2 昭和50年代(1975~1984)
(1) 組織の大改革
県協会が昭和50年2月に常任理事制をなくし、理事は各市協会と各郡より各1名選出・会長推薦理事を10名以内とする。また、各市町村協会より各1名の代議員を選出し、この中から役員を選出する改革が行われた。この大改正により県協会の組織が「市町村協会の共同体」としての位置づけとなり、上下関係から横の組織体となるため、本協会においてもこれに準じての改革が行われた。このため、登録規程も改正され小学生・中学生20名、高校生67名、一般87名で合計174名の登録数となり、県内では桐生市、前橋市に次いで3番目に大きな組織となった。
(2) 第21回関東高校選手権大会の開催
埼玉県に次いで、昭和50年5月31日~6月1日の2日間高崎市体育館と高崎市立女子
高校体育館を使用して開催されることになった。高体連主管大会ではあったが、役員として事務局長兼宿泊交通部長に前田隆(農大二)、事務局次長に小林克史(高崎工)が担当となった。また、審判員として本協会から金井功、北村芳夫、藤原幸司、森繁、本多誠、笹尾利和、黒沢清、橋爪登志男の名が協力した。残念ながら高崎市内の高校の出場はなく、競技補助員としての参加となってしまった。本県勢の成績は、男子では桐生南高校が第3位、女子は渋川女子高校が第5位に入賞した。
(3) バドミントン教室の開催
① 家庭婦人バドミントン教室の開催
昭和51年9月6日~12月14日まで14回の日程で、高崎市教育委員会の主催により、午前中において家庭婦人の初心者を対象にバドミントン教室がで開催された。講師として本協会より前田隆・小林克史の2名が派遣され、31名の応募者が受講した。講習内容としては初心者教室とあって基礎体力の養成と基本ストローク・フライトの習得を中心に、ダブルスプレーが楽しめることを目的とした。参加者の多くは日頃、運動不足で基礎体力がないことから休憩を多くとることに注意した。しかし、教室後半のゲーム形式になると体力も付き、明るく元気な声が体育館の中に広がった。この教室の受講生の中から後日、協会役員として又この教室の指導者として活躍する堀米喜美子、美川久子、吉田栄子等も受講生として参加していた。この初心者教室は一時休止していた時期もあったが、多くの家庭婦人に支えられ現在も継続して開催されている。
② 小学生バドミントン教室の開催
「これからのバドミントン界を担う人材の育成」と大きな目標をもって昭和50年度より、県ジュニア大会が開催された。高崎市協会としても、この流れに遅れないようにと53年度より小学生(4~6年生)を対象に教室が開催された。高崎市立北小学校体育館にて、5月7日から毎日曜日に10回(延べ)実施するとして30人を募集したところ、38名の応募者があり関係者を喜ばせた。講師としては、本協会の石井幸司が担当し基礎体力づくりと基本技術の習得を中心とした。初めは、地区を越えての参加や学年間での体力の差などの問題があった。こうした問題も終盤にはほぼ解決し元気良く、また怪我もなく無事終了することができた。この教室に参加していた堀米康宏は、県ジュニア大会において男子シングルスで3連覇(4~6年生)する偉業を成し遂げた。また、女子では李美紀が4~5年生で準優勝を獲得して、教室開催の目的をほぼ達成することができた。その後、この教室は2回で終了するが、その後は高崎市立中居小学校ジュニアクラブ設立へと受け継がれ、県大会での大活躍に発展する。
(4) 日加親善大会の開催
日本バドミントン協会の招きで来日したカナダチームは、昭和52年9月6日から9日まで本県に滞在し、太田、桐生、前橋、高崎の各地で模範試合を行った。
カナダチームは、インドネシアチームとの親善試合を行う途中、日本に立ち寄って東京で試合を行う予定であった。ところが、インドネシアの都合で親善試合が中止となったため、日本協会は国際試合の経験のある本県に白羽の矢が立てられた。
準備期間が短く、しかも4日間も滞在することなどから大変無理な要請であったが、58年に開催が予定されている国体に向けての強化練習と県内の愛好者に世界の一流選手の試合を観戦できることは、本県のバドミントンの振興にもなるとの判断から引き受けることにした。幸いに、開催予定地区責任者もこのことをよく理解して快諾した。各地区ではすぐに準備にとりかかり親善大会開催の運びとなった。
〈 カナダ選手 〉
男子 パット・トリオン イアン・ジョンソン ジョン・ティック
女子 レスリー・ハリス ウェンディ・クラークソン ジェーン・ヤングパーク
〈日本選手〉
男子 栂野尾昌一 飯野佳孝 西村龍夫 西野一征 浅野佳夫 桐生台次郎 栗原恒夫 高橋 保 稲村 浩
女子 栂野尾悦子 坂本真紀子 秋山晴江
〈高崎大会〉 9月8日 高崎市体育館
第1試合 栂野尾 悦子0-2ジェーン・ヤングパーク 第2試合 栂野尾:飯野2-0トリオン:ジョンソン
第3試合 栂野尾:坂本0-2クラークソン・ヤングパーク 第4試合 栂野尾昌一1-1ジョン・ティック
第5試合 西野:秋山1-0トリオン:ハリス
(5) 各種普及大会・総合選手権大会の開催
① 第1回 レディス・ミックス大会の開催( 昭和53年7月2日高崎市体育館 )
女性会員の普及を図ることや家庭婦人教室の修了生が参加できることを目的にこの大会が企画された。たくさん試合が楽しめるようにと3~4チームのリーグ戦とし、午前中にダブルスAB級・C級の2種目を、午後にはミックスダブルスA・B・C級の3種目を実施した。合計で64組128名の参加を得てにぎやかな大会となった。
② 第1回 ジュニア大会(小・中学生)の開催 ( 昭和53年10月10日
キリンビール体育館 )
「次代を担うジュニア選手の育成を・・・」を合い言葉にこの大会が開催された。小学生の部は4~6年生男女別シングルスの6種別で争われ、中学生の部は女子の参加がなく男子のみで行われた。6年生男子の優勝は浅井宗一(西小)女子は高橋美智子(中居小)で、5年生男子は浦野雅史(城南小)女子は李美紀(北小)となり、4年男子は堀米康宏(中川小)女子は高橋光恵(中居小)がそれぞれ初の栄冠に輝いた。大会は、バドミントン教室修了生と中居小の戦いとなった大会でもあった。中学生の部では、佐藤義文(佐野中)が初優勝を飾った。参加者は小学生59名、中学生9名であった。
③ 第1回 高崎市団体戦大会の開催
( 昭和53年11月19日
キリンビール体育館 )
春の大会はシングルス(個人戦)、秋の市民体育大会はダブルス(個人戦)として個人戦を中心に開催されて7年を経過していた。いくつかの登録団体より、チーム戦を希望する意見が提案されこの大会の開催の運びとなった。2ダブルス・1シングルスの3試合で勝敗が争われ、1チーム5~6名の選手で編成することが認められた。男子の部では、A級に6チーム、B級に8チーム、C級に16チームがエントリーして合計30チームの参加を得ることができた。一方女子は、A級への参加はなくB級に3チーム、C級に7チームによって試合が行われた。試合の結果、A級は高崎クラブ、B級は高崎経済大学B、C級は大谷建販が優勝、女子B級に国立コロニー、C級に厩橋病院が初優勝を勝ち取った。
④ 第1回総合選手権大会の開催( 昭和54年3月25日 キリンビール体育館 )
本協会においての競技力の向上と年度ランキングを決定するため、最も権威ある試合として位置づけられた大会となった。参加基準としては、当該年度に実施された各種大会の成績上位者のみに出場権を与え、高崎市のNO1を決定する競技会として開催された。 競技種目は男・女シングルス、男・女ダブルスの4種別で初の栄冠を目指しての激しい戦いとなることが予想された。
男子シングルスでは、第1シードの百川弘通(高崎経大)、第4シードの前田市二が緒戦で敗れるという波乱の幕開けとなった。激戦の結果、第2シードの下田昇(沖電気)が安定した戦いで優勝し、女子は実力で頭一つ抜き出ている上原真佐子(高崎クラブ)が順当に勝利した。一方、男子ダブルスでは緒戦敗退と苦杯をなめた百川弘通が谷口諭(高崎経大)と組んで優勝し、面目を保った。女子ダブルスでは上原真佐子:飯野康代(高崎クラブ)組が、絶妙のコンビネーションで対戦相手を寄せ付けず優勝し、各種目とも初代チャンピオンの誕生となった。また、上原真佐子はシングルス・ダブルスの二冠を制覇する実力の違いを見せた。
初のランキングは次のとおりとなった。
男子シングルス 第1位 下田 昇(沖電気) 第2
位 金井 功(群馬県庁) 第3位 岩丸元(農大二)
女子シングルス 第1位 上原真佐子(高崎クラブ) 第2位 宮沢ひろみ(高) 第3位 美川久子(なでしこ)
男子ダブルス 第1位 百川:谷口(高崎経大) 第2位 中里:中村(農大二) 第3位 金井:小林(高崎クラブ)
女子ダブルス 第1位 上原:飯野(高崎クラブ) 第2位 美川:吉田(なでしこ) 第3位渡辺:佐藤(高市女)
(6)第1回バドミントン日本リーグの開催
第1回バドミントン日本リーグが、昭和54年12月8・9日の両日に東京都代々木第二体育館において華々しく開会した。バドミントン界の長年の夢であった日本のトッププレーヤーが、男子5チーム・女子5チームの総当たりによりチームチャンピオンを決める戦いの開幕けだ。
本市での開催は、開幕戦の東京大会、京都大会、高岡大会に続いての第4戦目を担当することになった。年明の正月気分が抜けきらない1月6日、高崎市体育館に2,000人に近い観客を集め、男子4チーム・女子4チームの参加により終盤、優勝を視野に入れての大切な戦いとなった。
Aコートの第1試合には男子で、1勝2敗で負けが先行してしまった高岡市役所に、まだ勝ち星のない全日本学生選抜が挑んだ。第1ダブルスを落としてしまった全日本学生選抜は、続くシングルスにエース西山を送り、米(高岡市役所)に打ち勝つと、第2ダブルスも連取して2-1で初の勝利を飾った。同時進行のBコートでは、女子の日本電装とヨネックスの試合が行われ、実力が上回るヨネックスが3-0と圧勝した。次の第2試合のAコートは女子の試合が行われ、ヨネックスに1-2で惜しい試合を落としてしまった河崎ラケットが、チームの建て直しをかけて全日本学生との戦いに臨んだ。世界に誇る湯木博恵と近藤佐織を揃えて3-0と押し切り逆転優勝への望みを繋いだ。Bコートでは、優勝候補にあげられていた電電東京を2-1で退けての全勝ヨネックスと電電東京に一敗を喫した河崎ラケットとの大一番に会場は異様な雰囲気に包まれた。第1ダブルスを取って気勢の上がるヨネックスは、次のシングルスに新鋭長谷川博幸を送り一気に勝負を賭けたが、全日本チャンピオン銭谷欽次の冷静な試合運びによりバックハンドにシャトルを集められ1-2と惜敗してしまった。チームポイント1-1ともつれ込んだ試合展開だが、選手層の厚いヨネックスが第2ダブルスを制し初優勝に向け大きく前進した。
高崎大会の結果は次のとおり
[男子] |
全日本学生選抜 2-1 高岡市役所 |
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ヨネックス 2-1 河崎ラケット |
富田 章夫 酒井 直人 |
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今泉 勉 栂野尾昌一 米沢 和男 飯野 佳孝 |
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今井 茂満 斉藤 敏行 |
0-2 |
2-0 |
西山 博司 [ 2-0 ] 米正 隆 長谷川博幸 [1-2] 銭谷 欽治
宮森 庄吉 上原 明 |
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|
|
関村 順治 大場 和博 牧野 光男 辻 敏弘 |
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中井 基夫 角田 重夫 |
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2-0 |
2-0 |
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[女子] |
ヨネックス 3-0 日 本 電 装 |
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河崎ラケット 3-0 全日本学選抜 |
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||||||||
関根 和子 大塚ソノ江 |
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水谷 昌代 湯木 博恵 加塩 淳子 渡辺多喜子 |
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高岸 陽子 川島 直子 |
2-0 |
2-0 |
飯野 裕子 [ 2-1 ] 片山りつ子 近藤 小織 [ 2-0 ] 月岡 広美
栂野尾悦子
土田 美加 |
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松原 香純 千葉 陽子 小田あさ子 沢内真由美 |
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石田ひとみ 渡辺 喜美 |
2-0 |
2-1 |
< 大 会 役 員 >
大会会長 日野貞夫
大会副会長 小林芳蔵 上田敬次 早川政雄
宮崎寿雄 木村 実
顧 問 横山 巌 浜名和雄 沼賀健次 選 手 係 金井 功 阿部勝安 北村芳夫
小島俊作 古関幸平 笠原良作 植原真佐子
佐鳥俊一 競技委員長 武藤 茂
参 与 関口 登 佐藤久義 金井彦三郎 競技副委員長 前田 隆
大会委員長 神澤 暁 競 技 委 員 下田 昇 前田市二 赤石利道
大会副委員長 正田喜久 江黒 亘 高橋 洌 進 行 係 高間正雄 飯野康代
中田公丸 記録報道係 高橋 洌
大会委員 樹所久雄 小西敬次郎 小林章二 会 場 係 笹尾和利 伊藤達夫 新井博之
桐生一夫 新井為治 稲村 豊 佐々木進 島田治之 平栗賢司
西村利稔 原田和美 農大二高 高崎市女 中央高
総務委員長 小林克史 審 判 長 増田保夫
総務副委員長 関 俊夫 奈良次男 副審判長 江黒 亘
庶 務 係 石井幸司 奈良次男 木村 睦 審 判 員 千葉元衛 小池 裕 稲村 豊
式 典 係 本田 誠 佐藤 良 亀山治夫 稲村 浩 山口健次郎 土屋昭一
受付接待係 曽我部雅紹 松本 隆 沼賀治恵子 真下 清 森 繁 関口和茂
斉藤保子
堀米喜美子 吉田栄子 石黒次男 熊王恒博
長谷川満子 佐藤由喜子 島崎由美子 救 護 係 鈴木智恵子 秋山博子
岩村美由紀 農大二高 高崎市女
< 決 算 >
収 入 |
支 出 |
||
入 場 料 |
1,052,800 |
日
バ
負
担
金 |
200,000 |
広 告 料 |
420,000 |
コートマット代 |
330,000 |
プログラム売上げ |
46,400 |
印 刷 代 |
114,000 |
雑 入 |
34,842 |
会 議 費 |
124,060 |
|
|
体育館使用料 |
49,100 |
|
|
役員宿泊料 |
40,500 |
|
|
記 念 品 代 |
47,500 |
|
|
通 信 費 |
23,260 |
|
|
雑
費 |
181,122 |
|
|
残
金 |
444,500 |
合 計 |
1,554,042 |
合
計 |
1,554,042 |
(7) 第2期 組織改革
昭和53年度に第1期組織改革で3部門制を導入して協会運営をしてきたが、登録者の増員や事業の充実を図るため7専門部制に組織改革を行った。
< 改革による新組織 >
・総務部 ・競技部 ◎審判部 ◎強化部 ○指導普及部
◎ジュニア部 ◎婦人部
( ・継続した専門部 ◎新規導入した専門部 ○統合した専門部 )
(8) 第8回日中バドミントン競技高崎大会
昭和57年7月9日初夏のさわやかな季節の中、日中国交正常化十周年記念「第8回日中バドミントン競技高崎大会」高崎中央体育館において開催された。競技大会は、昨年5月トマス杯を獲得した中国選手と日本ナショナルチーム(本県選手参加)との間で行われた。本県においては昭和48年の第1回前橋大会に続いての開催となった。
試合結果は4-2で日本が勝利した。
<中国選手> 荷 燕玲 陳 家棟 張 強 登 紹光 張 青松 楊 連英 劉 愛珍
<日本選手> 長谷川博幸 土田証雄 宮森庄吉 北田スミ子 徳田敦子 米倉よし子 陣内貴美子
<本県選手> 今井勇司 秋庭克行
(9) 第3回日英親善バドミントン大会の開催
正月の松もとれた昭和58年1月18日 高崎中央体育館において、イギリスチームの精鋭を迎え親善大会が開催された。
この大会は会場が急遽、高崎市に決定されたことから開催までの期間が短かったため、あわただしく会議を開きその準備に取りかかった。しかしながら、県協会との連携も何回かの国際大会等の経験があり、大きな問題もなく進めることができた。関係役員の機敏な対応に頼もしさを感じた大会であった。
試合当日は、県内の平野にも雪が舞うという寒い一日であった。この悪天候のなか入場者の状況が心配されたが、試合が進行するに従い観客数も次第に増えてきて、関係者一同ひと安心することができた。天候のことや準備期間の短さを考慮すれば大成功であった大会と言えよう。
大会結果は、イギリスチームが7-2で圧勝した。日本選手では東海林文子がヘレン・トロークに2-0。
権藤浩二がディパック・テェラーを2-1で勝利したに留まった。
(10) 木村実会長ご逝去
高崎市バドミントン協会会長木村実氏が昭和59年5月14日にご逝去されました。本協会創立以来、永年に渡って協会発展のためご尽力いただきましたことに心より感謝申し上げます。
(11) 第2代 小林伝八会長就任
昭和59年度定期総会において、高崎市議会議員小林伝八氏が選出され、新会長に就任した。
<主な競技成績>
昭和51年度 ○第28回県総合選手権大会(S.52.1.23桐生南高校体育館)
女子複 第2位 藤谷尚子:植原真佐子(高市女)
昭和52年度 ○第23回関東高等学校県予選(S.52.5.1渋川女子高校体育館)
団体女子 優勝 高崎市立女子高校
○第12回県高校総体(全国高校総体県予選)(S.52.5.13~15桐生市民体育館)
女子複 優勝 藤谷尚子:植原真佐子(高市女) 女子単 第3位 藤谷尚子(高市女)
○第32回国民体育大会県予選 (S.52.6.19/26桐生市民体育館)
少年女子単 優勝 植原真佐子(高市女) 少年女子複 優勝 藤谷尚子:植原真佐子(高市女)
昭和56年度 ○第8回家庭婦人(個人)大会(S.56.9.15高崎浜川体育館)
C級 第2位 荒川シズ子:山尾 D級 優勝 高田貴子:田島
昭和57年度 ○昭和57年度県高校強化大会(S.57.9.11/12桐生高校体育館)
男子複 第2位 上原:萩原(高崎工)
○第9回家庭婦人(個人)大会(S.57.9.26高崎中央体育館)
B級 第2位 茂木栄子:矢島喜代美 C級
第3位 鎌塚八千代:井野政子
D級 第3位 本多順子:大神田たかね
○第1回小学生選抜大会(S.58.3.21 体育館)
4年男子単 優勝 金井崇 第2位 茂木真也 6年男子単 第3位 岩田一秀
4年女子単 優勝 宮田敦子 5年女子 第3位 松本香絵
4年男子複 優勝 金井崇:茂木真也
昭和58年度 ○第18回県高校総体(全国高校総体県予選)(S.58.5.13~15桐生市民体育館・桐市商体育館)
男子複 第3位 上原:萩原(高崎工)
○第24回県総合(団体)選手権大会(S.58.7.24高崎中央体育館)
団体女子 第3位 日立高崎
○第10回家庭婦人(個人)大会(S58.9.25高崎中央体育館)
A級 第2位 秋谷:堀米 D級 第2位 木野内:奥原
○第2回小学生選抜大会(S59.2.26体育館)
5年男子単
優勝 金井崇 第2位 武井環 第3位 茂木真也・吉井秀雄
4年女子単
第3位 鈴木由希子 5年女子単 優勝 宮田敦子 第2位 青木若菜
4年男子複
第3位 小島敏計:宮沢充郎
5年男子複
優勝 金井崇:茂木真也 第2位 坂本行雄:武井環 第3位 吉井秀雄:桜井直樹
4年女子複
第2位 萩原文枝:下山芙美 第3位 鈴木由希子:細田香織
5年女子複
優勝 宮田敦子:青木若菜 第3位 小板橋理佐:高橋真由美
昭和59年度 ○第8回県小学生総体・第10回県小学生大会(S59.8.5体育館)
4年男子単 優勝 小島敏計 第2位 宮沢充郎 6年男子単 優勝 金井崇 第2位 茂木真也
4年女子単
優勝 青木理奈 第2位 髙井純子 5年女子単 優勝 萩原文枝 第2位 鈴木由希子
6年女子単
優勝 宮田敦子 第2位 青木若菜 4年男子複 優勝 小島敏計:宮沢充郎
6年男子複
優勝 金井崇:茂木真也 第2位 武井環:松村達也
4年女子複 優勝 青木理奈:田中康子
5年女子複 優勝 萩原文枝:太田史 第3位 高橋有子:平田笑子
6年女子複
優勝 宮田敦子:青木若菜 第3位 小板橋理佐:高橋真由美
○第3回小学生選抜大会(S60.3.17 体育館)
4年男子単
優勝 小島敏計 6年男子単 優勝 金井崇 第3位 茂木真也
4年女子単
優勝 髙井純子 第3位 横田和美・田中康子
5年女子単
優勝 萩原文枝 第3位 鈴木由希子 6年女子単 第3位 青木若菜・高橋真由美
4年男子複
優勝 小島敏計:宮沢充郎
6年男子複 第2位 金井崇:茂木真也 第3位 武井環:松村達也
4年女子複
優勝 青木理奈:田中康子 第3位 高井純子:横田和美
5年女子複 優勝 複萩原文枝:太田史 第3位 高橋有子:平田笑子
6年女子複 優勝 青木若菜:宮沢好美 第3位 小板橋理佐:高橋真由美