- 取材記者(社会)
- DAIKI KOMATSU
- 小松 大騎
- 大阪編集局社会部
平成26年入社
記者を志したのは、大学3年のときでした。小学生のころからマスコミ業界で働きたいという憧れ(プロ野球の実況解説をするアナウンサー)がありました。マスコミ業界は「華やかで人とは違う面白い仕事ができそう」というイメージも抱いていました。そんな中で就職活動が始まり、アナウンサーを目指した時期もありましたが、現場で自分が見聞きしたことを取材して記事を執筆してみたいという思いが強くなり、本格的に記者を目指すことにしました。いま思えば無謀ですが、就職活動ではマスコミ業界だけに狙いを絞っていました。当初は「とにかく記者になりたい」という思いが強く、○○新聞に行きたいという気持ちはありませんでした。最終的に産経新聞から内定をもらって入社を決めました。入社してみて思ったことは、産経は他紙に比べて人数が少なく、1年目から現場でバリバリ仕事ができること。事件取材などでは、5~10歳上の他紙の先輩記者としのぎを削ることもあり、実力不足を痛感する瞬間もありますが、記者1人に与えられる裁量も大きくてやりがいがあります。振り返ると、そういう産経の社風が合っていたと感じます。
いまは大阪府警の担当をしています。持ち場は殺人や強盗など凶悪犯罪を扱う捜査1課と空き巣やスリなどの窃盗事件を扱う捜査3課。事件の解決に欠かせない重要な証拠を現場から見つけ出したり、証拠品を鑑定したりする鑑識課や科学捜査研究所なども担当です。メーンは大阪府内や西日本で発生した事件事故の取材です。現場で事件関係者への聞き込みや張り込みのほか、事件の核心を報じるために捜査関係者にも「朝駆け・夜回り」を通して信頼関係を築くべく日々奮闘しています。また、昨年に起きた西日本豪雨や台風21号などの大規模災害も現場に出動し、遺族や被災者の取材にあたりました。記者の仕事内容を話すと、家族や友人から「大変だね」とよく言われます。肉体的にしんどい部分もありますが、世間の関心が高い事件や災害を取材しているときは「目の前でみた事実を埋もれさせてはいけない」との思いで動いています。この思いに至ったのは、新聞記者になった1年目の平成26年9月に、神戸・長田で小学1年の女児が殺害され、近所の男が逮捕された事件がきっかけでした。自分が現場で聞いた容疑者の人となりが瞬く間に紙面となり、ヤフーニュースなどのトップになり、インターネット掲示板でスレッドが立つという経験をしました。記事に賛否両論はあれど、多くの人が関心を寄せてくれたという事実にやりがいと責任を感じました。事件に限らず、新聞記者をしていれば様々な人たちと出会い、話を聞いて、自分なりの疑問点や課題、おもしろさを世の中に発信することができます。反響がある記事を1本でも多く書けるように今後も取材を続けます。
ネットメディアやSNSの台頭などもあり、新聞業界は発行部数の低下など苦境に立たされています。厳しい状況下ではありますが、紙媒体を好んで長年購読していただいている読者もいますし、ヤフーニュースといったネット媒体に掲載されている多くの記事は、各新聞社の記者が取材した記事がもとになっています。そういう意味で、若者の新聞離れが叫ばれる時代でも、みんな何かしらの方法で日々のニュースを読んでいます。新聞記者が担う「世の中に埋もれた事実を伝える」という役割は変わりませんし、なくなることはありません。受験生の皆さんには「何事にも挑戦する」という気概を持ってほしいです。斜陽産業とされる厳しい状況だからこそ、森羅万象に興味を持ってチャレンジして乗り越える精神が必要だと思うからです。また、面接試験では格好つけず自然体で望んだ方がよいと思います。私も面接でアピールしようと、自ら難しいテーマを切り出して熱意を伝えようとしたこともありましたが、結局は空回りして失敗しました。初対面の面接官との会話を楽しむくらいの気持ちで、自分らしく素直に答えることが大切です。その姿勢は記者になった後にこそ生かされます。あなたと1分でも長く話していたい、一緒に仕事をするのが楽しいと思われるような記者になれるよう私も頑張ります。