悲劇の朝鮮
アーソン・グレブスト
I Korea ; Minnen och studier fran "Morgonstillhetens land".
【著者のアーソン・グレブストは、スウェーデンのジャーナリストとしているが、それすらも怪しい。上のリンク先ウェブサイトによれば、1912年に著者の死後?出版である。英訳はなく、スウェーデン語原本のみである。
訳者は朝鮮大学教授のキチガイども2名であることから、スウェーデン語からの直訳ではなく、ハングルで韓国で出版された翻訳からの日本語訳であることは確実である。しかるに、日本に住むキチガイどもはスウェーデン語から訳したと後書きに明記している。
キチガイどもの面目躍如といったところであるが、訳者の後書きですら、著者が何年何月頃、朝鮮半島を訪問したのかを書いていない
この著作は、客観的には以下の絶対にあり得ない記述から完全にインチキと断定するしかないが、著者をスウェーデン語で調べても出てこないので、確定できない。
p183
ソウルにいる日本人らはバルチック艦隊撃沈を祝ってパーティーを繰り返している
従って、1905年(明治38年)5月27日から5月28日の 日本海海戦後に訪問しているはずである。
p281
あわよくば鴨緑江以北の激戦を現地で目撃したいというわが意図はついに水泡に帰した
従って、1905年(明治38年)9月5日に終わった日露戦争終結前に朝鮮を訪問したはずである。
これらから、1905年6月~8月頃、即ち、完全に夏に朝鮮半島を訪問しているはずである
にもかかわず、朝鮮到着時の記述として
p13
真冬の12月26日、つまりクリスマスの次の日の気候がこうだとは・・・。
キチガイどもに好意的・同情的な記述が多いのが非常に印象的であった。残念ながら、すぐにわかる嘘ではあるが?一体全体、韓国でこの本が出版された時、誰も上記の致命的な欠点に気づかなかったのであろうか?韓国人は、感情に左右されて思考が働かないのか?それとも白痴レベルのよほどのバカばかりなのか?その方がむしろ驚く!
今日の韓国の反日とかつての小中華主義は、完全に同一であり、女真族=満州人と日本人という対象が異なっているに過ぎない!日本人もアホなのか?誰も反日と小中華主義が全く同じだと気づいていない。黄さんでさえ、間違いなく完全に勘違いしている
それにしてもキチガイどもがスウェーデン語で書かれたほとんど見向きもされなかったこの旅行記を良く見つけたもんだ。李朝期の外国人による朝鮮半島旅行記は、キチガイどもを全てボロクソに書いているので必死に探したのであろう。最後の「解説に代えて」p292に「本書は長く知られずに今日に至った」と書いている。】
p5
スウェーデン海軍に服務して現在日本に派遣中の母国人の将校がひとり私を訪ねてきた。
(このスウェーデン海軍軍人の勧めで、日本は特別な記者以外には戦時パスポートを出さないので商人に化けて朝鮮に行くように勧められた旨書いている。)
【帝政ロシアの将校が書いた朝鮮訪問記も、同様にあまり直接的にはキチガイどもをボロクソに批判していない。(複数の者の事実上のスパイ的な報告を含むので個人差がある)
しかし、朝鮮の奴婢=奴隷制度にはっきり言及し、かつ、農民は午前中しか働かない旨明記している。
当時、高宗は一時的にロシア公使館に居住していた。従って、帝政ロシア将校がキチガイどもに関し悪く書けるはずがないので当然だ!にもかかわらず、「奴隷は王国でもっと醜悪なる現象で、決定的に風紀を退廃させている」とはっきり書いている
朝鮮現代史より
高宗は1897年2月慶運宮に移るまでロシア公使館に滞在したので、ロシアの勢力が増大した。ロシアは鉱山・森林利権を獲得するとともに】
p16
一口で言って、人がいいという印象だ。グレーやブルーの着物姿でイギリス風の鳥打帽子をかぶって彼らの間に混じっている日本人に比べると遥かに好感が持てた。
一般的に言って彼らの身のこなしは日本人特有の地を這うような卑屈さや度を越したエチケットなどとはほど遠いものだった
p17
釜山で朝鮮が私に与えた第一印象はさほどいいものではなかった。道は狭く不潔で、家屋は低く見栄えがしなかった。日本のように人目を惹く商店や、古い寺などなどもない。四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり
p18
生活力の強い日本の種族の帝国主義根性は、朝鮮の滅亡をほとんど既成事実化してしまった
p26
(朝鮮で初めてできた鉄道の見物に集まったキチガイどもに関する記述として)
小人のように背の低い日本の役人らが朝鮮の子供を情け容赦なくぞんざいに扱っている。
彼らは日本人さえ見れば怖がって36計逃げるにしかずとばかりに逃げていく
p49
2食分に宿泊料を合わせて60銭だった
【この本の記述中の金銭は全て、円と銭である。日韓併合前の1905年頃に朝鮮を訪問しているのだからして、絶対にありえんだろう。ハングルからの翻訳者のオツムは正常なのか?】
p50
女性はあまり歩いていないが、時々見受けられる彼女らは不美人で、むしろ家にじっとしている方がいいにではと思ったりした。男女合わせて3から4人に一人は顔にあばたがあった。朝鮮では天然痘が流行っていて毎年多くの犠牲者を出している。
p51
15世紀頃の人たちは老人を思う気持ちが厚くて、老人が80歳を超えて気力が衰えだすと、一日か二日分の食事と一緒にその墓室に入れ餓死するようにしたというのである
一般に人々はみなおおらかな印象だ
【他の朝鮮訪問記で同様の記述がある】
p53
林は所どころで目に付くくらいでほとんど見かけない
日本で誰だったか、朝鮮やかな国の景色は無味乾燥でつまらないなどといったが、ところが実際来てみると、私がこれまで旅行した国の中で最も印象深いのがこの朝鮮だった
【記述自体が、完全に矛盾しているが、はげ山だらけであったのは事実である】
p55
朝鮮人が大きな重い荷物を背に載せていとも簡単に運ぶことができる点には既に注目していたが
彼らのチゲー運搬具ーは非常に理想的に考案されていて
朝鮮人以外にこの方法を考え出した民族はいない。
【この記述は、著者がゴーストライターに過ぎないことを強く示唆する】
p56
(チゲによる人力と馬の背に直接載せる方法を書いた後)
このような簡単な方法で大量の荷物を長距離運搬できる能力と、決して良好とはいえない道路事情とは
大部隊の行商が行われる原因となった
p57
以前に比べ商売がむづかしくなったとはいえ今でも行商は存在する。日本の侵略者が現代的な流通方式を持ち込み
p63
首都ソウルは褐色の丘と黒くざらざらした花崗岩の山々に囲まれていて
p64
城門の周りに今はこの国の兵卒の他に日本の軍人らが歩哨に立っている
p67
丘の上に一つの独立した地域を形成しながら日本人居住区が位置している
朝米合作会社が長さ14.4の電車レールを敷いた。雇用人は皆朝鮮人であるが、米側の担当幹部らは2年間の電車線運営期間に、朝鮮人が日本人より仕事を早く覚え信用度も高いことを身にしみてわかったとのことだ
【「信用度も高い」ことはあり得ず、他の朝鮮半島訪問記と完全に逆である】
p77
ソウルの街を歩きながらそのさまざまな側面を二つの目でしっかり見た異邦人にとってのソウルの印象は、この国の庶民たちのそれとはいささか違いがあった。興味深いところがないというのではないが、隣国の日本や中国の小都市と比べてみてもソウルにはこれといった見どころがないのだ
【この記述は、全く朝鮮半島を訪問していないと考えてよい内容である。
朝鮮半島訪問時期がずれており、1905年前後に実際に訪問した可能性が消える。
当然のことをわざわざ強調して書くのは、キチガイどもが、よくやるミスのパターンであり、「二つの目でしっかり見た」とわざわざ強調しているのは、ほぼ確実に逆である。1900年~1905年頃に、国内よりも高く売れるため海外に売られた朝鮮人女性より朝鮮半島の様子を非常に詳細に聞取り、スウェーデン語で書かれたと推定される。売られたのは恐らくは奴婢ではない美人であろう。従軍慰安婦と同様に貧窮した父又は夫が海外に売ったとみていい。
H・ハメル『朝鮮幽囚記』に見られる朝鮮社会の4つの特徴に奴婢の実例がある。
「宮廷舞姫の李真が初代朝鮮駐在フランス代理公使 コラン・ド・プランシーの心を虜にした。
(途中略すが、その後)結婚し た。プランシーはモロッコでの勤務の後,1896年4月 再びソウルに赴任した。このとき大韓帝国のある高官 が自分が李真の所有者であるとして,返還を求めた。」
恐らくは、売られた女性は、著者?の愛人又は妻になったのであろう。著者は事実上ゴーストライターでありだからスウェーデン語で検索しても出てこないのだ!事実上の著者は、キチガイどもの売られた女性の可能性が高い。確定的証拠を見つけられず残念で仕方がない】
第5章 日本の警察の監視網にかかる
p93
朝鮮人は着物は中国産でなければ国産である
官吏は例外なしにブロードや牛革でできた足の先のとがった中国製のものを履く。布製の朝鮮足袋は誰もが着用するが、特に冬に使う。
p93
大雪のある日、日本警察の主任が二人の巡査と共に宿泊客の名簿調査のためにホテルにやってきた。
(警官に尋問された内容が書かれている)
p103
我が国の領事館、いや正確に言うとスウェーデンの利益を代理担当しているドイツ領事館に抗議を申し出てやると、とこけおどした。
p113
水運びはつらい労働であるが、収入がいいので大変人気のある職業だ
p141
釜山からソウルへ来る道々でも感じたし、ソウルにいる間もそうであるが、女が家の外に出てくることがあまりないというのが不思議だった。外出する場合でもほとんどの女は独特のやり方で顔を隠している。しかし逆に、そうではない女はと見ると乳房まで出している始末
第8章 皇帝陛下にお会いできて光栄です
スウェーデンの将軍に化けて葬儀に招待される(←小見出し)
皇帝と握手を交わす(←小見出し)
【「スウェーデンの将軍に化ける」には、それにふさわしい軍服が必要だが一切軍服については書いてはいない。】
p183
ソウルにいる日本人らはバルチック艦隊撃沈を祝ってパーティーを繰り返している
【バカだな!】
p213
朝鮮人のうち日本の手下になった者たちは、一進会という団体を作っていた
【これは事実である】
p238
死刑が執り行われる間、周りでは見物人が目を見張りながら見ていた
首枷をはめられた囚人たち
p281
あわよくば鴨緑江以北の激戦を現地で目撃したいというわが意図はついに水泡に帰した
【バカめ、嘘を書くならもう少し考えて書け。】
アーソン・グレブスト
I Korea ; Minnen och studier fran "Morgonstillhetens land".
Grebst, W. A:son (William), 1875-1910 |
【著者のアーソン・グレブストは、スウェーデンのジャーナリストとしているが、それすらも怪しい。上のリンク先ウェブサイトによれば、1912年に著者の死後?出版である。英訳はなく、スウェーデン語原本のみである。
訳者は朝鮮大学教授のキチガイども2名であることから、スウェーデン語からの直訳ではなく、ハングルで韓国で出版された翻訳からの日本語訳であることは確実である。しかるに、日本に住むキチガイどもはスウェーデン語から訳したと後書きに明記している。
キチガイどもの面目躍如といったところであるが、訳者の後書きですら、著者が何年何月頃、朝鮮半島を訪問したのかを書いていない
この著作は、客観的には以下の絶対にあり得ない記述から完全にインチキと断定するしかないが、著者をスウェーデン語で調べても出てこないので、確定できない。
p183
ソウルにいる日本人らはバルチック艦隊撃沈を祝ってパーティーを繰り返している
従って、1905年(明治38年)5月27
p281
あわよくば鴨緑江以北の激戦を現地で目撃したいというわが意図はついに水泡に帰した
従って、1905年(明治38年)9月5日に終わった日露戦争終結前に朝鮮を訪問したはずである。
これらから、1905年6月~8月頃、即ち、完全に夏に朝鮮半島を訪問しているはずである
にもかかわず、朝鮮到着時の記述として
p13
真冬の12月26日、つまりクリスマスの次の日の気候がこうだとは・・・。
キチガイどもに好意的・同情的な記述が多いのが非常に印象的であった。残念ながら、すぐにわかる嘘ではあるが?一体全体、韓国でこの本が出版された時、誰も上記の致命的な欠点に気づかなかったのであろうか?韓国人は、感情に左右されて思考が働かないのか?それとも白痴レベルのよほどのバカばかりなのか?その方がむしろ驚く!
今日の韓国の反日とかつての小中華主義は、完全に同一であり、女真族=満州人と日本人という対象が異なっているに過ぎない!日本人もアホなのか?誰も反日と小中華主義が全く同じだと気づいていない。黄さんでさえ、間違いなく完全に勘違いしている
それにしてもキチガイどもがスウェーデン語で書かれたほとんど見向きもされなかったこの旅行記を良く見つけたもんだ。李朝期の外国人による朝鮮半島旅行記は、キチガイどもを全てボロクソに書いているので必死に探したのであろう。最後の「解説に代えて」p292に「本書は長く知られずに今日に至った」と書いている。】
p5
スウェーデン海軍に服務して現在日本に派遣中の母国人の将校がひとり私を訪ねてきた。
(このスウェーデン海軍軍人の勧めで、日本は特別な記者以外には戦時パスポートを出さないので商人に化けて朝鮮に行くように勧められた旨書いている。)
【帝政ロシアの将校が書いた朝鮮訪問記も、同様にあまり直接的にはキチガイどもをボロクソに批判していない。(複数の者の事実上のスパイ的な報告を含むので個人差がある)
しかし、朝鮮の奴婢=奴隷制度にはっきり言及し、かつ、農民は午前中しか働かない旨明記している。
当時、高宗は一時的にロシア公使館に居住していた。従って、帝政ロシア将校がキチガイどもに関し悪く書けるはずがないので当然だ!にもかかわらず、「奴隷は王国でもっと醜悪なる現象で、決定的に風紀を退廃させている」とはっきり書いている
朝鮮現代史より
高宗は1897年2月慶運宮に移るまでロシア公使館に滞在したので、ロシアの勢力が増大した。ロシアは鉱山・森林利権を獲得するとともに】
p16
一口で言って、人がいいという印象だ。グレーやブルーの着物姿でイギリス風の鳥打帽子をかぶって彼らの間に混じっている日本人に比べると遥かに好感が持てた。
一般的に言って彼らの身のこなしは日本人特有の地を這うような卑屈さや度を越したエチケットなどとはほど遠いものだった
p17
釜山で朝鮮が私に与えた第一印象はさほどいいものではなかった。道は狭く不潔で、家屋は低く見栄えがしなかった。日本のように人目を惹く商店や、古い寺などなどもない。四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり
p18
生活力の強い日本の種族の帝国主義根性は、朝鮮の滅亡をほとんど既成事実化してしまった
p26
(朝鮮で初めてできた鉄道の見物に集まったキチガイどもに関する記述として)
小人のように背の低い日本の役人らが朝鮮の子供を情け容赦なくぞんざいに扱っている。
彼らは日本人さえ見れば怖がって36計逃げるにしかずとばかりに逃げていく
p49
2食分に宿泊料を合わせて60銭だった
【この本の記述中の金銭は全て、円と銭である。日韓併合前の1905年頃に朝鮮を訪問しているのだからして、絶対にありえんだろう。ハングルからの翻訳者のオツムは正常なのか?】
p50
女性はあまり歩いていないが、時々見受けられる彼女らは不美人で、むしろ家にじっとしている方がいいにではと思ったりした。男女合わせて3から4人に一人は顔にあばたがあった。朝鮮では天然痘が流行っていて毎年多くの犠牲者を出している。
p51
15世紀頃の人たちは老人を思う気持ちが厚くて、老人が80歳を超えて気力が衰えだすと、一日か二日分の食事と一緒にその墓室に入れ餓死するようにしたというのである
一般に人々はみなおおらかな印象だ
【他の朝鮮訪問記で同様の記述がある】
p53
林は所どころで目に付くくらいでほとんど見かけない
日本で誰だったか、朝鮮やかな国の景色は無味乾燥でつまらないなどといったが、ところが実際来てみると、私がこれまで旅行した国の中で最も印象深いのがこの朝鮮だった
【記述自体が、完全に矛盾しているが、はげ山だらけであったのは事実である】
p55
朝鮮人が大きな重い荷物を背に載せていとも簡単に運ぶことができる点には既に注目していたが
彼らのチゲー運搬具ーは非常に理想的に考案されていて
朝鮮人以外にこの方法を考え出した民族はいない。
【この記述は、著者がゴーストライターに過ぎないことを強く示唆する】
p56
(チゲによる人力と馬の背に直接載せる方法を書いた後)
このような簡単な方法で大量の荷物を長距離運搬できる能力と、決して良好とはいえない道路事情とは
大部隊の行商が行われる原因となった
p57
以前に比べ商売がむづかしくなったとはいえ今でも行商は存在する。日本の侵略者が現代的な流通方式を持ち込み
p63
首都ソウルは褐色の丘と黒くざらざらした花崗岩の山々に囲まれていて
p64
城門の周りに今はこの国の兵卒の他に日本の軍人らが歩哨に立っている
p67
丘の上に一つの独立した地域を形成しながら日本人居住区が位置している
朝米合作会社が長さ14.4の電車レールを敷いた。雇用人は皆朝鮮人であるが、米側の担当幹部らは2年間の電車線運営期間に、朝鮮人が日本人より仕事を早く覚え信用度も高いことを身にしみてわかったとのことだ
【「信用度も高い」ことはあり得ず、他の朝鮮半島訪問記と完全に逆である】
p77
ソウルの街を歩きながらそのさまざまな側面を二つの目でしっかり見た異邦人にとってのソウルの印象は、この国の庶民たちのそれとはいささか違いがあった。興味深いところがないというのではないが、隣国の日本や中国の小都市と比べてみてもソウルにはこれといった見どころがないのだ
【この記述は、全く朝鮮半島を訪問していないと考えてよい内容である。
朝鮮半島訪問時期がずれており、1905年前後に実際に訪問した可能性が消える。
当然のことをわざわざ強調して書くのは、キチガイどもが、よくやるミスのパターンであり、「二つの目でしっかり見た」とわざわざ強調しているのは、ほぼ確実に逆である。1900年~1905年頃に、国内よりも高く売れるため海外に売られた朝鮮人女性より朝鮮半島の様子を非常に詳細に聞取り、スウェーデン語で書かれたと推定される。売られたのは恐らくは奴婢ではない美人であろう。従軍慰安婦と同様に貧窮した父又は夫が海外に売ったとみていい。
H・ハメル『朝鮮幽囚記』に見られる朝鮮社会の4つの特徴に奴婢の実例がある。
「宮廷舞姫の李真が初代朝鮮駐在フランス代理公使 コラン・ド・プランシーの心を虜にした。
(途中略すが、その後)結婚し た。プランシーはモロッコでの勤務の後,1896年4月 再びソウルに赴任した。このとき大韓帝国のある高官 が自分が李真の所有者であるとして,返還を求めた。」
恐らくは、売られた女性は、著者?の愛人又は妻になったのであろう。著者は事実上ゴーストライターでありだからスウェーデン語で検索しても出てこないのだ!事実上の著者は、キチガイどもの売られた女性の可能性が高い。確定的証拠を見つけられず残念で仕方がない】
第5章 日本の警察の監視網にかかる
p93
朝鮮人は着物は中国産でなければ国産である
官吏は例外なしにブロードや牛革でできた足の先のとがった中国製のものを履く。布製の朝鮮足袋は誰もが着用するが、特に冬に使う。
p93
大雪のある日、日本警察の主任が二人の巡査と共に宿泊客の名簿調査のためにホテルにやってきた。
(警官に尋問された内容が書かれている)
p103
我が国の領事館、いや正確に言うとスウェーデンの利益を代理担当しているドイツ領事館に抗議を申し出てやると、とこけおどした。
p113
水運びはつらい労働であるが、収入がいいので大変人気のある職業だ
p141
釜山からソウルへ来る道々でも感じたし、ソウルにいる間もそうであるが、女が家の外に出てくることがあまりないというのが不思議だった。外出する場合でもほとんどの女は独特のやり方で顔を隠している。しかし逆に、そうではない女はと見ると乳房まで出している始末
第8章 皇帝陛下にお会いできて光栄です
スウェーデンの将軍に化けて葬儀に招待される(←小見出し)
皇帝と握手を交わす(←小見出し)
【「スウェーデンの将軍に化ける」には、それにふさわしい軍服が必要だが一切軍服については書いてはいない。】
p183
ソウルにいる日本人らはバルチック艦隊撃沈を祝ってパーティーを繰り返している
【バカだな!】
p213
朝鮮人のうち日本の手下になった者たちは、一進会という団体を作っていた
【これは事実である】
p238
死刑が執り行われる間、周りでは見物人が目を見張りながら見ていた
首枷をはめられた囚人たち
p281
あわよくば鴨緑江以北の激戦を現地で目撃したいというわが意図はついに水泡に帰した
【バカめ、嘘を書くならもう少し考えて書け。】
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