仁川麻子の高校生活   作:ぷよん

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4話 覚醒

「もしかして宮永さん、わざと±0を狙っていますか?」

 

 普通では考えられない、下手しなくともトップを3連続で取るより遥かに難しい、3連続±0というスコア。これが狙って出したものであれば、咲は和より遥かに格上の強さを持っていることになる、と言っても過言ではない。まだ精神的には成熟しきっていない和には、その現実をすぐに受け止めるのは難しかった。だから和は否定して欲しかった。これはたまたま、偶然の出来事であると。しかしその期待は裏切られることとなる。

 

「はい、そうです」

 

 うっすらと笑顔を浮かべながら答えた咲。しかしその笑顔は、目が一切笑っていなかった。と言うよりは、そもそも目に一切の感情が宿っていないようにも見えた。その威圧感溢れるオーラの前に、麻子を除いた皆は言葉を失った。

 

「私が打つと、いつもこうなるんです。家族麻雀で、負けたらお年玉を巻き上げられるけど、勝ったら勝ったで怒られたから、勝たないけど負けない。そういう打ち方をしてたら自然とこうなっちゃったんです」

 

 京太郎と麻子は、この時に学食で咲が言っていた、『できるっちゃできるけど……家族麻雀でいつもお年玉巻き上げられてたからキライ……』という言葉の本当の意味を理解した。理不尽を突きつけられ、それでも耐えなければならない。そんな、幼子にとっては地獄とも言えるような環境に適応しなければならなかったのだ。その結果が、±0を取り続けるという異様な打ち筋として表現されたのである。そしてそんな中では当然、麻雀を楽しめるはずもない。キライ、と言うのも道理であった。

 

「……」

 

 咲の告白に対し、重い沈黙が続く。その状況を打破したのは麻子であった。

 

「では、勝つ楽しさ、嬉しさを知ってみればよいのではないでしょうか」

「へ?」

 

 麻子のある意味で非常に単純な提案に、咲は先ほどの禍々しいようなオーラが消え、まるで炭酸が抜けたソーダのような間抜けな顔を晒していた。それを考えたことがなかった訳でもないのだが、しかしそれは楽なことではない。簡単なことのように麻子は言うが、しかし咲にとってそれが非常に難しいことであるのは、咲本人でなくともはっきりとしていた。

 

「でも、私が打つといつも±0になっちゃうんだよ。どうすれば勝てるの?」

「これは一例ですが、宮永さん以外は33000点、宮永さん自身は1000点だけ、という状況から始まると想定して打ってみてはどうでしょう。代わりにトビはなしということで」

「……なるほど」

 

 麻子の提案に久が感心する。確かにその想定でいけば、咲は29000点前後を稼ぎ出すことになる。そうなればトップを取ることはたやすいだろう。但しそれは、咲が1000点スタートからでも±0を叩き出せるだけの実力、そして強烈な運があれば、の話ではあるが。

 

「……わかった、やってみる。ちょっと大変そうだけど」

 

 その言葉を発した咲の表情は、さっきの淀んだものではなく、新たな壁に挑むアスリートのようなものとなっていた。

 

 

―――

 

 

「やるのは大丈夫なんだけど、そろそろいい時間だから、東風戦でも構わないかしら?」

「大丈夫です」

 

 夕立も止み始めていた現在の時刻は夕方。半荘を打っていては流石に時間が足りないと判断した久は、咲に東風戦でも大丈夫か確認を取った。それに対し、咲のほうは気にしないと言わんばかりに返事を返した。

 

「(東風戦では局数が少ない故に点数の調整がしにくい。さて、これで調整が出来るのかしら)」

「(さっきまでのはただ偶然が重なっていただけ。4連続±0なんて最早オカルトの域。そんなオカルトありえません。それを証明して見せます!)」

「(29000点稼いでかつ、誰かをトップにする、か。ちょっと骨が折れそうだな……)」

 

 様々な思惑が交錯する中始まった東一局。その試合は咲の流れから始まった。

 

「リーチ」

「ダブリー!?」

「ツモ、ダブリー一発、2000・3900」

「じぇっ!?」

 

咲手牌:一二二二三⑤⑥⑦⑦⑨777 ツモ⑧ ドラ發②

 

 開幕でダブリーをかけ、更に一発ツモの実質満貫手を和了する咲。誰も追いつけないし邪魔も出来ない流れであった。

 

「そ、そーゆーのウチのお株なんですケド!」

「……」

 

 優希は自身の得意な東場の領域に踏み込まれたことに焦りを覚えていた。一方和は、その圧倒的な豪運にただ呆然としていた。

 

「ロン、8000です」

 

 しかし東二局、和が咲から満貫直撃をもぎ取る。

 

「(そのような運任せは所詮運、何度も連続して続くわけがありません! そんな偶然に頼ったものは、私には不必要です! それに、麻雀が好きじゃない人なんかに負けるなんて、そんなの悔しすぎます……!!!)」

 

 無意識の内にスカートの裾をぎゅっと握った和。クールな顔でありながら、和は内心咲に対し非常に対抗心を燃やしていた。インターミドルチャンピオンという肩書きを持っているが故のプライドと言えた。続く東三局。和の勢いは止まらなかった。

 

「ツモ、4000オールです」

 

 更に咲を突き放す親満ツモ。更にその1本場。

 

「ロン、4800の1本場は5100です」

 

 咲から更なる直撃をもぎ取った。これで点数差が更に離れ、勝利はおろか±0すら難しい状況になった。しかしそこで終わらないのが咲である。東三局2本場、遂に魔王の力の一端が、和たちに牙を向くこととなる。

 

「(うわっ、宮永さんえげつない手張ってるわね……)」

 

咲手牌:四四四22288⑧⑧北北北

 

 そう、咲は四暗刻を張っていたのである。とはいえツモ和了限定であり、出和了だと満貫になってしまう手ではあった。と、ここで咲がツモ前に、後ろにいる久と麻子に向けて質問を投げかけた。

 

「今日はこれ、和了ってもいいんですよね?」

「……?」

 

 いまいち要領を得ない質問に対し、久は回答に困っていた。しかし咲はその回答を待たずに牌をツモった。その牌は北であった。

 

「カン!」

 

 咲が嶺上牌に手を伸ばす、その刹那。久はその腕から花弁が舞っているような錯覚を覚えた。そして久はここにきて、咲が言わんとしていたことをうっすらと理解した。そしてそれと同時に、その理解したものを拒んだ。そう、久が考えたのは、咲は『この四暗刻が確実に和了れることを知っている』ということであった。

 

「(……いやいやいやいや、宮永さんがそれを言ったのは北をツモる前よ? それにそこをクリアしたとしても、嶺上開花で和了れる確率なんて非常に低い。四暗刻みたいな役満であれば尚更……)」

 

 必死に脳内で否定を重ねる久。しかし現実は、その否定したものが卓上に開かれていた。

 

「ツモ、四暗刻です!」

 

咲和了形:四四四22288⑧⑧ ■北北■ ツモ8

 

 それはとても綺麗な、嶺上開花四暗刻であった。

 

 

―――

 

 

 波乱を迎えた東風戦もいよいよオーラスとなった。優希と京太郎は大凹みしており、特に優希は親番を早々に流されていたため非常に厳しい状況である。京太郎も厳しいことには変わりないが、ラス親という立場であるだけまだマシとも言えた。とはいえ、そんな状況下でも二人は最後まで諦める気はないようであった。

 

「(宮永さんは筒子の混一。⑤-⑧待ちね。捨て牌があからさまなせいで出和了りは望めなさそうだけど、無理やりツモることはできそうかしら)」

 

咲手牌:①②②③③④⑥⑦⑨⑨北北北

 

 6巡目ではあるが、萬子と索子を多めに切っているせいで染め手なのがよくわかってしまっている。そのためツモ和了に賭けるのがベターと言えた。しかしながらオーラスであるため、当たり上等で突っ張ってきた相手からの直撃も期待できなくはなかった。が、そこに変化が訪れる。

 

「リーチだじぇ!」

 

 気合の入った優希のリーチ。どうやら逆転の大物手が入っているらしい。その直後に咲がツモったのは2であった。それを見た二人は違うことを考えていた。

 

「(2は優希の現物だから、そのまま捨てるんじゃないかしら)」

「(もし『狙うなら』2は残すべきでしょう、切るなら⑥⑦です)」

 

 後ろで見ていた久と麻子の考えの違い。それは点数の認識の違いであった。一般的な目線で見れば、久の目線は全く間違っていない。しかし麻子はあることに気付いていた。そしてもし咲が本物であれば、2は残すべきだと考えていた。この分岐点で咲が選んだのは……

 

「(えっ、⑥切り? 確かに優希に筒子は安いから通りそうには見えるけど、⑦はともかく⑥は現物でもスジでもないのに……? 何で優希の現物の2を残したの……?)」

「(……でしょうね)」

 

 麻子が考えていた通り、⑥切りであった。そしてその『狙い』に呼応するかのように、咲は直後のツモで⑨を暗刻にした。

 

「じぇぇ……」

 

 2巡連続でツモれないことにより、若干意気消沈し始めた優希。その直後であった。

 

「カン」

「また北カン!?」

 

 先ほどの強烈な四暗刻の時にも晒された北は、まるで今日の綾牌にでもなっているかのようだった。晒してからドラ表示牌である一を開き一呼吸置いてから、咲は再度手を嶺上牌に伸ばす。先ほどは久だけが感じていたその花弁が、今度は全員の目に感じられた。その圧倒的な美しさに、周囲はただ息を呑んで見ているしか出来なかった。

 

咲和了形:①②②③③④⑨⑨⑨2 ■北北■ ツモ2

 

「ツモ、嶺上開花。1200・2300です!!!」

 

 

―――

 

 

「ぐぇぇ、やられたじぇぇ……これからは京太郎には一日4回、餌として焼き鳥を上げてください……ガクッ」

「何アホなこと言ってんだ……それに焼き鳥はお前もじゃねーか。しかし……」

 

 京太郎は卓上に残る最後の局面を改めて見た。2局連続での北暗槓からの嶺上開花。しかも片方は四暗刻、片方は混一を崩してまでの嶺上ツモのみの手。そんなオカルティックな咲の和了により、東風戦が終了したのだ。目が何度も向いてしまっても仕方がない。しかし、このように王者としての風格を遺憾なく発揮したにもかかわらず、咲は微妙な笑いを浮かべていた。

 

「それでも勝つって難しいなぁ……」

「は?」

 

 咲が若干遠い目をしながら呟いた言葉に、思わず京太郎が素っ頓狂な声をあげた。

 

「え? だって今回も原村さんの勝ちだよね?」

「え?」

 

 突如話を振られた和も、京太郎と同じく素っ頓狂な声をあげた。と、ここで何かに思い当たった久がPCの画面前に行き、なにやら電卓を叩き始めた。そして叩くにつれて、その表情に驚愕の色が濃くなっていく。

 

「……うっそでしょ……じゃあ最後のアレはやっぱり意図的に……」

 

 叩き終えた頃には、久の顔は引きつった笑みに変わっていた。こりゃあとんでもない人材を発掘してしまった。そしてとんでもないものを目覚めさせてしまった。そう言わんばかりの表情であった。そんな久の後ろで、咲がその回答を皆に伝えるべく、続きの言葉を紡いだ。

 

「だって私は1000点スタートだから、また±0だよ?」

「「「えっ……」」」

 

 和、優希、京太郎が声を揃えた。その声色は、多くの疑問の中に微かな驚愕が混じっていた。そんな3人に咲が示した点数は、以下の通りであった。

 

和:38700点 +29

咲:30100点 ±0

京:16500点 -14

優:14700点 -15

 

「だから今回も原村さんの勝ちだよね」

 

 それに対して否を突きつけたのは、唯一最初からこの形の終わりを予見していた麻子だった。

 

「そんなことはありませんよ。確かに私は『宮永さん以外は33000点、宮永さん自身は1000点だけ、という状況から始まると想定して』打ってほしいとは言いましたが、実際には全員25000点からのスタートです。ですから実際は……」

 

咲:54100点 +44

和:30700点 +1

京: 8500点 -22

優: 6700点 -23

 

「こうなります」

「えっ……じゃあ……」

 

 勝った。その事実が咲の体を、頭を駆け巡っていく。もう自分には無理だと思っていた麻雀での勝利。それが今、幻でもなんでもなく現実として、自分の手に入ったのだ。咲の目は潤んでおり、表情も心からの笑顔になっていた。

 

「やった……!」

「……」

 

 それに対し、和はうつむいたまま、スカートの裾をまたもぎゅっと掴んでいた。そして急に立ち上がったかと思うと、そのまま荷物も持たず部室の外へ向かって駆け出した。

 

「じぇっ!?」

「(……若いですねぇ……)」

 

 麻子はそんな和を見て、年寄りくさいことを心の中で呟いた。もっとも実際の麻子の精神年齢は傀時代から引き継いでいるため、年寄りかどうかはともかく見た目不相応の大人のものではあったのだが……。

 

「あー……多分悔しかったんでしょ、和は」

 

 久が麻子の考えを代弁するかのように話した。京太郎と優希もそれに納得したようであった。和がこう見えて熱い打ち手であることは、特に優希はよく知っていたからだ。そしてその言葉で、先ほどまで歓喜に打ち震えていた咲がようやくこちら側へ戻ってきた。

 

「……っ、あ……あの……」

「ん? 和が気になるのかしら?」

「は、はい……」

「じゃ、行ってあげたらどうかしら?」

「は……はい!」

 

 久の後押しもあり、咲も和に続いて部室の外へと駆け出した。そしてその傍らに放置されたものがひとつ。

 

「……って、咲ちゃんも荷物忘れてるじぇ……」

「しょうがねぇなぁ……持ってってやりますか……」

 

 

―――

 

 

「はっ、原村さん!」

 

 夕立が止み、夕陽がそろそろ地平線へと沈みそうな景色。そこを咲は全力疾走していた。幸いにも和はそれほど足が速くなかったらしく、それほど時間をかけずに追いつくことが出来た。

 

「っ……」

 

 咲の声を聞いた和は、振り向くことなくその場に立ち止まった。少しして、咲が息を切らして追いついた。

 

「はぁっ、はぁっ、んぐっ……」

「……なんですか、宮永さん……」

「そっ、その……お、お礼が言いたくて……」

「……」

 

 咲のその言葉に、和は答えない。そして顔を向けることもしなかった。今の自分は、負けた悔しさ、プライドを叩き潰されたせいできっと酷い表情をしている。そんな状況で顔を向けられるはずがない。和の心境はそういったものであった。そんな心の内を知ってか知らずか、咲は言葉を続けた。

 

「そ、その、今まで私にとって、麻雀はお金を巻き上げられるための、嫌な儀式でしかありませんでした。……でも、今日は原村さんと、皆と打てて嬉しかったんです」

「……なんだって、勝てば嬉しいものです……」

「違います!」

 

 和の少し棘が含まれた言葉を、咲は力強く否定した。それに和は反応し、ようやく咲のほうに顔を、体を向き直った。その顔には涙を流した跡が見えたが、咲はそれを全く気にせず、和を真正面から見つめたまま言葉を続けた。

 

「相手が原村さんだったからです。家族と打ってた時と違って難しかったし、それに楽しかった。純粋に、麻雀と向き合うことが出来たんです。そして、麻雀が好きだった時の気持ちも思い出せた。今までの嫌な記憶を吹き飛ばしてくれたのは、原村さんだったんです。だから原村さん……私を、また麻雀を好きにさせてくれてありがとう」

 

 その笑顔は、今日一番の笑顔であった。そしてその顔を見て、和は顔を赤らめた。

 

「(……さっきまで、麻雀を好きでもない人に負けてしまったのが悔しい、なんて自分のプライドばかりにこだわっていた私が恥ずかしいです……)」

 

 その純粋すぎる咲の笑顔を直視できず、思わず和は目線を斜め下に逸らした。そしてその姿勢のまま、和は表情を少しだけ柔らかくして答えた。

 

「……どういたしまして」




魔王が生まれるには、相応の環境が必要になるみたいです。
麻子さん? そうねぇ……。

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