「……いってきます」
「気をつけるのよー!」
何とか制服に着替え終わり、麻子は朝食を済ませて玄関まで来ていた。そしてこの短い時間の中で、麻子はわかったことがあった。
「(……違和感、しかない……)」
それは自身の格好に、であった。今までは男として生きてきたがために、スカートを履いて行動するということに違和感しかなかったのである。下半身が解放されているため、風通しがよくスースーするのであるが、どうもその感覚が気持ち悪くて仕方が無いようであった。
「(しかし……慣れるしかない……)」
しかし愚痴を言っても始まるわけでもないので、仕方なく麻子はそれを受け入れ、登校するのであった。ちなみに清澄のスカートはおおよそ膝丈あたりまでが普通であるため、これでもかなりマシな方であると言えるのだが、それを麻子が知るのはもうしばらく後の話である。
―――
もうすぐ初夏に入ろうかというこの時期に転入生、というのは珍しいものである。そして珍しいものは目を付けられやすい。こと麻子においても、それは例外ではなかった。まだ中学から上がりたての高校1年生という学年であれば尚更である。とはいえ、元々平時は物静かな性格をしている麻子は、初日から変に注目を集めすぎたりすることなく、自然とクラスに溶け込んでいた。そして2、3日もすると、麻子はまるで入学式から一緒にいた学友かのようにクラスに馴染みきっていた。その中でも特に仲良くなったと言えたのは、おとなしめの文学少女である宮永咲、そしてその幼馴染である須賀京太郎であった。
転入から数日した、ある晴れた日のことである。午前のみの授業のため午後が丸空きになった二人は、その生まれた長い放課後の時間を使い、学校近くの川のほとりに腰掛け、静かに本を読んでいた。元々本や新聞を読んだりするのも好きであった麻子は、偶然読んでいた本が同じであったことから、同じく読書家である咲とすぐに意気投合した。そして今は、人見知りの咲にしては珍しい彼女からの申し出により、こうして晴天の下、お互いのお勧めの本を交換して読んでいるのであった。
「……」
「……」
二人とも無言であるが、その無言はどちらかと言うと心地よい無言と言えた。麻雀ばかりが取り沙汰されていた麻子であったが、こういった時間も嫌いではない。傀時代のあまりの大暴れっぷりから孤高の人物と思われていた麻子だが、別段人付き合い自体はそう悪くないのである。そういう意味では、既に人間らしい部分はきちんと存在していたのだ。ただし麻雀の部分だけを切り取って見た場合に限っては、人間らしい部分が皆無に近いというのは事実としか言えなかったのだが……。
「(……こういった、平穏な日々も悪くはないものですね)」
誰に言うでもなく、麻子はそう思った。
―――
読み始めてしばらく経った頃。ふと咲が顔を上げ、つられて麻子も同じほうを向いた。その視線の先には……
「(綺麗な人……)」
「(……)」
同性の咲ですら、思わず見惚れてしまう美少女が少し遠くを歩いていた。学年色のスカーフを見るに、どうやら自分と同じ1年生であることに気付いたようだ。
「(あれで同じ1年生かぁ……)」
「(……最近の子は発達が著しいのでしょうか)」
素直に羨む咲に、ちょっとピントのずれた考えをする麻子。そんな二人に、更なる来訪者が現れた。
「咲~! 麻子~!」
麻子のもう一人の友人、須賀京太郎であった。
「京ちゃん!」
「須賀さんですか」
「だから京太郎でいいってのに。まぁそれはいいや、学食行こうぜ!」
「えぇ……でも折角麻子ちゃんから貸してもらってる本だから読まないと……」
「学食でも読めますし、良いのでは? ただどうして学食へ?」
「いや、さ、今日のレディースランチがすっげぇ美味そうなんだよ! だからさ、お願い!」
「……」
「それだけのために食事に誘うって、どうなの……?」
若干呆れ顔の咲に、美味しそうという単語にやや反応した麻子。実はこの体になってから、麻子は若干食い意地が張っていた。今まではタバコを吸うことで様々な欲求を抑え込んでいたのだが、残念ながら未成年の体になってしまった今はそれが通用しない。よって、代わりにそれが食欲のほうに向いてしまうのであった。ただ、元の体と違ってかなり小柄な体の割にいくら食べても太らなさそうであるのは、何かそういった特殊な力があるのか……は定かではないが。
―――
「はい、レディースランチ」
京太郎の代わりに食堂でレディースランチを頼んだ咲が、京太郎のいる机に戻り、手に持っているランチセットを京太郎に渡した。それを見た麻子は、その様に思わず呟いた。
「まるでいいお嫁さんですね、宮永さんは」
「中学で同じクラスなだけだからね! 嫁さん違うよ!」
「真っ向否定されると、それはそれでちょっと悲しい気分になるんだが……」
「(違和感は無さそうですが……)」
実際、麻子以外にも、この二人がまるで夫婦みたいだとからかう者はいない訳ではなかった。それは主に京太郎の腐れ縁である悪友であるのだが、別段彼らも嫌がらせとかで言っている訳ではなく、実際純粋にそう見えたから言っていただけである。実際、中学生のときに同じクラスであったという割には、それ以上の仲の良さが見えるのは確かであった。
麻子と咲が本を読みながらレディースランチを食べ終わるのを待っていた時、京太郎は食べながら携帯のゲーム機みたいなものを触っていた。ふとその音に反応した咲が京太郎に問いかけた。
「メール?」
「ん? いや、麻雀」
麻雀。その単語を聞いた瞬間、麻子と咲の表情が変わった。
「京ちゃん、麻雀するんだ」
「まだ役もロクに知らないけどな! でも麻雀っておもしれーのな」
「私は麻雀嫌いだな……」
表情を僅かに曇らせる咲。その表情を見逃す麻子ではなかった。この時点で、咲に麻雀絡みで何かがあったことをすぐに悟っていた。だが、雀士として向き合うときはともかく、そうでない平時のときにまで他人の何某に踏み込むほど、麻子は相手のことを想えない人ではなかった。
「え、何? 咲って麻雀できんの?」
「できるっちゃできるけど……家族麻雀でいつもお年玉巻き上げられてたからキライ……」
「……」
この場では何もしていないにもかかわらず、麻子は思わず半笑いで、咲から少しだけ目を逸らしてしまった。お金を巻き上げる、という行為に対し心当たりがあまりにも多すぎたからである。もっとも、麻子も当時は傀として裏麻雀界で暮らしていた訳なのだから、その世界の中では当然のことであり責められるべきことではない。のだが、どうしても自身の行いが咲の受けた仕打ちと重なってしまい、最近生まれた良心が少しだけ痛んだのである。
「そ、そうか……麻子は麻雀できんの?」
「……まぁ、一応は」
本当は一応なんてものではないことなど、麻子は百も承知していたが、ここで今いらない事を言う必要もないと判断して適当に誤魔化した。その心情を知ってか知らずか、京太郎は一人で少しだけぶつぶつと呟くと……
「もひとつおまけに付き合ってくれるか? メンツが足りないんだ、麻雀部」
そう二人に向かって言った。その相手が、後に『清澄の白い魔王』と『清澄の黒い魔王』と呼ばれる存在となることも知らずに。
台詞がちょこちょこ違ったりするのは仕様です。
そしてこの時点で魔王確定な咲さんの運命や如何に。