韓国人男性のメンタリティーの形成
朝鮮人男性の精神的形質は13世紀に形成された
李氏朝鮮における朝鮮半島の人々特に朝鮮人男性に対する西欧人の見解は非常に厳しいものである。日本人・中国人に対する見解とはまるで異なる。特に、イザベラ・バード・ビショップは、朝鮮・日本・中国をほぼ同じ時期に訪問し、記録を書き残しているので、3つの著作を比べれば一目瞭然であり、読んでみればわかるとしか言いようがない西欧人が見た朝鮮半島の人々の真の姿
これら西洋人の見解をまとめると、①嘘と騙し②激情が抽出されると思われる。
(例)
①「朝鮮幽囚記」 ヘンドリック・ハメルp52 「彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、騙したりする強い傾向があります。」
②「朝鮮事情」 C・ダレ P269 「成長した後は、男も女も見境のないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる」
③「朝鮮紀行」 イザベラ・バード・ビショップ P406 「朝鮮の教育はこれまで愛国者や思想家や高潔の士を輩出せずにきている。」
現時点で韓国人自身が自らをどのように考えているのかについては、一般的には「我々は優秀な民族」が韓国では国是中の国是であり、誰しもが疑いを全くさしはさまない。また、韓国人男性の激情についても、恐らくは否定する韓国人は皆無に近い。①「朝鮮幽囚記」 ヘンドリック・ハメルp52 「彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、騙したりする強い傾向があります。」
②「朝鮮事情」 C・ダレ P269 「成長した後は、男も女も見境のないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる」
③「朝鮮紀行」 イザベラ・バード・ビショップ P406 「朝鮮の教育はこれまで愛国者や思想家や高潔の士を輩出せずにきている。」
著名な評論家である黄文雄氏(台湾出身)は、悲韓論の中で、近代朝鮮文学の父、李光珠の分析であるとして次のように書かれている
P183 「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢順応、無知、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」
朝鮮人男性のメンタリティーを外側(ナム)から見た場合と内側(ウリ)から見た場合が完全に一致するのは、虚言と詐欺=嘘と騙し及び激情である。
この記事筆者は、韓国人男性をキチガイどもと表現する。当然であるが、統合失調症患者であると言いたいわけではない。しかし、insaneであることは間違いない
韓国人=キチガイどもは、単なる比喩的表現に過ぎないが、下記二つの数値は韓国人が集団として見た場合には、insane(正気ではない、まともじゃない)集団であることを完全にはっきり示している。
*全63もの国際的な自然科学関連学術賞の受賞者数
韓国 | 台湾 | 日本 | |
受賞者数 |
0 | 11 | 221 |
人口 | 5000万 | 2400万 | 1億2600万 |
(出所:2018年筆者調べ。データ詳細は、コチラ。)
上記データは、絶対にありえない。遺伝的に日本人に一番近いにもかかわらず韓国人男性は非常に特異な精神的形質を有していると断定する
*韓国の出生率推移
2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 | 2020年 |
1.17 |
1.05 |
0.98 | 0.92 | 0.84 |
(出所:BBC等のマスコミ報道による。)
キチガイどもの社会がまさに異常そのものであることをハッキリと示している
この記事は、日本人起源の二重構造モデルとの関連から、韓国人男性=キチガイどもは、
①13世紀のモンゴル軍侵攻により、男性人口の大幅な減少をきたしたこと
②その後に成立した李氏朝鮮では、同時期の中国・日本には全くない奴隷制により、特定の階層(両班)の男性のみが非常に多くの子孫を残したこと
この二つを主原因として、今日の韓国人男性の異常と言っていいレベルの極めて特異なメンタリティー=精神的形質が形成されたのではなかろうか?という視点から書いたものである。
なお、「朝鮮史研究入門」などと称し、巻末に非常に多数の在日韓国・朝鮮人による論文・著作リストを掲載する書籍では、
p106 「1260年の講和修好後、高麗は元との緊密な政治関係の下で存続することになる 」などと書いているが、1260年に元と高麗は、講和修好など元史によれば絶対にしていない。
このような「朝鮮史研究入門」が日本国内で平気で出版されていることは、2002年日韓共催ワールドカップサッカーと同様に、真に日本の恥辱に他ならず、朝鮮史の書き換え=単なる美化が朝鮮史の全時代を通じて行われていることの明確な証拠である。
朝鮮史を御存じでない場合には、モンゴルへの完全降伏後の高麗国王は、元の征東行省の長官であると同時に朝鮮国王に大元ウルㇲ皇帝から任命されていたという二面性を有していた点に注意されたい。(上記は、武田幸男氏による)
モンゴル軍の高麗侵攻と人口の大幅な減少
13世紀に朝鮮半島の男性に大きな遺伝的変化が生じた可能性が高い
①日本における高麗史の権威である武田幸男氏の高麗史日本伝によれば、モンゴル軍が高麗に侵攻する前の高麗前期の正規軍はほぼ45,000人であるとのこと。また、李蔵用(当時の高麗の宰相)という人物がクビライと面談した際の記述として下記画像のとおりであり、男性人口が大幅に減少したことはほぼ確実である。なお、この記事筆者は歴史マニア兼遺伝学マニアであるが、モンゴル軍侵攻により既に「キチガイ状態」に陥った李朝朝鮮で、中國正史と異なりどのような基礎資料にもづくのかが全く不明で、50年ものくだらん議論を経て書かれた高麗史の記述をあまり信用してはいないが、中國正史の中でも杜撰との悪評が高い元史によれば、高麗は大元ウルㇲに何度も反逆していることが確認でき、その期間は約30年にも及ぶ中国の正史については、このページで検索できる
世界歴史人口推計の評価と 都市人口を用いた推計方法に関する研究 林 玲子によれば、人口推計方式はつぎのものがあるとのことである。この記事は、兵力数に基づく、人口ではなく戸数の推定である
②一回目の元寇である文永の役における高麗兵・水夫・船数については、「古代の高麗と日本」中で旗田氏は講演中で次のように述べている。
「高麗がその時負担したのは船が900隻、船は全部高麗で作ったわけです。それから軍隊が六千。六千というのはその当時の高麗が招集できるぎりぎりの軍隊だったらしいです。 それから水夫を六千七百出しています」
通常態勢で出せる限界(=5戸~10戸に1名)で水夫・兵士の合計で12,700である。①でみるようにモンゴル軍侵攻前の高麗前期の正規軍は45,000であり、もし「その当時の高麗が招集できるぎりぎりの軍隊」が6,000であれば、いかにモンゴル軍侵攻により高麗において男性人口が激減したのかがわかる。しかし、船数が限られていたため、兵士の数を絞った可能性も否定しきれないが、屯田兵の存在からみてその可能性は否定される。④参照
なお、征東行省が設置され、事実上、大元ウルㇲに朝鮮半島が組み込まれた後の二回目の弘安の役の高麗動員兵数は、高麗の記録では、兵士9,960名、水夫17,029。
3戸1名程度のほぼ根こそぎ動員であったと推察される。(推定根拠について興味のある方は、https://www.hpcreating.com/php/blog/kakikomi/kourai.xlsx ご参照)
③「モンゴル帝国における戦争」川本正知奈良産業大学教授による論文によれば、下記の通り
「上述のハシャルは,中国では制度化され,漢人歩兵の徴集制度である「軍戸」制が設定された。兵を出した戸を軍戸として,軍徴発は必要に応じて「10丁に1卒」「1牌子(10戸)ごとに軍1名」「20戸毎に1名」「20丁ごとに1名」という基準で行われた。」
②③から、下記画像のようにパターン化して、モンゴル軍侵攻前の高麗の戸数とその後の戸数の減少率が推定できる(武田氏によればモンゴル軍侵攻前の高麗の正規兵数は、45000であり、この軍役を当時の高麗政府が概ね平均で何戸に1名徴集したのかから、モンゴル軍侵攻により人口が激減する前の高麗の戸数を推定できる。ただし。4万とする学者もいる)
(注)鬼頭宏氏による「歴史人口学から見た生と死 9」によれば、日本の江戸時代の平均世帯規模は、4.15人(現在の山梨県、1820年頃)~6.8人(現在の九州、1633年)
当時のモンゴル軍は、チンギスカンによる現在の中東方面へのいわゆる「西征」その他において、その常習的戦法としてとして①モンゴル軍に対して石一つでも投げた場合には、抵抗と見なして男性はほぼ全員を殺戮する②戦わずに無条件降伏した場合(これが非常に多かったようである)には、都市住民のうちモンゴル軍に必要な技術を有する職人は捕虜とし、それ以外の男性は大量動員して次に攻略する城塞都市攻略時の土木工事兵と利用していた。一言で言えば、降伏しても「根こそぎ動員」して、次の城塞都市攻略時のモンゴル兵の損害を極小化する戦法である
「元朝治下におけるモンゴル軍人と漢人奴蝉」海老沢哲雄 北海道教育大学函館分校史学教室
こ の隷民をジュワイニーな どイラン側 の資 料 ではhashar〔補助軍〕と呼んでいる,その軍役は,戦闘準備の作業,戦術上必要な土木作業,あるいは戦闘時において最も大きな犠牲を伴う最前線での戦闘である,第二の手工業生産に従う職人は,普通,ある 都市の住民をすべて殺 す場合でも取り除 かれる,そし てモンゴルのカラ コ ルムやトルキスタソの都市などに送られ,あるいは現地で,織物や武器などの生産を強いられた」
文永の役でも、完全に同じ手法を採用したはずであり、高麗へのモンゴル軍侵攻により、当時の高麗の戸数は恐らくは85%~90%程度も減少したと考えられる
なお、人口の中国史(上田 信)表2-8によれば、同じ時期に隣接する中国遼寧省の戸数は90%減少したものと中国の研究者は推定している。一介の歴史マニアに過ぎない記事筆者の朝鮮に関する上記の戸数推計値は正しいものと確信している
④文永の役におけるモンゴル・高麗軍の人員数については、「大モンゴル帝国」 田村実造 によれば、下記のとおり。
「高麗は、6月中旬までに900艘の造船を終わった。征東軍の総数は高麗駐屯中の屯田軍5千、本国らの元軍1万5千の計2万名の他に、高麗の助征軍5、6千人」
ここで重要なのは、元軍2万のうち5,000人が屯田兵だった点である。
参考データ
①モンゴル軍の中国侵攻により約3000万人が死亡し、当時の中国の人口の少なくとも4分の1以上が死亡したと推定されている(JMロバーツの「世界史」から)
また、「人口の中国史」によれば、中国全体で同時期に約37%の人口減少があったと中国人学者は推定している
②15世紀における朝鮮半島の人口の総数は、約200万人内外であったと推測される(韓国通史 韓ウグン、ただしあてにはできない)
③モンゴル軍侵攻関連の高麗史と元史の記述は概ね次のとおり。
なお、「1219年の江東城で殲滅し、(略)和議が成立」(高麗史)は、単に当時のモンゴル軍の常習的戦法である降伏した敵を次の敵を攻撃する際の先鋒軍として利用する方式を意味し、元史の記述が完全に正しいと考える。元史は「高麗王遂降,請歲貢方」と明記しており疑問の余地はない。
*太祖即位:1206年
*太宗即位:1229年
*憲宗即位:1251年
元史に基づく内容 | |
元史 | この中国正史検索ウェブサイト(中国語)での元史の高麗関連記述 |
太祖13年 1219年 |
契丹六哥據高麗 江東城,命哈真、札剌率師平之; 高麗王(漢字一字の国王名)遂降,請歲貢方 【元史P132 小林高四郎によれば、「六哥 クラウゼは耶律留哥の誤植と推定する。正しい(訳書87頁)」という点に注意】 |
太宗3年 1231年 |
是月,以高麗 殺使者,命撤禮塔率師討之,取四十餘城。 高麗 王日育遣其弟懷安公請降。 |
太宗4年 1232年 |
高麗 叛,殺所置官吏,徙居江華島。 |
太宗7年 1235年 |
唐古征高麗。 |
太宗13年 1241年 |
秋,高麗國王王綧以族子綧入質。 |
憲宗2年 1252年 |
冬十月,命諸王也古征高麗。 |
憲宗3年 1253年 |
冬十二月,大理平。帝駐蹕汪吉地。命宗王耶虎與洪福源同領軍征 高麗,攻拔禾山、東州、春州、三角山、楊根、天龍等城 |
憲宗4年 1254年 |
夏,幸月兒滅怯〔土〕之地。遣札剌亦兒部人火兒赤征高麗。 |
憲宗5年 1255年 |
是歲,改命劄剌角與洪福源同征高麗 。後此又連三歲,攻拔其光州、安城、 |
憲宗8年 1258年 |
三月,命洪茶丘率師從劄剌角同征高麗。 |
高麗史に基づく内容 | |
西暦 | 「朝鮮史」(武田幸男編)の記述をもとに井上厚史氏が整理 |
1219 | 契丹族の侵入をモンゴル軍と協力して江東城で殲滅し、モンゴルと
朝鮮間に和議が成立 【元史によれば、この時点でハッキリと降伏している。チンギスハーンがいわゆる西征に出る前の時点である。】 |
1225 | モンゴルが高麗に貢納を要求するが、モンゴル使者の不慮の死を口
実に国交を断絶 【該当する記述は、元史にはない。以下、大元ウルㇲから見れば、単に高麗が何度も反逆したに過ぎない。嘘と欺瞞で固めた朝鮮史の特徴がよく出ている。】 |
1231 | モンゴル軍が大軍を率いて高麗に侵入(第一次高麗侵入)し、この 後も断続的な侵入が続く |
1254 | モンゴル軍が慶尚道まで南下。「是歲、蒙兵所虜男女、無慮二十萬 六千八百餘人、殺戮者不可勝計、所經州郡皆爲燼。自有蒙兵之亂、 未有甚於此時也。」5 |
1258 | 朝鮮東北部の趙暉らが反乱を起こしてモンゴル軍に投降し、「雙城総 管府」が設置される |
1259 | 高麗がモンゴルに服属 |
1260 | モンゴルで世祖フビライが即位するのに合わせて、高麗で元宗が即 位し、両国の新たな関係づくりが始まる |
1269 | 朝鮮西北部の崔坦らがモンゴルに帰順し、「東寧府」が設置される |
1273 | 三別抄の反乱を耽羅(済州島)で鎮圧し、「耽羅総管府」が設置され る |
1274 | 高麗の世子がフビライ帝の駙馬(娘婿)となった後に即位して忠烈 王となり、高麗の元(モンゴルは1271年に国号を大元に改変)への 服属が始まる |
文永の役において、元軍2万の4分の一もが屯田兵であった点からも、当時の高麗において男性人口が急減少したことがわかる。男性人口が急減少したため、農業生産が困難となり屯田兵という形式をとらざるをえなかったのである。
実は、モンゴル軍侵攻前の朝鮮史は、日本とよく似た経緯を辿っている面がある。本論とは関係ないので詳細は省くが、モンゴル軍侵攻前は崔氏武臣政権という日本の鎌倉幕府と非常によく似た統治体制がとられていた。
モンゴル軍侵攻がなければ、朝鮮半島が日本の事実上の植民地となることは絶対になかったと記事筆者は言い切れる、恐らくこの時期において朝鮮人男性のメンタリティー=精神的形質に決定的な変化が生じたのである。モンゴル軍侵攻により、遠慮せずにハッキリと言えば、「嘘と騙しに長じた男性」が集団内に非常に多数を占める結果を招いたようだ。そうでなければ、生き残れなかったのであろう。高麗史でもモンゴルに寝返った者が確認しうる
そして、遺憾ながらアシュケナージ系ユダヤ人とは対照的に精神面ではinsaneな遺伝子集団へと変質した可能性が極めて高い。何故ならもう一度掲げておくが、下のようなデータはあり得ないからである。
*全63もの国際的な自然科学関連学術賞の受賞者数
韓国 | 台湾 | 日本 | |
受賞者数 |
0 | 11 | 221 |
人口 | 5000万 | 2400万 | 1億2600万 |
(出所:2018年筆者調べ。データ詳細は、コチラ。)
もう一つ、ハッキリ言えるのは、上のデータと今日の韓国においてサムスンに代表されるように電子関係でいくつかの企業が世界的大企業に成長している点を照らし合わせると、上のデータは、遺伝的に見た場合、遠慮せずに言えば、「韓国人は科学面では何ものをも生み出しえない」奇妙な特性を有している集団であることを強く示唆している。
従って、そのような集団からサムスンのような企業が誕生することは考えにくいという点である。
実際にもサムスンは、4.2日に1回も特許権侵害で告訴されているのだ
繰返しになるが、13世紀において人口が急減少した朝鮮半島の男性にのみ、非常に大きな精神面での形質変化=メンタリティーの大きな変化が生じたと推定する。少なくとも、高麗へのモンゴル軍侵攻が朝鮮史の決定的な分岐点であったことは間違いない。ただし、少なくとも5万人以上の男性は生き延びたと考えられるので、遺伝的な多様性は消滅せず維持された。(ヒトの場合、有効集団サイズと呼ばれる遺伝的多様性が失われない限界は、1万人程度とされている。チンパンジーの場合、2万程度だそうである。「人類学63の大疑問」より)
朝鮮史をご存知の方のために言えば、兵員数がどの朝鮮史の歴史本を見ても一切書かれていない非常に奇妙な存在である三別抄軍の抵抗終了をもって高麗人男性は、ほぼ消滅に近い状態となった可能性が高い。
これ以降、朝鮮史は一切の自律的な動きを示さなくなってしまう。
(注)三別抄軍なるものの兵力は全く不明であるが、光復軍と称するバカげた宣伝(=歴史の歪曲)と同じレベルであった可能性が高い。
そして、子孫を数多く残した特定の男性集団は、朝鮮史から見て2回生じている。1回目は上記モンゴル軍侵攻による男性の大量死と男女バランスの崩れ、2回目は500年以上にわたる李氏朝鮮独特の奴隷制度(奴婢)である。
その結果、下の韓国人サンプル数1000名を超える全ゲノムシーケンス論文中の主成分分析図に見られるように、韓国人は、二重構造説にもかかわらず、日本人よりは遥かに中国人近くにプロットされ、かつ、異常なまでに遺伝的均質性が高い集団が形成された可能性が高い。
(上記論文から原文引用)
On the basis of our analysis, Korean population is genetically homogeneous compared to other East Asians, and this is probably due to geopolitical isolation in the past thousands of years.
李朝朝鮮時代に関しては、下記のようにソウル大学によるほぼ正しいであろう人口増減率推定がある。
(推定基礎資料は、1926年当時の朝鮮総督府作成であり、日本人が作成したものである)李朝朝鮮末期には、人口が明らかに減少傾向にあったことがよく分かる
二重構造モデルに関する歴史学者・遺伝学者・人類学者の見解
①日本人起源に関する二重構造モデルとは当初古代人の人骨分析を専門とする人類学者が提唱し始めたものであり、次のとおり
倭人への道 中橋孝博(古代人人骨分析の専門家=人類学者)
「 いわゆる2重構造モデル、つまりもともと日本列島には現在のアイヌや琉球人の祖先になるような人々が住んでいたが、そこに大陸から異なった系統の人々が流入し、その影響で本州域の人々は変化したが、列島の両端にはその影響を受けなかった原住の人々が残ったのでは、というシナリオが改めて浮上してくる動きとなった」
②ここで、「大陸から異なった系統の人々」とあるが、歴史学者はほぼ100%近く朝鮮半島からとしている。中国満州は、当時は明らかに稲作不適地域であったことから、多くの歴史学者は中国山東半島→朝鮮半島→九州北部へ稲作が伝播されたと考える場合が多い。
ただし、九州北部の遺跡・遺物をまじかにいつでも見れる研究に最も有利な立場にある岩永省三 九州大学総合研究博物館教授は、
「しかし、朝鮮半島南部と北部九州の文化が最も類似するこの時期でも、朝鮮半島系の無土器文化の遺物・遺構だけで構成される遺跡はなく、朝鮮製・朝鮮系の遺物も少なく、無土器文化そのものに変わったわけではない。(略)渡来系文物を伝えた渡来人の数は、渡来系技術である土器制作時の外傾接合手法の様相から見て大量ではなく、独自のコロニーを作ることもなく縄文人の集落に吸収され共生していたとみられる。」と明言されている点が注目される (岩波講座 日本歴史 古代Ⅰ)
歴史学者の見解をそのまま採用すれば、今日の日本人の祖先は、日本列島土着のいわゆる縄文人と朝鮮半島から稲作と共に移住してきた韓国人の祖先であるということになる。
③遺伝学者の見解は二つに分かれている
*斎藤成也国立遺伝学研究所教授の見解
斎藤教授は、一番新しい論文Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesianで、
Rice agriculture was introduced 3000 BP (e.g. Fujio, 2015; Nasu and Momohara, 2016) by the third-wave migrants whose homeland was somewhere in continental East Asia.
と述べておられる。歴史学者と異なり、朝鮮半島からとはしておられない。即ち世界でもトップクラスの集団遺伝学者ですら「朝鮮半島から」と明言できない状況である
*若手遺伝学者2名は、下記論文で完全に歴史学者と同じ見解を採用している
Exploring models of human migration to the Japanese archipelagousing genome-wide genetic data
Naoki Osada (北海道大学大学院情報科学研究科准教授), Yosuke Kawai(国立国際医療センター)
なお、上の論文で、若手遺伝学者2名は、韓国人を日本人とほとんど同列に扱っているが、完全な誤りである。韓国人の遺伝学論文によくみられるタイプの何らかの意図的なものを感じざるを得ない。キチガイどもと日本人の精神的形質は、非常に異なっている点に関しては疑問の余地がなく、かつ上記論文と完全に同じ韓国人サンプルデータに基づき事実上はアメリカ食品医薬品局(FDA)が2014年に発表した論文及び韓国人による二つの論文で、韓国人遺伝子の特異性は疑問の余地がない。(この記事最後に前記3つの論文から直接引用してはっきりした証拠を示す)
③人類学者の見解は、二重構造モデルの最大の提唱者である埴原和郎氏の有名な論文によれば、下記のとおりであり、斎藤教授とほぼ同一見解である
「渡来系弥生人の頭骨形態 は蒙古, 中国東北部および東シベ リアなどの極 端 な寒冷適応 をとげた集団との強い類縁性を示すのである。 この結果は, 渡来集団の起源が北 アジアにあることを示すと思われ る。したがって渡来集団は, まだ断定の段 階ではないが,おそらく彼らの原郷から朝鮮半島や中国北部を経由して日本に到達したのであろう」
李氏朝鮮の奴婢制度=奴隷制度
19世紀において同じ民族を奴隷とした唯一の例である
19世紀において、同胞即ち完全に同じ民族を奴隷(奴婢)とし、売買の対象としたのは、朝鮮のみであることは100%確実である。李氏朝鮮における支配階層である両班の主要な財産は、所有する土地と奴隷(奴婢)であった。この二点は絶対に確実な歴史的事実そのものである。キチガイども(韓国人)の中には否定しようとする輩(やから)がいるだろうが相手にする必要はない慶尚道大邸地方の戸籍分析の結果:表4身分別人口数とその比率
(四方博京城大学教授調べのデータを宮嶋博史氏が「明清と李朝の時代」でそのまま記載しているのを分かり易く改変し%のみ表示)
両班 | 良人 | 奴婢 | |
1690年 | 7.4% | 49.5% | 43.1% |
1729年 | 14.8% |
52.8% | 32.4% |
1783年 | 31.9% |
52.2% | 15.9% |
1858年 | 48.6% |
20.1% | 31.3% |
上の表に見るように19世紀でも奴隷(奴婢)が30%を超えている。李氏朝鮮の奴隷は二タイプあり、普通に表現すれば、両班と一緒に住む内居奴隷と、完全に別に住む外居奴隷である。外居奴隷については、李朝末期にはほぼ消滅したようである。「19世紀半ばには奴婢戸は全体の1.5%とほとんど消滅するに至っている」(宮嶋氏)
p360
「李朝時代の奴婢は、公奴婢と私奴婢の2種類に大別されるが、後者が多数を占めた。私奴婢身の2種類があり、それらは身役奴婢と納貢奴婢と呼ばれる。前者は上典(奴婢所有者)の家内や周辺に居住しつつ、上典の家内労働や農耕労働に従事する奴婢である。独立した戸籍を持たない身役奴婢を特に率居とも呼んだ。後者の納貢奴婢は、独立した家計を営み、上典に対しては毎年定まった額の物品を上納する義務を負うだけであった。納貢奴婢の中には、上典の居住地と遠く離れて住む者もおり、 奴婢が上典の支配を逃れて、奴婢身分から抜け出す事例は、納貢奴婢の場合に多く見られた 17から18世紀における奴婢の売買価格の変化を見ると、婢が奴よりもはるかに高値で売買される傾向が強まってくる このことは農業労働における奴の役割が減少したのに対し、婢の家内労働における役割がさほど変わらなかったためであろうと思われる。奴婢の人口構成においても、婢の数が奴をはるかに上回るようになる。」
日本における典型的な朝鮮史美化運動家である姜在彦は、「婢女のばあいは、その所有者である両班の性欲のはけ口ともなった。」(ソウル
「世界の都市の物語」)などと書いているが、完全な美化に過ぎない。両班の主要な財産である奴隷(奴婢)を増やすためには、奴隷同士で増やすか又は両班自らが婢(女性奴隷)に子を産ませるしかない。「李朝時代の奴婢は、公奴婢と私奴婢の2種類に大別されるが、後者が多数を占めた。私奴婢身の2種類があり、それらは身役奴婢と納貢奴婢と呼ばれる。前者は上典(奴婢所有者)の家内や周辺に居住しつつ、上典の家内労働や農耕労働に従事する奴婢である。独立した戸籍を持たない身役奴婢を特に率居とも呼んだ。後者の納貢奴婢は、独立した家計を営み、上典に対しては毎年定まった額の物品を上納する義務を負うだけであった。納貢奴婢の中には、上典の居住地と遠く離れて住む者もおり、 奴婢が上典の支配を逃れて、奴婢身分から抜け出す事例は、納貢奴婢の場合に多く見られた 17から18世紀における奴婢の売買価格の変化を見ると、婢が奴よりもはるかに高値で売買される傾向が強まってくる このことは農業労働における奴の役割が減少したのに対し、婢の家内労働における役割がさほど変わらなかったためであろうと思われる。奴婢の人口構成においても、婢の数が奴をはるかに上回るようになる。」
しかし、李朝末期の19世紀には、両班と別に住む奴隷(奴婢)はほぼ消滅し、両班と一緒に住む奴隷も上の枠内引用にあるように圧倒的に婢(女性奴隷)が多かったであろうからして、奴隷同士で増やすことは困難であり、両班自らが婢(女性奴隷)に子を産ませるしかない。
上に掲げた表の奴隷比率の推移を見られたい。
①1783年時点での奴隷比率の大幅な減少は、主に外居奴隷の減少による(宮嶋氏)②その後、増加に転じているが、その原因は内居奴隷の増加、端的に言えば、女性奴隷が両班の子を多く産んだことによると考えて間違いない(婢が生んだ子は、父が誰であっても奴婢=奴隷とされた)
このことは、少なくとも、李朝末期~1900年頃までにおいて朝鮮人男性の多くが、社会的身分は別として遺伝的には特定の男性集団(両班)の子孫であったことを意味する。
李氏朝鮮時代は、激しい党争の繰り返しである。言い換えれば、激情の発露の繰り返しである。韓国人男性の激情は、この時代に形成されたのであろう。
即ち、圧倒的に多くの子孫を残した両班に、激情家が非常に多かったのである。
慶尚道大邸地方のみのデータであり、C・ダレの朝鮮事情によれば、全羅道には両班はほとんどおらず、朝鮮半島北部(現在の北朝鮮)も両班が少ないという地域性を考慮しても人口分布は半島南部、特に穀倉地帯である忠清道・全羅道、両班が圧倒的に多かった首都漢陽を含む京畿道に集中していたであろうからして、概ね朝鮮半島全体の傾向ではなかろうかと考える
韓国人(男性)は遺伝的に精神面で、日本人・中国人と異なる固有の遺伝的形質=メンタリティーを有している
彼らの20%程度は、精神面で何らかの遺伝的な固有の形質を有している可能性が高い
以下3つの全ゲノムシーケンス論文からみて、韓国人遺伝子の特異性は疑問の余地がない。ヒトのDNAから見た真の姿は、分析コストの安い常染色体のみを対象とするSNP分析(一塩基多型分析)では絶対にわからない。全ゲノムシーケンスでなければ、わからないのだ!①2011年、韓国人による韓国人DNAの全ゲノムシーケンス論文(サンプル数10名)
A subset of the nsSNPs showed remarkably high allele frequencies among the Koreans studied compared to other populations, including Europeans and west Africans represented in the HapMap project.
nsSNPsは、非同義一塩基変異の略である。HapMap projectには日本人・中国人も含まれているが、韓国人は含まれていなかった。HapMap projectは、性染色体まで含めた完全な全ゲノムシーケンスデータである
②2014年、事実上はアメリカ食品医薬品局(FDA)による韓国人DNAの全ゲノムシーケンス論文(サンプル数35名)
「 In contrast with the SNVs common to other populations in HapMap and 1KGP, the Korean only SNVs had high percentages of non-silent variants, emphasizing the unique roles of these Korean only SNVs in the Korean population.」
non-silent variantsは、非同義変異と事実上同一である。正確に訳せば、非沈黙配列多様体=non-silent variants。
「We analyzed disease association by WebGestalt using the genes involved in non-synonymous SNVs in SNV-1 and SNV-35. Therefore, we inferred that special attention should be made for the Korean population when treated for the above mentioned terms related diseases, since other populations did not carry those Korean only SNVs. 」
③2018年、韓国人による全ゲノムシーケンス論文(サンプル数50名、②と完全に同じシーケンスデータでサンプル数が+15名)
「Surprisingly, however, roughly half of the variants in ‘1000GP low frequency’ were classified as ‘frequent in KoVariome’.」
*KoVariomeとは、Korean Personal Genome Project=KPGPのことであり、このページで公表されている。
(ただし、サンプル中に②によれば、白人女性とその子2人が含まれ、③によれば親子等血縁のある者も多く含まれているので、112名中分析対象となりうるのは比較的少ない)
*1000GPは1000ゲノムプロジェクトのことであり、中国人・日本人は含まれ、韓国人は含まれていなかった。
1000GPには、フェーズ1・フェーズ2・フェーズ3があり、フェーズ1・フェーズ2では常染色体とX染色体を対象としていたが、フェーズ3で全染色体が対象となり完全な全ゲノムシーケンスデータとなった
上に論文から直接英文引用したように韓国人遺伝子の特異性は疑問をさしはさむ余地は全くない
この記事筆者が中国史・日本史と朝鮮史を比較し、大きく異なる点を抽出した結果が下記2点である。
①高麗へのモンゴル軍侵攻による人口の大幅減少(戸数ベースで85%程度減少)と男女人口比バランスの崩れ
②李氏朝鮮の奴婢(奴隷)制度により、両班という特定の階層の男性が、圧倒的に多くの子孫を残した可能性が高いこと
従って、上記3つの遺伝学論文に明記されているような韓国人遺伝子の特異性は、ほぼ確実に上記が主要因であると推察する。
そう考えれば、二重構造モデルにもかかわらず、高麗へのモンゴル侵攻後の日本と韓国の歴史の相違、両国の国民性の相違、上に掲げた全63もの国際的な自然科学関連学術賞の受賞者数の極度の差などが全て説明がつく。
「確かに、二重構造モデルは正しい。しかし、13世紀に朝鮮半島の男性は、精神面では大きく変質し、その後の李氏朝鮮時代の奴隷制度がそれを加速した」これが記事筆者の結論である。朝鮮史は、モンゴル軍侵攻以後、全く自律的な動きを欠いている。
参考文献一覧
大元ウルㇲ及び元寇関連
*モンゴル帝国における戦争 遊牧民の部族・軍隊・国家とその定住民支配
*東西におけるモンゴル「襲来」寺田龍男
*元朝治下におけるモンゴル軍人と漢人奴蝉
*元史 小林高四郎
*モンゴル襲来の衝撃 佐伯弘次
*疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元 杉山正明
*大モンゴル帝国 田村実造
*チンギスカンとモンゴル帝国 ジャンポール・ルー
*大モンゴルの時代 世界の歴史9 杉山正明/北川誠一
*世界史とつなげて学ぶ中国全史 岡本隆司
*東アジアの変貌 小山正明(千葉大学教授)
*モンゴル帝国の歴史 デービット・モーガン
2重構造モデル関連
*二重構造モデル:日本人集団の形成に関わる一仮説 埴原和郎
*岩波講座 日本歴史 古代Ⅰ
*古代史のなかの朝鮮文化―東アジア世界と日本 井上 満郎
*弥生時代の開始:朝鮮半島から日本列島へ
*山東省の古代文化と日本弥生文化の源流 考古学資料を中心として 蔡鳳書
*交流する弥生人 高倉洋彰
*日本人になった祖先たち 篠田謙一
*日本人のなりたち 百々幸雄
*人類大移動 印東道子 編
*DNAでたどる日本人10万年の旅 崎谷満
*DNA人類進化学 宝来 聡
*DNAからみた日本人 斎藤成也
*日本列島人の歴史 斎藤成也
*倭人への道 中橋孝博
*日本人の源流 斎藤成也
以下、二重構造モデルに関する遺伝学論文については、この記事を書いた時点(2021年5月29日)で多数あり面倒なため、このカテゴリーページからタイトルで判断して興味あれば見られたい。最近読んだもので、印象的であった論文3つのみ例示しておく
*鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土 弥生後期人骨のDNA分析 篠田謙一・神澤秀明・角田恒雄・安達 登
*Ancient genomes from the initial Jomon period: new insightsinto the genetic history of the Japanese archipelago
*Modern human DNA analyses with special referenceto the inner dual-structure model of Yaponesian
朝鮮史関連
*朝鮮史 旗田巍 岩波全書
*歴史物語 朝鮮半島 姜在彦
*朝鮮の歴史と文化 姜在彦
*ソウル 姜在彦
*H・ハメル『朝鮮幽囚記』に見られる朝鮮社会の4つの特徴 小川 隆章
*本当は恐ろしい韓国の歴史 豊田隆雄
*韓国通史 韓ウグン
*明清と李朝の時代 岸本美緒(中国)宮嶋博史(朝鮮)
*両班 宮嶋博史
*高麗史日本伝 武田幸男 編訳
*中国の歴史5 五代・宋(朝鮮関係のみ)
*朝鮮史 武田幸男 編集
*古代の高麗と日本 韓国文化院監修
*朝鮮と日本の自他認識
*韓国歴史地図 韓国教員大学歴史教育科 著
*朝鮮の 「白丁」 身分の歴史的分析 徐知延
*朝鮮 武田幸男、宮嶋博史、馬淵貞利
*庶民たちの朝鮮王朝 水野俊平
*高麗・李朝=やきもの物語 若林美智子
*朝鮮半島の美術 吉良文男
その他
*悲韓論 黄 文雄
*朝鮮幽囚記 ヘンドリック・ハメル
*朝鮮事情 C・ダレ 東洋文庫
*中国奥地紀行 イザベラバード・ビショップ
*新訳 日本奥地紀行 イザベラ・バード 金坂清則訳
*朝鮮紀行 イザベラ・バード・ビショップ
*世界歴史人口推計の評価と 都市人口を用いた推計方法に関する研究 林 玲子
*歴史人口学から見た生と死 9 鬼頭宏
*人口の中国史 上田信
*モンゴル帝国における戦争 遊牧民の部族・軍隊・国家とその定住民支配
*東西におけるモンゴル「襲来」寺田龍男
*元朝治下におけるモンゴル軍人と漢人奴蝉
*元史 小林高四郎
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*疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元 杉山正明
*大モンゴル帝国 田村実造
*チンギスカンとモンゴル帝国 ジャンポール・ルー
*大モンゴルの時代 世界の歴史9 杉山正明/北川誠一
*世界史とつなげて学ぶ中国全史 岡本隆司
*東アジアの変貌 小山正明(千葉大学教授)
*モンゴル帝国の歴史 デービット・モーガン
2重構造モデル関連
*二重構造モデル:日本人集団の形成に関わる一仮説 埴原和郎
*岩波講座 日本歴史 古代Ⅰ
*古代史のなかの朝鮮文化―東アジア世界と日本 井上 満郎
*弥生時代の開始:朝鮮半島から日本列島へ
*山東省の古代文化と日本弥生文化の源流 考古学資料を中心として 蔡鳳書
*交流する弥生人 高倉洋彰
*日本人になった祖先たち 篠田謙一
*日本人のなりたち 百々幸雄
*人類大移動 印東道子 編
*DNAでたどる日本人10万年の旅 崎谷満
*DNA人類進化学 宝来 聡
*DNAからみた日本人 斎藤成也
*日本列島人の歴史 斎藤成也
*倭人への道 中橋孝博
*日本人の源流 斎藤成也
以下、二重構造モデルに関する遺伝学論文については、この記事を書いた時点(2021年5月29日)で多数あり面倒なため、このカテゴリーページからタイトルで判断して興味あれば見られたい。最近読んだもので、印象的であった論文3つのみ例示しておく
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*庶民たちの朝鮮王朝 水野俊平
*高麗・李朝=やきもの物語 若林美智子
*朝鮮半島の美術 吉良文男
その他
*悲韓論 黄 文雄
*朝鮮幽囚記 ヘンドリック・ハメル
*朝鮮事情 C・ダレ 東洋文庫
*中国奥地紀行 イザベラバード・ビショップ
*新訳 日本奥地紀行 イザベラ・バード 金坂清則訳
*朝鮮紀行 イザベラ・バード・ビショップ
*世界歴史人口推計の評価と 都市人口を用いた推計方法に関する研究 林 玲子
*歴史人口学から見た生と死 9 鬼頭宏
*人口の中国史 上田信
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