本当は『ヒミツのわん・タッチ』の記事を書こうと思ったのですが、吉田秋生の『ラヴァーズ・キス』の記事で「欲情されることへの嫌悪感」について述べたので、ついでに『ないしょのつぼみ』についても述べておきます。

 『ないしょのつぼみ』が、なぜ、女性にとって気持ち悪いのか?
 なぜ、ロリコン男性にウケるのか?

 それは、ズバリ、『ないしょのつぼみ』に登場する女の子キャラが、全員、《欲情される存在としての自分》を嬉々として受け入れているからです。

 吉田秋生の漫画に登場する女性キャラが「欲情される自分」に嫌悪感を持っているのとは正反対に、やぶうち優の漫画に登場する女の子キャラは、「欲情される自分」が好きで好きでたまらないのです。早く男に欲情されたがっているのです。

 蓮華とか麗愛のように、エロバカな男子を毛嫌いするキャラも出てきてはいますが、これらのキャラだってどうせ大好きなイケメン男子から真顔で「キミのおっぱいを…触りたい…」とか言われれば嬉しがるのは目に見えています。今月の蓮華は、弟が幼稚園の先生の胸を触ったことにショックを受けていましたが、これは他の女(しかも大人)に弟の関心が向いたから嫉妬しただけの話です。もし、弟が”天使の笑顔”とかいうやつを見せながら蓮華の胸を触って「おねえちゃんのおっぱいって柔らか~い」などと言っていたら、「ンもう大のエッチ」などと言って嬉しがるのが想像できるでしょう?

 男に欲情されることを嬉々として受け入れる女子小学生…。こんなにもロリコン男性にとって都合のいい漫画ってありますか?女性漫画家と学年誌編集部が一体となって、ロリコン男性に「小学生に欲情してもいいんだよ!」と”お墨付き”を与えているようなものなんですから。「な~んだ!小学生の女の子は欲情されたがっているんだ!だったら、俺が小学生に欲情しても全然問題ないじゃん!」てな寸法です。

 世の中には欲情されたがっている「メス状態」の小学生が本当にいるかもしれませんが、もちろん全員が全員そんな「メス状態」なわけではありません。それだったら吉田秋生の漫画が女性読者に受け入れられるはずがないんですから。
 自分の体に起こっている第二次性徴(生理や発毛)を「大人の証」として嬉々として、あるいは「ウレシハズカシ気分」で受け入れる女の子なんて、さほど多くはありませんよ。大抵は「めんどくさい」という感想です。何の知識もないうちに第二次性徴がきてしまった子は驚き慌てるでしょうし、第二次性徴が遅い子だったら「ああ、やっときたか」という感想でしょうけど、だとしたら尚更「嬉々」としてもいなければ「ウレシハズカシ気分」でもありません。

 おそらくは、やぶうちセンセは第二次性徴を嬉々として(あるいはウレシハズカシ気分で?)受け入れるような少数派の子供だったのでしょう。生理や発毛を「男と付き合う資格」とでも思っていたのでしょうし、電車でチカンにあえば「私ってチカンに目をつけられるくらいに魅力的なのね」と嬉しがるタイプなのでしょう。男性からコクられれば「私とそんなにヤリたいのね」とみなすのでしょうし、「ヤッた男の数の多さは女の魅力の証」とでも思っているのでしょう。そういう作者の価値観が、漫画から漂ってくるんですよ。

 やぶうちセンセがどんな価値感を持とうが勝手ですが、その価値観を子供の目のつくところで振り撒かないで下さい。ロリオタに都合のいい漫画はロリオタ向きの雑誌に載せて下さい。「性教育」などというもっともらしい理由をつけて学年誌で幅をきかせないで下さい。
 私はこのような漫画が一日も早く子供の目のつく場所から消えることを心から願っています。