報道局
平成27年入社
小学生のころから新聞社で働くことに憧れていました。当時からスポーツ好きだった私は、記者なら特等席で様々なスポーツを見ることができるだろうという安直な考えを持っていたのです。写真記者を目指し始めたのは大学2年のときです。私は学生新聞部に所属し、日々新聞制作に励んでいました。もともとペン記者志望でしたが、2012年の全日本大学相撲選手権で撮影した一枚の胴上げ写真が写真記者を志すきっかけになりました。この大会で団体優勝した日本大の主将は現在大相撲で活躍する遠藤関。優勝が決まり、満面の笑みで宙を舞う遠藤関の姿を捉え、写真の魅力に引き込まれました。写真を専門に学んでいたわけではなかったので不安もありましたが、それ以降写真記者への思いがどんどん大きくなっていきました。
採用試験は新聞社と通信社、合わせて8社ほど受験しました。とにかく新聞社で働きたいという思いが強かったので、他の業界には目を向けませんでした。
産経新聞の写真報道局は、事件事故や政治経済などを取材するニュース担当とプロ野球などのスポーツや芸能を取材するスポーツ担当の2つに分かれています。入社以来、私はニュース担当で自然災害から著名人のインタビューまで取材内容は多岐にわたります。また、ニュース担当ではありますがプロ野球や大相撲、夏の高校野球などスポーツを取材することもあります。
写真記者として働き始めて2年もたっていませんが、印象深いのは昨年4月に発生した熊本地震を現地取材したことです。私は発生から2日後、先輩記者とともに熊本に向かいました。最初に到着したのは南阿蘇村。そこで目にした光景に言葉を失いました。あちらこちらで山が崩れ、多くの道が寸断されていたのです。大規模な災害取材は初めての経験でしたし、想像以上の被害に大きなショックを受けたことを覚えています。
1週間ほどの取材で最も困難だったのは避難所での取材です。疲労が蓄積されていく被災者の方々を目の前にして、最初は避難所内でなかなかシャッターが切れませんでした。しかし、被災された方々とコミュニケーションを取る内にだんだんと気持ちが変化していきました。言葉の端々から前を向いて生活している様子が伝わってきたのです。気づくと、自分が撮らなければならないという思いに駆られていました。最後には被災者の方々と避難所で24時間生活をともにし、写真を撮らせていただきました。情けないですが、被災者の方々の言葉に突き動かしてもらった貴重な経験になりました。
写真記者に限って言えば、学生時代に写真を専門的に勉強していなくても大丈夫だと思います。しかし、熱意は必要です。自分のように写真に関して素人同然でこの世界に飛び込むわけですから、入ってからいかに吸収していくかが重要です。現場で感じた疑問を先輩に質問して解消し、また次の現場で浮き彫りになった別の課題を解決していく、この繰り返しです。良い写真を撮りたいという強い思いがあれば、いくらでも成長できると思っています。自分自身もまだ半人前ですから、どうしたら良い取材ができるのかを考えながらの毎日です。