千五百七十八年 四月下旬
北条氏の居城たる小田原城は、本丸内に設けられた厳重に施錠されている一室にて一人の男性が何かを捧げ持っていた。
「これこそが出発点、原初の一発。織田家にこれを齎した人物は、如何にしてこれを思いついたのか……」
燈明の光に浮かび上がる
戦国時代に於いて常識であった球形の弾丸とは異なり、流線形と呼ぶにはややずんぐりな前身と円筒形の後身を持つ。
何よりも特徴的であったのは銃弾の側面に刻まれた等間隔の溝だった。加工と呼ぶには稚拙だが、確実に緩い螺旋を描く溝が切られている。
この銃弾こそが北条氏に一筋の希望を見出させたもの、従来の火縄銃とは隔絶した性能を誇る織田軍の新式銃、その秘密の一端を担っていた。
織田軍の新式銃に関しては機密保持が徹底されており、数度の戦場で相対した北条軍ですら只の一丁さえ
しかし、それでも秘密というものは漏れるものであり、奇跡的に原型を保ったまま跳弾した末に馬糞の山に突っ込んだものが見つかった。
今までに発見されていた新式銃の銃弾は、その多くが負傷者の体内から取り出されており、そのほぼ全てが欠けたり変形したりしていたのだ。
未だに新式銃本体こそ鹵獲されていないが、たった一発の銃弾から織田軍の秘密は漏れ始める。
薄暗い明かりに弾丸を
高座は地名であり、弥勒の名は男を拾い育ててくれた寺のご本尊、
弥勒はいわゆる戦災孤児であり、厳しい冬の到来を目前に控えた晩秋の朝、弥勒寺の山門前に籠に入れられて捨てられていた赤子だった。
早朝のお勤めの折に僧侶が発見し、まだ辛うじて息をしていた赤子を哀れに思った住職が、これも神仏のお導きと育てることにした。
弥勒は寺という俗世から離れた集団生活の場に身を置き、宗教という学究の徒として育つ。
彼は幼少よりその才覚を存分に発揮していた。『門前の小僧習わぬ経を読む』のたとえにあるように、弥勒は教えられてもいないお経を
極めて利発であり、また手先も器用であったことから領主の目に止まり、家人として召し抱えられた経緯があった。
領主に召し抱えられてからも、めきめきと頭角を現した弥勒は、知恵者として名を馳せるようになっていた。
そして奇跡的に原型を保ったまま入手できた弾丸を元に、最も優れた火縄銃を作りだせた者を臣下として迎え入れると北条氏より御触れが出される。
これに応じた末に並み居る知恵者、鉄砲鍛冶を差し置いて頂点に立ったのが弥勒であった。
弥勒を始めとして多くの参加者は、最初に参考として見せられた銃弾を元に椎の実型をした銃弾を作る。
従来の銃弾よりも大きく重くなったため、同じ火薬量ではむしろ飛距離が短くなってしまうという結果になった。
そこで火薬を増量して撃ちだすようにすると、発射時の衝撃で銃身が割れてしまったり、想定よりも飛距離が伸びなかったりなどの問題に悩まされる。
他の参加者がこれを改善出来ない中、弥勒だけが銃弾に更なる加工を施すことで諸問題を解決してみせた。
弥勒は銃弾に直接螺旋型の溝を彫り、撃発時の衝撃が溝に沿って銃弾を押すことにより銃弾自体が回転し、そのジャイロ効果によって弾道が安定することを発見したのだ。
弥勒は銃弾に刻んだ溝が、矢羽根のような役目を果たして弾道が安定するのだと考えた。
流石の弥勒も全ての原理が理解できた訳ではないが、とにかく何種類もの銃弾に何十通りもの螺旋溝を刻み込んで試射を繰り返し、遂には従来の倍以上という飛距離を出すことに成功したのだった。
「しかし、銃弾を一発造るための費用が馬鹿にならぬ。織田軍は如何にしてこの問題を解決しているのだ……」
銃弾一発一発に対して正確に螺旋の溝を彫ることは至難を極めた。まずは手作業で理想の銃弾を作り上げ、それを型取りして金型を作る。
そこに溶かした金属を流し込んで冷やせば大まかな銃弾は再現されるのだが、飛距離を伸ばすためには更に銃弾一発一発に対してヤスリを使って溝を均す必要があった。
ここに発想の落とし穴があることに弥勒を始めとした北条側は気付けなかった。
銃弾に秘密があるのではなく、銃身側に螺旋の溝が彫ってあり、撃ちだす際に銃弾と擦れて旋条痕が刻まれているということに。
四月に入ると気温も和らぎ、関東地方を閉ざしていた積雪が溶け始めた。
従軍している諸将からは、もう少し待った方が良いとの意見も出たのだが信忠が強硬に早期進軍を主張した。
常から和を重視している信忠が信念を曲げてまで急いだのには理由がある。それは織田軍の優位性を担保し続けている新式銃に匹敵する兵器が、北条の手によって開発されたとの情報が齎されたからである。
これは恐らく北条側が意図的に情報を流しているのだろうという報告も添えられていたのだが、実際に何度も射撃を繰り返しているような音が観測されている。
本格的な進軍には時期尚早かもしれないが、積極的に斥候を放って情報収集に務めるべきだと信忠は判断した。
(恐れていたことが遂に始まったか……。今では当たり前に使用されている鉄砲とて、初めは種子島に持ち込まれた二丁のみだったのだ。いつまでも優位を保てる訳ではないか)
信忠は、北条側にも静子に匹敵するような異才の持ち主がいるのだろうと当たりを付ける。在野の才能を広く集める北条氏の
それでも信忠は自軍の優位性が揺らぐとは思っていなかった。北条側が開発した新兵器とやらが新式銃に匹敵する射程を持ったとして、それを全軍に配備するだけの物量を確保できているとは思えない。
戦国最強と呼ばれた武田を打ち破った根底には、圧倒的物量を担保する生産体制が構築されているという兵站の差があったのだ。
そうして動き始めた信忠だったが、程なくして放っていた間者から有益な情報を得ることとなる。
それは従来の火縄銃に倍する射程の銃が開発されているとの情報だ。物資の流れなどから判断して、既に量産を命じている節があり、遅きに失した感があった。
「新しい火縄銃を開発したとされる人物は『高座の弥勒』と呼ばれており、恐らくは小田原城内に
(何処にでも天才と呼ばれる人物はいるものだな)
北条側の新しい火縄銃を開発したとされる人物に関する情報を得た信忠は戦慄を覚えていた。来たる小田原城攻めの局面に於いて、恐らく北条側はこの新武器を投入してくるであろうことが想定される。
この時代の火縄銃が持つ最大射程は約三百メートルだが、狙った的に当てられる有効射程という意味では五十~百メートル程となってしまう。
たとえ最大射程が倍になったとしても、即ち有効射程が倍になるとは限らない。弓道に於ける
的の大きさが直径1メートルであり、これに命中させることは中々に難しい。
翻って有効射程が二百メートルとして、その際の射手から見た人間はどの程度の大きさに見えるかを考えれば、およそ現実的な話では無いと理解できるだろう。
「引き続き情報収集に努めよ。また、可能であればその新武器の現物を確保するのだ」
そのように間者に命じると、信忠は現時点で判明している事実を信長や静子と共有すべく緊急通信を行った。
緊急通信とは定時連絡の他に、火急の通信が必要となる場合に用いられる通信手段である。これには所謂モールス信号が用いられ、通話の要望に対して相手が応じられるか確認を取ることになる。
発話者と受話者の双方が通信可能であると確認が取れれば、改めて時刻を定めて電話回線が繋がれるという流れだ。
この際に用いられる時計は、尾張を基準として時刻合わせがされており、一日三回の定時連絡の際に調整されるという運用を取っている。
こうして信長及び静子と連絡を取った結果として、恐らく回収しそこねた不発弾か、もしくは何らかの要因によって原型を保った銃弾が鹵獲されたものと推測された。
現時点で紛失または盗難された新式銃は確認されておらず(シリアルナンバーで管理しているため、把握が可能)、射程及び連射性能のいずれも新式銃のそれには遠く及ばないであろうと結論づけられた。
それを聞いた信忠は心底安堵していた。自軍の圧倒的アドバンテージを奪われたかもしれないという恐怖は、信忠の心を予想以上に蝕んでいたようだった。
可能であれば開発者を織田陣営に取り込みたいところだが、北条側とて必死に囲い込んでいるであろうことから難しいと思われる。
小田原城攻めの折には、この開発者及び研究成果を奪取するか、もしくは葬り去ることが目標として定められることとなった。
こうして信長、信忠、静子の三者による首脳会談の結果、北条攻めの基本方針が若干見直されることとなる。
大筋としては今までと変わりないが、小田原城を守る支城を落とす速度よりも、確実な包囲網を構築することを優先する。
何度も述べているように籠城とは、増援ありきの戦略である。外部より増援が期待できないのであれば、籠城したとて死期を先延ばしにしているだけに過ぎない。
既に北条側が確保している物資を除き、関東一円の物流に関しては国レベルの調達が行われれば、たちどころに静子の耳に入ることになっている。
北条側も心得たもので、これまでに織田軍が落とした支城に於いて、残置されている物資はごく僅かであり、多くは持ち去られていることが解っていた。
こうしたことから小田原城には相当な量の物資が備蓄されていることが推測され、兵糧攻めは効果が薄いと判断せざるを得ない。
また日々発生している小競り合いに於いて、北条側が新兵器を投入している様子が無いことから、未だ実戦配備できるだけの数を揃えられていないと判断された。
これらのことから信忠は、新火縄銃は全て小田原城にあり、攻城時に満を持して投入してくると予想した。
「恐らく実戦に投入できる新火縄銃の数は百丁を上回ることはあるまい。火薬の改良まで開発が進んでいるような情報は入ってきていないことから、従来通りの一発撃つごとに掃除が必要な銃であれば恐れる必要はない。それでも警戒をするに越したことはないだろう」
(最後の最後で足を掬われては本末転倒だ。父上や静子に笑われぬよう、北条を倒して見せねばならぬ)
幾分か余裕を取り戻した信忠は、警戒心を抱きつつも着実に北条の力を奪うべく準備を進めた。
北条方の新火縄銃については信忠だけでなく、里見氏及び佐竹氏と向かい合っている才蔵の許にも情報が齎される。
敵方の新兵器と言う情報に眉をひそめた才蔵だが、届けられた詳報を読んで胸をなでおろした。
従来の火縄銃よりも長い射程距離を誇るが、その他の性能に関しては飛躍的な向上は見られず、警戒は必要だが方針を見直す程ではないと結論づけられていた。
「北条が里見や佐竹に新火縄銃を渡すはずがない。虎の子の新兵器を裏切る可能性がある者に託す馬鹿はいまい」
北条の行動を間近で見ている才蔵は、彼らが新兵器を里見や佐竹に供与しないと考えていた。万が一にも提供するのであれば、運用する部隊ごと増援として送ってくるはずだ。
それが無い以上、北条としては増援を送るつもりが無いのは確実だろう。つまり里見と佐竹は完全に孤立してしまったと言える。
「里見家の内情は、降伏して織田軍に下るというのが主流になっています。しかし、未だ北条が降伏していない状況で先に下ったとあれば武家の名折れと考えており、耐えている状況だと推測されます」
「里見については警戒こそすれど、積極的に対処する必要はあるまい。問題は佐竹だ」
才蔵の見立てでは、里見が積極的な攻勢に出ることはないと踏んでいた。既に手痛い一撃を貰っている里見と異なり、未だ戦力的に余裕のある佐竹は何をしてくるか判らない。
消極的な里見とは対称的に、佐竹氏内では積極的な攻勢に出るべきだとの論調が有力であった。およそ佐竹氏内では派閥が二つに分かれており、北条の様子を窺いつつも和睦を模索する穏健派と、籠城に焦れて雌雄を決するべきと主張する過激派がいる。
前者が主家である佐竹一族であり、後者は真壁一族を筆頭とする臣下達であった。
「雪解けを迎え、地面の泥濘が解消されれば、真壁が動く可能性は高い」
「その場合、如何致しましょう?」
「里見の時と変わらぬ。真正面から乗り込んでくるならば迎え撃つ、策を弄するようならばそれごと粉砕するのみ」
「大砲をもっと使用できれば本拠を一気に叩けるのですが、大砲ありきで攻めれば奴らは我らを腰抜けとあざ笑うのでしょうね」
織田軍に於いては既に個人の武勇がいくさを左右する時代は終わりを迎えている。
日ノ本全体を見渡してもいくさの行く末を決定するのは、どれだけ多くの銃をかき集められるかが鍵となると考えている国主が主流となっていた。
それでも東国、それも関東に於いては未だ個人の武勇がもて
故に臣下である真壁が主家である佐竹に対して意見を述べることが許されている。
「真壁の現当主は噂に名高い『鬼真壁』こと
後世の歴史家は真壁の姿勢を愚かだと断じるであろう。しかし、才蔵はあくまでも己の生き様を曲げない真壁を好ましく思っていた。
才蔵自身も一人の武人として、鬼真壁と刃を交えてみたいと思わずにはいられない。
そんな思いが通じたのか、四月も下旬に差し掛かろうと言う頃、才蔵の許へ真壁からの使者が遣わされた。使者に託された書には極めて簡潔な内容が記されている。
「大将同士の一騎討にて雌雄を決さん。己が破れれば真壁は織田に下る、逆に勝利すれば織田軍は撤退すべし、か。何とも都合の良い話だ」
戦況は既に五分とは言えず、才蔵方が優勢だというのは共通認識だろう。それを踏まえた上で逆転の一手を打ってきたのだ。
「面白い。受けて立とう!」
真壁の使者はよもや受け入れられるとは思っていなかっただけに、才蔵の返答に虚を突かれる。しかし、不敵な笑みを浮かべる才蔵を見て姿勢を正すと「承った」と答えて帰っていった。
鬼真壁と才蔵との一騎討は瞬く間に両陣営に伝わった。佐竹氏内部では真壁の勝手な行いに不満が続出したが、それでも自分たちが払う犠牲に対して、得られる利益を考えた結果黙認する。
一方の里見は興味津々といった様子で両者の一騎討を見守ることになった。何せ真壁の武名は里見にも轟いているのだ。
仮に真壁が破れれば戦況は絶望的となる。しかし、既に手詰まりの状況に於いて逆転の目があるだけでも儲けものだ。
更に言えばいつの世であろうとも、男と言う生き物は強い雄同士の戦いには心魅かれずにはいられない。
鬼真壁と音に聞こえた『笹の才蔵』との一騎討は、関東武者の興味を掻き立てた。その状況下で、一人ほくそ笑む者がいる。
「今こそ好機! 奴らの意識が一騎討に向いている間に攻勢に出るぞ」
これを知った信忠は、不敵な笑みを浮かべて攻めに転じた。
主敵である北条すらも自分たちを注視していない状況は、武士の矜持を傷つけられたと憤慨して然るべき場面であろう。しかし、信忠は信長の血を色濃く継ぐ者だ。
この状況が自分たちにとって有利に働くと判断すると、即座に一転攻勢へと転じた。雪解けの後も慎重に事を進めていたことが功を奏し、北条は信忠のスピードについてこられなかった。
信忠は冬を挟んだ前後のいずれに於いても慎重な姿勢を貫いており、北条側としては「織田は未だ攻め込んでこない」と楽観視させられていた。
実際に信忠は信長と異なり、ことを慎重に運ぼうとするきらいがある。入念に準備を整え、勝算がない限りは行動に移さない。故に信忠が攻勢に出るとすれば、何らかの予兆があると北条は思い込んでいた。
信忠はかつて一度手痛い敗北を喫して以来、軽々にことを起こすことを忌避するようになっている。しかし、それでも好機をみすみす見逃すほど腰が引けてはいない。
つまり、信忠が行動に出たということは、既に十分な準備がなされていたということに他ならない。
「若様、八王子城の築城が始まりました」
「よし。あそこは北条の急所。いずれは関東一円を睨む
「はっ、承知しました」
信忠は北条側の支城である八王子城を瞬く間に攻め落とすと、すぐさま改築を始めるよう命じた。八王子城と言えば、北条が抱える支城の中でも最重要と言える城だが、この時点では未だ本格的な築城の最中であった。
それゆえ、史実のような堅牢な城ではなく、簡素な山城でしかなかったのだ。このため詰めていた兵数も少なく、八王子城は半日ともたずに落城する。
「北条も八王子城の重要性は認識していたであろうが、刻が足りなかったか」
落城した八王子城からは、建築に必要な多くの資料が残されていた。運び込まれた資材も残っており、北条が関東の西に位置する八王子城を重視していたことが窺えた。
しかし、八王子城を堅牢な城へと改築するには余りにも時間が足りなかった。史実に於いても十年程も掛けた工程を、僅か一年で賄うなど出来るはずもない。
「資料は何であれ静子に送っておけ。要不要は奴が決めるであろう」
「承知しました」
(書き物であれば、それが木片であろうとも全て持ち帰れとは……長い付き合いながら、あいつの価値観は判らぬ。研究するわけでもなし、占有するでもなし、資料としてまとめれば公開するのだから何をしたいのやら……)
大工たちの走り書きや、人足たちの飯の配給に至るまで全てを欲する静子の真意が理解できない。誰が見ても無価値な落書きすら欲しがるのだから始末に負えない。
それらの全てを分類し、系統立てて整理しては記録しているようだが、その記録は多岐にわたる膨大な資料となっていた。
静子が管理する図書館の一角を占有する資料は、百科事典程の厚みを備えた本が十数冊にも及んでおり、常に装丁の限界に挑戦していると言われる程だ。
(一度それらのうち一冊を見たことがあるが、アレは本というより鈍器と呼ぶのが相応しいものだった。彩色した写真まで貼り付けていたが、アレは本当に何に使うのだろう?)
芸事保護を朝廷より委託されている関係からか、静子は戦国時代に存在する文物を片っ端から資料化していた。
それらは芸術だけに留まらず、風習や風俗に至るまでを収集し、口伝でしか残されていないものは書き起こしてまで記録する執念には驚かされる。
静子を指して記録魔と呼ぶ人がいるようだが、それも無理のないことだと思わずにはいられない。
「あいつ、この手の事に関しては父上も辟易するほど執念深いからな。嫌というまで送り付けてやれ」
「はっ」
信忠は静子から何度も繰り返し念を押された意趣返しか、文字が書いてあれば何であれ箱に詰めて静子の許へと発送した。
明らかにゴミと思える物も多く、家臣たちが気を揉む一面もあったが、信忠は構わず送るように命じるのだった。
家臣は二人が
大量のゴミを受け取ったであろう静子から、お礼の品や大量の軍需物資が送られてきたことを以て、あれらは静子には価値があるのだと理解するしかなかった。
尾張の静子邸には信忠が東国征伐に向かって以降、実に様々な資料が届けられるようになった。補給物資を積んだ船便が、帰りに商材などと一緒に運んでくれているのだが、これが膨大な量になっている。
北条側の支城を落とした際に得られた資料も多いため、軍事や政治、地理的な資料が多いのだが、予想外に領民たちの暮らしぶりが窺える記録や商取引の証文など実に多岐にわたっていた。
静子邸では司書と静子自らがカテゴリーごとに分類し、どのような資料として編纂するのか方向性を決めている。そうして出来上がった資料が収まった棚をご満悦といった表情で眺める静子に報せが届く。
「ようやく動いたんだ」
静子に届けられた急報とは、真壁氏が居城である佐貫城を出立し、才蔵が構えた支城へ向かったというものだった。
佐竹と真壁との間でどのような
静子にとって才蔵に代わる人材はいないが、真壁氏にとっては当主たる氏幹が討ち取られても家督は弟である
「皆の者良く聞け! 音に聞こえし鬼真壁が、僅かな手勢のみを率いてこちらへ向かっているようだ」
真壁出陣の一報は才蔵の許へも届けられていた。手勢の数が少ないと聞いて眉根を寄せる者もいたが、才蔵は言葉を続ける。
「元より一騎討と、その立ち合い及び後始末だけの人員を率いておるのだろう。むしろ潔いというもの」
「こちらが騙し討ちにするとは考えないのでしょうか?」
才蔵の配下が放った一言に、周囲がどよめいた。
「一騎討が受け入れられた以上、小細工は不要と断じたのであろう。実に小気味良いではないか」
「仮に鬼真壁一人が討ち取られたからと言って、大勢に影響はない。しかし、万が一にも
「漢が命を張るだけの値打ちはあるということですね」
家臣の言葉に才蔵は頷く。拳で強く胸を叩きながら、才蔵は言葉を紡いだ。
「この才蔵、一騎討を挑まれたとあっては逃げ隠れせぬ。全身全霊を以て応えるのみ」
才蔵の頼もしい態度に、配下の将兵は才蔵の自信の程を肌で感じていた。そんな彼らの様子を見て、才蔵はニヤリと笑みを浮かべる。
「しかし、このまま手を
悪ガキのような笑みを浮かべる才蔵の言葉を、配下の将兵たちはワクワクしながら待った。
真壁出陣の一報から丸二日が経ち、万全の体勢を整えた一行が才蔵の待つ支城を目前に控えていた。
少数精鋭の優位性を活かし、全てが騎馬で統一された真壁一行は最後の小休止を取ると、支城に向かって進み始める。
「織田は本当に一騎打ちに応じるのでしょうか?」
氏幹の背後に控える側近の一人が思わず不安を口にした。そもそも戦況的に見て、真壁の首と才蔵の首とでは全く釣り合いが取れない。
才蔵側は里見・佐竹連合軍が疲弊するのをただ待っていれば状況が有利になるのだから、一騎討などという危険を冒してまで早期決着を図る必要性が無いのだ。
「仮に騙し討ちにあったとて文句は言えぬ。そもそも織田側にとって益の無い一騎討なのだ。それでも可児殿は武人として応じて下さるだろう」
そもそもが過ぎた高望みを賭けての一騎討。騙し討ちされても仕方ないと口にしつつも、そのようなことが起こるはずが無いと言い切る氏幹。
実際に命を賭ける主人にそう言われてしまえば、家臣としては付き従う他ない。そうして支城の門前に着くと彼らは思わず声を上げた。
「な、なんだこれは!!」
氏幹が呆気に取られて声を上げるが、家臣たちは余りの光景に声を発することすら出来なかった。果たして彼らの目に飛び込んだのは、支城の門扉が大きく開け放たれた空間に存在する異様な光景である。
それは
その真円の中心付近に設えられた床几に腰を下ろした武人が立ち上がり、大音声を張り上げる。
「ようこそ参られた真壁殿。