ファインダーを通す前の世界を見たい。
その思いで取材に日々奔走。

記者
記者

編集 ビジネス報道ユニット調査・分析グループ
2012年入社
法学部卒
※所属部局は取材時点のものです

CAREER STEP

2012年

入社 東京・編集局社会部(現・編集 社会・調査報道ユニット社会報道グループ)

司法記者クラブで、談合や詐欺などの経済事件を取材。夜討ち朝駆けに加え「昼回り」という言葉を知り、駆けずり回る。

2013年

西部支社編集部(現・西部支社編集グループ)

16年春に熊本地震に遭遇。ライフライン情報をひたすら電子版で更新し、情報インフラとしての役割を考えた時期。3年間で産官学をすべて担当し、鍛えられる。

2016年

東京・編集局科学技術部(現・編集 ビジネス報道ユニットテックグループ)

産業競争力につながる技術革新の源流をたどりたいと、文系ながら飛び込む。医療・バイオ分野担当のときにコロナ禍に突入、論文やレポートが出る度にかじりつく。

2020年

東京・編集局企業報道部(現・編集 ビジネス報道ユニットグローバル基幹産業グループ)

製薬業界担当へ。前部署での経験が役立ち、引き続き治療薬やワクチンの話題を追う。

2021年

出産で仕事を休む。

2021年

編集 ビジネス報道ユニット調査・分析グループ

総合Bizチームで「社長100人アンケート」などの調査やSDGsなど様々なトピックを担当。コロナの話題も引き続きウォッチ。BSテレビ東京との協業でロケに出向くことも。

なぜ就職先に日本経済新聞社を選んだのですか。

遡ると小学校の頃、短いテレビ番組の取材を受けた記憶があります。覚えているのは、できた番組を見て「そこ(のセリフ)を切り取るんだ」と子供心に感じたことです。正直ポジティブな記憶ではないのですが、「ファインダーを通す前の世界をこの目で見たい」という欲求が湧いたのもこの時だと思います。

日経の記事の威力を感じたのは大学4年の夏。東日本大震災後の最初の夏でもあり、ボランティア活動のご縁で宮城県女川町にある避難所を訪れました。そこは小高い所にあったのですが、ふもとの平地は津波の影響で一面更地状態。買い物や銀行といった用事は徒歩ではとてもこなせない状況でした。帰宅してから日経をめくっていると、ある企業が金融サービスを提供する移動車を開発したという記事に出合いました。ベタ記事30行ほどと小さいのですが、数字も使って販売時期などが丁寧に書かれていて、「いつ頃にはあの避難所も便利になりそうだな」と一瞬でイメージが浮かびました。

数字やファクトが詰まっている記事は、その活動でどのように世の中が良くなりそうなのか伝える力が増します。実際、日々の業務でも原稿に数字を求められることが多いです。たまに詰めすぎて取材先を困らせたり、妥協したくもなったりしますが、踏みとどまらせる原体験としてふと思い出します。

現在の仕事内容を教えてください。

私のいる総合Bizチームはビジネス報道ユニットの調査・分析グループ内にあります。SDGs、働き方、選挙などホットトピックや大型企画に絡んでさまざまな業界を取材したり、「社長100人アンケート」などの調査をして記事にまとめたりしています。最近はワクチンの職域接種や出社体制など、新型コロナウイルスの状況に応じた企業の動きをまとめることも多いです。産休入り前、科学技術部(当時)の医療担当時代から一貫してコロナ取材に関わってきたのですが、上司の理解もあって子育てが始まった今も積み上げた経験を生かせている感覚があります。

「まとめる」といっても実際には、業界ごとの担当記者の日々の取材や協力があって成り立っている役回りでもあり、こまめに連絡をとるよう心がけています。「社長100人アンケート」では折々のニュースや景気をふまえ、企業の経営者100人強からどうにかして本音を引きだそうと、質問を作り込みます。私が生まれる前に始めた調査です。歴史ある調査に関わり、新たなデータを積み重ねていることにわくわくしています。

この仕事ならではの難しさと
面白さを教えてください。

伝えたい、と感じたことを、見出しの文字数や行数に制限がある中で取捨選択しながら収めにいくのは難しくも面白い作業です。入社10年目の今も、理想と現実の間で毎日闘っています。取材で見聞きした全ての情報が、定められた行数に収まることはまずありません。文字に直結しない取材もたくさんあるためです。信頼できるファクトか確認する裏付け取材、勝負どころで取材相手の本音を引き出すための周辺取材……。体感ベースでは、原稿に収まった情報の10倍は取材したんじゃないかな、と感じるケースもあります。効率が悪かったかなと反省することもありますが、最初から行数にあわせて取材量を減らしても、信頼性ある記事はできません。どの情報を優先して入れるかでデスクと意見が異なったり、自分自身の中でも思い悩んだりしていて、議論する中で折り合いをつけます。時間などに制約があるなかでもぴたっとはまるととても嬉しいです。

今後のビジョンを教えてください。

新型コロナで大小さまざまな情報が飛び交い、「ここの情報を確認しておけば間違いないな」と、よすがとされる場所に日経がなるといいなと改めて思うようになりました。個人としては、まだまだ専門性を高めたいとか、新しい伝え方を確立するのに腕を磨きたいとか、色々な気持ちが湧いています。最近、提案した記事が同僚の協力でビジュアルコンテンツに発展したり、日経LIVEやBSテレ東との協業で映像報道に関わったりするようになりました。絵コンテや台本など、書くものも原稿だけではなくなっています。

また、子育てしながらの生活も始まり、自分の置かれた状況でも記者を全うしたいと模索しています。時には夜泣きの対応に疲れ切ったり、自分の仕事ぶりに不満が募ったりもします。ただ「現場に行きたい」「あれやこれが知りたい」と突き動かされる感覚が、いわゆるワーママになった瞬間に無くなる訳でもありません。今のところ、夫の理解もあって泊まりがけの出張などさせてもらい、そうした感覚を抑えてしまわないよう工夫しています。

以前は子育てが始まったらニュースの前線にはもう立てないのだろうなと諦めていましたが、先輩方のおかげで、家族の海外赴任に伴う休職や復職、その後の管理職にも道が開けてきました。もし誰かが仕事で諦めたり我慢したりしてきたことが他にもあるのなら、1つずつでも我慢せずに済むようになったらいいなと思います。ささやかながら1人の事例として積み上げていきたいです。