”伝統”を告発した元舞妓独占告白「16歳で受けた壮絶セクハラ」
迷いながらも飛びこんだ
そんな彼女がようやくたどり着いたのが、日本舞踊だったというわけだ。これこそ自分のやりたいことだと思った。母は、「中学を卒業したら、自分の力で生きていってね」と、早い自立を求めた。ちょうどそんなとき、京都先斗町で舞妓になるなら紹介してくれるという人が現れた。
「本当は高校に行きたかった。だから、迷いました。芸事に精進して、日本舞踊を現代化させたパフォーマンスができないかと考えてもいたんです。母は、学校にあまりなじめなかった私が苦労しないように、私のためを思ってその道をすすめてくれていたし、先斗町への推薦状もある。親も私もあとには引けない感じでしたね」
中学3年生のとき、舞妓の「仕込み」体験をしてみた。がんばれば報われる世界だとも言われた。置屋のおかあさんはやさしかったし、芸には厳しいのは当たり前だと感じ、彼女はその世界に飛び込んだのである。
「見習いさん」から舞妓デビューまで
8か月ほどの仕込み期間を経て、16歳の10月に「見習いさん」となった。見習いになると、半だらりの帯を締め、ねえさん芸妓と茶屋で修業をする。そして1か月後、置屋の女将、お茶屋組合の許可がおりて初めて、舞妓としてデビューするのである。
「そのとき置屋のおかあさんと、組合長と、ねえさん芸妓などと固めの杯を交わしました。金屏風の前で、結婚式の、三三九度みたいな感じで。もう家族みたいなものだから、そう簡単には裏切れない。そう感じました」
だが清羽さんは、見習いさんとしてお座敷を見ながら、すでに「私はここでやっていけるのだろうか」と嫌な予感にとらわれていたという。

舞妓になるとき、契約書などはいっさい交わさない。口頭で「6年奉公、お小遣いは月に5万円」と聞かされただけだ。その中から仕事用の化粧品から身の回りのもの、普段着の洋服までまかなわなければならない。
お座敷は18時から21時が先口(さきくち)、21時から1時が後口(あとくち)。先口はお茶屋のお座敷、後口は割烹やお茶屋系列のバーなどでお客様をもてなす。16歳といえども、舞妓になればお酒を一緒に飲むことになる。
「16歳ですからと断ったこともありますが、『舞妓がそんなことを言ってはいけない』とお客様に怒られました。そういうとき、ねえさん芸妓も、周りの大人も誰も守ってくれません。他の置屋では未成年には飲酒させないところもあるようですが、私は飲まされました」
「今日会ったばかりだけど、好きになっちゃった」
さらに、女として性的な目で見てくる客がほとんどだったという。
「かわいいねと手を握られて、『今日会ったばかりだけど、好きになっちゃった』と親より年上の男性に触られるわけです。酔ってくれば、もっと接触が激しくなる。身八ツ口(和装の脇のところ)から手を差し込んで胸を触ろうとする人も多い。舞妓は帯を高く締めているので胸を触ることはできないんですが、それでも手を入れてくる。で、鎖骨のあたりを撫で回すんです。着物の裾を割って手を入れられたこともありました。着物のときには、下着をつけていないのをわかっていて、そういうことをするわけです」
それでも客には逆らえない。しかも、そういったお客の「蛮行」以前に、お座敷の定番の「遊び」として、性的なことを強要される。まだ16歳だった彼女にはつらいものがあった。
<「【後編】性的なお座敷遊びを強要され…元舞妓が「花街の闇」を告発した理由に続く>


取材・文:亀山早苗撮影:足立百合