千五百七十八年 四月下旬
ところが支城を預かる才蔵は、門を開け放つだけに飽き足らず護衛の兵すら伴わず待ち構えている。
槍の名手として名を馳せた『笹の才蔵』にここまでされては、『鬼真壁』と
「そこにおわすは
「音に聞こえし『鬼真壁』殿に挑まれて、受けて立たねば武人の名折れよ。この一騎打ちの勝敗如何に拠らず、真壁殿以外の安全は保証致そう。十分に休息をとられたうえ、用意が整い次第いつでも参られよ!」
「過分なご配慮痛み入る、されどお気遣いは無用。この真壁、すぐにでもお相手
「その意気やよし! ならば今より四半刻(約30分)後に勝負致そう。それまで暫し休まれよ、必要なものがあれば我らに申しつけ頂きたい、都合致そう」
そう言い放つと才蔵は腰を下ろしていた床几を小脇に抱え、舞台の東側へと引き上げていった。必然的に真壁一行は舞台の西側へと陣取ることになる。
東西に分かれた両陣営を取り囲むように設置されている観客先へ、続々と織田軍兵士が詰めかけてきて即席の闘技場は一気に熱を帯び始めた。
周囲を敵兵に取り囲まれることになった真壁一行だが、元より死地に踏み込むのは覚悟の上であるため萎縮するどころか開き直る。
織田軍兵士も武装しておらず、また城門も開いたままであるため奇妙な緊張感に包まれた試合会場のような雰囲気となっていた。
果たして先に舞台へと歩を進めたのは氏幹の方であった。四半刻を待たずして舞台に入り、手にした樫木棒を振るって手ごたえを試す。
対する才蔵は静子手製の砂時計(30分計)が落ち切るのを見届けてから悠々と立ち上がった。
「さて、刻限となったが用意は良いか?」
「
そう
(く……、やりにくい)
互いにすり足で距離をじりじりと詰めながら氏幹は思った。
氏幹の手にする樫木棒は、才蔵の槍に倍するほどの太さを備えており、氏幹の剛力から繰り出される打ち下ろしは相手に防御を許さない威力を誇る。
樫木棒と槍とがまともに打ち合えば、重量的にも威力的にも槍側が不利であり勝負にならない。
そこで才蔵は相手が間合いを詰めるべく踏み込むのを牽制するべく槍を下段に構えたのだ。如何に脛当てをしていようとも、槍の穂先で足の甲を貫かれれば動けなくなる。
こうなれば氏幹も樫木棒を上段に構えるわけにはゆかず、下段の槍を捌けるようにだらりと樫木棒の先端を下げるしかない。
振りかぶった状態でなくなった樫木棒は、その重量ゆえに振りが遅く、長所を殺されてしまった。ただ構え一つだけで相手の動きを封じてしまう達人の行動であった。
「しっ!」
先に仕掛けたのは才蔵であった。手にした槍をしならせて足首から膝へ向けての下から掬い上げるような斬撃を放つ。
これに対する氏幹は、回避することによって間合いを離されることを良しとせず、逆に踏み込んで樫木棒を地面に突きたてるようにして才蔵の斬撃を弾いた。
弾かれることを予想していた才蔵は槍を旋回させつつ、軸足とは逆の脚による後ろ回し蹴りを放った。
氏幹は槍を弾いたことにより流れた体勢の死角から襲ってくる蹴りを察知できず、胴体を打ち抜くような鋭い蹴りを受けてよろめく。
蹴りに弾かれて双方が再び大きく間合いを離したところで観客から歓声が上がった。
「なっ……蹴りだと!?」
槍と樫木棒という互いに長物を用いての勝負に於いて、より間合いが狭く決定打にもなり得ない上に片足を地面から離すというリスクを背負ってまで放たれた蹴りは氏幹の常識を揺るがした。
槍術の定石からは外れた行動だが、体重の乗った才蔵の蹴りは氏幹を焦らせる。
そして氏幹は先手を取るべくして樫木棒を横殴りに振るい、その長大な間合いと重量を活かした暴風のような一撃を仕掛けた。
対する才蔵は樫木棒の間合いを読み切ってこれを回避し、更に通り過ぎた樫木棒を後ろから叩くように槍で払って氏幹の体勢を大きく崩す。
大振りの一撃を
「はっ!」
腕の中で槍を返した才蔵は、穂先とは逆の
達人である才蔵の放った一撃は、衝撃を逃がすべく曲面で構成された漆塗りの胴へと迫り、これに大きく
腹から背中へと突き抜けた衝撃に氏幹は大きく後ずさることで間合いを取り、才蔵の追撃を防ぐべく樫木棒を前面に構えた。
(ぐはっ! なんという一撃、鎧が無ければ腹が裂けておったわ……)
氏幹は喉から口へとせり上がってきた血反吐を吐き捨てると、袖で口元を拭って戦慄する。
たった二合の打ち合いだけで互いの力量差は理解できた。口惜しいが才蔵は氏幹の及ばぬ高みにおり、技量での勝負では勝ち目がない。
それでも氏幹は諦めなかった。この一騎打ちには武芸者としての己の矜持だけでなく、主家の行く末を左右するだけの重みを背負っている。
技で及ばぬのならば、この身を捨てでも勝利をもぎ取らねばならないのだ。
氏幹が覚悟を決めると同時に、才蔵が雷光のような鋭い突きを放ってくる。
氏幹は樫木棒を短く持つことで、重心を後方に下げて扱いやすくし、才蔵が矢継ぎ早に放つ突きを防御した。
「そらっ! どうした、防いでばかりでは
口では氏幹を煽っている才蔵だが、その内心では氏幹の打たれ強さと折れない心に驚愕していた。
槍の名手として静子軍一とさえ言われる才蔵と、ここまで打ち合える人間がそもそも稀なのだ。
意識の外から蹴りを受けても、渾身の力を込めた突きを受けてすら倒れない、地面に根が生えたような氏幹の体幹には戦慄を覚える。
更には間合いが離れたことを受け、手の中で
(くっ……何という重い突きだ。これを続けられれば受けきれぬ……ならば、死中にこそ活有り!)
重要で勝っているはずの樫木棒で弾いているというのに、手に痺れが残る程の衝撃が伝わってくる才蔵の突きに氏幹は舌を巻いていた。
意を決した氏幹はワザと才蔵の突きを受け損ね、体勢が崩れたフリをしてみせる。
氏幹の晒した隙を見逃さず、才蔵は斜め上段から叩きつけるような打ち下ろしを放った。
武術の心得が無い人は、槍で叩かれたところで死にはしないと思うだろうが、これは誤りである。
確かに穂先が刺されば一撃で相手を死に至らしめる突きは強いだろう。しかし、激しく動き回る相手に点の攻撃である突きを命中させるのは至難の業だ。
対して遠心力及び重力の恩恵を受けた線の攻撃である叩きつけは、全くの素人であっても兜の上から相手を脳震盪に陥らせたり、ややもすれば頸椎を骨折せしめる一撃となった。
実際に才蔵が放つ槍での打撃は、金属製の鎧を凹ませて相手を骨折させるだけの威力を秘めていた。
「
一歩間違えば死に至る才蔵の一撃を氏幹は全く防御せずに前に進み出て受けた。
そして雷鳴の如く気炎を吐いて渾身の一撃を才蔵の槍へと放った。氏幹の命を賭した一撃は、恐ろしく丈夫なはずの槍の
しかし、その代償は決して小さいものでは無かった。
達人の一撃を防御せずに受けたのだ、打点をずらしたとは言え氏幹の腰から下は痺れてしまい、果たして自分が今立っているのかすら定かではない。
恐らく腰骨が折れるか砕けるかしているのだろう。それでも相手の武器を奪い、かつ間合いを詰めて才蔵を樫木棒の射程内に捉えていた。
千載一遇かつ必殺の間合いであった。氏幹は己が倒れる勢いをも載せた最後の一撃、上段から打ち下ろしを放つ。
防御も回避も出来ない必殺の一撃であった。
ぬるり、とでも表現すべきか。武術の極致である無拍子のような、予備動作の全くない奇妙な動きで才蔵はこの必死の一撃を回避してみせた。
これは静子軍に於いて天狗とも噂される人物、
前に踏み込みつつも瀑布のような一撃を避けた才蔵は、氏幹の樫木棒を上から踏みつけて地面に固定し、半ばから折られて尚手放さなかった槍の石突を再び氏幹へと突き込んだ。
才蔵の一撃は手加減など全くない、掛け値なしの命を奪う一撃だった。
しかし、如何なる運命の
氏幹は
一瞬の静寂の後、観客の歓声が爆発した。氏幹の方は家臣達が駆け寄り具合を見ている。
才蔵は氏幹が介抱されながらも受け答えをしているのを見て、ほっと胸を撫でおろしていた。
傍目に見る分には才蔵が圧倒したように見えただろうが、その実薄氷を履むが如く際どい勝利であった。
才蔵の長い武芸者人生に於いて、槍を叩き折られた経験など一度も無かった。
如何に樫木棒が重く、また氏幹が剛力であるとは言え、しなる槍の柄を狙ってへし折ることが可能だとは体験しても信じられない思いだ。
才蔵としても負けられない一騎打ちで勝利を掴んだと安堵すると共に、武芸者として更なる高みを目指す為にも氏幹と再戦したいと言う思いが才蔵の歩を進ませた。
「噂に
「敗者たる某に、ご温情痛み入る。お言葉に甘えさせて頂こう」
互いに死力を尽くし、戦いあった武人同士で通じ合うものがあった。これを切っ掛けに佐竹は和睦へと舵を切ることだろう。
今は敵味方に別れ合っているが、いずれは肩を並べて共に戦う日が来るやもしれない。
「真壁殿の傷が癒え、機会があればいずれ某から再戦を申し込もう」
「なんと、雪辱の機会を頂けるのか! なれば、その時を夢見て励みましょうぞ」
互いに認め合った武人は、多くを語らずに別れることとなる。
静子は尾張の技術街へと出向き、研究者たちと向かい合っていた。
研究対象となっているのは『
原油とは様々な物質の混合物であり、それぞれの物質の沸点が異なることを利用して蒸留すれば様々な抽出物を得ることが出来る。
元々アルコールの蒸留装置を研究していたこともあり、原油の蒸留装置に関しても何故か足満が多くの知識を持っており、小型の物を試作する段階まで漕ぎつけていた。
「うーん、やはりこれを大型化しようとしたら物凄く巨大な施設になるよね……」
静子や技術者たちが頭を悩ませているのは、石油精製装置が途方もなく巨大な施設になりそうだと言うことだった。
その規模は蒸留装置などという
現在静子たちの前に存在する試作品は、高さ30センチメートル、直径5センチメートル程度のものだ。
しかし、本格的に越後から原油を搬入し、足満が要求しているワセリンなどの石油精製物質を大量生産するための設備は想像を絶した。
用意できる素材の強度的に、同じ比率での建造は不可能と見込まれており、設計段階に於いて高さ30メートル、直径10メートルという城に匹敵する施設となる。
「それに副産物というか排煙が問題だよね……亜硫酸ガスって確か『四日市ぜんそく』の原因物質だったよね」
当初見込んでいた
これを足満に確認したところ、恐らくは多くの亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を含んでいるとのことであり、垂れ流しにすればいずれ公害を招くことは疑いようもない。
しかし、同時に足満からこれに対する解決策も提示されており、試作品の規模ならば活性炭でフィルターを作成すれば充分に硫黄分を取り除く(以降、脱硫すると呼ぶ)ことが可能であった。
また吸着した硫黄は活性炭を再処理することによって希硫酸などの形で回収が可能であり、当面はこの方式で研究を進めている。
「アンモニアを利用すれば窒素化合物も吸収出来て優秀なんだけど、運用コストが重いんだよねえ……」
活性炭の元となる炭自体は、庶民たちの主な生活燃料が炭や薪であることから容易に手に入れることが出来る。
しかし、これを活性炭へと加工するには面倒な加工が必要となる。洗浄して粉砕し、乾燥させた後に『活性化』という処理をする必要がある。
事前準備の段階でも3工程があり、活性化には塩化カルシウムや次亜塩素酸ナトリウムなどの薬品が必要になってくる。
精度を気にしないのであればレモン果汁などでも代用できるのだが、工業用途に使用するほどのレモン果汁など到底用意できない。
また前者の薬品を製造するには電気分解が必要不可欠であり、本格的に大型の発電施設を建造する必要まで出てくるという本末転倒ぶりを見せる。
それでも石油から精製される様々な物質は魅力的であった。
軽油や重油、灯油にガソリンなどは言うに及ばず、
専門的な設備が必要になるが、蒸留工程で得られるエチレンガスなどを付加重合するこが出来れば、ポリエチレン(いわゆるポリ袋)も製造できる。
ポリエチレンテレフタレートまで加工できれば、皆様もご存じPETボトルも夢ではなくなる。
「尾張から越後に通じる鉄道を計画する必要があるかもね」
静子はそう言って、研究所の一角に展示されている蒸気機関車の模型へと視線を向けるのであった。
しばらく不定期連載にします。活動自体は続ける予定です。 洋食のねこや。 オフィス街に程近いちんけな商店街の一角にある、雑居ビルの地下1階。 午前11時から15//
★6/25 『とんでもスキルで異世界放浪メシ 12 鶏のから揚げ×大いなる古竜』発売!★ ❖❖❖オーバーラップノベルス様より書籍11巻まで発売中! 本編コミック//
本が好きで、司書資格を取り、大学図書館への就職が決まっていたのに、大学卒業直後に死んでしまった麗乃。転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の兵士の娘。いく//
「すまない、ダリヤ。婚約を破棄させてほしい」 結婚前日、目の前の婚約者はそう言った。 前世は会社の激務を我慢し、うつむいたままの過労死。 今世はおとなしくうつむ//
小学校お受験を控えたある日の事。私はここが前世に愛読していた少女マンガ『君は僕のdolce』の世界で、私はその中の登場人物になっている事に気が付いた。 私に割り//
薬草を取りに出かけたら、後宮の女官狩りに遭いました。 花街で薬師をやっていた猫猫は、そんなわけで雅なる場所で下女などやっている。現状に不満を抱きつつも、奉公が//
リアム・セラ・バンフィールドは転生者だ。 剣と魔法のファンタジー世界に転生したのだが、その世界は宇宙進出を果たしていた。 星間国家が存在し、人型兵器や宇宙戦艦が//
人狼の魔術師に転生した主人公ヴァイトは、魔王軍第三師団の副師団長。辺境の交易都市を占領し、支配と防衛を任されている。 元人間で今は魔物の彼には、人間の気持ちも魔//
突然路上で通り魔に刺されて死んでしまった、37歳のナイスガイ。意識が戻って自分の身体を確かめたら、スライムになっていた! え?…え?何でスライムなんだよ!!!な//
男が主役の悪役令嬢物!? 異世界に転生した「リオン」は、貧乏男爵家の三男坊として前世でプレイさせられた「あの乙女ゲーの世界」で生きることに。 そこは大地が浮か//
西暦2048年。 研究一筋だった日本の薬学者は、過労死をして異世界で目覚めた。 2022/6/15 本編(EP4)完結しました。 2022/6/17 後日譚(//
勇者と魔王が争い続ける世界。勇者と魔王の壮絶な魔法は、世界を超えてとある高校の教室で爆発してしまう。その爆発で死んでしまった生徒たちは、異世界で転生することにな//
二十代のOL、小鳥遊 聖は【聖女召喚の儀】により異世界に召喚された。 だがしかし、彼女は【聖女】とは認識されなかった。 召喚された部屋に現れた第一王子は、聖と一//
●2020年にTVアニメ1期が放送されました。現在、アニメ2期も制作中です。 ●シリーズ累計320万部突破! ●書籍1~11巻、ホビージャパン様のHJノベルスよ//
34歳職歴無し住所不定無職童貞のニートは、ある日家を追い出され、人生を後悔している間にトラックに轢かれて死んでしまう。目覚めた時、彼は赤ん坊になっていた。どうや//
●KADOKAWA/エンターブレイン様より書籍化されました。 【書籍十三巻 2022/08/30 発売予定!】 ●コミックウォーカー様、ドラゴンエイジ様でコミ//
☆★☆コミカライズ第2弾はじまります! B's-LOG COMIC Vol.91(2020年8月5日)より配信です☆★☆ エンダルジア王国は、「魔の森」のスタン//
働き過ぎて気付けばトラックにひかれてしまう主人公、伊中雄二。 「あー、こんなに働くんじゃなかった。次はのんびり田舎で暮らすんだ……」そんな雄二の願いが通じたのか//
クラスごと異世界に召喚され、他のクラスメイトがチートなスペックと“天職”を有する中、一人平凡を地で行く主人公南雲ハジメ。彼の“天職”は“錬成師”、言い換えればた//
公爵令嬢に転生したものの、記憶を取り戻した時には既にエンディングを迎えてしまっていた…。私は婚約を破棄され、設定通りであれば教会に幽閉コース。私の明るい未来はど//
VRRPG『ソード・アンド・ソーサリス』をプレイしていた大迫聡は、そのゲーム内に封印されていた邪神を倒してしまい、呪詛を受けて死亡する。 そんな彼が目覚めた//
2020.3.8 web版完結しました! ◆カドカワBOOKSより、書籍版24巻+EX2巻+特装巻、コミカライズ版13巻+EX巻+アンソロジー発売中! アニメB//
アスカム子爵家長女、アデル・フォン・アスカムは、10歳になったある日、強烈な頭痛と共に全てを思い出した。 自分が以前、栗原海里(くりはらみさと)という名の18//
戦国時代、近江の国人領主家に男子が生まれた。名前は竹若丸。そして二歳で父を失う。その時から竹若丸の戦国サバイバルが始まった。竹若丸は生き残れるのか? 家を大きく//
地球の運命神と異世界ガルダルディアの主神が、ある日、賭け事をした。 運命神は賭けに負け、十の凡庸な魂を見繕い、異世界ガルダルディアの主神へ渡した。 その凡庸な魂//
貧しい領地の貧乏貴族の下に、一人の少年が生まれる。次期領主となるべきその少年の名はペイストリー。類まれな才能を持つペイストリーの前世は、将来を約束された菓子職//
メカヲタ社会人が異世界に転生。 その世界に存在する巨大な魔導兵器の乗り手となるべく、彼は情熱と怨念と執念で全力疾走を開始する……。 *お知らせ* カクヨムにも//
平凡な若手商社員である一宮信吾二十五歳は、明日も仕事だと思いながらベッドに入る。だが、目が覚めるとそこは自宅マンションの寝室ではなくて……。僻地に領地を持つ貧乏//